2005/8/1
「Nouvelle 批評。」
6月6日付け「Nouvelle 批評。」に、あおいさんがトラック・バックしてくれていたのですが、タイトルと本文冒頭を見て勘違いしてしまい、ずっとクリックできませんでした…。お返事が遅くなって、すいません。
しかし勘違いしているのは、わたくしだけではなく、むしろあおいさんなのです。それも、かなーり大きな勘違いです。
「エロ・グロ路線」批判を展開している当ブログに対する、あおいさんの(やや感情的にも見える)メッセージは、こういうものです。
この人たち、ご自分の言ってる中に透けて見えるホモフォビアを自覚しておいでかしら・・・
ある意味典型的なホモフォビアの内面化に見えてしょうがないのです。
あれこれ言いたいのは、どこか自分の琴線に触れて目障りだからじゃないですか。
「エロ・グロ路線」批判が、なぜ「ホモフォビア」になるのか、わたくしには全く理解できません。むしろ、あおいさんの言っている中に一貫して透けて見える「価値体制批判」を自覚しておいでかしら…。ある意味、典型的な「価値体制批判」のスタンスに見えてしょうがないのです。笑
「ヌーヴェル戦略」で詳述しましたが、(多分あおいさんが寄って立っておられる)「価値体制批判」とは、ノンケ社会が持っている「ゲイ=過剰の快楽の追求」という偏見を、安直にもそのまま引き受けて、ノンケ社会に対して「過剰な快楽の追求がなぜいけないの?」「エロ・グロ路線でなぜいけないの?」と批判していこうとするものです。しかし、それでは既存のゲイ差別の構造を解消するどころか、むしろ強化するものでしかないことは、「ヌーヴェル戦略」のほか、「作られたイメージ」「新しいゲイ・イメージの準備」でも述べてきたところです。
そして、わたくしの提案は、「価値体制批判」に代わる「認識体制批判」、すなわち、「セクシュアリティ以外のことについて多くを語る」ヌーヴェル戦略なのです。それは例えば、「QJrを読む。」で語った、マッキーの歌詞に現れる繊細な感情であったり、「新しいゲイ・イメージ」で語った、芸術面での秀でた才能であったりしても良い。いずれにせよ、そうした新しい表出の仕方を通じてこそ、ストレートが持つ「(典型的な)ホモフォビア」、ゲイ自身が持つ「内なるホモフォビア」、その双方の解消を図ることが可能になる、と申し上げているのです。
それがどうして「ホモフォビア」なのでしょうか?わたくしには全く理解できないですし、これはほとんど誹謗・中傷の域に達していると感じられますので、あおいさんには、発言の撤回を求めます。
しかし、それでもなお、あおいさんが「ホモフォビア」だと言いたいのなら、どこか自分の琴線に触れて目障りだからじゃないですか?笑
あおいさんの記述を読んでいると、唐突に、こんなくだりが出てきます。
セックスポジティブなエネルギーはとても大きいから、それを口当たりの良い=自分自身の欲望と向き合う必要のない、禁欲的な議論では到底変えられないと思います。私自身は変えようとは思わない。
だから、「エログロ路線」の延長にも新しいゲイの素敵なライフスタイルはあると思ってます。
あーなるほど、あおいさん自身が「エロ・グロ嗜好」なんだ、と読めました。念のため申し上げますが、わたくしは、あおいさんの夜の営みには何の興味もございませんよ。わたくしが批判しているのは、ゲイ・コミュニティとしてのエロ・グロ「路線」であって、ゲイ個々人のエロ・グロ「嗜好」ではありませんし、それはすでに、「作られたイメージ」でも述べているところです。
たしかに、エロ・グロ「嗜好」の延長に、あおいさんの素敵なライフスタイルは、あるかもしれません。
しかし、お願いですから、それをエロ・グロ「路線」に仕立て上げて、ゲイ・コミュニティの旗振りをしないでください。それは、内外のホモフォビアを強化するものでしかありませんから。
それでも何かなさりたいのなら、「ゲイ」という切り口ではなく、むしろノンケ社会のなかの「エロ・グロ」な方々と共同で、「東京エロ・グロ映画祭」「東京エロ・グロ・パレード」を企画なさるべきですよ。しかし、公共性への高い関心と、じっさいの行動力・活動力を併せ持っているあおいさんが、ゲイ・コミュニティとは異なる方向に進んでしまうとしたら、これはじつに残念なことですね。
あおいのへや「平安の祈り」
http://purple.ap.teacup.com/aoikousi/84.html

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投稿者: Nouvelle GAY。
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