物凄く張り裂けそうな気持ちの時に
大昔からの友であるチェッカーズのこの曲を
スーちゃん(愛車スピードスンボリ)に歌ってもらいます。
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/103613/Y004333
2日ほど前これを聞いていて
しかし、愕然となりましたよ。
もしかして今10代の子にこの歌聞かせて
「何気なく落とした針が 急に胸を締め付けていく」
って、意味わかるかな?
そしてこの歌ではライターの火が
(バブル時代にマッチで火を付ける人はいるまい)
ものすごく切ない情景を描くのですが
(明かりを点ける気力もない真っ暗な中だからこそ
外の明かりがやけに目に付けば
ライターの炎1つで壁の写真が一瞬で浮かび上がる訳で)
しかし、この煙草という言葉が
そのうち文芸作品の中で使ってはいけない
「禁止用語」に、なってしまう可能性がないんでしょうか。
切手の世界で、こんな事が実際にありました。
数年前アメリカでオードリー=ヘップバーンの
映画のワンシーンを切手にしようとして物議を醸しました。
くわえ煙草の場面だったんです。
で、結局、肘から上が切手からカットされました。
こんなのは極端な例にしても戦前に書かれた
文学作品の解説をよく見ると
「現代では不適切な表現もあるが原作そのままにしました」
という断り書きがよくあります。
あるいは唱歌の世界で今でも歌われる「夏は来ぬ」
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/202257/Y064837
2番で田植えをしているのは
原詞では「早乙女」ではなく「賤女」です。
(手持ちのダークダックスはそう歌ってる)
要するに地主に雇われている使用人の女の子、ですが
こんな差別的言葉は、という配慮で戦後変えられたのです。
文芸作品は、鑑賞される時代と
生活感覚や倫理観が食い違っている事がある。
それは、明治と昭和みたいに
時代が大きく隔たった場合、ばかりでは
今はないんですね。
同一人物が生きているうちにそうなってしまう。
そのうち森昌子さんの「せんせい」や
フィンガー5の「個人授業」も
好ましくない歌になってしまうんでしょうか(^^ゞ
そして、煙草を吸っている部分はけしからんから消せ、だったら
時代劇なんてすべて、禁止かR18に
しなきゃいけなくなる気がするんですが。
領地を増やす為に戦争しまくり殺人しまくりだし
側室は囲い放題だし。
昔当たり前だった事にこんな弊害があったから
現代では許されなくなったのだ、という事を
教える方が、過去にあった事を隠してしまうよりも
ずっと、教育だと私は思うのですよ。
話がガラッと変わって。
改めて藤井郁弥氏作詞の「さよならをもう1度」を思い起こすと
その情景の動きに思わず、涙してしまいます。
別れた彼女(彼、でも良かろう。私だってジンは大好物だ)の
写真を見ているうちに辛くなって、グラスを額に叩きつけて
双方の破片が散乱した中から
額のガラスだけを選別して拾って…
そんな事、歌詞には書いてない、ですよね?
でも。
これは当人の解説ではなく私の「読み」なのですが。
まず、破片にお酒の匂いがするのであればまずグラスでしょう。
が、かけらを拾って繋いで、それが「夢のかけら」だとするならば
グラスよりは写真額のガラスである方が合致してるでしょう。
つまり、両方のガラスが混じって散らばってるんでしょう。
そんな事はどうしたら起こり得るか、を考えたら…
ガラスの破片はいわば、2人の幸せな時間を壊し、邪魔した何か。
そこから、せめて何とか、後手に回ってやり方でも
元に戻そうとはかない抵抗を試みて
しかし、1度割れたガラスは元通りにはくっ付かない物で…
私は郁弥氏を、詩人として高く、評価しています。
情景が手にとるようにわかる
1つ1つの登場小道具が何かの暗示になっている
そういう文学的深みを持った詞が、たくさんあるんですよ。
こんなのとか
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/103613/Y003624
こんなのとか
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/103613/Y004607
最近お若いミュージシャンの自作の詞って
頭の中であれこれ考えてるんだろうけど実感や裏づけが薄い
そんな印象がするので
尚更今、チェッカーズなんて、聞き入ってしまいます。
この人たちもしかし
元には戻らない何かがあるんだろうと、感じながら。
こっちとて時代は、変わったのです。