その後、追っ付け命ぜられるまでもなく、軍治は、片扉の長屋門を閉ざして謹慎していた。ときどき、柴田が裏庭伝いにきたり、夜ひそかに昌樹が訪ねてくるくらいのものであった。日が経つにつれて興奮もさめ、苛立ちも凪いだ。閉門蟄居はぐんじにとっては、却ってあつらえ向きだった。どくしょと思索に日は短くさえ思われた。
−−何時か秋になり、冬になった。
昌樹が断じたように、武門は現れもせず自主もしなかった。軍治は、怖じ恐れてこそこそ逃げ歩いている、惨めな武門の姿を想像したり、頬の紅い彼がのほほんとして知らぬ他国を歩いている姿を想像してみたりした。どちらも真実のように思えた。
だが、いずれにしても武門の闘争には不服であった。村瀬家に襲いかかってくる不吉な予感は、日が経つにつれて色濃くなった。 しかし、武門を尋ね出さず、武門が現れずして六ヶ月を経過したときの”処断”とはなんであろう? 六ヶ月の謹慎だけで解消しようとは思えなかった。では、村瀬家のかいえきであろうか? 軍治は、それを柴田正武に尋ねたことがあった。
「いやいや。それは仰山な考え方すぎる」
柴田は一笑に付して、蒼白い軍治の顔を心配げに眺め入った。柴田には軍治の健康のほうが気にかかる様子であった。その突き詰めた考え方を、不健康からきているもののように見ているらしかった。
「そのうちに、謹慎も解け申そうよ」
柴田は、昵懇な謹士を通して勤番・長谷川讃岐守に、それとなく運動を試みていることをほのめかして、軍治を安心させようとした。
続く
石井計記著 黎明以前より転載

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