先代やぐらの謎…
昨年解体されオークションにかけられた牧野先代やぐらですが、不明だった彫師が二代目の美濃村松雲が判明した事は少し前に書きました(汗)

で!新たな疑問が…
この牧野先代やぐらの請負人は向井虎太郎ってなってました。
※岡田西組先代やぐらの刻み

大工:若野寅太郎(向井寅太郎)は北信達村に居を構え数多くのやぐらを手掛けた大工で大寅の屋号で活躍しました…
一番古い記録では男里南組先々代やぐらで明治中期に新調しておりその後、大正から昭和の始め頃まで製作してました…
明治15年 男里南組(大寅)
大正5年 岡田西組(大寅 若野寅太郎)
大正8年 自然田上東組?(大寅?又は米澤清五郎?)
大正9年 自然田東組(大寅)
大正10年 和泉鳥取(大寅)
昭和7年 牧野(大寅 向井虎太郎)
昭和7年又は11年 大苗代(大寅 向井寅次郎?)
で!牧野先代やぐらが向井虎太郎ってなってますが、苗字が変わって名前の漢字も変えたのか?

同時期に新調された大苗代先代やぐら(昭和7年か11年?)は向井寅次郎の作って聞いてます?
大寅は大苗代に住んで居たのでたぶん間違い無いでしょう?
明治15年に男里を新調した大工が若野寅太郎なら仮に30歳で新調したとしても、明治が45年、大正が15年までなんで昭和7年頃には80歳を超えていたかも?
では?寅次郎は兄弟?それとも息子?になるのかな???
それとも同一人物???

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