しかし、誰に相談する必要もなかったのである。要は、兄への愛情と自分自身の決意とに一切が懸っているだけのことであった。
もちろん、そのとき、武門に村瀬家を嗣がせることも考えない訳ではなかったが、かれはまだ十六歳の弱冠であったし、母やお上への思惑もあって言い渋ってしまった。が、病来思うことは、何故あの時思い切って武門に譲らなかったかということであった。
武門こそこの家を嗣ぐべき最適の人間ではないか?
この家を離れることで幸福になる人間が兄であったし、またこの自分ではないか?
しかも、この家を離れて部門にどんな生活があるであろう。
武士の生活は固定化し、どんな端役にしても充満していた。才能などがものをいう時代ではない。
与力の家は永久に与力のいえであり、勤士に家は永久に勤士の家であった。どうにもならないほど固定し、形式化した世の中であった。ただ、財貨や物質によって家格を購うことはできた。現に軍治の家にしても、買った家格であった。だが、江戸ならともかく、この狭い甲府ではその家格さえなかなか買えなかった。もしあったとして、別に買ってそこへ武門を据えるよりも、自分が退いて村瀬家を嗣がせる方が、より万全である。
軍治の考えは何時もそこへ落ちていった。
さて、それならそれを実行する時期である。
彼は、この数ヶ月の病気のために痩せた手足をさすって、暗い気持ちになった。気持ちの上なら今でも、その考えを実行したかった。
しかし、自分の健康の中に、それを拒むものがないとは言えなかった。 続く
石井計紀著 黎明以前より転載