2009/8/4

はるみ之つぶやき54号  

はじめに
 今年も、いつの間にか1年の折り返しを過ぎてしまいました。しかし、水曜日は、雨の日でも樫の木などへ必ず外出をしています。その他にも外出の機会を増やして昨年とは一味違った生活をしています。そして、先日は、薬のアレルギーで低血圧症になるといった一言で表現するには、あまりにも生と死の境界を垣間見た思いがしています。でも、入院中も数回の呼吸停止と呼吸回復を経験して、思いっきり泣いて喜んで生き抜いて来ました。在宅になってからも原因不明の熱発や呼吸困難を抗生剤と自己治癒力で快復しています。その都度、特別な言葉も表現も必要ありません。ただ、笑えるだけで充分です。愛想笑いではない、生きている証の本物の笑い顔です。

浣腸日記
2本の日⇒6月25日、7月1日、3日、7日、14日、17日、18日、23日、28日。8月1日、3日。
3本の日⇒6月24日、26日、27日、28日、29日、30日、7月2日、4日、5日、6日、8日、9日、11日、12日、13日、15日、16日、20日、21日、22日、24日、25日、26日、27日、30日、31日。8月2日、4日。
4本の日⇒7月10日、19日、29日。

体調管理日記
汗をかくと気分がよい。暑いと思って、タオルケットを脱ぐと肩が直ぐに冷えてくる。気分も良くない。暑くてもタオルケットにくるまって汗をかく方が良い気もする。手首を出して寝ても冷えない。昼間は、クーラーを付けたり消したりして、夜は、切って寝る。壁掛扇風機を24時間微風で首振りさせている日もある。夏の体温調節も難しく思う。多少、気分が悪くても、グッドミンを飲むと、1時間ほどで眠気を感じて気分も良くなると思っている。
7月26日16時20分頃。甘酒を飲んでしばらくして、いつもよりきつい前頭葉命令矢の危険信号と腹満を感じる。このままなら、呼吸困難にはならないだろうけど、夕食を食べたら本当に危ない気がする。17時30分に夕食を中止することをヘルパーさんに告げたら、お腹も安心して少し動きだした。でも、夕食は中止する。18時45分に食後の薬を飲む。

雑穀米
健康の為と思って、雑穀米を夕食に食べている。美味しくも不味くもないけれど、歯の隙間に挟まるので、歯磨きを疎かに出来ない。

きたがわ てつ コンサート
7月12日16時過ぎに外出準備完了。間もなくして松嵜さんのお迎えで、コンサート会場に出発。開演まで90分ほどあったけれど、ちらほら集まってくる人の中に懐かしい人を何人も見つけて、飽きない時間でした。きたがわてつさんとは、20年くらい前に健生病院の屋上で、ミニコンサート以来に会うと記憶する。あの頃は、電動車いすで歩き回っていたし、いろんな意味で若く、夢と希望に燃えていた。

低血糖
7月13日2時30分ごろ。1時間ほど前にQちゃんをしてもらって気持ちよく眠ったと思ったら、突然に目が覚めて汗をかいていた。次第に目がさえて脱力感と空腹感になる。急いでチョコレート3粒、甘酒1缶、黒糖菓子2本を立て続けに飲食して、不快な気持と汗も引いて眠気に誘われ、6時まで眠れた。低血糖の時に食べる物は、最高に旨い。

バルン交換
7月13日。ある時は、おまじないの様な。ある時は、これしかないと思う秘薬を飲まないでバルン交換をするのも3回目です。今回も何事もなく経過している。昨年までのバルン交換で、24時間以内に起きていた熱発や呼吸困難発作の原因は、一体何だったのかな?

蕁麻疹
7月3日。前日の夜から頭が異様に痒くて何度もかいてもらう。朝の訪問看護で背中を除く身体に蕁麻疹を発見する。緊急の往診で、痒み止めの点滴を受ける。往診が帰って暫くして、薬の副作用と思われる低血圧に襲われる。意識はハッキリしているけれど、目の前の物(夏目雅子のモノクロ写真)が霞んで白くなって行く。このまま、スーッと意識が薄れていくような気がして、お腹に力を込めて気合を入れた。顔色も蒼白になっているのに気付いた訪看さんが点滴を止めてくれて、次第に夏目雅子の顔が見えて来た。

手先の浮腫み
7月9日15時。身体の火照りがあり、左手指の浮腫みと人差し指の痛みがある。検温37度4分。往診に連絡して、クラビット服用の許可を得る。2時間余り経過して発汗する。気分も少し良くなったので、夕食は、卵粥にする。

医療生協訪問
7月15日。居宅介護や他人介護料の細かい計算などでお世話になっている医療生協訪問介護サービスステーションにお礼も兼ねて遊びに伺いました。1階のデイケアセンターにもお邪魔して、昼飯のパンを食べながら、お年寄りの健康体操を見学させてもらいました。そして、男の介護員が多くいて活躍していたのを見て、頼もしく思えました。

ようこそ首藤さん
7月9日。自立支援センターの利用者スタッフとして活躍している首藤さんが来ました。利用者の苦情や要望を聞く為と、生活の様子を実際に見る為の初めての訪問活動と聞きました。ホームヘルパーさんから生活の様子を聞くこともあるかも知れないが、初対面で見ること聞くことも良い経験になるかなと思いました。これからも、よろしくお願いします。そして、近いうちに自立支援センターさんにお伺い出来ることを願っています。

皆既日食
7月22日11時15分頃。樫の木に出掛ける時に曇り空の隙間から、半円くらいになったお日様が見えた。46年前の9歳の時には、薄目を開けて、はっきり、ちらちら見たような気もするが、月が燃えるように見える金冠日食を見たような気もする。次に皆既日食とお目にかかれるのは、82歳の時らしい。

ワークスペース樫の木誕生と僕の生活 bU
 体育の時間は、殆んど、図書室で本を読んでいたけれど、小学校の時の運動会や中学校の時の体育祭の時に何をしていたかハッキリとした記憶が無い。学校に行って応援した記憶も無いから、多分、兄の住んでいた母の実家に遊びに行っていたかも知れない。只、小学校1年生の旗取り競争に出場して、ビリになったことは良く覚えています。そして、その時の母の手作り巻き寿司と稲荷寿司が、とっても美味しかったです。
 毎日の食事で、樫の木の昼食は楽しみの一つであり、大切な栄養補給と考えながら美味しく頂いています。そこで、8月20日の僕の誕生日メニューに巻き寿司をお願いしたいと思います。
ところで、勉強が出来たか?出来なかったか?僕自身は、出来なかった!と、はっきり言えますが、当時の友達いわく、『吉田は頭が良い!』。近所のおばさんいわく、『はる君が病気(脳性マヒ)じゃなかったら、もっと良かったじゃろーなー。』なんて事を聞くと、成績と頭の善し悪しは別なのか?と思いながら、昼休み時間は廊下で相撲を取ったり、校舎の裏の壁に軟式野球ボウルを投げる遊びに夢中になっていました。1年生の時には、釘の穴だったのが、中学校を卒業する頃には、野球ミットが入るくらいの穴になっていました。
下の写真は、中学3年の修学旅行で、大阪、京都、奈良に行った時です。隣は、茶房DENのママの兄です。3泊4日(往復は汽車の中で寝る)の本当に楽しい旅行でした。
そして、旅館名の記憶を頼りにインターネットで検索して、京都で一泊した三木半旅館のホームページを見つけました。当時は、2階建ての日本旅館だったと思います。
40年前に泊まった旅館が今でも営業していることをホームページで知ることが出来ました。とっても懐かしく、嬉しくなりました。あの時の朝食は、畳の上に一人一人のお膳を並べて食べて、食べにくかったことも懐かしい記憶になっています。

おしゃべりノート
 7月28日。富士通サイトの音声合成フリーソフト(おしゃべりノート)を取り込みました。はるみ之つぶやきも文書だけでなく、言葉にして呟けるようになりました。

樫の木まつり
 8月1日。毎年恒例の樫の木まつりに行ってきました。あいにくの小雨の中を牧3丁目の人たちがたくさん来てくれました。昨日の朝、佐々木さんに散髪をしてもらって、お正月には感じられない、新たな1年を迎えたような気持ちで、樫の木まつりを楽しみました。
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