2006年9月、玉野市奥玉にある『すこやかセンター』へ一台の電車がフェリーに乗って帰郷を果たしました。
41年にも渡る長い出張から帰ってきたのは、玉野市営電気鉄道で市民に親しまれ、日常の足として活躍し続けてきた最後の一台です。
今では古くから住む人でしか、その名前を知らなくなってしまった『玉野市営電気鉄道』。
朝夕と通学する学生たちに、「君たちが使っている自転車道はずっと昔、線路だったんだよ」といっても、あっけに取られるばかりなのではないでしょうか。
玉野市営電気鉄道(以下、玉野市電)の歴史は、昭和24年の年末に備南電気鉄道が宇野〜水島間の施設工事の認可を得た事に始まります。
三井造船の引込み線を活用したこの路線は昭和28年に開通、宇野駅から三井造船前(当時の呼称は玉駅)を結ぶ3.5kmという短距離なものでしたが、最終的には渋川を経由して児島まで延長という計画がありました。
しかしその経営は芳しくなく、延長は行われないままに玉野市へ譲渡されました。
それが昭和31年、ここに玉野市電が正式に誕生しました。
市営化後、駅の増設や終点を玉遊園地へと延長が行われるなどしましたが、経営は改善されず、昭和39年には経費節減のために動力を電車から気動車へと変更しました。(名前は玉野市電気鉄道のまま継続)
しかし備南電気鉄道による開通以来続く赤字は一度も解消されないまま、昭和41年に当時の井上玉野市長が市電の廃止を表明、利用者や地元住民による廃止に反対する署名活動なども実らず、昭和46年に廃止が決定、昭和47年3月31日にさよなら運行を行い、玉野市営電気鉄道はその短い歴史に幕を閉じました。
今回、玉野へ帰郷した電車は昭和39年に動力を変更した際に使わなくなった電車を、香川県の琴平電気鉄道(以下、琴電)へ売却したもので、これまで現役で走り続けていましたが車両の冷房化を進める琴電の方針から、ついにその引退が決まりました。
そのニュースを聞いた、当時の玉野市電を知る地元住民の有志によって玉野市電を帰郷させてあげようという団体が発足し、今回の帰郷を実現させるに至りました。
地域住民の生活に密着した距離にあった玉野市電が今でも、その姿を記憶にとどめる人々から愛され続けているという事を感じさせられる出来事でした。
ちなみに当時の路線の跡は先述のとおり、歩行者・自転車用道路として通勤、通学の足として、そしてジョギングを楽しむ人々の為の道路として整備しなおされ、数十年ぶりに玉野の地を訪れた方は、あまりの変化に驚かれるようです。
しかしいくつかの部分では、今でも当時の名残を残す場所もあり、道を注意深く見ながら歩いていると、そこがかつて線路だった面影を見つけることも出来る筈です。
最後に当時の駅の場所を、現在の場所と比べながら振り返って見ましょう。
まず始発駅の宇野駅は、現在の宇野駅前の交番がある辺りです。そこから現在の宇野線のレールに沿って走り、宇野中学校のそばにある広潟の歩道橋の辺りが当時の広潟駅です。
そこからは現在の歩行者・自転車用道路に沿って走り、少し行くと右手の住宅街がある辺りと道とに段差が出来ます。その辺りの少し道が傾斜になっているあたりが、当時のホームの名残です。
そこからトンネルを抜けて行くと左手にベンチを設置した休憩スペースがあり、これも当時の駅の名残で西小浦駅跡です。
現在の国道三十号線を横断する信号を超えて現在の図書館と岡山家庭裁判所玉野出張所の横辺りが当時の市役所があった場所から玉野市役所前駅で、もう少し行った先、玉野市民病院の横辺りが古塩浜信号所といい、電車が行き違い運行を行った場所です。
更に旧道沿いにそって道は続き、周囲に店舗跡があり、歩行者・自転車道が途切れて横断歩道になっている辺りが藤井海岸駅です。当時、近くのお店ではチケットの販売も行われていたそうです、
その先に道沿いのアパートから地に付かない梯子が見られますが、これは当時の駅のホームにつながっていたもので、そこが玉野保健所前駅だった面影をとどめています。
そこを抜けて大聖寺様の敷地の入り口、『大聖寺』と彫られている石柱がある辺りが大聖寺前駅です。
更に進み、三井造船の辺りが三井造船前駅。そもそも玉野市電はこの三井造船への引込み線を利用して作られていた為、三井造船の敷地内にも線路の名残が残っているそうです。
その三井造船の斜め向かい、現在では地元商店街のイベントに利用され、バスの停留所に隣接する屋根やトイレの設置された一角、この辺りが玉橋駅で、その脇のスロープになっている辺りを、当時の電車が通り抜けていたそうです。
そこから、玉の地名の由来にもなった玉石のあるたまひめ(文字化けするため、平仮名で表記)神社の前辺りも、駅でした。
そこを更に直進し、玉と奥玉の境界辺りにある遊園地、ここがかつての終点の玉遊園地前駅で、この公園の辺りは当時から余り変わっていないとの事なので、おそらく人々は大きなキノコ形の屋根のあるベンチに腰掛けて電車を待っていたのでしょう。
こうしてみてみると、当時の玉野市電が非常に地元住民の生活のすぐそばを走っていた様子が伺えます。
ちなみに現在、電車が保存されているのは終点の玉遊園地から徒歩五分ほどのところ、現在は廃校となった奥玉小学校の跡地にあるすこやかセンター敷地内で、いつでもその雄姿を眺めることが出来ます。
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