「
ニコニコニュース」に次なる記事があった。
「いま一番気にかかっているのは少年愛の人たちの苦しみです。同性愛者のなかでも、少年愛の人たちは自分から声をあげられず、ひっそりと暮らしていると思う。大多数の人は(その感情を)理性で抑えているけれども、それができないで犯罪を起こしてしまう人もいる」
これは『薔薇族』の初代編集長、伊藤文学氏の言だ。青年以上の同性を対象とするゲイの人達は「行動」出来る様になったのであまり問題が無くなったと言う。
北米で活動している団体に、「NAMbLA」(北米成年x少年同性カップル同盟とでも訳すのでしょうか?)というのがあり、成人が少年の愛を求めるだけではなく少年からも成年への愛の希求がある、と主張しています。
何かおかしいと思いませんか?少年の愛を賛美することはギリシャのプラトンの『饗宴』でも書かれており、こうも人間の性への偏見が法律にまで影響するようになったのはどうしてなのでしょうか?
ではギリシャでは一体、どんな常識があって教育があったのでしょうか?『饗宴』を読む限り、人間への尊敬があり、優しさが根底にあると思います。成年は相手の幼さを気に掛けながら少年を一人の人間として扱い、少年は愛する人に出来るだけ失望させまいと気高く接します。その調和と高揚がプラトンに「是」と言わしめたと思いたい。
確かに現代はそのような気分にさせてくれる少年は皆無でしょう。貴族や武士階級が身分制で保っていた「宝」はもう無くなってしまったのです。今は身分は皆平等ですが、毎日聞こえてくる、幼い子供を虐待する無知で蒙昧な親が出現する様な世相は本当に正しく「平等」なのでしょうか?
感受性の高い無垢な少年の時間を、今の子供達は本当に享受してますか?いじめから逃れることにやっきになってませんか?
今思えば、「
トーマの心臓」はこんな時代の予見と堕落のアンチテーゼだったのかも知れません。
お断りしてますが、私は「児童ポルノ規制」に賛成です。規制に反対しているのは自由を盾にレイプや自分の思いのままにされる少年少女(つまり人間性を奪われた人形)への表現を守ろうとしている人が多い。今は少数の「真の表現者」よりも子供を保護することがより重要でしょう。信念があるなら犯罪とされてもやるべきでしょう。私は「規制」が「表現」をアダルトサイトなどに制限することを望みます。

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