久々にライヴをやった。雨の降る中けっこう沢山の人が来てくれて良かったよ。ドウモアリガトウ。でも、雨が降っているにも関わらず傘を持たずに家を出てしまった僕は、どうやら風邪をひいてしまったらしく、今日会社を休んでしまった。なので、コーヒーを淹れてボーっとした頭のまま書いてる。
ハーミッツのライヴも今回で9回目。ちょっと間があいたので新曲を3曲携えてのライヴとなった。数えてみると持ち曲がようやく10曲。ワンマンやるにはまだまだ弾数が足りないが(やる気なんか?)、なんとかライヴを構成できるくらいには曲が出来てきたなという感じだ。というより前回のライヴあたりから構成というものを考えるようになったと言う方が正しいかもしれないが・・・。
自分達のライヴだから客観的に見れないのはあたり前だけど、どうだったかな。一曲目の「LOVE」から煽情的に始まって、「Yeah Blues」で重く引き摺りこむ。僕の歌は今回一回きりになる予定なんで、聴けた人はラッキーだよね(アンラッキーと思った人にはゴメンナサイだ)。「No Name Man」から「月灯歌」へは結構キマッてたと思う。まぁこれはイシイカツミギター持ちソングスということで流れになっているわけだけど。そして、最後も新曲。「狂った果実」。もともと僕のベースラインから出来た曲でまだまだファンクネスが足りない感じがする。もっともっと煽ってやりたい曲だな。個人的にラスト3曲あたりから音がグワングワン廻りだして、ちゃんとやれなかったという問題点があったけど、なんとかやりきった。結構良かったんじゃないかと思うよ。汗もいっぱいかいたし・・・。今回を振り返ってみて、バンドとして少しずつ形が現れてきたんじゃないかと思う。
じゃあ一体バンドの形とは何ぞや、ライヴとは何ぞやと考えてみた。ライブという「表現」形態の中でステージング(好きな言葉ではないが)や衣装(僕の場合はタダの着替え)というのも要素の一つではあるけど、一番重要なのは感情の発露とそのための装置として楽曲が機能しているかどうかだと思う。そしてそれを補ったりするのが衣装や演出だ。ボスがあの姿で葉巻が似合って見えるのは、ぎこちないないなりにボスの内に潜む狂気を開放しているからだ。ああいう格好をしたいからロックンロールをやっているわけではなく、イシイカツミのロックンロールの体現の一部としてああいう格好になったわけだ。と、僕は勝手に分析する。そんでもって僕がライヴで「何か」を表せないのは、頭(心でもいいけど)から手に至って弦を鳴らす回路がちゃんと出来上がってないからだ。そうするとステージ栄えするギターの弾き方だとかそれっぽい服装だとかもできなくなる。これは中身が見合わないのに外見を飾るのはかっこ悪いことだという僕の基本的な考え方があるからだ。
ただライヴを見る側にしてみればいくらここで屁理屈を言っていたって意味がない。ただの言い訳にしか聞こえないはずだ。僕も見る立場の時はそう思う。だからグルタミンの豪さんからルームギターなどど言われても仕方がない。つまり芸術一般で「表現」という言葉を使うものは言い訳の出来ないものだ。作品に対して批評はされる、でもそれに対する反論なんかは出来ない。ダメと言われたらそれ以上のモノを作り上げるしかないわけだ。こんなの当たり前のことだと言われるよな、きっと。僕は頭が弱いのでやっと気付きました・・・。っていうのは嘘だけど、自分の思考と文章にしてみたいからやってるだけなんで、気にしないでください。
なんだかんだと書いてしまったけど、結局言い訳みたいなことを言い続けるんやろなぁ。ウーム。色々考えながら書いていたらなんだか熱が上がってきたみたいで、ちょっとフラフラしてきたわ。なんで、毎度のことながら結論なんてないまま終わっちゃおう。
では、オダイジニ。

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