残念ながら、ニチョ案内ではありません。笑
2005年の日本におけるゲイのあり方を考えるために、まずは、ゲイの人たちそれぞれが、今どこにいるのか。どこに向かおうとしているのか。どこに向かったら良いのか。その手がかりになるような「地図」を作ってみようと思ってます。
1.準備(その1)
数年前、とても気になったのが、イギリスの社会学者Nimmi Hutnikの研究。イギリスにおけるインド人移民2世のアイデンティティを、見事に概念整理しています。


(ちょっと図が大きすぎ…あとで小さくしますね。笑)
タテ軸に「マイノリティ集団(インド人移民)への一体化」の度合いを、
ヨコ軸に「マジョリティ集団(イギリス国民)への一体化」の度合いをとって、
マイノリティ(インド人移民)としての自己認識のほうが強い人=「分離」、
マジョリティ(イギリス国民)としての自己認識のほうが強い人=「同化」、
両方とも併せ持っている人=「文化触変」、
両方とも弱い人=「周辺」、
と名付けています。
でも、イギリスにおけるインド人移民2世の話となると、残念ながら、ちょっとリアリティがないですよね。
2.準備(その2)
そこで、この概念整理を日本の在日コリアンに応用した、福岡安則の研究を見てみましょう(『在日韓国・朝鮮人』、中公新書)。ただ、彼の記述には少しだけスッキリしない部分もありますので、そこは僕なりに若干の手直しを入れると、上の図は、こんなふうに読めるんじゃないかと思います。
タテ軸=「韓国・朝鮮人としての自認」。
ヨコ軸=「日本社会との関わり方」。
だとすると…
「分離」=「祖国志向」。在日コリアンの中だけで生きていく人。就職先も、朝鮮総連や朝銀信組といった同胞資本の中小企業が多い。日本国籍の取得は全く考えられない。日本名を名乗る機会も少ない。
「同化」=「帰化志向」。日本人になりきる人。日本国籍を取得して、日本名に改める。
「文化触変」=「共生志向」。日本社会のなかで、出自を異にする者が共に生きていくことを望む人。日本国籍の取得は必ずしも否定しないけれども、日本名を名乗ることは「生まれながらの属性」を隠すことになるので否定的なスタンス。
「周辺」=ここは曖昧ですが、仮に「未成年」としておきましょうか。
こうしてみると、冒頭の図表が、ちょっと身近なものになった気がしませんか?
ここで僕が思い出したのは、中3のときまで日本名を名乗っていた先輩が、高校に進学してからコリアン名になったこと。彼は「共生志向」のコリアンだったのですね。4月の始業式の日、同級生のみんなが拍手で迎えたと聞いて、僕は感動してしまいました。
もうひとつ。僕が就職してから広報の仕事をしていたとき、よく取材に来てくれていた記者の方がコリアン名でした。最初は韓国から赴任している人だと思っていましたが、彼の日本語はネイティヴでした。英語やフランス語や中国語も、ほとんどネイティヴな人でしたが…。笑
こんなふうに振り返ると、自分の周りにいた人たちを考えるだけでも、在日コリアン、あるいは彼らをめぐる社会環境は、ゆっくりと、しかし確実に変化してるんだなあと実感することができます。
3.作成
さて、勘のよい方はもうお気づきだと思いますが、僕も、福岡安則にならって、冒頭の図表をゲイに応用してみたいと思います。考えてみれば、在日コリアンとゲイは、日本社会におけるマイノリティ、という点で共通しているのみならず、その属性を「隠す」ことができるマイノリティ、という点でも共通しているのですね。
では、さっそく。
タテ軸=「セクシュアリティの自認」。
ヨコ軸=「一般社会(ノンケや女性)との関わり方」。
だとすると…
@「分離」「祖国志向」=(象徴的な意味での)二丁目。
ゲイ・コミュニティの中だけで生きていく人。就職先も同胞資本?の中小企業(ゲイ水商売、ゲイ出版社などか)が多い。女性(異性)との結婚は全く考えられない。ノンケや女性に対してカムアウトする機会も少ない。
いま二丁目でゲイバーを経営しているママさんたち(特に中高年の方)は、こうしたアイデンティティを持っている人が多いのではないでしょうか。いつだったか、あるママさんがバディ誌への寄稿のなかで、「リーマン・ナイト」の隆盛について「スーツにネクタイ姿のゲイがこんなにいるなんて…」と驚いていたことが印象的です。
なお、ひとつ申し添えないといけないのは、バイトで店子をしている若い人たちは、上述の「経営者ママさん」とはまったく異なるアイデンティティを持っているだろう、ということです。彼らのアイデンティティは「二丁目」だけにあるのではなく、より広い世界に拡散しているように見受けられます。
A「同化」「帰化志向」=(象徴的な意味での)偽装結婚。
ヘテロセクシュアル(異性愛者)になりきる人、なりきろうとする人。女性(異性)と結婚し、自分のセクシュアリティは隠し通す。
僕の主観的な憶測以外の何物でもありませんが、どうでしょう、いま40代より上の世代は、周囲のホモ・フォビアを自らに内面化したまま、多くの方が偽装結婚しているのではないでしょうか。
昨年、「玉野シンジケート」で「中高年ゲイ」について議論があったときも、当の中高年ゲイはあまり参加していなかったと聞きます。他方で、「生のミセコ日記」に登場したお客さん、50代になるまでセクシュアリティの自認ができなかったという話を聞いて、こちらは本当に気の毒になりました。
ただ、そうした個々の行動が、ゲイ、あるいはゲイと一般社会との関わりに重大な問題を生じさせているのですが、詳しくは後述します。
B 「文化触変」「共生志向」=Nouvelle GAY。
日本社会のなかで、出自を異にする者が共に生きていくことを望む人。セクシュアリティを自認し、「生まれながらの属性」にプライドを持って生きていく人。したがって、セクシュアリティを隠した偽装結婚には否定的。親しい友人(ノンケや女性)に対しては「カムアウト」を経ることで、より人間関係を深めていく…。
こうした新しいゲイのあり方を模索する人たちを、僕は、「Nouvelle GAY」ヌーヴェル・ゲイ、と呼んでいきたいと思います。
カムアウトについて今回は詳述できませんが、8年前、僕が大学時代の同級生にカムアウトしたときは、何をどう語ったらよいのか、相手はどんな反応をみせるのか、などなど悩み尽きず、相当の勇気を奮わないとできないものだったのですが、この1年半ほどの間、「ぽるた・るぶら」の若い人たちの話を聞いていると、彼らは、もっと自然に、しなやかに、カムアウトしているようです。
C「周辺」「未成年」=やっぱり未成年。
「未成年」とはすなわち、セクシュアリティの自認についても、一般社会との関わり方も、ともに明確にならない時期、ということでしょう。ただ、それが具体的に何歳なのか?は、けっこう難問です。法律と同じように18歳、20歳で線が引けるのか。超高学歴化の進行、ノンケや女性の晩婚化もあって、30歳まで「未成年」、という見方もあり得ましょう。
4.活用
さて、ここまで、主に在日コリアンとの共通性に着目して、ゲイの「地図」を淡々と作成してきましたが、この「地図」をじーっと睨みながら考えていると、ひとつ、在日コリアンとは全く異なる位相が立ち現れてくるのです。在日コリアンの場合、「祖国志向」の人たちと「帰化志向」の人たちは、その生活のなかでお互いが関わりあうことは極めて少ないと思われるのですが、ゲイの場合は、そうでもないのです。
すなわち、「二丁目」と「偽装結婚」との、濃密な関係です。
「偽装結婚」したゲイが、ノンケになりたい、なれる、なりきった、と自分では思っていても、「煩悩」がそれを許さないのです。新興住宅地のマイホームで良き夫を演じていても、しばしば「二丁目」に現れては、暗闇で「煩悩」を処理する…。もちろん、ノンケにも女性にも「煩悩」はありますが、ここでいう「煩悩」とは、狭い意味での性欲にとどまりません。「偽装結婚」のなかで、知らず知らずに鬱積している歪み(ひずみ・ゆがみ)もまた巨大な「煩悩」となり、そうしたものが異様なかたちで集中的に放出されていたのが「二丁目」であったと思います。
(ただし、ここでも申し添えなければならないのですが、現在のリアルな新宿2丁目はもはや「二丁目」ではなく、「ニチョ」として新しいゲイ・タウンのあり方を模索している、と言っても良いのではないかと思います。)
そして、この「偽装結婚」したゲイ個々人のミクロ的行動が、ゲイあるいは一般社会に与えたマクロ的影響として、2つの罪状を挙げておかなければなりません。
(1)「未成年」のゲイに対して、「ゲイの不在」を押し付けたこと。
なにせ「偽装結婚」してしまうのですから、ゲイがいなくなってしまうのです。ここには、僕の個人的な思いもかなり入ってます。中高生のころ、自らのセクシュアリティを認識し始めたものの、それがどんなライフ・スタイルと繋がっているのか全く想像できず、長い間、つらい閉塞感のなかにあり続けたことを今でも覚えています。
(2) ノンケ&女性に対して、「ゲイへの嫌悪」を押し付けたこと。
「ゲイの不在」という表現は、正確ではありませんでした。ノンケや女性にとって、知覚できるゲイは「二丁目」として存在し、また「二丁目」としてしか存在しなかったのです。「煩悩」が異様なかたちで放出される「二丁目」。その「二丁目」のイメージが「ゲイ」のイメージとして浸透していき、「ゲイへの嫌悪」(ホモ・フォビア)を増幅して現在に至っている、ということではないかと考えます。
このあたりの認識を、K介さんは、
「G=Hの図式」から脱却する…
と、僕あてのメールの中で表現していました。さすが慧眼ですね(ちょっと文脈が違うので、正確な引用の仕方ではなかったらゴメンナサイ…)。
時間的にも空間的にも、僕たちのすぐ近くに、「二丁目」と「偽装結婚」しかない世界が広がっていたのです。そんな輪廻を、僕たちも回り続けなければならないのでしょうか?
答えはノーですよね。
2005年の日本において、僕は、Nouvelle GAY にしようと思ってます。
(追記)
言うまでもありませんが、「地図」はまだまだ作成途上です。ぜひ皆さんと一緒に、あーでもない・こーでもないと語り合いながら、この作業を続けていけたら良いなーと思っております。
というわけで、コメントやトラックバックを、心よりお待ちしてます。「つまらない」「わからない」という1行メッセージも大歓迎!また、僕に直接メールして頂いても結構ですが、その場合は、匿名にて当ブログに内容が掲載され得ることをご承知おきください。
それから、長くてすいません…笑。しばらくは更新しません(できません)ので、ゆっくり読んで頂けたら嬉しいです。

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