うちのバァさんは実は顔に皮膚ガンができていました。
でも、ガンで亡くなった訳ではありません。
あまり歳を取りすぎていたのでガン細胞も元気がなくて
顔からよそに転移する力がなかったのです。
で、インフォームドコンセントって奴で
その旨の説明を受けた後お医者さんの見解として
手術して切る事もできますがその場合
既に90過ぎてるバァさんの体が
手術や麻酔の負担に耐えられるかどうか
そっちの方がガンそのものより危険と思われます、との事。
で、じゃあ無理して切ったり放射線を当てたりせず
そのままにしましょう、という判断を、あたしはしました。
ガンはバァさんが老衰で亡くなるまで
バァさんのほっぺたの上でおとなしくしてて
そこに消炎剤を塗るだけでした。
そうか、くだんの「カツマー論議」に
抜け落ちているのはこれだ、と思い当たった。
要するに、努力、というのは言い方を変えれば
すべからく「負荷」です。
その負荷に、土台・母体が耐えられなかったら
努力は逆に「侵襲」となって
(医療用語ですが治療行為によるストレス)
却って母体を衰弱させてしまう。
負荷に耐えられるなら
外科手術でも抗がん剤でも放射線でも
やった方がガンは完治する。
しかし、そうじゃない事もありその場合は
対症療法で体力を維持する方が
結果的に体全体の為になる。
努力すれば幸せになれるか、という事に
その努力がどの程度本人に負荷を与えストレスとなるか。
勝間さんには耐えられるストレスであっても
香山さんが診ているクライアントには耐え切れない。
こんな視点を取り入れれば
勝間さんの言う事と香山さんの言う事
双方に整合性が出てくるんじゃないかって気がする。

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