カシオのデジタルカメラが登場して20年。当時は写真の足元にも及ばない仕上だったのが、もはや世の中デジカメ一色。
しかもモデルサイクルの早さも凄まじく、お陰で私のような「カメラなら何でも大好き」というお馬鹿さんにとっては激安な中古デジカメがホイホイ増殖すると言う嬉しいような「いーかげんにしなさい」状況なのだ。
ここではそんな過去の名機(迷機?)をバシバシ紹介しようと思うのだ。
2010/1/8
今回はデジカメの話ではない。というかここんとこカメラからすっかり遠ざかっていた私が久々に、しかも銀塩カメラに手を出したので、その話を書くのだ。
なんとなく久しぶりにバザールを覗くのだ。
最初に目が行ったのはデジカメコーナーにあったCONTAX U4Rだ。i4Rと並び京セラCONTAXの最後を飾るモデルとなれば触手も伸びるというものだ。本体のみということでお値段も他店より格安なうえに、いつもの「いくらなら買う?」という言葉が出たのでもう少し下がりそうだ。
それでも念のため銀塩コーナーもチェックする。相変わらず銀塩カメラの値付けは適当というか納得できるのと理解できないのが混在してる(そこが魅力でもあるのだ)。
変り映しない顔触れの中で最初に見つけた大物はフォクトレンダーのイーノス。うーん、めったにお目にかかれない代物だ。しかしプライスタグを見て目が点になった。3万3千円…高すぎ。
しかし、目が覚めてじっくり棚を眺めるのだ。すると私に向かって流し目をする一台のカメラが…それはスーパーイコンタじゃないですか。
「1万5千円。とても安いね。」
確かに安い。でも昔と違って安いだけで山は動かないのだ。それに確かめたいこともあったので、その場は言葉を濁して帰宅するのだ。
確認したかったのは、それが「何型か」という非常に重要な(普通の人にはどーでもいい)ことなのだ。
スーパーイコンタは我が国では人気が高く、中でも645サイズは日本人にジャストサイズのようで大人気だ。(不思議なことに現役時代一番人気だった66サイズは、今では往年の輝きを失っている)
そんなわけで、何事につけ分類したがる日本人はスーパーイコンタを5つのモデルに仕分けたのだ。順を追ってみよう。
1型:クローム縁取りなしのブラックボディが格好良い。ボディレリース未搭載。しかし使い勝手はとても良いぞ。
1a型:1のマイナーチェンジ。ボディレリースに変更。これを別モデルとする説もあるみたいだ。ただ現物を見た記憶がない。
2型:クロムメッキの縁取りがなされる。二重露出防止機能がつく。
3型:戦前の完成モデルといわれる。最大の変更点はレンズで、それまでの7cmから7.5cmに変更され、前蓋も深くなった。
4型:戦後に製造されたモデル。一番の違いはレンズコーティングとxシンクロ接点の追加。
5型:4型の改良モデルで、最終モデル。
見れば分かるように、3,4,5は実質同一モデルと言って差し支えない。更に4と5の区別は、あえてする必要性があるのかはなはだ疑問だ。
しかもこれまた不思議なことに、4と5の間にはモデルチェンジというべきものがないにもかかわらず日本では区別され店頭価格は倍以上違うのだ。
実は私は長い間4と5の違いはレンズだと思っていた。4がZeiss Optonで、5はCarl Zeiss。しかし、これは単に裁判でCarlZeissが使えるようになっただけであった。
では何故、4と5では価格に差があるのか?
知っての通り、ツァイスは東西分断で主力工場のほとんどを東側に取られたので、戦後初期の製品は品質にばらつきが多かったというのだ。
では、品質が安定したのはいつ頃からか?これを解くカギが4と5を隔てているようだ。それはシャッター銘。それまでコンパーラピッドと名乗っていたのをシンクロコンパーと変更した。
この新名義シャッター搭載時をもって、品質安定期と判断したようなのだ。
だから別にレンズ名がZeissOptonからCarlZeissに変更したのをもって4と5を区別しても良いのだが、そうしないのはCarlZeiss銘のTessarを搭載したモデルは最後の最後なんで流通量が少ない。つまり商売にならないのだ。
ライカなら商売になるがアルパなら商売にならないのと同じ理屈だ。
つまりだ、やっぱし十分な根拠のない基準なのだ。だからこれは日本独自の基準だった。それでもクラカメバブル時代を経て、今ではこの分類が通じるようになったのだ。ジャパンマネー恐るべしなのだ。
そんでバザールのイコンタを思い出すと、Zeiss Optonレンズにシンクロコンパー、そう5型なのだ。
かくして翌週、バザールに赴いた私は売れ残っていたイコンタ様を2千円の値引きでお迎えしました。もろ日本のカメラ屋が決めた基準で購入を決めるという情けない親父なのだ。
それにしても、見れば見るほど格好良い。蛇腹カメラでありながら「精密感」があるのだ。それはドレイカイルやファインダーが最小限のカバーだけでむき出されてるからだと思う。
66スーパーイコンタはファインダーが軍幹部に収められたスマートさが売りで、最後のモデルでは終にドレイカイルも止めてしまい、もはや日本製の66スプリングカメラと変わらないスタイルになってしまった。
ドイツ最大のカメラコングロマリット「ツァイスイコン」。ライカに対抗したコンタックス、ローライにはイコフレックス、ニコンにはコンタレックス。常にその時代の先端技術を駆使して送り出されたカメラ達。
そして、それらいずれもがツァイスイコン創世記のイコンタシリーズを越えられなかったんですよね。
んで、ContaxU4rはどうしたのかって?当然、今回はお見送りしました。


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