2005/9/30

明日から天王山  Boston Red Sox・MLB

今日は、ピッチャーのクレメントが、ピリッとせず、
先制されていたが、レッドソックスの3番・4番打者、
ラミレスオルティースのホームラン等で、追いつき
9回裏、ワンアウトの後は、打順よく、1番、デーモンが、
ヒットで出塁、盗塁の後、2番レンテリアが4球を選んだ。
常に、多くの残塁を誇る?レッドソックスだったが、
今日は、オルティースがヒットを打って、サヨナラ勝ちを
決めてくれた。やはり、得点の主軸になったのは、
ドミニカ共和国出身のラミレスと、オルティース
この2人組みであった。

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いよいよ、明日から、レギュラーシーズン、最終戦の
 対ヤンキースとの、3連戦である。
正に、天王山・天下分け目の合戦。
アリーグ東地区の両雄対決となる。
場所は、ボストンフェンウェイパーク
この週末レッドソックスファンの熱狂ぶりは、凄いだろう。

ヤンキースには、防御率1点台の、守護神・リベラがいる。
昨年のデビジョンマッチでは、親族の葬儀会場(パナマ)から、
飛行機をチャーターして駆けつけ、そのまま投球し、抑えたという
投球力、精神力、共に揃った、敵ながら素晴らしい投手である。
まずは、大きくリードして、彼をマウンドに出さない事が重要だが、
レッドソックス打線なら、彼をも、打ち崩してくれると信じている。

ワールドシリーズに向けて、レッドソックスが、東地区で優勝し、
堂々とプレイオフに進むのには、対ヤンキース、3勝しなければならない。
直接対決で、負け越しているので、地区優勝にはその道しかないのだそうだ。

明日は、ヤンキース戦ということで、日本でもTV放送がある。
しかし、週末で、仕事が忙しくなりそうだから、録画しようと思う。

残り3戦、1戦1戦、落とせないが、まず、明日、勝つことが
とてもとても、大事になる気がする。明日の先発はウェルズ
対ヤンキースに強い投手なので、期待は大きい。後は打撃陣
が火を噴いて、ピッチャー陣を援護して欲しい。

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2005/9/29

意気消沈していますが。  Boston Red Sox・MLB



今日は、7対2で完敗してしまいました。ヤンキースは勝った為、
1ゲーム差がついて2位に陥落です。投手力を比べるだけでも、
今後5試合の戦いぶりを予想すると厳しいです。でも選手は、
一生懸命プレーしているのだから、めげずに応援し続けます。
地元ボストンでは、地区優勝は無理でも、ワイルドカード
アメリカンリーグ優勝戦のプレーオフ出場が可能になるように
と願っているそうです。それにはインディアンズが負けてくれなければ
ならないのですが、何とか勝ち進んで自力で、プレーオフ出場権
勝ち取って欲しいものです。

ワイルドカードとは、各リーグ3地区の2位の中で勝率が最高のチーム」
プレーオフ出場権が与えられます。このチームのことをいいます。

3つの地区優勝チーム」+「ワイルドカード」の計4チームで
プレーオフが争われ、リーグ優勝が決まります。

利点として、2位のチームにもリーグ優勝のチャンスがあるので、
2位、3位あたりのチームも、シーズンの最後まで緊張感が続きます。
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2005/9/28

Wヘッダー  Boston Red Sox・MLB

今日はWヘッダーであった。第一試合は、ウェークフィールドが好投し、
8回から、ペパルボーン9回ティムリンが抑えて3対1で勝った。
ウェークフィールドの好投により、レッドソックスの必勝リレーが
成功したのである。朝、起きて結果を見、嬉しかった。
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しかし、第二試合は、先取点をあげリードするも、シリングが打たれ
1点差に迫られてしまう。そして、問題の中継ぎピッチャーの登場だ。
ハンセン・ゴンザレスと点を重ねられ、7回で同点。8回には、逆転され
逃げ切られてしまった。ティムリンは、第一試合で投げていた為、温存
したのだろうが、それにしても、惜しい試合を落としてしまった。ヤンキース
も負けてくれた為、同率首位に並んだままであるが、今日の試合は勝って
欲しかった。さて話は第一試合に戻り、先発ピッチャー・ウェークフィールド
の魔球「ナックルボール」について、触れてみよう。
               
指の第一関節(Knuckle)を、使って投げる為、この呼称の由来がある。
特徴は、超スローボールであること・ボールの回転が少ないこと・そして
飛翔中にゆらゆらと揺れて、ホームベース付近で大きく変化する事である

あまりにも、遅く、揺れて飛んで来る為、タイミングが合わせにくい。
ゆえに、とかく、速球を得意とするメジャーのバッター達には、効果的である。
               
この魔球「ナックルボール」をウェークフィールドは、1992年の新人時代
から投げていて、メジャーのバッターを翻弄し続けて来た。各打者からは
「宇宙遊泳のようだ」「テニスのラケットが無いと打てない」「蝶のようだ」
等と言われている程である。大変なのはバッターだけでない。一番苦労
するのは、キャッチャーである。まともに構えていると、ボールを取り損ねて
しまう。レッドソックスには、大きめのミットを持ったミラベリという、専用?
キャッチャーがいる。今シーズンも、16勝11敗と、今ひとつ、調子がよくない
レッドソックスピッチャー陣の中の勝ち頭である。ただ、タイミングを合わせ
られてしまったり、悪送球が続くと、大量失点してしまうという弱点もある。
               
「ナックルボールを打つなんて、飛んでいる蝿を箸で掴むようなもの」
残り5試合となった今、ヤンキース戦にも登板するだろう。ウェーク
フィールド
の魔球がもう一度「勝利」を運んでくれるように祈ろうと思う。
そして、秋も深まったボストンだが、微妙な指の動きが必要になるこの
ボールの握り方を想像すると、彼が登板する日だけは、特に冷え込まないよう、
重ねて祈っている。明日の先発は、アローヨ。逞しく見えると良いのだが。。
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2005/9/28

今日、思うこと  日記(今日思うこと)

今夜は、久しぶりに、TVを観て過ごした。
このブログを書きながら、の、つもりだったが、
私は、どうしても、何かしながら・・・という行為が苦手である。
案の定、手は止まり、TVに釘付けになってしまった。
お陰と、民放だったので、CMの間には書き進められたが、
殆ど、進まなかった。私の目を釘付けにした番組は、
ウォーターボーイズ選手権」であった。
今年で、開催2度目になるそうだが、
そのシンクロぶりは、圧巻であった。
2001年、映画「ウォーターボーイズ」が、封切りされてから、
その演技に感動し、このシンクロ演技の大ファンとなった。
日本以外に、取り組んでいる国が有るか無いかは、
定かではないが、去年の、アテネオリンピックで、
公開競技としてでも、演技して欲しいと、思った程だ。

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まるで、イルカが、泳いでいるような美しさ、
漲る躍動感、そして、チームワークの素晴らしさ。
観ていて、涙腺がゆるくなってしまった。
一生懸命」になることが、ダサイように言われてしまう昨今、
彼らのような少年達を見ていると、まだまだ、
日本は大丈夫!などと、思ってしまうのは、大袈裟か?

今年の優勝は、鈴鹿高専チームの2連覇。
しかし、参加8チーム、全てが素晴らしい演技だったと感動した。



ところで、私は、スポーツに於いて、
大体の種目は、得意であったが、
どうも、水泳だけは、苦手であった。
適当に、泳げてしまった為、しっかりと泳法を、
習っていなかったせいもあったのだが、
もし、地球温暖化が進み「ウオーターワールド」が、
訪れて場合は、「ノアの箱舟」に、乗せてもらう魂胆でもあった。
また、水泳の種目の中では、クロールが殆ど泳げなかった。
最近になって、教えてもらった事なのだが、
水中で、息を吐かなければいけない。という事だった。
泳げる人は、当り前にしているようだが、
私にとって、カルチャーショック、晴天の霹靂の事であった。
それまでの私は、水面から、顔を出した時に、吸って吐く、
とっても、忙しく、とても、苦しい泳法にすぎなかった。
今も、得意ではないが、何とか25メートルは、泳げるようになり、
スポーツジムのプールでも「陸に上がらないで」といわれる位?、
ホームは綺麗と、誉められるようになった。
知らない」という事は、恐ろしいという一例である。。

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2005/9/28

Post pended  Boston Red Sox・MLB

          
今日27日は、PPD Postpended 雨天の為、延期になった。
かたや、ヤンキースは、試合があり、11対0と、完勝した為、
現時点で、0.5ゲーム差で、首位になってしまった。
現地時間の今日、レッドソックスは、Wヘッダー。
2試合を、消化しなければならない。
試合開始は、昼の1時。私が眠っている間に、
1試合、終わってしまう事になる。
それにしても、メジャーリーグ選手は、タフである。
日本のプロ野球と比較すると、その試合数は、勿論、
全米各地、そしてカナダと、移動の距離が、とんでもなく、比にならない。。
終盤に近づき、選手の疲労も極限に達していると、思うが、
この雨天順延が、レッドソックスにとって、恵みの雨となり、
と出てくれるよう、願っている。
          
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2005/9/27


25日、大盛況のまま幕を閉じた、愛知万博。
3月の万博開幕に先駆けて、2005年2月17日、中部国際空港が開港した。
開港、間が無い2月20日、
その新しい滑走路へ、シンガポールから、一機の飛行機が降り立った。
その飛行機には、173年ぶりに、正式帰国を遂げた人が乗せられていた。
その人の名は、知多郡美浜町出身の船乗り、音吉
正しくは、彼の遺灰である。

時は、日本が鎖国中の天保3年(1832)音吉らを乗せた、
千石船・宝順丸は、尾張藩からの貨物を名古屋港で積んで鳥羽港へ向かい、
またそこから江戸を目指した。しかし、鳥羽港出向後、遠州灘(難所)で
嵐にあい、舵を損傷し遭難、太平洋を14ヶ月漂流の後、アメリカ西海岸、
現在のワシントン州、フラッタリー岬に、流れ着いたのである。
漂流民としては、無事帰国を果たした
ジョン・万次郎の漂流時より、約9年前の事であった。


宝順丸の積荷は米と陶器で、また海水を真水にする「ランビキ」の技術もあった為、
餓死の心配は無用だったが、出航当時、14名居た乗組員は、
ビタミン不足により、次々と壊血病を発症。漂流途中、11名が死亡した。
生き残った3名は、28才の熟練した船乗り、岩吉。
炊(かしき)の見習い、15才の久吉。そして同じく14才の音吉であった。
フラッタリー岬に流れついた一行は、その地で、インディアンの奴隷となる。
一方、音吉の地元では、数ヶ月に渡り、各地の舟問屋に
宝順丸の行く先を、問い合わせていたが、結局船の消息はつかめず、
地元の良参寺という寺に、乗組員一同の墓を建てていた。
   以下、石碑脇に建てられている看板
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2005/9/27


 
アメリカに漂着した音吉達は、インディアンの捕虜として暮らしていたが、
インディアンと毛皮の取引をしていたハドソン湾社の英国人に発見された。
ハドソン湾社の太平洋地域総責任者、ジョン・マクラフリンは、
彼らをハワイ(サンドイッチ諸島)経由で英国に連れて行った。
イギリスに着いた3人には、1日だけ上陸許可が下りて、
日本人と初と思われる、ロンドン市内見物をした。
ハドソン湾社側には、彼らを足がかりに
日本と国交を開きたい、という思惑があったが、
英国政府側には、その気がなく、
結局3人は、ハドソン湾本社のジェネラル・パーマー号で、
マカオ(ポルトガル領)へ送られる。

彼らはマカオにつくと、ドイツ出身の宣教師のカール・ギュツラフに預けられた。
このギュラツフは、熱心な宣教師で、語学にも興味が強かった為、
彼ら3人の協力を仰ぎ、聖書の和訳に取り組んだ。
「ヨハネ伝福音書」と「ヨハネの手紙」を訳し、初の和訳聖書として残っている。
この偉業は、日本キリスト教史上に記録を残した。
このギュツラフの元、音吉ら3人が、聖書を訳して行く様子は、
三浦綾子さん著「海嶺」にも、書かれているが、
当時の彼らの概念で、ゼウスの存在自体を、
一番相応しい言葉を探そうと、討論している下りがあって、
とても面白く、興味深い。

彼等がマカオに着いて2年後に、
九州出身で、南シナ海で35日間漂流後、フィリッピンのルソン島に漂着、
原住民に1ヶ月ほど捕らえられ、スペイン船に乗せられて来た、
庄蔵、寿三郎、熊太郎、力松の4人と合流する。

その7人の存在を知った、アメリカ商人、C・W・キングは、
彼らの帰朝を足がかりに、日本政府と国交を持とうと考え、
7人の日本送還計画を、立ち上げる。
1837年7月(日本の暦で天保8年6月)、
彼らを乗せたアメリカ船、モリソン号が日本へ向かった。
翌年、7月30日(旧暦6月28日)モリソン号は、
江戸湾浦賀港に近づいた。それは漂流から5年ぶりの事だった。
しかし、その時代は、幕末の鎖国下「異国船打払令」が
出ていた一番厳しい時期だった。
非武装の貨物船モリソン号は白旗を掲げたが、砲撃を受けてしまう。
富士山を眺め、故郷を想う、音吉達の胸中は、幾ばかりであったか。。

砲撃を受けたモリソン号は引き返し、8月10日に鹿児島湾に入り、
九州出身の庄蔵らが一旦上陸し、出先役人からは、労いの言葉を受けたが、
船に戻ると、翌日また、砲撃を受けてしまう事になる。
江戸幕府からは、藩に対し、外国船が来れば砲撃するように
と、伝達が来ていたのである。こうして、2度に渡る砲撃を受け
断腸の思いのまま、音吉達は、再びマカオへ戻る。 
彼らはこの日を境に祖国を捨て、今や外国で自立しなければならなかった。
7人は、それぞれ、中国や香港で結婚し、新たな人生を歩んだのである。

音吉は、しばらくイギリスの船に乗り各国を回ったが、
後に上海のイギリスの貿易会社に勤務、同じ職場のイギリスの女性と結婚した。
そして新たな漂流日本人が来ると、自分が帰国できなかった悲しみを乗り越えて、
中国船で彼等が日本へ帰国出来るようにと、外国と折衝し、その中継基地の役割を、果たした。
音吉の尽力で、帰国した一人が、音吉が次のように語ったと記録している。

「我16才(数え年)にて漂流し、父母へ一つの孝養も得遂げざるのみか、
却って大いなる嘆きを掛けたれば、朝夕これのみを思いつづけ、心に忘るる隙なし。
この上せめて、国の漂流民を世話して帰国せしめ、
父母の冥利とも致さんと思う。」

音吉はその後2回通訳として日本(長崎)へ来ているが、
1回目は捕まることを恐れ、中国名・林阿多(リン・アトウ)を名乗り、
2回目の時には、既に妻子がいたので、帰国の意思はなくなっていたという。
音吉はイギリス人妻と死別した後、マレー人と結婚、シンガポールに引っ越した。
時代は移り変り、ペリー来港後の、1862年(文久2年)、
開国に向かって動き出した、日本の遣欧使節団が、
シンガポールに寄った時には、音吉が市内を案内し、
途中音吉の自宅へも寄らせ、手厚く持て成している。
(この使節団には、福沢諭吉らが居た) 
その記録によると、シンガポールで貿易事業を成功させており、
家は庭付きの邸宅で、男女の召使がおり、馬車も所有していたという。
1864年ジョン・マシュー・オトソンとして、イギリスへ帰化。
1867年、遂に故郷の地を踏むことなく、病気にてシンガポールにて没。
   享年50才であった。
音吉始め、彼ら鎖国中の漂流民の人生に於いては、
海の荒波の中は生き抜いても、歴史の荒波をくぐり抜けることはできなかった。
             ☆
音吉の故郷、美浜町には、日本福祉大学付属高校がある。
同校の和太鼓クラブ「楽鼓(らっこ)の会は、2003年から、
著者 三浦綾子さんのご遺族の了解を得て、
音吉の生涯を題材にした「海嶺」という曲作りの励んでいるそうだ。
海嶺」とは、いわば大洋底に聳(そび)える山脈。
人目にふれずとも、海の底で厳然と聳える山は、
人目にふれない庶民の生きざまに似ていると、三浦綾子さんは書いている。
太鼓演奏曲「海嶺」は、11月6日に初披露があるそうだが、
是非、拝聴すべく、足を運びたいと思っている。

◎参考書籍
三浦綾子 著 「海嶺」
春名徹 著 「にっぽん音吉漂流記」 

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2005/9/26

両雄譲らず  Boston Red Sox・MLB

今日も勝ってくれた。まず初回ラミレスの先制ホームランに続き、
ヒットを連打して、5点を取った。先発ウェルズは立ち上がりに
2点取れらたものの、好投し3点に抑えた。その後、見方の援護もあり
9対3で快勝した。しかし同率首位のヤンキースも、勝った為、2チームが
首位で並んたままである。今シーズンの試合は残す所、一週間。。
最終対決はレッドソックスのホーム球場である、
フェンウェイパークに於いての対ヤンキース3連戦になる。
この調子で行くとすれば、地区優勝は最終対決まで、縺れ込みそうだ。
私は、フェンウェイパークにはボストン滞在中、何度か足を
運んだが、選手との距離がとても近くて驚いた。ファールグランドが
無い上に、観客席最前列はグランドと同じ高さで作られているある為、
プレイする選手の人達に、手が届きそうなくらいの臨場感があった。

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このフェンウェイパークは、1912年に誕生し、
1912年4月20日に最初の公式ゲームが行われました。
この球場の施設の大半は、1912年に作られた当時のまま
残されています。大リーグの歴史を80年以上も見続けて
いる歴史のある球場です。
また、この球場は、個性的なデザインでも知られています。
右翼に比べ、左翼が著しく狭い左右非対称の設計となっていて、
その狭さを補うためにも、左翼には巨大なフェンスが立てられ、
このフェンスは、その色と巨大さから「グリーン・モンスター
の愛称として、全米の野球ファンから愛されて来ました。

野球のみならず、アメリカの歴史的にも価値のある球場ですが、
さすがに老朽化が進み、ここ数年、レッドソックス側は
新球場建設の必要を訴えるキャンペーンを、展開してきました。
そのレッドソックス側の提案は、新球場を今現在の
フェンウェイパークの隣接地に立て、グリーン・モンスター
を含め、フィールドの形や大きさも、現在の球場を、そっくりそのまま
再現するという提案で、フェンウェイパークに対する、
ファンの思い入れの強さを、配慮しているのだそうです。

因みに、この球場は、ケビンコスナー主演の映画、
フィールドオブドリームにも登場しています。
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2005/9/25

同率首位  Boston Red Sox・MLB

ニューヨーク・ヤンキースが破れてくれたニュースが入っていた。
レッドソックスが勝てば、同率首位に並ぶことができる。祈るような
気持ちで、ネットのGame dayを追っていた。先発のマットクレメントが
好投し0点に抑えている。先取点はレッドソックス。このまま勝って。
と祈り続ける。ピッチャーが抑えの新人ハンセンに変った。大学リーグ
からドラフトで入った新人。大学リーグでは最多登板をし、防御率が
1.64という期待の新人だ。しかし、やはりメジャーは厳しい。同点の
ピンチになる。ピッチャー交代、追加点をあげた後、9回はティムリン
になった。ティムリンは打たせて取るタイプである。Wプレー崩れの
ランナーを置いて2塁打を打たれ、遂に1点差となってしまった。
心臓に悪い。薄氷を渡る思いだったが、最後はライトフライ。勝った。
後9試合。是非、勝ち続けて欲しいと願う。今日はホームランは無かったが
ネットの新聞にデビット・オルティースの事を書かれた記事があった。
URLを添付して置きます。昨年のプレイオフ同様、彼が地区優勝のキーとなる
のは、まず、間違いないと、思っている。
 MLB コラム 「ボストンの精神的支柱/鉄矢多美子 」
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/mlb/column/tetsuya/mb-tetsuya.html

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2004年ワールドチャンピオンリングを掲げるオルティース
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2005/9/25

就寝前に思うこと  日記(今日思うこと)

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モリゾー、キッコロ、フィナーレバージョン
愛地球博最終日

昨夜9時を過ぎて、万博のスポンサーとなっている会社の
知人から「万博の招待入場券が6枚ある」「誰か居ないか?」
と、電話がありました。失礼ながら思わず私「え゛っ
等と、言ってしまいました。万博と言われても明日で終り。
明日のみ。それに行ける人を今から探すって大変と引きました。
それに、例え行こうとしている人がいたとしても、その人はきっと、
通し券を持っているだろうし。。とか、考えつつ、
しかし、電話の相手は、義理のある人なので「とりあえず
当たってみますが、期待しないで下さい」と答えました。

明日は最終日、閉会式を始め、色々なセレモニーがあります。
行ってくれそうな人や、お顔の大きい(失礼・もとい)広い人
に電話しました。そしたら、何と、行こうと思っていた人、
「折角だから」と行って下さる人、が見つかって、無駄に
しなくて澄みました。驚いたのは、身近に徹夜組みがいたことです。
既に出発していて、ゲート前で夜を明かすとか。私なんかと違い
根性がありますねーと、感心しきりです。
閉幕の後、次の開催は5年後の上海EXPO。
その頃、私は何処で、誰と、何をしているのだろうか?
一本の電話で、急に慌しくなった今夜の私でしたが、今は静かに
床に着けます。野宿には、少し涼しくなった名古屋の夜です。
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