2008/5/20

ジョン・レスター投手、ノーヒット・ノーラン達成!おめでとう。  Boston Red Sox・MLB

現地時間の5月19日、ジョン(ジョナサン)・レスターは、130球目となる渾身のストレートを、途中出場のアルベルト・カラスポ、目掛けて投げ込んだ。空振り三振!この瞬間、ノーヒット・ノーラン試合(無安打無得点試合)が達成された。レッドソックスでは、昨年9月にクレイ・バックホルツが達成して以来、(2001年の野茂英雄を含む)、18回目の偉業となった。私は、久しぶりにリアルタイムで、TV放送を観ていたが、その瞬間、涙が止まらなかった。振り返れば、一昨年の2006年8月23日…、レスターは、新鋭左腕投手としてデビュー五連勝を飾り、その活躍が期待されていたが、オークランドへの遠征途中に、背部痛で戦線離脱、そして9月1日、血液癌の一種である、未分化大細胞型リンパ腫(anaplastic large cell lymphoma)と診断され、マサチューセッツ・ゼネラルホスピタル(MGH)にて、年内だけで6回もの化学治療を受けていた。
クリックすると元のサイズで表示しますノーヒット・ノーラン達成の瞬間!
(Yahoo photoより引用)

当時のレスターは、野球人生の為というより、まず生きる為に…癌との闘いを余儀無く強いられた。現地の報道によると、髪の毛は抜け落ち、副作用にも苦しんだという。しかし、その治療に勝ち抜いたレスターは、メジャーのマウンドで投げるという夢を捨てきらず、昨年(2007年)4月から3Aで調整、そして7月23日にクリーブラント戦でメジャー復帰し、ご両親が見守る中、見事、勝利投手となった。尚、レスターは、ワールドシリーズの優勝が決定した試合でも、登板し勝利投手となっている。このレスターの活躍は、癌と戦っている世界中の人達は勿論、病と闘っている人達全ての希望の光となった事だろう。
Tシャツ展示品の数々…クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示しますレスター(No31)のTシャツ
(レッドソックス公式ショップにて撮影)

昨年の11月、ボストンに出向いていた私は、レスターと同じリンパ腫と戦われた、あぜ丸さんという方の依頼で、レスターのTシャツを求める為に、フェンウェイパークの公式ショップを訪れた。あぜ丸さんは、ネット等、あらゆる手段を通じて、レスターのTシャツを手に入れようとなさったそうだが、入手は困難を極めたとお聞きしていたのである。訪れた公式ショップには、レスターの31番のTシャツが、展示こそ成されていたものの、やはり品切れで、店員さんに尋ねてみると「その問い合わせばかり…」といささかうんざりした様子さえ見せ、「来年度まで製作される予定もない」と答えられた。ハーバード関係の病院が立ち並び、メディカルエリアと呼ばれる地区を近隣に持つフェンウェイパークでは、お守り代わり?に、お見舞い品としても、数多く買い求められていたのだそうだ。私は来季まで待って頂くよう…あぜ丸さんに連絡した。

★あぜ丸さんのブログ→ http://azemaru.at.webry.info/

ところがオフに、ヨハン・サンタナ獲得の動きの中、レスターもトレード要因の1人として名前があがっていた。サンタナ投手獲得は魅力のある話だが、レスターがトレードされるのは、嫌だ…とレッドソックスファンは誰も思っていたに違いない。結果トレードは、不成立。サンタナはメッツへと移籍した。そして、フランコナー監督を第二の父と慕うレスターは、今季レッドソックスの先発ローテーションの1人に定着、今日まで11試合に登板し、2勝(2敗)をあげていた。そして(体調重視の厳しい球数制限もあり)初完投のこの試合が、ノーヒット・ノーランという偉業となったのである。フランコナー監督は、レスターを包むように抱き抱え、温かく祝福した。レスターの顔は紅潮し、目には涙が溢れていたようにも見てとれた。
赤靴下とジミーファンド基金箱(右)クリックすると元のサイズで表示します
(フェンウェイパーク内にて撮影)

レスターのリンパ腫の病型は、基本的に切除による治療は困難で、放射線療法及び化学療法が一般的であり、寛解(かんかい)という症状が消えた状態に一旦はなったとしても、5年間の経過観察が必要であるという。その5年間に再発する事がなければ、ようやく「治癒」とみなされるそうだ。メジャーリーグでは、先週12日の母の日に、選手達が使用したピンクバットやリストバンドをオークションにかけ、乳癌基金に協力した。また、レッドソックスは、ジミー・ファンドという小児癌基金活動も、積極的に行っている。レスターのTシャツやグッヅ等も、この偉業を機に数多く生産されて、癌基金に一部を貢献する形を執って貰えたら…と願うと共に、今後もレスターが更なる活躍をし続け、病と闘う人達の力となり続けるようにと…祈っている。

※お詫びとお礼
先月、スタッフと共に車で移動中、衝突され背部と足首を痛めた私は、リハビリに通いながら、仕事をしています。公私共に忙しく、長期間ブログ更新が出来ず、ご心配をおかけしました事、お詫び致します。またご心配のメール等頂きました方々に、この場で恐縮ですが、お礼申し上げます。ありがとうございました。

※トラックバックは↓「ジョン・レスター投手、悪性リンパ腫から復活!勝利投手となる」
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2008/3/17

名古屋市美術館「北斎展」よりNo1…「韓信の股くぐり」  日記(今日思うこと)

70余年の長い創作活動の中で残した数々の作品の中に、その奔放な天才ぶりを発揮して来た葛飾北斎…。北斎と言えば「富嶽三十六系」の中でも富士山を中心に求心的に描かれた、伊豆方面から江戸に鮮魚を運ぶ押送船に襲いかかった大波の絵…「神奈川沖波裏」が、あまりにも有名であるが、その評価は、ヨーロッパに於いて、2007年、パリで開催されたオートクチュールで、クリスチャンディオールのデザイナー、ジョン・ガリアーノ氏が「葛飾北斎」と名づけたドレスを発表するなど、浮世絵というジャンルを超えて更に高まって来ている。
クリックすると元のサイズで表示しますオートクチュールドレス「葛飾北斎」
写真ご提供…スピンさん

そんな中、今回、東京都江戸東京博物館を皮切りに、現在、名古屋市美術館で開催されている…その名もすばりの「北斎展」では、北斎が活躍した江戸時代に当時、唯一海外との公式な窓口となった、長崎の出島から、オランダを通じて、ヨーロッパに輸出されていった北斎の肉筆画らを里帰りさせ、検証を試みている。北斎の絵が、オランダ製の紙に描かれている事から、当時来日していたシーボルトを始め、カピタン=商館長だったデ・シュチュレールらが、注文して描かせていたとも推察されている。今回の「北斎展」では、北斎とヨーロッパとの関わりをキーワードに展示がなされているが、訪れた際、私がまず一番に感動した一枚の絵について書いてみたい。
「韓信の股くぐり」(一部を撮影) クリックすると元のサイズで表示します

その絵は、参考として出品されている個人蔵の「韓信の股くぐり」(1809〜1918)で、北斎にしては、珍しい中国の故事格言を題材にした作品であった。「韓信の股くぐり」とは、漢の三傑の1人である韓信という、中国の宋の時代から漢の時代に活躍した武将が残した故事である。若く貧しかった頃の韓信が、魚売りをしていた時代に、ならず者達から「お前は刀をさして、偉そうにしているが、俺を刺せるか」と言いがかりをつけられた事があった。そこで韓信は「罪を犯してもいない人を殺す事は出来ない」と断ったが、ならず者の中の1人から「臆病者、ならば俺の股をくぐれ」と更に挑発された。しかし韓信は、彼らの股をくぐってその挑発には乗らなかったのである。後に、韓信は、漢と趙の戦い時に「背水の陣」の奇策等によって勝利し、漢を治めた劉邦(せつな)の名参謀・蕭何(しょうか)に「国士無双」…国の中で並ぶ者がいない最も優れた人物…と評価されるまでに出世した。その時、韓信は、股をくぐらせたならず者達を呼び寄せ「あの時、お前を斬っていれば罪人となり、私の人生は終わってしまっていただろう、お蔭で我慢する事を覚えた」と感謝し、警備役として取り立てたという。

この史実に基いて中国、そして日本でも「趙韓信の股くぐり」は『大志を抱く者は小事に取り乱すべきではない』という教訓として伝えられて来た。北斎は、この和漢折衷の格言となっている「韓信の股くぐり」の逸話を、一枚の絵の中で説明的に描いているが、北斎自身、座右の銘としていたように思われた。尚「背水の陣」とは、韓信のとった奇策で、川を背にして撤退する道がない陣を敷く事。当時、漢の武将は寄せ集めの俄か兵であった為、「自分達には後が無い」と絶体絶命のピンチに追い込み、死力を尽くして戦わせ勝利した事に由来する。
クリックすると元のサイズで表示します 「端午の節句」…母子3人の顔や着物の柄等精密に描かれている。また窓の外には魔除けの「鐘軌」の幟も描かれている。

名古屋市美術館の「北斎展」では、2月9日から3月23日まで、北斎の鮮やかで尚且つ、陰影のある肉筆画から、富嶽三十六景等の刷り物、北斎漫画等の版本、そして北斎83才の自画像に至るまでの238点(一部前期と後期に分けて展示)が展示されている。その迫力は、古今東西、多くの人々…芸術家達を魅了し続けている事を頷かせるに余りあった。また「北斎展」は、4月5日から山口県に移動して、5月18日まで、県立萩美術館・浦上記念館で開催される。

◎写真は図録「北斎」より転写。
◎参考・電子版「故事百選」・図録「北斎」
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2008/2/17

浅田真央、四大陸選手権優勝!(新採点法に苦しんだ今季)  フィギュアスケートと浅田真央選手

韓国、高揚で行われたフィギュアスケート4大陸選手権は、最終日を迎え女子シングルのフリー演技が行われた。結果、浅田真央が、プログラムの冒頭に組み込まれたトリプルアクセルを成功させ、193.25点で初優勝した。2年ぶりに4回転サルコーに挑んだ安藤美姫は、2回転で抜けてしまい、コンビネーションジャンプにもミスが出て3位と後退、2位には、カナダのジョアニー・ロシェットが入った。
クリックすると元のサイズで表示します暖色(ワイン色)のウエアで臨んだ。

4大陸選手権とは、ヨーロッパ選手権に対し、ヨーロッパ大陸以外の、即ち…アフリカ大陸、アジア大陸、アメリカ大陸、オーストラリア大陸の代表選手達が、世界選手権の前に集う大会で、1999年から始まったが、一昨年等は特に、オリンピックイヤーということで、各国内選手権の上位以外の選手らが出場していたりして、世界選手権に次ぐ国際大会という権威あるイメージには、程遠かった。しかし今季になって、浅田真央、安藤美姫、そして結果的には欠場となったが、グランプリファイナルの覇者、金ヨナらの参戦も報道され、一段とクローズアップされて来ており、(ヨーロッパ選手は不在だが)事実上、世界選手権の前哨戦とも言えよう。

浅田真央は、初めて四つの大陸に於けるチャンピオンになったのだが、トリプルアクセルを決めたものの、完璧な演技とは言えなかった。それは得点を見ると顕著に現れている。金ヨナが戻ってくる1ヶ月後の世界選手権(スウェーデン・イエテボリ)では、やはり200点を越えなければ、優勝するのが厳しいと思われる。ところで、浅田真央の得点が伸びない理由には、今季から取り入れられている新ルールにも一因がある。それは、ルッツジャンプとフリップジャンプの踏み切りのエッジが、中か外かを厳密に審査され、昨季までGEOで+が着く等…高得点を出していた、ルッツジャンプでインサイド踏み切りをして「不正なエッジ(wrong edge)」の減点が、されるようになったからである。
ジャンプの種類とその得点表→クリックすると元のサイズで表示します
◎試合では、この基礎点(点数)を素に、
その出来により各ジャッジの判定の平均値を加減し、+3から、−3点の7段階で評価される。
例えば3回転のルッツの場合、基礎点が6.0点に評価が最高なら、3点が足され9.0点となる。


そもそも、この新採点法は、似通った2つのジャンプ…ルッツ(アウトサイド踏み切り)、フリップ(インサイド踏み切り)を厳しく判断して、減点するようなったもので、例えばルッツの申請で、インサイドで踏み切ったから、単純にフリップを跳んだ事にすれば良いのでは?という訳には行かない。フィギュアスケートでは、プログラムの中にジャンプの回数が決められていて、例えば女子フリーでは、3回転以上のジャンプは2種類のみ繰り返し可能とされており、インサイドエッジで踏み切る癖のある選手が、3回転フリップを2度跳んだ後、3回転ルッツのつもりで跳んだジャンプがフリップとなった場合に、そのジャンプが無効とされてしまう(カヤックルール)からである。フィギュアスケートでは、審査員(ジャッジ)の他にテクニカル・スペシャリストがいて、踏み切りエッジが疑わしい場合、回転不足等と同様、ビデオモニターで再チェックし判定をしているという。

浅田真央は、ルッツジャンプを、インサイドエッジで踏み切る癖が着いているようで、このルール対策として、グランプリシリーズでは、ルッツジャンプの前にステップを入れる等、工夫をして来たが、反って意識し過ぎてしまい、ステップで躓いてジャンプ自体が跳べず、ショートプログラム規定の必須要素をこなせなかった、という苦い結果もあった。よって浅田真央は、身についてしまっている習慣(癖)を急に変更しようとして、ジャンプを失敗してしまうより、踏み切りの減点を覚悟の上で、質の高いジャンプを跳び、マイナスを低く抑えよう…という作戦に変更したと思われる。例えば3回転ルッツの場合、基礎点は6.0で、不正踏切で1点減点されても、5点は取れるからである。因みにジャンプの際のエッジのインとアウトの踏み切り方は、お箸を持ったりする利き腕とよく似ており、大人になってからの修正は、箸を持つ手を変えるくらい難しいらしい。

この新採点法、選手によってはジャンプのタイミングが速く、不正エッジを見つけ難かったり、ジャンプの準備動作で正しいエッジ方向に乗っていても、直前に逆エッジになる選手がいたりして、その判断も大変難しいという。採点競技では、過去にも物議を醸し出して来たが、ジャッジによって、得点の出方に微妙な違いが出る事は否めない。しかし、浅田真央は、この新採点法に悩みながら、ジャンプ以外の要素でも、レベルアップを図って来ている。今大会のフリーの演技中、私は素人だが「お見事!」と、思わず叫んでしまった「トリプルアクセル」の成功を観て、新採点法に苦しんで来た柵から、吹っ切れたような清々しさを感じた。世界選手権も優勝を期待して応援したいと思っている。
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2008/2/16

高橋大輔、世界最高得点で優勝「四大陸選手権」  フィギュアスケートと浅田真央選手

高橋大輔は進化を続ける…去る2006年2月23日、トリノオリンピックで、女子フィギュアスケートで、荒川静香が金メダルを獲った感動から約2年…。フィギュアスケート界は、明らかに進化して来ている。選手にとって毎年レベルアップした各大会に自分のベストコンデションで挑むのは、容易な事ではない。この2年間、成長しつつある多くの選手の中で、心身共に最もに成長したと言えるのが、高橋大輔であると思う。特に昨年の世界選手権に於いて、僅差で2位になった時からの成長が著しい。もう彼の事を「ガラスのハート」と呼ぶファンは、誰一人いないだろう。
クリックすると元のサイズで表示しますフリーでも圧倒的強さを見せた高橋

高橋は、年末の全日本選手権で『有言実行』となる四回転を2回成功させ、その好調さを保ったまま、今大会も、SP「白鳥の湖ヒップホップバージョン」の斬新なステップで、世界歴代2位の88.57点で首位に立ち、全日本選手権フリーの後半でバテテしまった事を体力をつけて克服、今大会のフリーでは、自己ベストを大きく更新した264.41点の世界歴代最高点を叩き出した。これまでの歴代最高点は、奇しくも2年前のトリノで、観客を魅了した演技で、2位以下を寄せ付けなかったロシアのエフゲニー・プルシェンコの出した258.33点だった。あの時、暫くの間この得点を超える選手は現れないだろう…とさえ思ったが、何とトリノでは重圧から8位に沈み、辛苦をなめた高橋大輔が、6点以上も上回る得点を出したのだ。(地上波でのTV生中継が無くて残念であるが)。

フィギュア界に新風…SPクリックすると元のサイズで表示します

3月にスウェーデンのイエテボリで開催される世界選手権では、今大会に参加した、アメリカ、カナダの選手に加え、昨年の覇者で、高速スピンが美しいステファン・ランビエール(スイス)や、4回転を得意とするブライアン・ジュベール(フランス)も参戦してくる。元よりランビエールを尊敬し憧れていた高橋大輔だが、高橋が体調を崩したりして、余程不調でなければ、世界選手権初優勝は、自ずと見えてくると思う。尚、今年、関西大学を卒業する高橋だが、世界選手権と重なる為、残念ながら、卒業式には出席出来ないという。4年間お世話になった大学の関係者の方達、学友達には「世界選手権の金メダルでお礼に代えたい」…と雑誌のインタビューで語っていた。高橋大輔は、この件もまた『有言実行』を果たしてくれると信じている。

因みに同誌には、以下の編集者からの質問と、高橋の答えも載っていた。

編集者:「もし、1日だけ別のスケーターに変身出来るとしたら、誰になりたいか?」

高橋:「浅田真央ちゃんかな。真央ちゃんは、どんな感じでジャンプを跳んでいるか体感してみたい。僕のジャンプはどっちかというと重たいけど、真央ちゃんのジャンプは軽い、というイメージがあるので…」。(2007年12月末『メダリストオンアイス』の後で…)
 

◎DAI-X出版「フィギュアスケートvol.5」より引用 ◎写真はYahoo photoより引用。

※以下は「You Tubu」より…全日本選手権「Daisuke TAKAHASHI 2007JPN Nats SP 」
http://jp.youtube.com/watch?v=4PqYJh49-cc&feature=related

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2008/2/6

レッドソックスの首脳陣達No1…岡島秀樹獲得の舞台裏  Boston Red Sox・MLB

2月3日に放送されたNHKスペシャル…『日本とアメリカ』の第三回「日本野球は“宝の山”〜大リーグ経営革命の秘密〜」は、レッドソックスファンの私にとって、大変興味深く観る事ができた。番組は、6年前、経営難に陥っていたレッドソックスを買収した筆頭オーナー…投資家でヘッジファンドの社長である、ジョン・W・ヘンリーさんにスポットを当てていた。ヘンリー氏は、イリノイ州の農家に生まれ、9才の時にメジャーリーグを観戦したのを契機に、大の野球好きとなった。当時から数字には強く、常に頭の中で、選手達の打率や防御率を換算していたという。大学はUCLA等4つの大学で哲学を学ぶも学位は取得せず、父親の死を転機に農場を継いだ。そして、独学で為替ヘッジ(ヘッジとはリスク回避の意)を学び、大豆の先物取引で、まず75000ドルの利益を得た事を始めに大成功を収めた。
クリックすると元のサイズで表示します ワールドシリーズ観戦の首脳陣。
左からJohn W. Henry, Tom Werner, Larry Lucchino(yahoo photoより)


ヘンリー氏は、1980年に独自のトレーディングシステムを作り上げ、1981年には、ジョン・W・ヘンリー・アンド・カンパニーを設立して、マネーマネジャーに就任、以降6つのトレーディングシステムを使用して、通貨から穀物まで多種に渡るトレードを行ってきた。結果、現在では約30億ドルの資産運用をしており、世界で最も優れたトレーダーの1人として、マイケルコベス著の「トレンドフォロー入門(トレンドの魔術師達の売買戦略と成功の秘密)」にもその名をはせている。ヘンリー氏は、投資家として培ったデータ分析を野球にも応用して、球団の運営を行い就任から6年間で、売り上げを2倍に伸ばすと共に、チームを常勝球団へと育て上げて来た。ヘンリー氏は、現在も自らスコア表をつける習慣を続けているという。
ファン投票で最優秀中継ぎ投手にクリックすると元のサイズで表示します
選出された岡島秀樹。(2007年7月撮影)


過去100年のデータを元に、安い品を買い高く売って利益を得て来たヘンリー氏は、投手の「指標」として「防御率」(自責点÷投球回×9)だけではなく、アナリスト(分析家)として採用した、野球愛好家のポロス・マックラゲン氏の論文から見つけた「指標」によって、巨人時代の岡島秀樹投手に注目し、日本ハムへ移籍後は特に岡島獲得へと強い意志を固めたという。ヘンリー氏が見つけた新たな「指標」とは「三振の数÷四球の数」だ。その「第二の指標」は、高い程能力のある投手と言えるそうだが、メジャー投手の平均が2.00に対し、岡島は巨人時代で2.95、日本ハム時代には、何と4.75まで上げ、他のプロ野球選手の中でも抜きん出ていた。2006年11月、レッドソックスが岡島を獲得したというニュースを耳にした時、私は左腕だから…くらいにしか捉えていなかったが、既にこの時、ヘンリー氏は、岡島の成功を裏付けるだけのデータを握っていた事になる。

また、ヘンリー氏は、球団経営を既にボルチモア・オリオールズとサンディエゴ・パドレスの経営を立て直した、ラリー・ルキーノ氏に任せた。ルキーノ氏は、狭くそして、歴史的価値から解体は不可能なフェンウェイパーク(球場)の改装に着手した。リキーノ氏は、まず初めにグリーンモンスターの上に270席の客席を造った。フェンウェイの名物とも言われるグリーンモンスターは、建設当初は、レフト側が狭く市街地が近い為に、ホームランが出難くする為にボールを遮る壁を作ったという、苦肉の策であったが、その上を観客席として活用した所、最もホームランボールが飛んで来易く、また見晴らしが良い為、大人気となった。定価約1万5千円のシートも時にネット場では、5万円から10万円以上出しても手に入らない事さえあるそうだ。
クリックすると元のサイズで表示します 記者席から見たレフトスタンド側

また、ファミリー向けに、選手達がバッティング練習している時、グランド後部で球拾いが出来る権利付のチケットを販売、定価約3万円はけっして安くないと思うが、ボールを拾えるだけでなく、選手達と同じグランドに立てるという感動も手伝ってか、人気の的となった。私がフェンウェイパークを訪れた時も、センターの後のブルペンの横に仕切られた区域があって、子供達がボール拾いをしていた。抽選か何かで選ばれた子供達かな?と思っていたが、そういう特権付シートがあったのだと、今更ではあるが納得した。他にも、フェンウェイツアーと題して、球場の記者席やダックアウト、グリーンモンスター内等を見学出来るガイド付のツアー(大人18ドル)をシーズンを通して行っていたり、公式ショップは年中無休で営業するなど、シーズンオフも売り上げを伸ばしている。その背景には、親会社の宣伝目的という日本プロ野球の指針と違い、独立した企業として収益を上げるという確固とした経営理念がある。
外野席増設等改装中のフェンウェイクリックすると元のサイズで表示します
(以上2007年11月フェンウェイツアーにて撮影)


ヨハン・サンタナのメッツへのトレードというニュースが届き、レッドソックスのストーブリーグには、大きな動向はなく、主力選手は揃ったままで、データ的には二連覇を狙えると言えよう。しかし、ヘンリー氏は、自身の言葉で語っている。

「I don’t believe that I am the only person who cannot predict future prices.」
(私は将来の価格を予測することはできない。それは誰にも出来ない)

レッドソックスの春季キャンプの日程が、2月22日からと決まり(投手陣は2月16日)いよいよ、選手達も始動する。首脳陣はキャンプ中にも新たな戦力発掘の為に視察をし、データを集積し続けるという。(選手名敬称略)。

◎参考 
・NHKスペシャル…『日本とアメリカ』「日本野球は“宝の山”〜大リーグ経営革命の秘密〜」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080203.html
・マイケル・コベル(Michael Covel)著
「トレンドフォロー入門(トレンドの魔術師達の売買戦略と成功の秘密)」
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2008/1/31

トレーニングジムのプログラム…『ボティコンバット』に参加して  日記(今日思うこと)

トレーニングジムへ通い始めて2週間経った。その間、2度に分けられたオリエンテーションも受けて、エアロバイク、トレッドミル又はクロストレーナーの他に、トレーニングマシンは4台使用している。そして、ボストンで少しキックボクシングを習った事もあって、多種類のスタジオプログラムの中から、ボクシング、キックボクシング、テコンドー、空手、ムエタイ、太極拳等…格闘技系の要素を取り入れたプログラム…『ボディコンバット』を、週に2回受講している。まだまだ「コリオ」と呼ばれる振り付けを覚えるだけで必死であるが、なかなか楽しく、ストレス解消にぴったりで、初参加の時も、終わった後は(足が、わなわなと笑ってしまっていたが)爽快だった。
クリックすると元のサイズで表示しますオークランドのスポーツジム…レスミルズ。

そもそも『ボティコンバット』とは、ニュージーランドのオークランドにあるスポーツジム「レスミルズ」 が発信するエクササイズプログラムの中から、日本(代理店はコナミスポーツ)へと輸入されている7種類のプログラム=『ボディジャム』『ボディアタック』『ボディバンプ』『ボディステップ』『ボディバイク』『ボディヒーリング』『ボディコンバット』の中の1つで、私が通うスポーツジムは、『ボディコンバット』の他にバーベルを使った『ボティバンプ』が取り入れられている。それらのプログラムの時間になると、「レスミルズ」とか「B.T.S.J」(ボディトレーニングシステムの略)のロゴが入ったウェアに身を包んだ人達が現れ、インストラクター方の横や直ぐ後で参加している。インストラクターの方は、此方を向いて指導して下さる為、どうしても振り付けが左右反対になるので、その方達の動きが、私のようなビギナーには、とても参考になって有難いと思う。

私が初めて『ボティコンバット』に参加したのは、スポーツジムに通い始めて3日目だった。ボクシングの手の動き=ジャブ、ストレート、アッパー、フック等は、少し習った事が効をなしてか、直ぐに着いていけたが「ジンガ」と呼ばれるステップや、バックキックやニーキックの組み合わせになると、着いて行くのに精一杯で、1つタイミングがずれてしまうと修正するのが大変だった。元々体を動かす事は大好きだったが、音楽に合わせて体を動かす事の中で、私が得意なものと言えば「盆踊り」くらい…。インストラクターの方の説明は丁寧なので、頭では分かったつもりになっても、手足の動きが着いて行かなかった。
オークランドの景色 クリックすると元のサイズで表示します
スカイタワーは328メートルあるという。(photolibrary.jpより)


また、60分の『ボディコンバット』プログラムの前には、必ず『コンバット伝授』という20分間のプログラムがあり、私は最初、ビギナー用の時間かと思っていたが、それは大きな間違いだった。これらのプログラムは、本家本元の「レスミルズ」専属の、エアロビクスインストラクター、医師、運動生理学者、理学療法士らからなる「コリオグラファー」によって、3ヵ月ごとに更新され、全世界約55ヶ国に配信されており、新しいコリオ(振り付け)を教えて貰う時間という意味だったのだ。インストラクターの方が「新しい…」と口にされる度に「私にとって、どのコリオも新しいけどな」…なんて思っていた。全くをもって「知らない」とという事は恥ずかしい。しかし知らなかったからこそ、構えず気軽に参加出来て良かったと思っている。

『ボディコンバット』では、60分間、途中で水分補給だけの休憩はあるが、ボクシングのフットワークのように、殆ど足を動かし続け事になる。腕も実際にパンチを当てるイメージで…と指導されるので、かなり腕の力を使っていた。そして、終盤に腕立て伏せと腹筋を取り入れた筋肉トレーニングも組み込まれていて、初めは帰宅すると腿は笑い、腕は張り、体中の彼方此方が痛かった。その上、翌朝になると首の筋肉(胸鎖乳突筋)まで痛くなり、仕事中にも思わず「イテテ」と言いそうだった。しかし、『ボディコンバット』に参加して4回経ち、動きは激しくなったはずであるが、筋肉痛は減って来て、翌日には殆ど痛みが残らなくなった。今では、友人も誘い、『ボディコンバット』プログラムがある日を、下手ながらも楽しみにしているのである。

※以下「YouTubu」より『Body Combat 』のデモンストレーション
http://jp.youtube.com/watch?v=kB9deEE0fyQ

http://jp.youtube.com/watch?v=wML0xjL3cYY&feature=related

◎箸休め
ジムに設置されている『ジョーバ』マシン
クリックすると元のサイズで表示しますその名もズバリ!『JOBA』(Panasonic製)

以前、ロデオマシンには乗った事があったが、このマシンには「鐙(あぶみ)」と呼ばれる足掛けが着いており、鐙に足を掛けて踵(かかと)を下げ、マシンを内股で閉めるようにして、乗馬と同じような体勢で15分間乗ってみたところ、本物の馬に乗った時と同じ箇所が筋肉痛になった。Panasonicのサイトによると家庭用も発売されており、けっして安い価格ではないが、忙しかったり諸事情でジムへ行けない方には、お薦めであると思う。
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2008/1/29

全米選手権、女子は長洲未来優勝、井上怜奈は氷上でプロポーズ  フィギュアスケートと浅田真央選手

フィギュアスケート全米選手権は、現地時間の26日フリーの演技が行われ、女子シングルでは、アメリカ生まれで日米両国籍を持つ、長洲未来が初出場し、ショートプログラム、フリープログラムの合計190・41点で初優勝した。2位には15才のレイチェル・フラット、3位には、アシュリー・ワグナー16才。そして4位には、去る12月のグランプリファイナル進出を果たした、14才のギャロライン・ジャンが入り、2007年全米選手権覇者で2006年世界チャンピオンのキミー・マイズナーは、ジャンプのミスを引きずり、7位に終わった。
クリックすると元のサイズで表示します 日本人の両親を持つ長洲未来。

私は、全米選手権の動画を「You Tobu」で観たが、マイズナーは、グランプリファイナルの時と同様、ジャンプの転倒が続き、不調な様子だった。体の丸みが出てジャンプの軸がずれてしまったのだろうか…。日本の浅田真央も、昨季から今季にかけて、伝家の宝刀…トリプルアクセルがクリーンに決まらず苦心していた。体型が変化しつつある中で、常に難易度の高いジャンプを飛び続ける事が如何に難しいか…改めて思い知らされた。
グランプリシリーズフランス大会クリックすると元のサイズで表示します
左からマイズナー、浅田真央、ワグナー(以上写真はAP通信より)


SPで1位だった長洲未来のフリーの演技は、最終滑走のプレッシャーからか?冒頭のダブルアクセルで転倒してしまったが、その後は立て直し、スピン、スパイラルも安定していて、最後のトリプル×トリプルジャンプを決めると場内から大拍手が起きた。得点が出たキッス&クライでは、優勝の瞬間、信じられないような驚いた表情にも見えた。14才での全米チャンピオンは、1998年、ミッシェル・クワンを抑えて全米を制した(長野オリンピック金メダル)タラ・リピンスキーに次ぐ若さだという。尚、タラ・リピンスキーは、金メダル獲得後、直ぐに引退してプロになってしまい物議を呼び、フィギュア界がスケート年(7月)で15才以下の国際大会出場を認めない一因となった。

また、25日に行われたペアの部に、出場した井上怜奈(以下怜奈と記す)、ジョン・ボールドウィンは、2位となり優勝は逃したが、演技終了の後、ボールドウィンが、怜奈の前に跪いて『残りの人生を共に過ごしたい、結婚して下さい』とプロポーズした。怜奈は涙を浮かべ『Yes』と 受け入れ(ボストンでTV観戦していたコロコロさん談によると)本当に嬉しそうで素敵だったという。このサプライジングな演出?について、怜奈は知らされておらず、1度目は聞き取れなかったそうだ。昨年の世界選手権で、同じくプロポーズした中国の申雪、趙宏博ペアの時も感動したが、怜奈には肺癌を乗り越え、また、スロウジャンプ練習中の落下による子宮破裂の怪我も乗り越えて現役生活を続けてきた。(2007年世界選手権後引退したが、全米選手権で現役復帰)。その傍らには、常にジョンがいて支えてくれたという。お二人の未来に幸多かれと祈りたい。
クリックすると元のサイズで表示します氷上のプロポーズ
(井上怜奈、ボールドウィン)USA-Todayより
涙ぐんで「Yea」と言った怜奈クリックすると元のサイズで表示します
TVの画面を撮影(By Korokoro)


因みに昨年、全米選手権2位だったエメリー・ヒューズは、怪我の為欠場しており、スウェーデンのイエテボリの世界選手権には、3位のアシュリー・ワグナーより以下の選手(4位のキャロラインも14才で不可)が出場する事になるようで、表彰台は、昨年に続き、浅田真央、安藤美姫、金ヨナらによるアジア選手独占の可能性が濃厚である。(文中敬称略)。

※トラックバックは、過去記事「フィギュア世界選手権を前に…Jr.世界選手権2位の長洲未来」と
「肺癌を乗り越えトリノへ…フィギュアペア全米V、井上怜奈選手」
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2008/1/17

トレーニングジムに通い始めて…ボストンで通った「Be well」  ボストンの思い出

成人の日が過ぎ、仕事の方もようやく一段落して(少し風邪気味でもあったが)久しぶりにゆっくりとした休日を過ごした。気持ちが抜けた所で、今年の抱負…『運動を続ける』を守るべく、近くのスポーツクラブへと足を運んだ。明日こそ、明日こそ…と、なかなか通い始められなかった『あななろ君』の私だったが、朝、偶然見たカレンダーの欄に「決断力と勢いが大切」と書かれていて、普段は占い等をあまり気にしない生活をしているが、今日はその言葉に後押しして貰い入会手続きをした。
クリックすると元のサイズで表示します 通い始めたスポーツジム玄関。

入会手続きの後、最初のオリエンテーションを受けたが、そもそも、数年前まで、通っていたスポーツジムだったので、スタジオが広くなったり、スタジオメニューが少し変わった以外、殆ど同じ説明で、少し緊張感が解けた。トレーニングマシーンも以前からあった…平地や坂道を想定して、ウォ−キングからランニングまで設定出来る『トレッドミル』や、固定式自転車…『リカンベンドバイク』が並んでいて、新しくは『クロストレーナー』と『ロデオマシーン』等が増やされていた。今日は、とりあえずスタジオメニューの「エアロビクス」を受け、『トレッドミル』で15分間、走ったり歩いたりして、汗を流した。

今年の抱負を『運動を続ける』と決めたのは、暫くの間、スポーツから離れた生活をしていて、運動不足が気になっていた事もあったのだが、昨年11月ボストンへ渡米した際に、友人の紹介で短期入会したHarvard Medical Schoolの大学病院の一つであるBeth Israel Deaconess Medical Center 内にある 「Be Well」というスポーツジムで、少しトレーニングした事が切っ掛けとなった。そのジムは、7日間の無料体験コース+10日券で50ドルという価格で、期限は半年。一ヶ月滞在の私にとって、有難い値段だった。(日本では体験1日が(安くても)1000円だから、かなりお値打ちである)。そのジムではまず、インストラクターの方に、軽いダンベルを使用した手腕の運動を習い、ノーチラス(Nautilus)製ナイトロ(NITRO)のトレーニングマシンの中から、主に腹筋を鍛えるアブドミナル等、4台選択、重さも設定して貰って、ほぼ毎日そのメニューをこなした他、週に一度、スタジオメニューのキックボクシングを選択して、未熟ながらもパンチやキックの型を学ぶ事が出来た。
Thanks! Ms. Marlene. クリックすると元のサイズで表示します

初め友人は、私にスタジオメニューの、キックボクシングを勧めてくれたが、数年間にも渡る運動不足で体力が無いと判断されて、インストラクターのマリーンさんに友人は「彼女を殺す気ですか?」というジョークまで言われてしまった。実際、キックボクシングはスタジオメニューの中で、最もハードなのだそうだ。そこで『まずは見学』という運びとなったが、ストレッチの時とか「トライしてみる?」と促され、スタジオの片隅で始めていた。私の場合、体力不足は否めなかったが、何故か体だけは柔らかく、ストレッチには充分着いて行けた。すると…マリーンさんから「一緒に参加しなさい」と言われてしまった。心の準備が出来ていなかった私は一瞬焦ったが、無理なら休んでも良い…との事で、安心してそのメンバーに加わった。しかし、その結果は翌日の酷い筋肉痛…。私は既にトレーニングマシーンで一汗掻いており、その後に続けてのキックボクシングチャレンジは、かなり無謀だった。

ところが、筋肉痛が治まると、何だか体が軽くて動き易くなり、肩凝りもなくなっていた。私は、運動していた方が体調が良い事に、改めて気付かされた。ボストンでジムに通ったのは、約半月ととても短かったが、マリーンさん始め、ジムで働いている方達には、毎日暖かい言葉をかけて頂き、楽しい時間を過ごす事が出来た。特にマリーンさんには、とても親切にして貰った。マリーンさんとは、帰国しても運動をして体力をつけ、必ず再訪する事を約束した。年末年始の慌しさの中、実現しないまま一ヶ月が過ぎて、気になる所だったが、やっと最初の一歩を踏み出し、運動をし始める事が出来た。明日の筋肉痛が少し怖くもあるが、心地よい疲れの中、マリーンさんの笑顔を思い出している。

※「Be well」で大人気!空きがなかなか無かった『クロストレーナー』について。
クリックすると元のサイズで表示しますクロストレーナー(珍しく空いていた)

楕円形の動きを採用、腰や膝への負担を軽くして手足を動かせる。階段の登りとランニング要素を合わせ持ったようなトレーニングマシン。水の上を走っているように?足を交互に動かしながら有酸素運動が出来る。また「前漕ぎ」を「後ろ漕ぎ」に変換出来、使う筋肉も変えて下半身を鍛えられる。クロストレーナーには、手も連動させるタイプと足だけのタイプがある。

バーベルとダンベルが並ぶクリックすると元のサイズで表示します

トレーニングマシンは、動作範囲は限られているが、まず第一の長所は、ダンベルやバーベル運動に比べて、安全性が高いという事で、レバーで体格に合わせられ、ピン1つで重さが変えられる為、老若男女、筋力の有る無しを問わず、多くの人に使用出来る。また、フォームも崩れ難い為、初心者でも正しい筋肉運動が出来るという。
クリックすると元のサイズで表示します ラットプールダウン(Lat Pulldown)
・大胸筋、上腕二頭筋、三角筋を鍛える。

※他に私が使用させて貰った残り3台のマシーン…NAUTILUSサイトより

クリックすると元のサイズで表示しますアブドミナル(Abdominal)
・主に腹筋を鍛える。
ロウアーバック(Lower Back)クリックすると元のサイズで表示します
・背筋を鍛える。
クリックすると元のサイズで表示しますレッグプレス(Leg Press)
・大腿筋を鍛える。
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2008/1/16

ボストン美術館「浮世絵名品展」V…錦絵の印刷技術と色革命  日記(今日思うこと)

浮世絵の『錦絵』=『多色摺木版画』は、天明(1781〜1789年)から、寛政(1789〜1801年)の江戸後期に全盛期を迎えた。浮世絵を現代風に言うなら出版物であり、暦絵を始め、芝居役者のポスターや、角界の相撲絵などには、『版元』と呼ばれるスポンサーがあった。この頃になると絵師の下絵に基づいた「掘り師」と「摺り師」に於ける印刷技術も頂点の極みに達したと言われている。
クリックすると元のサイズで表示します「越後屋」奥村正信 1745年
健在の三越デパートの前身。透視図法で距離感を出し奥行きがある絵となっている。


版木には、中国年画から学んだ『桜』の木が使われ、その木の質を見極めながら、絵師の下絵のラインを彫り分込んだ。中でも、髪の毛などは1oに5〜6本も彫り込んであり、美術館でも見入ってしまった。堀師は、当時、摺師よりも格の高い扱いを受けており、彫師の名が入った浮世絵もあるという。また、何枚も使用した版木を、色ずれを起こさないように刷り上げる技術は、版木と紙の性質を熟知していなければならず、も摺り師の技術も決して侮れない。ぼかし=グラデーションを入れる辺りは、摺師の腕の見せ所であったそうだ。因みにこの時、何枚もの版木に「見当」=(版木の右下に付けられた鍵型の印)をつけて摺り上げる事から、「見当違い」という言葉も生まれたという。
「鷹狩り行列」(部分)クリックすると元のサイズで表示します
喜多川歌麿 (1802〜1804)


※以下は、主な浮世絵の特徴的摺り方の例と解説
1. から摺
麻の葉模様とか、女性の長襦袢の襟等によく使われている。絵の具を付けず、版木の凹凸によって模様を摺り出している為、無色の中に模様が浮き上がり見える。

2. 布目摺
 から摺の一種で、夏物の生地である、絽や紗(目の粗い布地)を切り、換板に張って模様を摺り出す。版画を手にした時、着物の質感を出す為に行われた。

3. 雲母摺(きらずり)
 文字通り、岩石に含まれる雲母を使って光沢感を出す摺り方で、キラキラと光りラメが入って見える。東洲斎写楽や喜多川歌麿の作品で有名になったが、享保の改革の頃には、贅沢品として禁止された事もある。

4. 胡粉散らし(ごふんちらし)
 胡粉とは貝の殻を焼いた粉で、現代も雛人形の顔等にも使用されている。膠(にかわ)を水に溶いた溶液に混ぜて振りかけ、雪や水飛沫などの表現に使用した。保存状態によっては、酸化して黒くなってしまっている事も多い。


また、染料については、前回にも書いたが、年を追うごとに研究され進化している。色の種類も墨一色から始まり、数種類から十数種類にもなって行く。この色使いによって、浮世絵の製作年代を示す基準にもなるという。以下は、浮世絵に於ける『ブルー革命』と『レッド革命』と呼ばれる、大きな色の変遷について記す。

1. ブルー革命
焼き物等に使用され、日本の伝統色とも思われがちな『藍色』は、実は江戸後期になって取り入れられた。浮世絵の青は、主に露草からとった植物性の染料が使用されており、光によって退色し易く、非常にデリケートな色であった。蓼藍(たであい)から取れる天然藍も室町時代に中国から伝来していたが、庶民的な浮世絵には、高価すぎて殆ど使用されていなかった。慶応3年(1867年)パリ万国博覧会に出向いた薬品問屋が持ち帰った酸化コバルト青…『ベロ藍』(ベロリン藍)と呼ばれる化学染料が普及し、その後の浮世絵や焼き物に使用され大流行した。尚『ベロ藍』とは、1880年、ドイツのワグネルによって発明された青色顔料で、ドイツの首都、ベロリン(ベルリン)から取って『ベロ藍』と呼ばれた。

2. レッド革命
摺師が「惜しむこと金の如く」と言ったと言う程希少価値であった、紅花の赤は、実際花から取れる色は、99%が黄色で、赤は僅か1%だったという。朱は丹絵にも使われていたが、ここで言う「赤」は文明開化によって輸入されたアニリン性化学染料の「赤」で「開化錦絵」とも呼ばれる『明治絵』に多く使用された。三代歌川広重、三代歌川国貞らを始めとする浮世絵師達が、それまで高価で使えなかった、赤をふんだんに使った作品を残したという。(アニリンとは、写真現像液や、かつて解熱鎮痛薬として使用された、アセトアニリドを合成する成分)

クリックすると元のサイズで表示します切手…江戸名所と粋の浮世絵(1シートの部分)

ボストン美術館の「浮世絵名品展」には、『明治絵』は展示されていないが、赤色が強烈過ぎて、芸術的価値が低いと評価されて来た『明治絵』も、今日では、浮世絵の歴史を知る上で貴重な史料とされているという。江戸初期、墨色から朱色の二色の塗り絵…「丹絵」に始まった浮世絵も、皮肉な事に、日本では、文明開化以降の西洋化によって廃れていく事になるのだが、浮世絵作家の技術の集大成でもある気がして、その歴史的価値を確かめる為に、一度肉眼で観てみたいと思っている。

◎参考
・小林 康夫 (著)「青の美術史 (isの本)」
・ボストン美術館「浮世絵名品展」図録
・山口県立萩美術館「明治絵−文明開化の世界展」より
・アダチ版画研究所
http://www.adachi-hanga.com/

※「浮世絵名品展」については、一先ず完結します。
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2008/1/9

ボストン美術館「浮世絵名品展」U…浮世絵の絵師と色の原料  日記(今日思うこと)

名古屋ボストン美術館で開催されている「浮世絵名品展」では、版画、肉筆全ての作品に於いて、色鮮やかで、その保存状態の良さの驚かされる。浮世絵に使われた色は、明治になって輸入されて来た化学染料等ではなく、自然界から得られた材料を使用していた為、繊細で褪(あ)せ易いはず…。一応、私も髪を染める染料を勉強した者の1人として、その程度の知識は持っていた。
クリックすると元のサイズで表示します衣装の紫と黒が美しい歌麿の絵…
「柿もぎ」(部分)1802〜1804年頃 ※写真は全て「浮世絵名品展図録」より転写。


特に不安定なとしては色は「紫」で、現在でも(親戚の呉服屋に聞いた話だが)和服等、ウィンドウに展示して置くと色が褪せ易いという。この紫色をよく用いた絵師として、多色刷りの錦絵の先駆者『鈴木春信』そして春信亡き後、その作風を受け継いだ『喜多川歌麿』、『磯田湖龍斉』らがあげられる。当時使われたその「紫」は『江戸紫』と呼ばれ、露草の色と紅花(末摘む花…99%取れる色が黄色で、1%から希少価値の赤が取れる)を混ぜて作られていた。紫は、希少色で、壊れ易く、はかない色だからこそ、女性のか弱さを描くのに、適していたと言えようか。浮世絵名品展では、今でも着てみたい美しい和服の柄が事細かに(肉筆に)描かれたり刷り込まれたりしていた。
夜桜を見る二美人…歌川国芳 クリックすると元のサイズで表示します
(特注品による肉筆の掛け軸・部分)1854〜1859


時代は、80年程遡って16世紀初頭、墨一色で刷られた「墨絵」から、鉱物質の「丹」(酸化鉛)を用いた「丹絵」『初代鳥居清倍』、『二代目鳥居清倍』…そして浮世絵の創始者と呼ばれている『菱川師宣』らによって、広められていった。当時の浮世絵は、太い墨で輪郭が描かれ、そのダイナミックさで私達の心に訴えかけてくる。更に浮世絵は、単なる風俗画の枠を超え、裕福な好色家の中で「絵暦」(カレンダーのような物)として定着して行く。錦絵の大家『鈴木春信』は、膠(にかわ:コラーゲン)を混ぜた漆のような「黒」をふんだんに使用し、他の色の鮮やかさをより一層引き立てた。
クリックすると元のサイズで表示します二代目藤村半太夫・大磯の虎…
初代鳥居清倍(丹絵)1715年


やがて、浮世絵は、現代風に言うなら、ブロマイド、ポスターとして、あるいは、ファッション誌の役割を果たしながら、庶民にも定着し、錦絵の黄金時代を迎える。この時代(1781年から1801年)になると、浮世絵の版元も『蔦谷重三郎』という傑物が登場し、新たな絵師の発掘を行ったという。色も「雲母擦り」(きら刷り)と呼ばれる岩石の雲母の粉を使用した、ラメのような光沢のある「黒」が使用されるようになった。この時代の絵師には、健康美溢れる美人画を描いた『鳥居清長』。上半身だけを描く「大首絵」で一世を風靡した『喜多川歌麿』。僅か10ヶ月足らずの間に個性的な役者絵を残し、忽然と姿を消した謎の絵師…『東洲斎写楽』などがいた。
クリックすると元のサイズで表示します山下白雨…葛飾北斎(初摺)1831年 
★麓の雷にも、何にも影響されない超然たる富士の姿を描いた傑作で、富獄三十六景の1つ。
ゴッホが過大な影響を受けた作品と言われている(白雨とは俄雨の事)。


その後『歌川広重』、『葛飾北斎』、『歌川国政』らが登場し、個性豊かな作画活動をする事になるが、そもそも浮世絵とは当世流行りものを描いた絵という意味で、前記したように現代風に言うならば、原版を元に印刷されたポスター、ブロマイド、カレンダー等の代わり…とすれば「浮世絵が海外に流出した」と悲観的になるより『(優れた作品として)海外に輸出された』と考えたいと思った。

※頂いたコメント欄の返事をやっと書かせて頂きました。遅くなってごめんなさい。
1月10日...by hotaru

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