斎宮の件なのですが・・・。
崇峻天皇の夫人について、『先代旧事本紀』に「朝政に参加し神宮に斎き奉った人物として「物部布都姫」の名が見えます。この神宮とは伊勢神宮ではなく石上神宮だと思われます。(未確認)
崇峻天皇は、馬子に逆らうあまり、「祭」の部分を「伊勢から石上」に移そうと考えたとは考えられないでしょうか。だから、弑逆され、誰も文句が言えなかった・・・。どう?この推理。
藤原不比等が蘇我氏の真似をしながら、しかも蘇我氏の失敗を教訓にして台頭した感じがしますよね。
小姉君については「かぐや姫」妄想が今もつきまとっていて、なかなか「女王」だったとは推理できません。(この続きは、kitunoのブログで^^;)
http://blogs.yahoo.co.jp/kituno_i