2008/12/16

はるみ之つぶやき48  

はじめに
 2008年も後わずかとなりました。この1年を振り返ってみると、訪看さんやヘルパーさん、そして、小柳先生の心配と苦労に支えられた毎日でした。本当にお世話になりました。明ける1月28日は、在宅生活満5年です。元気な時は、短く思ったり、体調不良の時は、長かったと感じたりしています。これからも、しかめ顔と笑顔を繰り返しながら在宅生活10年を見据えた緊張感のある充実した生活にして行きたいと思います。その為には、何よりも支援会議の皆さんのご支援をよろしくお願いします。そこで、今回の支援会議は、1年間の反省を中心に健康面の話などを進めたいと思います。尚、司会進行は、医療生協の原さんにお願いしました。
議 題
1、緊急時対応は少ないに越したことはないものの、11月から12月にかけて2回の緊急事態に対応した時に幾つかの反省がありました。
2、年末年始の対応について(訪看、ヘルパー、入浴、樫の木)
3、体調の良い時と悪い時の血液検査評価と注意事項(飲食など。)
4、その他、洗濯、清潔などの再確認事項など。
5、今後の予定。
<メモ>

浣腸日記
1本の日⇒
2本の日⇒11月27日、28日、29日、2日、9日、10日、
3本の日⇒11月26日、30日、12月1日、3日、4日、11日、12日、13日、14日、15日、16日、
4本の日⇒12月7日、8日、
絶食で浣腸をしなかった日⇒12月5日、6日。

体調不良日記
 3日の昼食を見て、僕の腹には消化が良くないかなと思いながら、普段は残すところ、美味しかったので食べすぎました。その後、15時過ぎに高熱が出て呼吸も苦しくなりました。マーゲンチューブで胃のガスを抜いてから呼吸は楽になったものの、食事もお茶も摂取する意欲がなくなりました。17時ごろに熱が下がったと思って、すりりんごを食べたら、2時間後位から足がピクピクして来ました。3時間後から胃の腹満で再び呼吸が苦しくなりました。緊急で訪看さんに胃のガスを抜いてもらったら、食べたすりりんごも出て来ました。(川島さんの話によると、僕の記憶が1日抜けているらしいけれど、思いだせない。)兎に角、この様に消化機能が弱いのは、18年くらい前に小腸検査をした時にカメラが2か所でぶつかって、1か所はすり抜けたものの2か所目はすり抜けられなくて、そこは盲腸の手前で、盲腸の摘出痕を確認できなくて残念でしたと、今里真先生は話していました。その後、1996年に腸閉塞で入院したこともありました。消化不良で胃にガスが溜まって呼吸しづらくなったり、高熱が出ると思い込むのも危ないことだけど、小腸をカメラで最後まで診れなかったことと小腸の動きは関係ありそうに思います。
そして、2004年7月25日に今回と同じような症状があって、救急車で入院したことがありました。あの時は、検査の結果は腸炎でした。昼飯に食欲がなくて、エンシュワを1本勢い良く飲んでから1時間ほどして息苦しくなったのでした。あの頃は、舌打ちや口パク知っていた看護師さんも今は居ないらしい。いずれにしても、暖かくて元気な時に外来で可能な検査を受けたいと思います。入院検査は、それから考えたいけれど、外来検査に付き添うヘルパーさんのことを考えたら、やっぱり入院検査になるのかな。それよりも、今度、同じように悪くなった時は入院の覚悟を決めようかな。迷うなあ。

500円
 僕が中学生の頃、母は毎月、隣りの郵便局に500円を貯金していました。1年の500円貯金でお正月のご馳走を買っていました。霜がいっぱいの冷凍室から鮪や鰤のかたまりを出してきた母は、大切そうに包丁を入れていました。側では、飼い猫が切れ端を待っていました。正月になると思いだします。

ありがとうございました。
 初対面の頃は、頭を深くおじぎをして、ありがとうございました。こちらこそ、ありがとうございました。と思っています。次第に意気投合してきたら、また来ます、さよならー。と、手を振って帰る時が楽しい。

スピーキングバルブ(カニューレ)
 声を出せるメリットと誤飲の可能性があるデメリットを考えたら迷う。声が出たら、とんでもない言葉を発すると思う。先日、うどんを喉に詰まらせたことを考えたら、今のままで良いと思います。

魚が好き
 好きな食べ物は、肉よりも魚。でも、ビーフカレーは好き。そして、シーチキンを買ってまで食べないが、サンドイッチになると仕方なく食べる。という事で、嫌いな食べ物は、特に無いと思っている。魚も肉だけど柔らかい。硬いものは控えているが、鰯の丸干しは好き。魚の皮も好き。でも、魚をご飯にのせると小骨の判別が難しくなる。

ワークスペース樫の木誕生と僕の生活 bP
  今月も樫の木だよりの投稿依頼を樫の木の松嵜さんから受けました。その雰囲気から、これからも、かしどんどんのひとコマを任されそうな嬉しい気持ちになっています。
 そこで、樫の木の誕生に至る歴史を個人的な感情も織り交ぜながら振り返りたいと思いました。樫の木を想うとき、忘れられない人が6人います。樫の木設立当時の施設長と理事、そして、樫の木設立当初からの仲間だった4人です。僕が気管切開した時に、早く退院出来るようにと励ましてくれた6人には、もう会えないのです。樫の木設立以前の“どんぐりの家”の苦労も喜びも知っている6人の命をもらって僕は生きていると思うようにしています。そんな6人を偲びながら、先ずは、僕の自己紹介から始めます。1953年(S28年)8月20日生まれの現在55才です。今現在は、人工呼吸器を装着して24時間ホームヘルパーさんの支援を受けて生活をしていますが、26歳までは自力歩行をしていました。しかし、脳性麻痺のために5才の時まで殆ど歩けませんでした。それが、小学校に入学する頃から、不安定ながらも歩けるようになりました。そして、教育委員会から入学を1年遅らせるか、養護学校に行くかという選択を迫られたときに、「勉強は分からんでも、名前が書けて数を数えられたらいい。友達と同じ小学校に通わせる!」という父親の強引な意見が入れられて、普通校に入学しました。実際、父親の言っていたように勉強は出来なかったものの、小学校の生活は楽しい毎日でした。いじめられることもありましたが、台風の時や風邪をひいた時以外は休むことなく、約1qの道を歩いて通学しました。中学校になると距離が6,7kmに遠くなったので、臼杵市内までバスに乗って、そこから中学校まで約1qを歩いて通学しました。続く。

ワンセグチューナー
 パソコンにワンセグチューナーを接続して、テレビが視聴出来るようになりました。我が家の生活では、画期的な変化です。しかし、大分県内の民放3局はバッチリ観られるけれど、NHKは電波が入りにくくて観られないのは残念。ワンセグの番組設定をしてくれたパソコンに詳しいヘルパーさんが、インターネットで無料視聴出来るサイトをインストールしてくれました。ワンセグに比べたら画面は小さいけれど、大分の民放では視聴できない番組が観られます。しかし、ここでもNHKは視聴できない。紅白歌合戦は、今年もラジオで聴くのかな(^^♪

新しいパソコン
 これから5年間を一緒に生活するパソコンは、再起動やシャットダウンすると、マウスが初期化されて、マウス操作が不可能になる。そこで、ヘルパーさんに手伝ってもらって、マウスの設定をやり直すことだけが不便です。
 それと共に気になることが、食事をした後にガスが大量発生して、ゆっくり下に動くのを待っている毎日です。パソコンの動きも気になるけど、一番気になるのは、腹の動きです。これからもお腹を労わりながら生きていきます。
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