2005/11/21

万次郎が暮らした街を訪ねて 序章  敬愛する「ジョン・万次郎」

19日のボストンは冷え込んだ。朝8時にボストン在住の方々と待ち合わせをして、車でフェアヘブン、そしてニューベットフォードへ連れて行っていただい た。この地方では今でもなお、Manjiroは英雄である。今年10月5日にも、姉妹都市・土佐の市民を招いて、万次郎フェスティバルが、行われていた。(2年に1度の開催)☆以下添付写真は、ミリセント図書館内・万次郎の部屋にて撮影
クリックすると元のサイズで表示します 土佐市を始め日本から贈られた品々                         真ん中の刀は、万次郎の長男・中浜東一郎氏(東京大学医学部卒・森鴎外と同期)が寄贈した品

土佐の漁民であった当時14歳の彼は、仲間5人と共に、無人島に漂着して143日目、ホイットフィールド船長の船に助けられ、ハワイへと渡る。その後、自ら希望して、アメリカの東海岸、ボストンの南、当時捕鯨で栄える街フェアヘブンで、船長の家 に住まわせてもらった。若い彼は短い間に、鎖国中の日本では学び得ない多くの知識を身につけた。鎖国中の日本に危機感を覚えた彼は、国や家族を思う気持 ちが募り、命がけで帰国し、その後、明治維新から開国、そして新しい政府の樹立へと進む日本に、多くの貢献をすることになる。明治時代に活躍して名を残 している多くの政治家、思想家が、万次郎の伝える新鮮で新しい考え方に影響を受けている。

アメリカ開国200年の歴史の中で、最も貢献した外国人29傑にジョン・万次郎こと中浜万次郎は、列挙されている。しかし、漁民という身分が低かったからなのか、開国して日米和親条約終結後の日本では、その貢献度を度外視し、漂流民と して冒険的な物語の方で、その知名度が高いようである。彼の扱い方、インパクトにおいて、日米の間で随分な温度差がある。これは、どうも明治維新前後の日本の混乱に あるようだが、この話は、また後程述べようと思う。

クリックすると元のサイズで表示します ホイットフィールド船長と万次郎の絵

日米開戦時の米国大統領ルーズベルトは、親族であるホイットフィールド船長から、万次郎の素晴らしい人となりを知らされて居り、日本人を、かなり信頼していたようである。第二次世界大戦で、アメリカ側からの開戦が遅れ、日本軍からの奇襲という形で始まったのは、万次郎が築き上げた日本人に対する信頼の高さの影響を受け、ルーズベルトは開戦に踏み切れなかった…とする説もある程である。

クリックすると元のサイズで表示します万次郎の部屋が設けられている図書館
                              天皇皇后両陛下を始め、多くの著名人が訪れている。

ボストンに縁があり、数多く行く機会のある中で、私は万次郎の人となりに非常に興味を惹かれるようになった。知られていないだけで、実は日本開国の陰のヒーローでもある彼が住んでいた街に行き、彼の歴史や記録に、実体験として触れる事は、ここ数年来、私が切に願っていたことの1つであった。
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