2005/10/18

野球はツーアウトから  Boston Red Sox・MLB

野球は本当に、ドラマティックだ。今日も9回ツーアウトの崖っぷちから1つのドラマが生まれた。1勝3敗と後の無い、カーディナルス。バッターはプーホルズ。眠っていた大砲が火を吹いた。逆転のスリーランホームランを打ったのだ。カーディナルスは昨年、ワールドシリーズでレッドソックスと相対した事から、私も、ある程度の選手名は耳慣れていた。昨年のワールドシリーズ第4戦では、全く当たりの無かったローレンが、内野ゴロを打って、一塁まで、必死で走り、スライディングを見せた姿も記憶に新しい。(関係ないが、映画俳優のケビン・スペイシーに似ていると思った)
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そのローレンは怪我をして今期戦線を離脱していた。後は田口。国内ではイチローと共に脚光を浴びていながら、カーディナルスでは先発メンバーになれずとも、全く腐る事も無く、守備固めに、代打にと指名をうければ一生懸命プレイしている。その真摯な姿には共感が持てていた。また、対戦した時の観客も、ヤンキースのベーブルースの呪いと写真を掲げていたり、当時いたペドロ・マルチネスを「あなたのお父さんは誰?」とダースベーダー姿で皮肉ったりするような嫌味でなく、ラミレス、デーモン、マルチネスのロングヘアーの写真を掲げ「あなたの床屋は誰ですか?」と書かれていたのも、ジョークが効いて微笑ましく好感が持てた。
        クリックすると元のサイズで表示します似顔絵としては今一だが
今日の試合は生中継で放送されなかった為、私はネットで追いかけていたが、試合途中からボストンに電話して、実況を聞いた。「9回ツーアウト、もう終りだね。でも去年のレッドソックスは9回ツーアウトから大逆転したね。」とか話していた。すると隙の無かった守護神リッジから、エクスタインのヒットが生まれた。その後リッジは、あと1人でワールドシリーズという焦りか、それとも、内角を攻めすぎたのか、四球を出してしまった。お膳立てが揃って、プーホルズ。「オルティースだったらホームランだね」そう話した途端、「打ったぁーー」と電話の向こうから叫び声が聞こえた。昨年のワールドシリーズで、レッドソックスにスイープされ悔しい思いをしたカーディナルス、険しい道のりも、そう簡単には引き下がらない。

ところで、レッドソックストロット・ニクソン選手が、14日に痛めていた左膝を手術したそうだ。手術は成功し、これからリハビリなのだそうだが、レッドソックス生え抜きのニクソンには、是非完治して復活して欲しい。フェンウェイ球場のライト側で観戦した際には、彼の勇気ある衝突を恐れぬ守備に感動した事もしばしばで、彼の赤いソックス姿は、ひときわ、グリーンの芝に際立っていた。
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2005/10/18


確か、小学校に入学する頃位までだったが、私の育った家では2階の一室で蚕を飼っていた。既に家業としては閉業していたらしいのだが、何でも父の大学の後輩達の「家蚕に於ける、恒温明暗飼育」なんて小難しい研究の為に、そのまま一室を提供していたらしい。世話は家業から続けて祖母が担当していたようだ。そんな事は露知らず、私も桑の葉を畑から採ってきて与えたり、蚕を手に乗せてひっくり返しても、なかなか落ちないので、そのまま手を振ったりして遊んでいた。今振り返るとよくもまあ、あんな虫を素手で触っていたものである。慣れとは恐ろしいものだ。
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確か季節は夏だった。父と一緒に自分の家の山に登った事があった。父は山の下刈りをしていたのだが、私はそこら辺の葉っぱを採って飯事をしたりして遊んでいた。朴(ほう)の葉っぱは、大きいのでお皿代わりにするのに適していた。一生懸命探し朴の葉を手にした時、家で飼われている蚕とよく似た虫がいるのを見つけた。私は葉ごと採取して父に見せる為に走っていった。父は「それは天然の蚕さんだ」と言い、絶えてしまいつつあるので元に戻してくるように言った。私は「蚕と似ている」虫を発見し、認められたのが得意で、素直に元の朴の木へと返した。だけど天然の蚕は、家で飼われている蚕の白色と違い、緑色だった。その色が何故か目に付いて離れなかった。
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いつもの事ながら、父には「何々娘」ぶりを発揮して、何故緑なのか聞いたのだが、当時は「外に居るから日焼けした」と答えられ、それで納得していたと思われる。後になって思うのだが、天然の蚕は葉っぱを食べ太陽に当たっていたのだから、自分の体の中でも光合成をしていたに違いない。さて、そこで私の私たる威力?はここから発揮された。翌日、家で飼っていた蚕を10頭(蚕は虫でも○匹でなく○頭と数えていた)自分の家の桑畑に持ち出した。蚕の散歩のつもりだった。桑の葉を採って来て与えるより昨日見た蚕のように、蚕を外に連れ出して自由に桑の葉を食べさせれば良いと、思ったのである。
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予測通り蚕達は、食欲旺盛で桑の葉を食べ始めていた。いい感じ。きっと私はご満悦だったに違いない。私は調子に乗っていたのだ。1時間近く位経った時だったろうか、桑の木の戻ると、蚕が1頭もいなくなっていた。おかしい、飛べるはずがないのに何故?と思ったその瞬間、足元に落ちて、死んでしまっている蚕達を発見した。私は涙をこらえて、蚕の遺骸を集め、桑の葉っぱと一緒に箱に入れた。
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祖母に見せたら「何てことを!」と怒るというより嘆いていた。父が帰宅して私に言った「家の中の薄暗い電気の下ばかりにいる蚕さんが、いきなりお日様に当たったから、火傷してしまったんだ」と…。父は私を叱らなかった。反対に「蚕の為に良かれと思ってやったことだから」…と怒っている祖母を鎮めてくれた。天然の蚕と違い、もやしのような家の中の蚕達は、直射日光には耐えられかったのだろう。さぞかし熱かった事だろうと私は、泣きながら蚕達のお墓を作った。
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中学になった頃、山本茂美の「ああ野麦峠」を読んだ。読む前は何となく強制労働的に雇われたいた女工さん達の暗いイメージであったが、読んでみるといささか、印象が変った。当時、劣悪な労働環境の中で、夜も明けないうちから深夜まで、糸を繰る少女達。しかし、当時はそれでも、実家より食事も環境も良かったという社会背景があった。そして優秀な女工さんは、男性よりも多く稼ぎ、家を建てたり、田畑を買えたりしたというのだ。確かに飛騨の貧しい農村の少女達が、雪の野麦峠を命がけで越えて諏訪の製糸工場まで行く様は「哀史」として語り継がれているようだが、可哀想なイメージとは、違う面が描かれていた。その物語を読み進む内に、祖母が「お蚕様」と崇めていた理由も解って来た。上質な絹糸を作り出してくれる蚕は、生計の柱でも有り一家の経済を握る働き手であったのだ。
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話は戻って、あの時私が山で見つけた蚕は、天蚕(てんさん)と呼ばれその絹糸は「繊維のダイアモンド」と珍重されているそうだ。その糸は直射日光にも、風雨にも耐えたその姿の如く、強伸力に優れ、優美な光沢を持ち、皺になりにくいと言う。長野県安曇野にある天蚕センターを訪ねてみたいと思っている。養蚕が家業だった頃、家の蚕が造った糸で織り、紅葉模様に染め上げられ、仕立てられている祖母の形見の羽織を着て行こうと思っている。
因みに養蚕業は、シルクロードを通りヨーロッパでも産業として栄えて行った。しかし19世紀半ば蚕の伝染病(微粒子病)が流行り、養蚕業は壊滅状態。生糸が不足した為、開国したばかりの日本は世界最大の蚕糸国としての地位を築く事ができたのである。そしてその微粒子病を解明したのが、あのコッホと並んで『近代細菌学の開祖』と呼ばれた、フランスの科学者、パスツールであった。
○参考 「蚕のミステリー:パスツール物語」
パスツールを手伝った幼い娘の視点で、書かれた絵本。時代は日本開国前夜、フランスとイタリアの養蚕は病気(微粒子病)が蔓延し壊滅状態となる。パスツールは、病原体と病気感染した親蛾から生まれた卵が汚染されていることを解明、親蛾を顕微鏡で調べて、卵の汚染を特定する方法を確立した。その始終を児童向き絵本として描かれている。
クリックすると元のサイズで表示します天蚕は緑でも光合成はしないそうだ。Mustdy様、有難う御座いました。
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