清々しい日を迎え、さあこれから地元小学校の運動会に顔を出そうと思っていたところに、彼がやってきました。
「もう我慢がならない・・・」
月並みの別れ話でした。
彼の日々の奮闘振りをよく知っているだけに、「なんでなん?」という言葉がつい口をついて出てしまいました。
奥さんは看護師で、彼よりも確かに収入は多いのですが、それにしても彼の立場というものもあろうというもの、「お父さんがいないほうが家庭の中が楽しく話ができる。お父さんの存在自体が”ウザイ”のだ」と言われたのだそうで・・・。
でも、毎朝5時半に起きて子どもたちと自分の3人分のお弁当を作ったり、夕食後の片付けをやったりしていたのに・・・。
ひとつ気になったのは、彼は家の決め事をすべて奥さんに任せていたのだとか。
でも、「任せていた」というのは彼の言い分であって、奥さんは「何を頼んでもはっきりした返事が返ってこない」から勝手に決めていただけだと言われたのだとか・・・。
お父さんが出張がちだったり、奥さんが夜勤や土日出勤があったりで、お互いのコミュニケーションが不足していたのは事実だとは思います。
でも、その原因のすべてを彼のせいにする奥さんもどうかと思います(ちょっと贔屓目かもしれませんが・・・)
2人での話し合いでは結局結論は子ども2人を奥さんが引き取り、家はローンと一緒に彼がそのまま持つ、ということになったということでした。
共働きで、子どもさん2人を地元有名私学に通わせて、順風満帆だと傍目に見えていたというのに、お父さんは家に帰っても自分の居場所がなく、バイクいじりに没頭することで、気を紛らわせていたことも、「自分のことばかりして、家のことを少しもやってくれない」と映っていたとのこと。
もはや、ここまでこじれたら、どうすることもできないのか。
子どもさんの将来を考えて・・・とも思うのですが、「こうして別れることが子どもたちの幸せなんです」と言い切られてはなす術もないということなのでしょう。
緑の紙には既に署名捺印を済ませたとも・・・。
なんか、あっけない20年間の結婚生活だったような気がして、我がことのように悲しくなりました。
最後に会って話し合ったときには、奥さんの表情は「般若」のようで、尋常な精神状態には無かったようだったといいます。
そこまで至る前にどうして相談しなかったのか。
もっと話をしなかったのか。
彼曰く、「でも一言言ったら、十言くらい返ってくるか、聞く耳を持っていなかったかのどちらかで、会話にならなかったんじゃもの・・・」
「可愛そう」を通り越して、「哀れ」になってしまいました。
あんなに頑張っていたことも、奥さんは「やって当たり前のことでしょ!」の一言で片付けられてしまったそうです。
これから、彼は明かりの消えた、まだ家族の温もりの余韻が漂う家に帰り、身の回りのことを今までと同じようにしなければなりません。
「後悔はないのか?」
「ないと言ったらウソになる」
「じゃあ、『もう一度やり直そう』って言えないのか」
「『もう何度もそれは聞いた!』って言われるだけなんじゃ・・・」
他人事では決してありません。
結婚20年目、46歳のお父さんでした。

0