2005/10/31

紅葉の色(その不思議と仕組み)  日記(今日思うこと)

ボストンから、雪が舞ったと便りが届いた。街路樹のメープルリーフは、もう散ってしまったのだろうか?ボストン郊外のニューハンプシャーやバーモントの紅葉は、とても綺麗と聞いているが、私はボストン市内の街路樹の紅葉を見ているだけでも、かなり綺麗だと思った。不思議なもので、雑草等は特に日本と同じ又は、よく似た種類が分布している。道を歩いていると、日本国内にいるのと錯覚する程だ。ただ1つ違う景色が、メイプルリーフの街路樹である。日本のもみじと、樹自体、幹などは全く違うのだが、晩夏によく見ると、竹とんぼのような種子をつけていて、それは日本のもみじと同じような形をしている。日本でも明日から冷え込むそうだ。山々は緯度に沿って一気に色づいて来るだろう。
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今日はまず、紅葉の仕組みについて、素人ながら少し書いてみる事にする。その仕組みとは、光と葉の中の葉緑素による、光合成が深く関っている。まず、葉緑素が、太陽光で合成し、糖分(でんぷん)を作る。そして葉から茎(枝)へと流れているのだが、気温の低下と共に、その動きは鈍くなる。そして、葉の葉柄の付根の部分に、離層と呼ばれるコルク層が形成され、葉と茎の間で水や養分の流れが妨げられる。流れなくなった糖分は、葉に蓄積され、更に太陽光が当たる事により、赤い色素である「アントシアニン」が形成される。この赤は、日中が晴天な程、糖分が多産され、夜間冷え込むと糖分の流れを止め色素沈着するので、晴れた日で寒暖の差が激しい程、鮮やかになるのである。この時、葉の緑を司る葉緑素は、分解されてしまっている。
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また、黄色になる葉は、葉緑素が分解されて緑色が消えると、その葉が持っていた「カロチノイド」という黄色い色素が、目立って来る。この色素は、元々葉の中にあるのだが、葉緑素の緑が多い時は、目立たないだけなのだ。このように植物の種類により、その過程には個性があり、紫、赤、橙、黄というように様々な色が形成されるのである。
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そして、紅葉を美しいと思うのは、その緑と赤が、色彩的に補色にあたり、引き立てあう色だからである。補色とは反対色と言われ、絵の具を用いて混ぜ合わせると、お互いの色味を打ち消してしまい、淀んだグレーになってしまう色である。詳しい理由は、色にもそれぞれ波長があり、光を反射したり吸収していたりするからであるが、自然の中の営みとは、本当に摩訶不思議である。補色とは、美術でも習った「マンセル色相環」という図を見ると、反対側にある色でよく分かるのだが、その図を見なくても、ある色を30秒以上凝視すると、その残像として必ずとして補色が残る。例えば、赤色を凝視し、白い壁の1点に目を移した時、必ず緑の残像が残っている。この「色残像」とは、同じ色ばかりを見ていると網膜が疲れて、反対色が浮かんでくると言う現象である。また色は私達の日常に溢れていて、普段何も考えずに色に囲まれて生活しているが、様々な場所、分野で補色を使い、工夫されている事が多く、とても興味深い。

例えば
○相乗効果としての工夫
グリーンのサラダにトマトや赤ピーマンを乗せる事により、緑は、より緑に、赤は、より赤く、鮮やかさを増し、美味しそうに見せている。

○残像を消去する工夫
TV等でも見るが、手術室の内装や着衣を緑や青緑にして、血の色の残像である緑色をリセットする。
(50年以上前は、白だった為、多くの医師が壁や白衣を見て、緑の沁みが見えると報告していた)

○残像を現出する工夫
牛乳パックの青いラインは、青の補色であるクリーム色が残像として残る為、心理的に「濃い牛乳」をイメージ付ける。

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このように、色の事を考え、調べ始めると、夜も寝られなくなる程、面白くて難しい。でも、時に日常の中で意識すると、色によって、楽しめたり、反対に錯覚させられたりしている事も多く、部屋の中や街に出かけて、発見するのも、とても楽しい。。
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因みに、知り合いの弁護士さんの紹介で、何を間違ったか、私が講師になり、高校生を集めて勉強会をした事があった。その時、落ち葉を拾ってきて紅葉の話をした。その中に、たまたまアニメの絵が上手い子がいて、補色の面白さに興味を持ち、水彩画、油絵を描くようになった。その才能は素晴らしく、何とか大臣賞を取ったりした。もしも、彼が絵で食べて行くようになったら、少しは恩を売れるかな…と皮算用をしていたら、彼は、絵を描くのはあくまでも趣味で、弁護士になると猛勉強をし、今年の春、国立大学の法学部に合格してしまった。取らぬ狸とは、正に私の事であった。

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2005/10/30

ストーブリーグ点火   Boston Red Sox・MLB

マイク・ティムリンが、レッドソックスと契約更新する事に、ほぼ決定したようだ。正式発表は、11月2日の健康診断の後のようだが、まずは、一安心である。一方、ジョニー・デーモンは、本人はボストンが大好きで、残りたいと話しているらしい。後は契約金の問題か。本、「Idiot(愚か者)」を書いているし、ダンキンドーナツのCMにも出ているし、子供達の人気ナンバー1だし、絶対、残って欲しい。

そういえば、来シーズンのレッドソックス、スタメン予想として、「デーモンはダンキンドーナツと縁が切れずに残留」と言った方がいるそうだ。その方の予想表を、有得ない…と仰りながらメールにて、送って下さった方が居た。以下、独断と偏見による予想だそうだが、添付することにする。私も有得ないと思いつつ、実は、大受けしてしまった。。

2006年 レッドソックス スタメン予想

1 中 デーモン
    残留。ダンキンドーナツと切れない仲なので。
2 二 ベルホーン(ヤンキース)
    出戻り。
3 右 イチロー(マリナーズ)
    資金難のマリナーズが若返りを言い訳に放出。
4 一 シェフィールド(ヤンキース)
    マニーに出られるのはつらいのですが
    彼の身代わり。ウェイクフィールドもこれで安心。
5 指 オルティーズ
6 捕 ヴァリテック
7 左 ニクソン
    イチローが入ったので右からコンバート
8 三 ミュラー
    残留。2年前に首位打者も取ったし、WCに
    もなったしここで骨を埋める気じゃないですかね。
9 遊 レンテリア

 ラミレス→ヤンキース待望
 ミラー→マーリンズ返却
 オルルード→マリナーズ復帰
 グラファニーノ→読売ジャイアンツ


果てさて、実際は、どうなることやら?このように彼是と予想しあうのも、また楽しいものである。誰が出ても、入っても、レッドソックス独特のチームカラーは、必ずや受け継がれて行くであろうから。。。

クリックすると元のサイズで表示します CMでのデーモン。髭の無い顔を忘れていた?くらいだ。
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2005/10/29

パイプオルガン初演奏(ちょうちんブルマのその後)  学生時代の思い出とちょうちんブルマ

私の高校時代は、暗い過去?を暴露され?波乱に飛んだ幕開けとなった。1年の時は、必須科目のスペイン語で、巻き舌ができず苦労したり、音楽でマンドリンを習い、学校から貸し出されて持ち帰れば「琵琶」と言われてしまったり、それはそれは、様々な事があったが、ちょうちんブルマからは、脱皮し、少しは都会的女子高生に近づきつつあった(気がした)。しかしである、2年になってから、例の入学式に遅刻してきた子(ゆうちゃん)と、同じクラスになってしまい、その同調性によって、私の私たる威力は、更に発揮されて行った。時を同じくして、某高校男子部から、T神父様が赴任して来た。体育と倫理の先生だった。神学校=>男子校という男性ばかり世界から、女子高へ配属になったT神父様は、最初、私達に、どう接して良いか、迷っていたようだった。どうやら、可憐でか弱い女子高生達と、イメージしていたらしい。他の学年はともかくとして、私達の27期性は、明らかに違っていた。賢いT先生、教室へ入って即その雰囲気を感じ取ったようで、すぐに緊張は取れていった。
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T神父様の所属する教会は、ステンドグラスが綺麗な、東海地区では1番大きな大きな教会だった。何故か私とゆうちゃんは、教会のボランティア活動へと、T先生に頼まれて借り出され、以降毎週、通うようになったのだが、初めて行った時は、1年の担任のEシスターに連れて行って貰った。そのEシスターはスペイン人で、当時日本に来て15年以上経っていたが、何故か日本語が上手でなかった。音楽の先生の割りに?発音も悪く、て、に、を、は、が、目茶目茶だった。私達は、慣れていたのだが。その日、私達は、名古屋駅からは、市バスに乗った。Eシスターは「私、慣れてますから、私を?ついて来なさい」と言った。ゆうちゃんと私は、何処のバス停で降りるかも知らず、一緒に座っていた。そして、バスが停まった。すると突然Eシスター、「運転手さん、私をころして、ここで、ころして下さい」と席を立ち、前に向かって走り出した。車内は騒然となった。私は焦って後を追いかけた。「降ろして下さい」と言い換えた。ゆうちゃんは、私と制服が一緒なのだから、無駄な抵抗だったが、間を置いて、他人のふりをして降りてきた。
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Eシスターは、教会に着いて開口一番、「優しい運転手さんでした、私を殺しませんでした」得意げに宜った。「いきなり『殺して』と頼まれても困るよなぁ…」と、私とゆうちゃんは思ったが、T神父様は「それは、良かったですねー」と普通に答えていた。何だか、常識が違うような気がした。でも、教会という所は、そこに居るだけで心が落ち着くものだった。私の育った家は禅宗であったが、何度か通ううち、ミサで、神父様達のお話を聴くのも、勉強になって楽しかった。そんなある日、T神父様が、パイプオルガンの部屋へ案内してくれた。ゆうちゃんは、グリークラブだったし、勿論、ピアノも弾けたので、T神父様は気遣ってくれたのだろう。私も学校で毎週末に歌う聖歌だけは、覚えていた。パイプオルガンは、2階に置いてあり、その部屋からは、教会内が一望出来た。ゆうちゃんは、オルガンのパイプに興味を持ち眺めていた。私は、知っている聖歌がないかな?と、パイプオルガンの譜面を捲っていた。するとT神父様は、私達2人に「一曲ずつ、好きな曲を弾いていいよ」と言ってくれた。そして階下に下りていった。
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私は、おもむろに、パイプオルガンの椅子に座り、演奏し始めた。「バァバァ、バッバァッーバー」流石、低音も響きがいい。もう一段階キーを上げて演奏を再開しようとしたその時、T神父様が、顔色を変えて階段を駆け上がって来た。「ほ、他の曲は、演奏できないのか?」そう叫んだT神父様に、私は答えた。「あっ、子猫踏んじゃったも、弾けますけど…」T神父様は、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。そう、私は、「猫踏んじゃった」を演奏したのであった。T神父様は、私が聖歌集を見ていた為、聖歌集の中から、選ぶと思い込んだらしかった。更にミッションスクールの女子高生たるもの、ピアノくらい習っていて当り前と、思っていたのである。初めて私達に会った時、即違うと悟ったはずだったのが「甘かった」とT神父様は嘆いていた。T神父様の上司にあたる司教様もやって来た。そして「もう駄目だ」と演奏中止命令になってしまった。ゆうちゃんは、「えーっ。私が先に弾けば良かった。北酒場」と言った。そういえば、ゆうちゃんのお母さんが好きで、彼女はエレクトーンで演奏してくれた事があった。私はその時「また聴きたい」と言ったらしかった。結局、2人とも、聖歌を弾くつもりなど、毛頭なかったのだ。以来パイプオルガンの部屋には「関係者以外、立ち入り禁止」の札が立てられた。
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因みに私は、ピアノは習った事がないが、小学校の音楽の授業でオルガンを習い、ハモニカやリコーダーを弾くのも下手でなかった。更に「猫踏んじゃった」は、オルガンの早弾き競争をして、負けたことの無い程の腕前だった。後にゆうちゃんの家で、エレクトーンのパイプオルガンモードで、弾き比べてみたが、やはり、本物のパイプオルガンの音には適わないなと実感した。……そんな女子高時代、ゆうちゃんとの迷コンビの逸話は、まだまだ、続くのであるが、その話はまた、別の日記で…。
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2005/10/28

馬の走る姿は、美しい。  乗馬と馬について

野球シーズンは、あっけなく終わってしまったが、ここ毎週、競馬会では、秋の重賞レースが、開催されている。私は馬券(正しくは勝ち馬投票券)は、買わないが、乗馬をするようになってから、競馬をTVで観るのも好きになった。昔は2度の骨折を乗り越えて93年の有馬記念で復活をした、トウカイテイオーのファンだった。92年のジャパンカップは岡部騎手との絶妙のコンビで、鞭を一度も打つ事無く、優勝している。その後、再び骨折し、復活して、引退試合とも言われた有馬記念は、岡部騎手がその前の他のレースで、進路妨害をしたとして、出場停止になっていた為、田原旗手が乗る事になった。田原騎手は当時、京都へ修行に行っていた友人の板前さんの店へ、お客様として来ていて「トウカイテイオーは、無理だ。走れない」と言ったらしいが、「そんな事は、ないっ」と言い切り、私は炬燵の板を叩いて応援した。そして勝ってくれたのだ。鹿毛の馬で顔の流星(白い部分)が綺麗だった。
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先の日曜日に、開催された菊花賞を制した、ディープインパクトは、そのトウカイテイオーの父、シンボリルドルフが達成して以来、3歳馬での「無敗の3冠馬」(皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞)となった。騎乗した武豊は「走るというより飛ぶ感じだ」と言っていたそうだ。菊花賞は、3000メートル。ディープインパクトにとって2000メートルから先のレースは経験がなく、未知の距離だった。案の定、行きたがるディープインパクトに武豊は「まだ1周あるよ」と話しかけ宥めたそうだ。人馬一体、にして3冠が達成し、単勝100円の圧倒的人気に答えた。競馬を愛した詩人「寺山修司」の本の中に、「競馬ファンは、馬券を買っているのではない、財布の底をはたいて『自分』を買っているのである」という言葉があった。駆け抜ける馬に、自分の夢を馳せているのだろう。負けても負けても、懸命に走って負ける馬にも、気持ちは動くが、圧倒的な王者の出現は、ファンの心を虜にする。ディープインパクトが、「全てのレース、無敗の8冠達成」を目指す、次のレースは、ジャパンカップ(11月27日)なのか?有馬記念(12月25日)なのか?楽しみである。鹿毛の馬、ディープインパクトは、疲れも見せず、菊花賞レース後も、飼葉をぺロリと平らげ、すぐにでも走りたがっていたという。
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もう、5年以上前になるが、友人達に誘われて、直接競馬場へ、馬を観に行った事があった。私が行けたのは平日だったので、レースが開催されているのは、地方の無名な競馬場だ。だから、けっして有名なレースに出るような優秀な馬はいない。パドックに行くと、汗を掻いていたり、落ち着きがなかったり、「こりゃ、走らないな」という馬だけは、判る気がした。どうせなら、と薦められて初めて100円ずつ買う事にした。走らなさそうな馬を避け、後は「かずのたんぽぽ」とか、可愛い?名前だけで選んで買っていた。ところが、ビギナーズラックと、駄目な馬を外した事で、13レース、1300円を使っただけで5万円以上勝ってしまった。友人と友人の会社の後輩達は、競馬新聞を買い、赤鉛筆を耳に挟んで、必死の予想をしていたのだが、負けに負けて気の毒だった。そこで私は「よしっ。泡銭は身につかない」とばかりに、全員でしゃぶしゃぶ屋さんに繰り出した。皆、奢りと分かると遠慮せず食べたものだ。帰りになって気がつくと、勝ったはずの私の財布は、出かける前より、減っていたのである。やはり、馬には乗っても、お金を賭けるものではないと、自分に言い聞かせた、苦い?経験であった。
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大抵の乗馬クラブは、種付け権が日本に無い、大人しいクォーターフォースになど、高くて手が出ない為、殆どが競馬上がりの馬を安く買って調教する。今まで「走れー」とばかりに鞭打たれていたのに対し、突然、走らないように訓練するのである。いくら競争馬としては、遅いと言っても、植えつけられた習性から、走らないように調教するのは、並大抵ではない。乗馬クラブの調教師の人は苦労していた。ある日の事、「桜花」という新しい馬が、私が通う乗馬クラブにやって来た。「牝馬(女の子)で、大人しいから、ほたるちゃん乗ってみる?」と言われて、いつも乗っているベンツ君(プロフィール写真に登場しています)に乗るつもりで跨った。するとその瞬間、桜花は全力で走り出してしまった。私が鞭を持っていた為「走らねば」と思ったらしい。跨り損なった私は、桜花の首にぶら下がるような格好になったままだった。
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乗馬クラブのインストラクターの人達は、大事故になると、今にも救急車を呼ぼうとしていたらしい。しかし、埒という柵の前で桜花は止まった。(やはり、憎まれっ子か、ここでも、大惨事にならずに済んでいる)桜花が障害馬でなくて、柵の前で止まってくれて良かった…と胸を撫で下ろしたものだった。ところが、我に返ると、首にぶら下がり続けた私の手の中には、むしり取ってしまった桜花のたてがみが、びっしりだった。痛かっただろうに。。その後、最初に可哀想な事をした、とその分、可愛がった。すると、ベンツ君のヤキモチが始まった。馬は、人間の4〜5才児の知能を持っているから、嫉妬もするのである。その話や、天にも地にも一度きりのスタントをした話は、また、別の日記で……
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閑話休題    競走馬の名前
全文字で、一応、9字以内とされているそうだ。確かに落語に登場する「じゅげむ、じゅげむ…君」のように長すぎると、実況の人が名前を言っている内に、レースが終わってしまい?、困ってしまう。。聞いた時、妙に納得したものだった。

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2005/10/28

ロベルト・クレメンテ  Boston Red Sox・MLB

昨日、ワールドシリーズ第4戦、開始前のセレモニーで、発表された、南米出身、ベストナイン(昨日のブログ参照)「ロベルト・クレメンテ」と、名前がコールされ、2人のご子息が登場した。その父、ロベルト・クレメンテは、ピッツバーグ・パイレーツで、3000本安打を記録した名外野手であった。プエルトリコで育ち、メジャーデビューして、カリブ海のヒーローとなった。毎年のように、貧困救済のボランティア活動をしていた、ロベルト・クレメンテは、1972年12月、カリブ海の小さな国「ニカラグア」を襲った大地震の時、率先して救援を呼びかけた。

そして、ロベルト・クレメンテは、自ら、現地に食糧と医療器具を届けようと、飛行機に乗りこむ。しかし、その積みこんだ物資が重過ぎ(一説によると、梱包の仕方が悪く、バランスを崩したらしいとも?)飛行機は墜落。ロベルト・クレメンテは、帰らぬ人となってしまった。享年38才。その後、ロベルト・クレメンテが、つけていた背番号21はパイレーツの永久欠番に指定されている。父の事故当時、幼かったご子息も、30代半ばを過ぎ、名誉ある父親を誇りに思っての登場だった。

1971年創設のコミッショナー賞だった「年間を通して活躍し、社会貢献をした選手に贈られる賞」を、1973年、ロベルト・クレメンテの死に伴い、ロベルト・クレメンテ賞と、改名した。今シーズン、2005年の受賞者は、基金を設立し、地域社会に貢献したアトランタ・ブレーブスのスモルツ投手に決定した。スモルツ本人は「サイ・ヤング賞より価値が有る、最高の賞を頂けて光栄だ。今後も慈善活動を精力的に行い、社会に貢献したい」とコメントした。平和で豊かであるからこそもスポーツを楽しめる。そんな当り前の事に、選手、関係者及び、私達ファンも、改めて感謝するべきと、痛感した。

◎参考 「ベースボールと日本野球」 佐山 和夫著

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2005/10/27

オルティース、ハンク・アーロン賞、受賞  Boston Red Sox・MLB

2005年のハンクアーロン賞の発表があり、アリーグからは、昨年のマニー・ラミレスに続き、レッドソックスから選出された。我らが、ビックパピーこと、デビッド・オルティースである。オルティースは、今期、ホームラン王こそ、逃したものの、打点王に輝いている。ナリーグは、アトランタ・ブレーブスのアンドルー・ジョーンズであった。ハンクアーロン賞は、その年の最優秀打者に与えられる。放送関係者投票や、インターネット投票等により選出される。この賞は、ハンク・アーロンが、ベーブ・ルース本塁打記録を塗り替えてから25周年を記念して1999年に創設した。今年はインターネットの投票で決められたそうだが、オルティースは、最終選考に残った6名中、42%からの圧倒的支持を得ての受賞だった。しかも、オルティースは、ポストシーズンに入り、球団側から、レッドソックスの歴史的「The greatest clutch hitter」の称号の盾も、授与されていた。
     「Mr. Clutch オルティース」 ハンク・アーロン賞、受賞、おめでとう! !

ハンク・アーロン賞といえば、本日、ハンク・アーロン本人が、ミニッツメイド・パークの観客席に姿を見せていた。ハンク・アーロンも見守る中、今日は、ラテンアメリカデイだったらしく、ワールドシリーズ、第4戦の試合開始前のセレモニーとして、「ラテン・レジェンドチーム」と称し、メジャーリーグの球史に残るラテンアメリカ出身プレーヤー・ベスト9の、発表もあった。こういうイベントは観ていていて、とても楽しいものであった。参加者は、エドガー・マルチネス。パレン・ズエラ。ロッド・クリュー。ルイスロベルト・クレメンテ(子息が登場)。イワン・ロドリゲス。アレックス・ロドリゲス等の錚々たるメンバーが、コールされた。そして、ピッチャーの部門では、ペドロ・マルチネスが、選ばれていた。昨年までのレッドソックスでの活躍ぶりが目に浮かび、そして、同じドミニカ共和国出身の、ラミレス、オルティースらとの、パフォーマンス姿も懐かく思い出した。しかし、選出された皆様が、礼装のダークスーツに身を包む中、ぺドロは、只一人、ゴールドイエローとでも言うべきか、派手なスーツで現れた。正に「成金兄ちゃん姿」に見えた。更に歩く姿は、下町の玉三郎、梅沢富美男の「歌謡ショー姿」にも、見えてしまったのは、私だけだったろうか?!マイクを片手に1曲、歌ってくれるのかと、思ったりした。
               とにかく、ぺドロも、おめでとう!

◎補足 ラテンアメリカ・ベスト9
外野手の部門で、レッドソックスマニー・ラミレスも、選ばれていました。今日、会場には、姿を見せなかったラミレス。やはり、マスコミは好きじゃないのかな?だけど、スーツ姿を見せて欲しかったです。
         ラミちゃん、それでも、やっぱり、おめでとう!!
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2005/10/27

敗者の雄  Boston Red Sox・MLB

ホワイトソックスが、ワールドシリーズを制覇した。終わってみれば1対0の完封勝ち。ホワイトソックスが強さを見せつけた試合内容だった。しかし、私はあえて負けたアストロズの、先発投手、ブライトン・バッキーにスポットを当てたいと思う。ワールドシリーズ第4戦。後の無いアストロズのマウンドを託されたバッキーには、気迫が漲っていた。それは2回、何かを起こす?ピアジンスキーのピッチャー強襲の当たりを、右肩に受けた。しかし、痛い顔1つ見せず、走り寄ろうとするトレーナーにも、大丈夫とノーサインを送っていた。そしてこの回、ホワイトソックス打線を9球で3者凡退に抑えた。4回のホワイトソックス、ダイのヒット以来、11人に塁を踏ませなかったものの、味方の援護がないまま、7回を迎えた。そして、ロワード、クリーディと連打を浴びた。走者2、3塁に置いて、ホワイトソックス、ウリーベに対しバッキーが投げた渾身の100球目、ウリーベのバットは空を切った。三振だった。飛び上がってガッツポーズをするバッキー。しかし、これがバッキーの今シーズン最後の勇姿となる。8回表に、打順が周って来た為、代打バグエルを送られ、後のマウンドをリッジに託す事になったのであった。リッジも好投したが、1点を取られ、これが、決勝点となってしまった。

バッキーは、もっと投げたかったに違いない。降板後、ベンチから見守る姿からも、そう感じられた。今期、レギュラーシーズンでは、10勝8敗と、数字で秀でてはいないが、先発としてワールドシリーズ出場に貢献している。昨シーズン終了後は、ソリアーノとの、トレードの話も浮上したという。しかし、昨年シーズン最終戦、ポストシーズン進出のかかった大事な1戦では、腹痛で登板を回避せざるを得なかった、大投手、クレメンスに代わり、先発した。レギュラーシーズンは、5勝しかしていなかったのだから、相手チーム、ロッキーズの意表をついた指名であった。そして、バッキーは、急遽先発を言い渡されたものの、その大役を果たし、チームをプレイオフに導いている。恐らく、このような度胸と勝負強さを買われての、今日の登板だったのだろう。私には、ホワイトソックス優勝の瞬間より、彼の気迫溢れるマウンドの勇姿が目に焼きついている。ブライトン・バッキー、4年目の27才。アストロズの地元テキサス州出身。来シーズンの活躍に注目したい投手の1人である。

クリックすると元のサイズで表示します 渾身の100球を投げた、バッキー

閑話休題
ホワイトソックス、優勝の瞬間、抱き合う選手達の中に、「胴上げ投手?」ジェンクス井口の姿があった。井口は、176cm 84キロと、田口や、松井稼に比べても、日本人としては、けっして体格が悪い方ではないはずだが、ジェンクスと抱き合う姿は、まるで、「くじらいるか」…だった。ジェンクスを指名する、ギーエン監督のジェスチャー「大きくて、横にも、でかい奴」を、思い出してしまった。

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2005/10/27

ワールドシリーズ3戦から、エピソード  Boston Red Sox・MLB

1、数々の長く、多い記録を更新した、ワールドシリーズ、第3戦。その記録を事実上、締めくくったのは、ホワイトソックス、井口に代わって登場し、殊勲打を放ったジェフ・ブラムであった。彼は、7月31日、トレード期限ぎりぎりに、パドレスから、移籍して来た。それはメジャー7年目で、5球団目の移籍であった。しかし、ホワイトソックスでは、31試合しか出場できず、ベンチを暖め続けて来た。勿論、この日、ワールドシリーズ、初打席。この一発の為に移籍してきたような?ミラクル選手であった。更に、このブラムは、何と今年5月に三つ子が生まれて居り、ミラクルづいているらしい。ホワイトソックスのロッカールームでは、「ブラボー」と「ブラム」を掛け合わせた新語「ブラーム」が、選手達の間で、響いていたそうだ。
クリックすると元のサイズで表示します  殊勲打を放ちガッツポーズのブラム

2、アストロズ、ホームのミニッツメイド・パークの球場。屋根の開閉が論議を呼んだ事は、先のブログにも書いたが、アストロズ側の「屋根を閉じる」申し出には、観客の声援が反響し、有利というだけでなく、閉める気温の基準が27℃に設けられていた事も発表された。この日、試合開始当時の気温は16℃だった。しかし、大リーグ機構は、「球場の空撮を希望した、FOXの意向」を、重視したようだ。アストロズの選手達は、屋根を閉めて戦ってきた為、「ロードのようだ」とホームアドバンテージを取上げられた、コミッショナーへの不満は収まらなかった。アストロズは1965年、世界で初めてドーム球場を造った(アストロドーム)。そして2000年、開閉式屋根ボールパーク型球場として、新球場を建設オープンさせた。せっかくの最新型球場の設備も、形無しであった。それにしても、FOXも放映権を取っているなら、1試合でも多い方が良いのに?と、疑問符を持つのは、素人だからか。それとも、何試合だろうと、同価格で変らないのだろうか?悩ましい話である。

◎データ参考 中日スポーツ 10/27紙面より、
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2005/10/26

WS 最長試合時間  Boston Red Sox・MLB

とても長い試合だった。5時間40分。気持ち的には、アストロズの応援をしていた。
両チームブルペン陣の踏ん張りで、5対5から、得点が動かぬまま、延長14回を迎えていた。均衡を破ったのは、ギーエン監督が、井口に変えて投入したブラム。そのブラムがホームランを打ったのだ。ギーエン監督の采配が吉と出た。ナリーグのルールにのっとり、投手にも打順が周る事から、代打も多く、両チームピッチャーも野手も殆どが加わった全員野球になっただろう。そしてホワイトソックスには、ラッキーなヒットも生まれ、その後、4球で満塁。ルーキーピッチャーのアスタシオは更に4球を与え、押し出しで追加点を与えてしまった。深夜の1時を周り、観客も帰り始めた。そして、アストロズは14回裏、最後の最後まで、ランナーを塁に置いたまま、2点を返す事が出来なかった。
クリックすると元のサイズで表示します史上最長の熱戦を締めくくったのは、先発投手バーリーだった。彼を使ってまで勝ちたかったギーエン監督、バーリーを抱きしめ喜んでいる。

ハイライトは、3回裏から、アストロズのオズオルドが進塁しようとして戻る時、2塁手が投げたボールが、飛び出したオズワルドに当たった。痛かったろうが、そのお陰でアウトにならずに済んだ。そして、送りバントの後、進塁し、2塁手と笑いながら会話していた。こういうシーンはいいなぁと、思った。その後、ビジオのタイムリーヒット。その後バークマンにタイムリーが出て、追加点、3対0になった。今日も序盤はアストロズのペースだ。一昨日は競り負けたアストロズ、今日こそはという意気込みを感じていた。

ホワイトソックスのビッグイニングは、5回だった。クリーディのHRは嬉しかった。にわかではあるが、第1戦のあの守備を見てから個人的なファンになった。そして、井口ヒットの初打点で2点目追加。ダイも粘った後、タイムリーヒットでポドセドニック生還。4番コネリコは、打ち取られたが、ピアジンスキーの当たりは、長打になりホワイトソックスは逆転した。更にロワード4球で、再び、クリーディ。打者一巡の猛攻であった。その時、クリーディは、デッドボール。これは、わざと、としか思えない当て方に思えた。

更に8回裏、アストロズの攻撃。ホワイトソックスは、打者毎の、投手交代。継投作戦だった。ギーエン監督のピッチャー交代のジェスチャーは看板になっている程だが、巾が細く高いというジャスチャーだったので、ジェンクスではなくハーマンソンと私にも解った。ハーマーソンは、9月30日ぶりの登板だった。気負いがないかと懸念した所、案の定、ヒットを打たれ同点になった。

9回の表、アストロズはピンチになったが、第2戦でさよならHRを打たれたクローザー、リッジは、今回は3振で抑えた。9回裏、1打さよならの場面、ホワイトソックスのギーエン監督は、経験が豊富のヘルナンデスに託す。そして2アウト満塁の所で、4番打者エンズバーグを3振に打ち取った。このヘルナンデスのピッチングぶりは、見事だった。ホワイトソックスのブルペン陣は防御率2点台以内が5人もいて、充実している。今更ながらだが高津の居場所がないはずだと感じた。そして、今日の得失点は、そのブルペンピッチャーの経験の度数が、得失点の鍵を握っていた気がする。

今日は、球場が変って、両者、入れ替わったユニホームがよく似ており、試合開始当初、父は勿論、私も間違えてしまった。更に父は、延長の緊迫した場面で、尚、「ヤンキースとヤンキースが試合しているみたいだな」と、この後に及んで言っていた。確かにアウェイとホームのユニフォームに似ている。能天気に、野球を楽しめていいな、と思いつつ、私は、「レッドソックスとホワイトソックスは、ボストンの紅白チームじゃないよ」と、説明した。が、しかし、「そんなもん、どっちにしろ、アメリカの赤組と白組じゃないか」と答えられてしまった。ごもっともである。此方の勝負?は、今日もまた父の勝ちとなった。
   選手の皆さん、ファン、関係者の方々、長時間、お疲れ様でした。
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2005/10/26

アストロズ、巻き返しへの道  Boston Red Sox・MLB

ワールドシリーズは、試合をアストロズの本拠地、ヒューストンへと移した。巻き返しの切り札として、アストロズのミニッツ・メイドパークの屋根の開閉が論議を呼んだ。というのも、アストロズは、レギュラーシーズン途中、屋根の途中開閉の2試合を除くと、閉めた試合が36勝17敗で6割7分9厘だった。しかし開けた試合では5割7部7厘と下回っている。些細な事であるが屋根が閉まった状態では、相手チームが慣れていなくて試合がし難いに違いない。レギュラーシーズンでは、主催球団のアストロズが決定権を持っていたが、ポストシーズンでは、主催者のコミッショナーが決める事になっているらしく、天候に問題がなければ開けて決行という方針だったようで、結局開けたまま、開始された。

また、今日の試合に対して、ヒューストン市民には「No Sox 令」たるものが出ていて、靴下を履いていないファンの人達が居ると言う。いくらヒューストンがシカゴより暖かいといっても試合開始時の温度は、14℃。素足では辛いだろう。そして、帽子を逆に被り逆転を願う。何にでも縋りたいというアストロズのファンの気持ちが痛いほど伝わって来た。試合は、現地時間の深夜12時40分現在、延長14回、5対5のまま、ワールドシリーズ最長試合時間の記録を更新しつつある。

閑話休題
いつも、思うことだが、選手が取れそうなファールボールを観客が取ろうとして、邪魔してしまう光景をよく見る。一昨年のカブスは、その行為を機に流れが大きく変わり勝利を逃してしまった。球場にクラブ持ち込み禁止にする事は、無理かなぁ?最低、子供だけにするとか。。。



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