2005/12/28

12才でオリンピツクに参加したフィギュア・日本女子選手  フィギュアスケートと浅田真央選手

一昨日までの私の職場での話題の主流は、日曜日まで開催されていた全日本フィギュアスケートの事だった。TV放映された時間だけでも、名古屋からは、浅田選手姉妹、安藤選手、中野選手、恩田選手と、5人が出場していたのだから、止むをえないだろう。例外なく私も、お客様のスケート談義を聞いていた。私は、ずっと浅田真央選手を応援して来ていたので、彼女の話題になるとつい舌が滑らかになってしまった。やはり、何人かの方が、試合を限定しての年齢制限について、疑問に思って居られた。
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1人のお客様が「昔は、12才でも、行けたのですよ」と、何気なく仰った。その場にいたほぼ全員が、その方の話に耳を傾けてしまった。そのお客様Fさんのお姉さんが、通っていらした「梅花学園」という中高一貫校出身の方で、1936年にドイツ、ガルミッシュ・パルテンキルヘンで開催された、冬季オリンピックに、12才(開催中13才になる)で参加されたという選手がいる…というお話だった。お客様のFさんは、その事を書き綴った『わたしたちのオリンピック』(ベースボールマガジン社)という本を持って来て貸して下さると仰った。恐らく私の目から、好奇心という光線が出ていたのが判られたのだと思った。
クリックすると元のサイズで表示します 開会式時の稲田悦子さんと直筆サイン
その本によると、稲田悦子さんは、全選手中、最年少であり、また、開催当時の身長が127センチと、とても小柄だった。1936年開催の冬季オリンピックは、結果的に、第二次世界大戦前の最後のオリンピックとなり、開催時のドイツは、当然ながらヒトラーの政権だった為、開会式の貴賓席にはヒトラーが現れた。その席から稲田さんを見たヒトラーは、「あの子供は、一体何をしに来たのかね?」と側近に尋ね、それが大きな話題となり、新聞記事でも報じられたという。稲田さんのこの時の成績は、参加者26名中、10位と大活躍だった。このように12才のフィギュアスケート選手は、日本人女子初の冬季オリンピック参加選手として、その歴史に名を残した。
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残念ながら稲田さんは、2003年7月、胃癌の為79才でお亡くなりになっているが、フィギュアスケート女子選手の草分けとして晩年まで、神宮スケート場等で子供達にフィギュアスケートを教えられる等、多くの後継者を育てられて来た。また、歯に衣着せぬ発言でも有名で「フィギュアスケートでは、スタイルも表現力も違うから、日本人は勝てない」。とか、はっきりと仰っていたそうである。しかし、1998年のパリ世界大会で、伊藤みどり選手が優勝した時は「やっばり、あのジャンプ。本当によくぞ…」と感極まって涙され、伊藤選手の健闘ぶりを讃えられたそうだ。
当時のユニフォーム(秩父宮博物館蔵)クリックすると元のサイズで表示します

私は本を読んで、もしも稲田さんが、今もご健在だったなら、浅田選手の年齢制限問題にも、異議を申し立てられ、強く推して下さっただろうと思った。稲田さんが気になさっていた「スタイルも、表現力も」兼ね備えた浅田真央選手。そして、妬みとか嫌味等の、心の濁りを微塵も感じさせられない、浅田選手の純真さに、オリンピックに参加された当時の、ご自分の姿を重ねられたに違いない。浅田選手は、TV局のインタビューで、「トリノには行きたかったですか?」という意地悪なレポーターの質問にも真顔で、「是非、観戦に行って、応援したいです」と答えていた。心が伸びやかで澄んでいるからこそ、人を魅了する表現力が生まれるのであろう。稲田さんに、浅田選手の今の滑りを見て欲しかったと、切に思ってしまった。
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また日本は、冬季オリンピックとして、第2回1928年サンモリッツ大会から参加しているが、女子選手が参加したのは、稲田さんの参加した、第4回ガルミッシュ・パルテンキルヘン冬季大会からであった。その後日本は、第2次世界大戦を巻き起こした戦犯国として、1948年開催の第5回サンモリッツ冬季大会には、ドイツと共に参加を許されなかった。やがて日本が、再び冬季大会に参加出来るようになったのは、1952年の第6回オスロ冬季大会からであり、稲田さんは、既に28才になっていて、現役選手を引退していた。よって稲田さんは、12才という若さで初参加したにも関らず、戦争という国と国の争いの犠牲となり、結局は、ガルミッシュ・パルテンキルヘン大会が、最初で最後のオリンピックとなってしまったのだ。
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クリックすると元のサイズで表示します ガルミッシュ・パルテンキルヘン冬季大会 (スケートリンク)
そのガルミッシュ・パルテンキルヘン冬季大会は、4競技17種目が実施され28の国と地域から、668名の代表選手を迎えた。日本からは、48名(役員14名、男子選手33名、女子選手1名)が参加した。勿論、1名の女子選手は、稲田悦子選手であった。尚、稲田選手が着用した、当時のデレゲーションユニフォームや、競技に着用したコスチューム(写真、参照)は、秩父宮スポーツ博物館に展示されているそうだ。写真で見る限りでも、高級なシルク(恐らく?)で出来た競技用コスチュームは、デザインも可愛く趣がある。今度上京したら、是非、訪れてみたいと思っている。

◎参考 「わたしたちのオリンピック」 TOL会(オリンピックに出場した女子選手の会)編集 ベースボールマガジン社
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