「やる気」って、みなさん何だと思いますか?
また、「やる気」が出ない、とはどういう状況なのでしょう。
「やる気」・・・それは私たちが活発に動くための大きなエネルギー源ではないでしょうか?
「やる気」満々のときは、それが多少困難なことであっても、その困難さを逆にプラスにとらえ、「なにくそ!」というエネルギーに変えて、物事を成し遂げてしまうことはよくあることです。
一方、「やる気」のないときや「やる気が出ないなあ・・・」なんて思いながらやっていることって、そのやっている行為自体が苦痛に感じたり、何でもない失敗を繰り返したり、簡単に挫折したりしてしまいます。
よく、「やる気」が出ない⇒苦痛に感じる⇒些細なことで失敗する⇒なかなか思うようにうまくいかない⇒挫折する⇒「やる気」が出ない・・・
というマイナスのスパイラルに陥ってしまうことになりがちですね。
で、そんなときどうするか・・・。
自分で、一念発起して「やる気」の火をつけ、その火を大きな火に出来る人はいいですが、実際そんな簡単なことではありませんよね。
で、「やる気」がどうして出ないのか、その原因を考えてみます。
「やる気」が出ないとき、実は「やる気」の代わりに心の中に巣食う奴がいます。それも、2匹も・・・。
1匹目は、「やらなくっちゃ!」と思う「義務感」
義務感を感じながらも、「やる気」でやろうとするとき、心が求めているのは、「やる気」ではなく、「やりたくない!」という気持ちではないでしょうか?
セールスマンの仕事でも、よくあるのですが、目前のノルマは迫ってきているのに、飛び込みセールスで軒並み訪問してチャイムを鳴らし、家の人が出てこないと何故かホッとしてしまうなんてこと・・・。
気持ちがもう”逃げて”いるんですね。前向きじゃない。だから、出来るはずがない。
もう1匹は、「やっても意味がない」っていう「無意味感」
さきほどのセールスマンの話で、働いても働いても成績は上がらない、労力や時間の無駄だと感じる・・・。
やっても意味がないと思っていながらも、それでもやろうとする根底には、先程の義務感もからんできていますよね。
じゃあ、「やる気」を引き出すのにはどうするか。
こいつらを取っ払うしかないんですね。「義務感」と「無意味感」を。
対策1「義務感」
心が”やりたくない”と感じていること、求めていることをあるがままに受け入れることから始めましょう。
そして「何故、誰のためにその義務を負うことになったのか」や
「その義務って、本当にやらなければならない義務なのか」「その義務を果たすのに、他の方法はないのか」について考えたうえで、現行のやり方でやるのか、あるいは他の方法でやるかを自分で決めることが必要になります。
義務感からではなく、心から「本当にやりたい!!」と思ったときには、その自分自身の中の本当の気持ちに正直に向き合い、同じやり方であっても「義務感」を感じないでやることができたり、自分が「やりたい」と思った別の方法でやることが出来たりします。
自分で考える、自分でやり方を決める、ということが「やる気」を引き出す重要なポイントで、「自分は本当にやりたいのか」「やるのか、やらないのか」という「やる気」に焦点を当てて考えるということです。
「やる気」を基準に考えるわけですから、要は「やる気」のあるほうを選んで決めるということになります。
勉強することに「辛さ」や「義務感」を感じること、ありませんか?
「今年絶対合格しなければいけない、と思って頑張っているのに、どうしてウチの家族は協力してくれないんだ」
「勉強していても、他のことばかりが気にかかる」「一つ片付けたのに、また一つ気になることを思い出してしまった」
一方で、「何でこんなに勉強しているのに、模試の点数が伸びないんだろう」て考える・・・・。
そういった辛さや義務感から解き放たれると、その下にある思い、「勉強ってこんなに楽しいんだ」「模試はあくまで模試なんだから、自分が模試のレベルを見てやろう」といった、喜びや楽しみに形が変わっていくのが実感できると思います。
で、どうするか。
周りを見渡してみてください。
自分だけで”いっぱいいっぱい”になってはいませんか?
家族だって、「応援したいけど、受験生のあなただけが1人でギスギスしている状況では素直に応援できない」って思っておられるかもしれません。
いつも言っていますが、超ウルトラスーパーポジティブな感情を大事にしましょう。そしてもう一つ、「何でも受け入れられるよう、素直になりましょう」
そういった感情を抱くと、それに満たされるのを求めて、自然にやる気が出てきます。
対策2「無意味感」
無意味感については、それをやる目的や意味の再確認がポイントになります。
やっても意味のないことは、その言葉のとおり意味がないわけで、そんなことをしようとする人はいないと思います。
でも、そういった無意味感を抱きながらもそれをやっている背景には、少なくともそれを始めた段階では、それをやることで得られる成果や意味といったものを見出していたからではないでしょうか。
また、始める前から「無意味感」を感じていたとしても、「やろう」って思ったりやり始めたときには、それをやることで得られる成果や意味といったものを見出していたからではないでしょうか。
ここで考えてほしいこと、
その「目的」「意味」「得られる成果」は何だったでしょうか?
勉強に関して「やる気」が持てない、こんなことをしても意味がないと感じることがあったとき、やる気が持てない自分や、やっていることに空虚なものを感じてしまう代わりに、「そもそも、何でこの勉強をやろうと思ったのだろう?」と問いかけてみるといいかもしれませんね。
それが見つかったとき、「それを手に入れたい」と求める、自分の中にある愛情や優しさといった「想い」に触れることが出来たとき、「やる気」も感じることが出来るのではないでしょうか。
これも、いつも言っていますが、
「なぜ社労士の資格を取りたいと思いましたか?」
この答えを、自分の言葉で言えなくては「やる気」はまだまだ・・・。
「ギヤがニュートラルポジションから動いていない」状態ではないでしょうか。
♪ その〜気、何の気? ”やる気”の気♪
さて、本当に「意味のないこと」や「やりたくないこと」って、誰もやりませんし、「やる気」も必要ないですね。
「やる気」を必要とするその背景には、それに対する「やる気」があるから求めるのだと思います。
その「やる気」を育てることって、ちょうど「やる気」という”木”を育てるようなものですね。
種や苗木のないところに木は生えてきませんし、種や苗木に『早う、大きゅうなれ〜や!』と叱咤激励したところで、そんなことは木の成長にはな〜んの役にも立ちません。
木の成長に必要なもの、それは日の光、水、養分であって、それらを充分に供給してやるだけで木はすくすくと伸びていきます。
やる気が出ない、というのは「やる気」という名前のまだ若い苗木に、「義務感や無意味感」という名のツタが絡まっているようなものです。
こんな状態では、いくら日当たりがよくてもツタの葉に邪魔されて日光は当たりませんし、水や養分を与えてもツタに横取りされてしまいます。
ですから、たくさん日光や水や養分を与えるよりも、絡まったツタを取り除いてあげるほうが、木の成長にはずっとプラスになります。
そうすることによって、苗木の根は大きく張り、幹を太くし、高く伸びてゆきます。
ツタや下草を刈り、虫除けをすることで立派な成木となって豊かな果実をもたらしてくれるのではないでしょうか。
そんなイメージで「やる気」を育ててみませんか?
そうすれば、11月半ば頃に「もう食べきれない〜〜〜!?」っていうくらいたくさんの果実を手にすることが出来るのではないでしょうか。
ほら、長〜い桁数のあなたの受験番号がそこの官報に載っている・・・。
その喜び、私たちも一緒に喜びたいのです。
ねえ、みなさん!

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