2002/8/20

支援スタッフへ  支援会議

私こと吉田春美は18年前にも一度、ここ大分健生病院には入院していました。全ての始まりはあの時にあったのかも知れません。当時はケースワーカーだった小手川さんに勧められて「ひまわり号」に参加、その時にボランティアとして出会った藤井さん(現ワークスペース樫の木施設長)、そして、ひまわり号のボランティアとして関わった若き医療生協のスタッフの方々、たくさんの皆さんの応援で、翌年には、大分で初めての障害者の共同作業所どんぐりの家をつくることが出来ました。それからは、そこの所長として障害者運動をしていきながら、大分で初めての身体障害者通所授産施設づくりに取り組み、設立後の現在も社会福祉法人樫の木の理事として施設の経営に利用者サイドとして携わっています。
脳性麻痺の二次的障害で自発呼吸が出来なくなり、大分健生病院に緊急入院をしたのが1997年12月9日ことでした。その後、気管切開をし、人工呼吸器のお世話になるようになり。4度目の秋が訪れようとしています。
退院して地域の中で在宅生活を送りたいという切なる願いに応えてくれる形でスタートした毎月1回の在宅支援の会も次回で42回を数えます。最初は外出すら出来るかどうかと思っていたのに、1999年には、障害者とボランティアが旅行を通じてふれあい交流を楽しむ「ひまわり号」へ参加し、恐々と始めた週2回の身体障害者通所授産施設ワークスペース樫の木への外出も今では週4回に、月1回の外泊や施設一泊旅行などへの参加も出来るまでになりました。入院当初、生死の境を彷徨ったあの頃から考えると信じられない思いです。
もちろん、ここまで来るにはハード面では、車椅子の申請、意思伝達装置の申請、人工呼吸器のレンタルに到るまで、ソフト面では、病院と医療スタッフの強力な支援、朗読ボランティアや学生ボランティアの支援、樫の木での看護婦さんの採用等の体制づくりなど、陰に日向に多くの方の支援があったことは言うまでもありません。
さて、これからのことですが、やはり私の思いは一つです。地域の中で普通に生活を送ること、このことの実現に向けて私に出来る全てのことを尽くしてみたいと思っています。
18年前にこの病院を退院したことの意味を考えると、今の樫の木があること、今の私があることに尽きると思っています。そして今度、再び退院していくことの意味は、あの時にも増して大きな意味を持つに違いありません。私のような重度の障害者に在宅生活が出来るとしたら、どれほど沢山の障害者が新しい希望を持つことでしょう。そのために2003年3月には退院をして在宅生活を送れるよう今から、計画準備をして行きたいと思っています。支援者の皆さん、どうか今後とも更なるご協力をお願いします。
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