大王の考察
うーん。我田引水ってことなのか、真理をついているのか。。。
まあ、夜の街で平社員に「社長さん!」て呼びかけたりするのもあるしなぁ(^^ゞ
歌に詠み込むときとか、地方の非公式な場では、「大王と呼んでも遜色ない王族、大王に比すべき王族」を「大王」と記録しちゃってもとがめるものはいないのかもしれない。何しろ、法的根拠のある独占呼称でもないだろうから。
結局、論者のいいたいことは
天皇以前の「大王」という称号は後の天皇のような「天に二日無し」の「法定の公式称号」じゃなくって、「普通名詞的な尊号」だ。だから、大王とは後の世の天皇みたいに同時には一人しか存在しないものではなくて、「大王」「おおきみ」と呼ばれた物は同時に数人いてもおかしくない。
ということでいいのかな?
逆に言うと、その大王が聖徳太子を表す可能性が出てくる一方、別の人間を表す可能性も出てくる。
特に、この時代「あめのしたしろしめす」つまり「大王の中の大王」は不在といってもいいような時代である。大王の一人は臣下とされる人間に殺されるような時代。
また、「オオオミ」と「オオキミ」だってマリオしているといやあ、マリオじゃなかった類似している。
蘇我馬子だって見ようによっては大王かもしれない。後の天皇の尊称の一つ「ミカド」に住むのは誰あろうこの人間だ。
ただ一つ注意しておきたいのは、
天皇という位は記紀編纂時に、子孫から祖先に対して、遡って与えられた位だということだ。
推古以前の古代天皇とされている人間が生きていたとき、本当にその人が「あめのしたしろしめす大王」であったかどうかは、正直なところわからないのではないか。
結局、記紀編纂時に「あめのしたしろしめす天皇」になっている人間との血統的な関わりと当時なりの「正統意識」によって、代々の先祖、様々な大王に比すべき人間、の中から「天皇」が選択されていったというのが本当のところではないかとも思える。
で、編纂時には当当然残っていたであろう先祖の系譜と先祖の伝承とさらに他氏族に残る伝承や系譜と突合せ、なるべく齟齬がないように天皇を振り分けていった。
聖徳太子は「摂政」という位についてたのではなく、「まつりごとをとりおこなっていた」という解釈がある。政とを摂っていたのなら「摂政」ではなく「大王」として政治に参画していたのかもしれない。
でも、こう書いちゃうと自分で書いときながら「妙に嘘っぽく」見えるのも、また事実だ(^^ゞ

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