久しぶりに印度線香を焚いている。もう、何週間も前に買ったのに、体調不良と死別の儀式のせわしさで忘れてしまっていた。店にはいろいろと並んでいたが、ジャスミンを選んだ。無難な気がしたが、でも、なー。サンダルウッドもなーとか考えたが、いいや、これだけでと買っていた。
甘ったるい匂いだな。ま、いいか。
異質に漂う匂いはヒトを何に誘うのだろうと考えている。最近、男の方が女よりも、匂いぴんぴんで参っている。人のことは言えない私で、自分がよけりゃいいのだった。…ま、汗臭くのよりはゆるせるかな、ううーん、微妙。自分のセクシーさの強度を誤魔化している弱さもある感じがする。…そんなものだろう。
線香はいつものように印度テイスト包装だったが、紙の箱を開くと、とても便利に無駄もなく、消費者のことを考えているものだった。今の印度は、まったく、違うのだ。
むかし、とても若い頃、印度綿が素敵だと思い、いろいろと着るものを買ったが、とてもお粗末だった。洗濯機で洗うと次は着れない、ぼろぼろになってしまう。
そんなものをクリアして印度テイストはそのままだ。凄いと思う。
2000年に訪れた雲南の片田舎の市場で買った手編みのセーターは、最初から肩が繋がれていなかった。編むだけのセーター、あとは知りませんという商品としては不完全なものが、どうしてという不思議だった。だから、せっせとホテルで小さな裁縫セットで縫ったのだった。今は印度のように違っているのだろうか。考えられない寒い雲南の冬で、その時はあれだけの商品が溢れている中国(=世界の工場)だからと出かけたのだった。あれだけの商品、というものは、輸出用の特別品なのだとその時雲南の貧しさを感じていた。
印度の20年前が2000年のの雲南の片田舎の出来事だったという気がしている。
きょうも、また、金融危機のニュースで大変だった。
ドル安=円高ということだが、日本人はこんなにもどうして自国の通貨が強くなるのを嫌がるのか。通貨が強いというのは基本的によいことなのだ。対米関係での発想は切り替える時期ではないのか。強い通貨を武器に日本が発展することだって可能だと思うけど。…変だよね。
…お香はやはり京都だな。