2005/10/11

臀部打撲全治一週間  日記(今日思うこと)

それは、10日体育の日の夜、起きた。10時30分頃、出張先からの帰り道レンタルビデオ
店に立ち寄ろうとした。三連休で借りられていたソフトが帰って来ている頃だろうと
思ったからである。案の定店に面した駐車場は満車だった。私は道を隔てた駐車場に
車を停めた。信号の無い横断歩道を渡りかけたその時、国道に対して鈍角に入り込んで
いる路地からワゴン車が左折して来た。と同時に私の背後から5才位の男の子が飛び出
した。「危ない」瞬間に私はその子のわき腹を掴んで引き寄せた。肩と腰にドーンと
衝撃が来た。宙に浮いた気がしたその後、男の子を抱き抱えた形のまま、お尻から道路
に落ちていた。きっと一瞬の事だっただろうが、私には随分長い時間に思えた。正に
スローモーションのように時間が流れ、自分がどうしたかもはっきりと覚えていたのだ。
例えば当たった瞬間「左手を着いてはいけない」と思ったり、「頭を打たないよう
に」と体を丸めたり、落ちた後も「動いてはいけない」と立ち上がらなかったり、妙に
冷静だった。男の子は大声で泣き出し、ワゴン車を運転していた男性は顔面蒼白で震え
ていた。私は腕にかけていたバックから携帯を出し119をプッシュした。「火事ですか?
事故ですか?」最初に聞かれた。いつの間にか人だかりになっていた。救急車が来て、
すぐにパトカーも来た。肩はバックミラーに当たり右腰はワゴン車のボディに当たった。
そして、私の体重と、男の子の体重が一気に臀部にかかったはず。なのに、全く痛みを
感じなかった。肩は痺れた感じで、お尻は何となく鈍くて重い感じだった。

救急車に乗せられた時、初めて痛みを感じた。だけど鈍痛だった。どくどくした波打つ
ような痛みではないから、骨は大丈夫かな?と自分で思った。実は子供の頃と、20代前
半に骨折をした経験があった。どの位痛かったかは忘れたが、確か波打つような痛み
だった記憶があった。救急車に乗りながら、これは乗馬を習った時の落ち方をしたのだ
と考えた。私は10年程前に、乗馬のブリティッシュスタイルに憧れて始めたのだが、
実の所は、馬の世話から始まって、まるで農場のお手伝いさん状態だった。何か違うぞ?
と思いながらも、だんだん懐いて来る馬の可愛さに(名前は「ベンツ」一馬力だった)
休みの度に、乗馬クラブに足を運んだ。そして並足、軽早足、駆け足と、ベンツ君との
呼吸も合い、割と早く上達したと思う。そして障害も越えられるように(まあ、馬が越
えるのだが)なった。某TV時代劇のスタントまでした経験がある(矢で射られた少年
兵の役)当時、徹底して叩き込まれたれた事は、落ち方であった。落ちる時は、たずな
を最後まで離さない事。そうすればお尻から落ち、手を骨折しないで済むからである。
最近は、諸事情の為暫く乗っていないのだが、落馬経験が役に立ったと、落馬して
お尻が泥だらけになった事を思い出していた。

病院に着いたら、肩、腰のレントゲン、頭部のCTと検査漬けになった。診断は右肩、
右腰、臀部の打撲、全治一週間。だった。そして男の子は、驚いて泣いていただけで、
無傷だった(靴が脱げて無くなっていたが)一番、重症に見えたのは、運転していた人
だった。ずっと震えが止まらず、辛そうだった。幸いその人の友人に消防署勤務の人
がいて、駆けつけて来て保険会社に電話したりとか、対応してくれていた。私の父は、
能天気に軽トラックで迎に来た。私が電話したから、安心していたのだろう。しかし、
軽トラックの直角シートは、私の臀部には過酷な環境だった。すると父は「布団も積んで
来たから荷台に乗れ」と言った。「何?」と、私が怪我人面をする前に、警官の一人が
「それは一寸違反になりまして」と止めてくれた。お陰で運転していた人の友人に
送って貰う事が出来、荷台に乗せられないで済んだのである。

今日、改めて整形外科に受診した。お医者様もカルテを見ながら「柔道でも習っていたの?」
と真面目顔で聞いてきた。それは失礼だろう。でも、最近太った私はそう見えても致し方ない。
MRIも撮り今の所、打撲以外の異常は見られない。ただやたらとお尻が痛く、今も座っている
事が辛い。私の仕事がOLでなくて良かったと思う。それにしても、お尻は痛いだけでなく、
大きな蒙古班は出来ているし、情けない。だけど、警官も「よくこんなんで済んだなぁ」と
言っていたが、事故現場のブレーキ痕や倒れた傍のブロックやガードレールを見ると、
つくづく「世に憚る憎まれっ子」で良かったと、不幸中の幸いに感謝した。
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2005/10/11

応援のその後  Boston Red Sox・MLB

レッドソックスの最後の試合が終わってから、2日が経った。何処か
のサイトで見つけた、試合後のロッカールームでのティムリンの姿。
(お借りしてしまいました。貧しいブログ初心者です、お許しを…)
傍には、負けたので泣いているらしい?少年がいた。恐らくティム
リン
の息子さんだと思う(お姉ちゃんもいるらしい)マイク・ティムリンは、
1966年3月10日、テキサス州にて、姉2人の末子として生まれたが、
物心ついた時から父親が居らず、母子家庭で育ったそうだ。幼い
頃から優しくて、ガソリンスタンドで働く母親を思いやる子供だった
という。マウンドを降りた彼の優しい目は、その時代からのものだろう。
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しかし、このティムリンも今期限りで、FAになっている。他にもデーモン
ビル・ミューラー、オルルード、ケビン・ミラー、グラファニーノ、マイヤーズ、
が契約が切れる。そして、夏から噂されていたラミレスの去就問題。また
ウェルズ投手は引退を希望していると言う。ストーブリーグは一体どんな
トレードがあるのか?と主力選手がいなくなってしまったら?と、懸念して
いるが、もしかしたら、リーグ優勝決定戦シリーズに進めなかった、ヤンキ
ースから、本日5打席凡退でチャンスに打てなかった、松井秀喜が、レッド
ソックス
の外野手になるかもしれない?と想像してしまった。それと共に、
松井が住んでいるあの豪華なトランプタワーのマンションは、どうするのだろ
うか?と、一瞬下世話な心配をしてしまった。反対に松井ボストン
住んだとしたら、美味しい御寿司屋さんも出来るかもしれないと、食い意
地の張った私は喜んだりした。何より食欲の秋である。

ところで、私はボストンに行っていて、大変驚いた事がある。ボストン市内の
公立の小学校では「レッドソックスディ」という日があって、好きな選手の
ユニホームを着て登校する日があるそうなのだ。もしも、日本で東京都の
公立小学校側が「巨人のユニホームを着て登校しなさい」等と、そんな日
を設けたら大問題になり到底考えられない話である。アメリカでは「ボストン・
レッドソックス
」が地域に密着し、ボストン市民ぐるみで応援し、そして地域の
人々は、野球チームを持っている都市という事に、誇りを持っているのである。
因みにボストン市内の小学校で一番人気のユニフォームは、ゼッケン18番、
ジョニー・デーモンであり、子供用は品切れ続出だそうだ。やはり松井
ボストンに来て、美味しい御寿司屋さんが出来るより子供達の夢を潰さない
事の方が大切なので、デーモンには残って貰わねばと思いつつ、自分の卑しい
食い意地を、少しばかり反省してしまった。
      クリックすると元のサイズで表示します←子供用にと野球カードも売られている。
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