石器時代の次は、いよいよ土器時代に入ります。
縄文とか弥生とかいう時代です。
姫路の縄文遺跡は50箇所以上確認されています。
主なものは
香寺町溝口の平尻(へじり)遺跡、石斧、砥石、石鏃、縄文土器。
辻井遺跡では4500年ほど前のものと推定されている完全な人骨のほか、石斧や石の鏃などさまざまな石器が見つかっているそうです。
岡田の堂田遺跡では、ハマグリ・シジミの貝塚やいのししや鹿、かわうその骨が発掘されており、縄文期の食生活が推定できます。
さて、次は、戦乱と発達の時代となる弥生時代です。
姫路では170箇所以上の遺跡が確認されているそうです。
弥生時代といえば、土器の形式で決められていますが、基本的に水田耕作の始まりによって人口が増えて、争いが日本列島各地で始まった時代でもあり、また青銅器や鉄器の使用も始まり、最近では「日本神話時代」とも目されています。
重要な遺跡として檀特山遺跡があります。ここからは、銅剣と同じ形をした「磨製石器の剣の破片」が見つかっています。
夢前町の神種(このくさ)では、この時代の重要な青銅器である銅鐸が見つかっています。
名古山遺跡と今宿の丁田遺跡では、銅鐸の鋳型の破片が見つかっています。
このことから、姫路の中心部あたりに銅鐸の工房のようなものがあったのではないかとも考えられていますが、それがはっきりとわかるような発見はまだありません。
ペギラさんは、「播磨の銅鐸工房は姫路城の地下じゃないか?」と仰っていましたが、もしそうなら見つかることはなさそうです(^^ゞ
最近よく広まっているのが「縄文時代人の子孫」と「弥生時代人」が争そい、それが「国津神と天津神の争い」と理解されているという話です。
国津神=縄文=出雲族、天津神=弥生=天孫族と大まかに理解されています。
出雲族はスサノヲを頂点とする日本列島の先住族だとし、天孫族はアマテラスを頂点とする一族を中心としており、出雲族を下して列島を支配したというもので、記紀神話の「国譲り」というのはその遥か昔の記憶を「物語」「神話」として語り継いだというものです。

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