2003/8/27

支援会議に寄せて  支援会議

 吉田さんを在宅に戻す取組みを大分市に運動として理解してもらうことは、現状では不可能と思われます。そこで、今日は具体的な作戦会議です。大分市も手続き上のテクニックであることは、言葉にしないまでも分っている様子です。ただ、医療行為が不可欠の吉田さんと医療行為が出来ないホームヘルパーさん、つまり医療行為と身体介護・家事援助との挟間をどう埋めるのかが課題です。そして、居宅支援費の申請書には登場しない誰かが医療行為をすることをどういう形で実現し、理解してもらうかも大きなポイントです。厚生労働省の見解がALS患者さん以外はグレーゾーンのままであることが、脳性麻痺の吉田さんにとって幸いするのかしないのか。今日は皆で一緒に智恵を出し合いましょう。
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2003/7/16

支援会議に寄せて  支援会議

 前回の会議は3月20日でした。その後、4月に市役所の障害福祉課に協議に行って以来、さっぱりと動きが止まってしまいました。理由は申すまでもありませんが、中心になっていた薄田が樫の木での業務が多忙となったことです。4月には退院と打ち出しておきながら、そのままになってしまって、大変に申し訳なく思っています。しかしながら、5年と8か月、そして48回に及ぶ話し合いをして来たわけです。引き続き大分市との協議を再開すると共に、退院の準備にかかりたいと考えています。ただ、この間にも期待していたALSの患者さんに対するホームヘルパーの医療行為については、「ALSの患者さんについてのみ」という制約つきの話に落ち着いてしまいました。市役所との協議に限って言えば、返って従来のようにグレーゾーンであってくれた方が良かったのかも知れないなどと思ってしまいます。また、少し智恵を寄せ合って切り開いていかなくてはなりません。どうか引き続き一緒に考え、活動を進めて行きましょう。
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2003/1/16

支援費の申請について  支援会議

市役所に支援費の申請に行く。
障害福祉課は係長と担当が対応
資料:ケア・シュミレーション
医療行為については、良しとは言えない。
時間数についても、ここ数日の厚生労働省の動きもねあり24時間は厳しいかも知れない。
他県の資料を送ってもらいたい。
支援費申請書は受け付けるが、引き続き検討させてもらいたい。
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2002/8/20

支援スタッフへ  支援会議

私こと吉田春美は18年前にも一度、ここ大分健生病院には入院していました。全ての始まりはあの時にあったのかも知れません。当時はケースワーカーだった小手川さんに勧められて「ひまわり号」に参加、その時にボランティアとして出会った藤井さん(現ワークスペース樫の木施設長)、そして、ひまわり号のボランティアとして関わった若き医療生協のスタッフの方々、たくさんの皆さんの応援で、翌年には、大分で初めての障害者の共同作業所どんぐりの家をつくることが出来ました。それからは、そこの所長として障害者運動をしていきながら、大分で初めての身体障害者通所授産施設づくりに取り組み、設立後の現在も社会福祉法人樫の木の理事として施設の経営に利用者サイドとして携わっています。
脳性麻痺の二次的障害で自発呼吸が出来なくなり、大分健生病院に緊急入院をしたのが1997年12月9日ことでした。その後、気管切開をし、人工呼吸器のお世話になるようになり。4度目の秋が訪れようとしています。
退院して地域の中で在宅生活を送りたいという切なる願いに応えてくれる形でスタートした毎月1回の在宅支援の会も次回で42回を数えます。最初は外出すら出来るかどうかと思っていたのに、1999年には、障害者とボランティアが旅行を通じてふれあい交流を楽しむ「ひまわり号」へ参加し、恐々と始めた週2回の身体障害者通所授産施設ワークスペース樫の木への外出も今では週4回に、月1回の外泊や施設一泊旅行などへの参加も出来るまでになりました。入院当初、生死の境を彷徨ったあの頃から考えると信じられない思いです。
もちろん、ここまで来るにはハード面では、車椅子の申請、意思伝達装置の申請、人工呼吸器のレンタルに到るまで、ソフト面では、病院と医療スタッフの強力な支援、朗読ボランティアや学生ボランティアの支援、樫の木での看護婦さんの採用等の体制づくりなど、陰に日向に多くの方の支援があったことは言うまでもありません。
さて、これからのことですが、やはり私の思いは一つです。地域の中で普通に生活を送ること、このことの実現に向けて私に出来る全てのことを尽くしてみたいと思っています。
18年前にこの病院を退院したことの意味を考えると、今の樫の木があること、今の私があることに尽きると思っています。そして今度、再び退院していくことの意味は、あの時にも増して大きな意味を持つに違いありません。私のような重度の障害者に在宅生活が出来るとしたら、どれほど沢山の障害者が新しい希望を持つことでしょう。そのために2003年3月には退院をして在宅生活を送れるよう今から、計画準備をして行きたいと思っています。支援者の皆さん、どうか今後とも更なるご協力をお願いします。
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2002/4/19

支援会議の皆さんへ  支援会議

 気管切開をして初めて胃カメラを飲む。痲酔で眠ってすることを勧められたが断わって通常のまま受けた。万一の心配を考えて、点滴と痙攣予防の注射だけは、指示に従ってうけた。我がままと言われるかも知れないが、痲酔で眠る事を拒否した理由は幾つかありました。その1、過去の胃カメラでは、眠らないままうけていたから、苦しさを感じる事が出来た。もし、眠ってしまったら苦しさも痛さも感じない、それが恐い。その2、痲酔から覚めない不安があった。その3、呼吸は、レスピレータ−がするので、以前の胃カメラよりも楽ではないかと思っていた。その3、レスピレータ−を付けて、胃カメラ検査が出来るなら、他の検査も可能であり、それを確かめて、これ以上の病気を予防、早期発見につながり、在宅生活をする上での自信にもなると思った。等です。
 検査は順調に終わり、胃の中も何の異常がなくて安心した。不思議にも5年前の検診で確認された3ミリのポリープは消えていた。とにもかくにも、胃カメラを容易に飲めた事は、このうえなく嬉しかった。入院して間もなく呼吸困難になり、レスピレータ−装着、意識が回復しても、燕下機能の低下を覚悟しなければならないと聞いていたが、今の状態を維持できるなら、その心配はなさそうに思う。
 検査終了後、樫の木に外出して、昼食の前に缶コーヒー〈ブラック〉で、胃袋を目覚めさせる。昼食は、サンドイッチとスープにイチゴ、そして、再び、ブラックコーヒーだった。
 次の検査は、頚椎を特に念密に全身のct検査を希望したいと考えている。そして、33歳の時から歯の治療と定期検診を受けていたが、入院以来、受けていないので、検診と歯垢を取ってもらいに行きたい。これも、挑戦であり、好きな物を美味しく食べるのに欠かせない事と思う。その歯科医も衛生士も快く受診を待ち受けてくれている。
 なお、今回の胃カメラ検診でお世話と御心配をおかけした先生と看護婦さんに心から感謝しています。
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