十二月は古老の米寿の祝いが待っている。それに向けて、この二週間、彼の原稿の整理をしていた。戦後、いろいろと活動してきて、その新聞の記事などがあって、それが結構な量だった。
初めて、若い時の古老に出会っていた。私が赤ちゃんだったり、中学生だったり、いろいろと成長した過程で見た古老は、…そうだったんだ、と頷いていた。
自分自身を振り返ると「敵」のような古老だったと思う。やはり、「敵」の姿で現れるが、そんな、どんどん登場してくる私よりもずい分若い古老に、ちょっと違う感じで向き合ってもいるのだろう。
家族というのは、面倒なものだ。
↓は、私が満一歳になったばかりの頃のものだ。朝鮮戦争が起こり、世界の均衡が激変した年、沖縄の帰属がどうなるのかと世界中が注目していた。米国の信託統治を逃れて、「日本復帰」に微かな希望を託している沖縄の人たちの姿=古老が見える。スターリンが彼らを力づけている。
つい最近、考えられないタイミングで手に入った初期沖縄人民党の小冊子で、『日本復帰論』と題している。古老は、その頃、まだ二十六歳と思う。書いているメンバーが凄いのだな。考えられない。スター級の亀次郎、知事になった西銘順治とある。兼次佐一という那覇市長になった人もいて、島袋嘉順という古老の親友の名もみえる。彼は喉頭がんで逝ってしまったのだ。いい人というのは彼のためにある言葉という気がする。
若い日の古老の息づかいを感じながら、彼の移り変わりも見てきたが、一貫しているのが「民主化」ということだ。彼のキャッチ・フレーズのような気がする。
そして、数年前に友人の闘う建築家が、ある日、私に「復帰運動というのは、未完の民主化運動ではないのか」と言ってきて、私は訳が分からずに、「う!」という顔をしたが、今、彼の言葉の意味の深さがよく分かる気がする。
終戦後から復帰前まで「民主化」というのは、とても含みを持った言葉だったのだと思う。いろんな希望=民主化が、今まで、沖縄の人たちに過剰に植え付けられた、深層レベルに達していたコンプレックスを打ち破ろうという、めらめらと燃えあがるような反米のエネルギーで「日本復帰」へと収斂していったのだろう。
ずっと見てきた古老の原稿には「熱いヤマトへのあこがれ」が書かれていると思う。それは、蔡温時代の平敷屋朝敏にもつながるものだ。「ヤマトめきたるもの」がいつも我々にはまぶしい。それは、どうしてだろう???悩みつづけている私のテーマでもある。ヤマト文化の質だろうと思うし、それがないまた我々の文化の武器でもある。そして、また、ないものを持っているヤマトなのだろう。「雪」が決して降らないということも、我々を規定していると思う。そんな「雪」にあこがれるのは何だろう???とりとめもなく考えているのだな。うーむだな。
疲れて、少し酔っていて、…だな。もう、おやすみ。…やれやれ、やっと終わったよ。