2005/10/19

今日、思うこと  日記(今日思うこと)

一応?交通事故の被害者になってから一週間が過ぎた。昨日病院へ行ったら一応痣はまだ残っているが、このまま何も症状が出来なかったら「もう来なくても良い」と言われた。ご心配頂いた皆様、ありがとうございました。この場でもお礼を言いたい。今日職場でも、予後を聞かれたのでそのように話した。その方に聞いた所、交通事故の被害者で此方に比が認められない場合、自賠責保険から、医療費全額の他に、通院1日に対して、慰謝料として8000円支払われるそうだ。(接骨院・鍼灸院は、4000円)その上、自分がかけている障害保険からも1日辺り、定額が支払われると聞いた。痛みの値段と言うわけだ。…などと、悠長な事を言っていられるのも、今元気で仕事をして居られるからである。不幸中の幸いに感謝し、自分も運転する時は、しっかり気持ちを引き締めたい。

それから、昨日の『お蚕様』について、「何故、蚕は、日光に当たって死んだのだろろうか?」というご質問を、メールにて頂いた。科学的な答えを求めるべく、ネットで調べたが、直射日光の下で、天然の蚕が生きていられて、養蚕の蚕が生きていられない真相が、書かれているサイトは見つけられなかった。ただ言える事は蚕は変温動物で、飼育温度は22度〜28度であり、沢山生糸を生産させる為に、品種改良されたその課程において、体温の限界の温度が下がったと、思われる。夏の直射日光の下、気温の変化に耐えられなかったのが一因だと憶測されるのである。(ご質問をありがとうこざいました。勉強になりました。)
○参考 JA全農のHPより
http://www.zennoh.or.jp/bu/nousan/silk/05/05-0.htm

それから、2年2ヶ月ぶりの「火星大接近」の件について、補足がある。接近した火星の見える位置は、東方の空、おうし座の右上付近で、10月下旬には午後9時頃、11月下旬になると午後7時ごろに、見えるそうだ。また、この現象は、厳密に言うと、火星が近づくのではなく、地球が近づいているのである。本日の中日新聞にも掲載されていたが、この現象に合わせて、各地区、科学館・プラネタリウム等では、鑑賞会が催されるそうだ。外は雲ひとつ無い晴天の空だ。今宵、遥かなる星に思いを馳せてみたい。
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2005/10/19

焼き物(食器)その1  日記(今日思うこと)

愛知万博も無事に終り、2月の新空港開港と共に、賑やかであったこの地方も、平生さを取り戻した気がする。繁栄をもたらしたのは一部特定の企業だけであったような気もするが、愛知博開催の瀬戸市と、新空港の出来た常滑市とには、共通の焼き物という産物があり、少しは改めて見直されたようだ。今日は、この2種類の焼き物について書いてみる。常滑焼も、瀬戸焼も、信楽・備前・丹波・越前と並び、日本の六古窯と呼ばれている。時代は平安時代まで遡る、歴史のある陶土に恵まれた焼き物の産地なのだ。
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焼き物は、まず日常で使用されている種類として(土器は別に考える)大きく2つに、分類される。石物(磁器)と、土物(陶器)である。各家庭にも双方必ずや、あると思うが、白くて、表面がつるつるしており、固い感じがする焼き物が磁器。(洋食器は、殆どが磁器である)どっしりしていて、土っぽい素材に、絵が書いてあったりして、釉薬という上薬が、かかっている物が陶器である。磁器は石を砕いた粉から作られ1300〜1400度の温度で焼かれる。陶器は粘土から作られ1100〜1200度と、比較的低い温度で焼かれている。強度は勿論、磁器が陶器より強い。そして、常滑焼は、その製造過程等からその陶器と磁器の中間に位置する、せっ器(せつは、火に石と書く)と呼ばれる焼き物である。
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常滑焼は、器として急須が有名である。せっ器と聞くと土管のイメージがあるのだが、この焼き物は、上薬をかけておらず(無釉)焼き締めという製法で作られる。常滑焼の急須は、赤い粘土を使用しているから朱泥と呼ばれているが、他の土焼の急須と同じく、無釉なので、直にきめ細かい土がお茶に触れ、アクなど、不必要な物を吸着してくれる為、お茶本来の味、色、香りを充分に楽しませてくれる。緑茶にかぎらず紅茶、中国茶などの場合にも同様に美味しく頂けるのである。特にお茶でも、玉露に於いては、湯冷ましを使い、搾り出し急須で出して飲むと、最後の一搾りが、正に「露の如く」甘くて美味しい。但し、常滑焼の茶碗は朱色の為、お茶の色が分かり難いという欠点がある。ゆえに、私の手持ちの朱泥の茶碗には、中に白い万寿菊の花が書かれていて、その白い所で、お茶の色を楽しむように工夫がなされている。最近は、時間に追われてばかりの生活で、常滑焼の茶器でお茶を飲んでいないが、今夜辺り、朱泥の茶器セットを出して飲んでみたいと、思う。
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また、瀬戸焼は、焼き物の代名詞になる程有名だが、土の焼き物に、鉄の色素で絵を書いて、上薬をつけて焼いたのが、始まりと言われている。この瀬戸焼には、様々な上薬(釉薬)が開発され、安土桃山時代の茶の湯を華やかに彩った。その釉薬の種類、絵付けの方法による種類は、織部焼を始め、志野、黄瀬戸、瀬戸黒、などがあり、歴史上の舞台にも多々登場する。信長が美濃地方を平定すると同時に、瀬戸の陶工たちを、岐阜の多治見、土岐、瑞浪に移し、美濃でも盛んにした。(瀬戸山離散)ところが、江戸時代になると、有田で磁石鉱が、朝鮮陶工(李参平)によって発見され、硬くて丈夫な磁器が流行した為、一旦は、廃れてしまう。当時、藩を出るのは犯罪であったが、密かに、有田に渡った加藤民吉が、磁器の製法を学び、瀬戸に持ち帰ってからは、磁器も盛んに焼かれるようになった。そして、焼物のことを瀬戸物という程に焼き物の産地として有名なったのである。現在も、瀬戸、美濃では、土物・陶器のことを、「本業」と、石物・磁器のことを「新製焼」と呼び、盛んに、電気、ガスの窯で、焼かれている。
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私も、伯母の紹介で、瀬戸の作家さんの元で、陶芸をかじった事がある、どちらかと言うと、器を作る前の菊練という、土を混ぜて、粘土をこねる事が得意であった。周りの人に「うどん屋さんにいたのか?」と、言われた程だ(何故か、パスタを作っていたとは、誰も言わなかった)自分の手で、抹茶茶碗が出来ていく課程は、楽しみでもあった。まず素焼きにして、絵付けする。どういう訳か、上手に形が出来たと誉められた茶碗に限って、絵を描かないように言われ、全部に釉薬をかけられた。「椿」のつもりで描いた絵も、作家さんは「梅」だと仰った。誉めて下さったようだが、私は今でもその作家さんが、椿と梅の違いを解って居られなかったと、信じている。。
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このように、愛知県内には、全国、世界に誇れる焼き物がある。万博では、各パビリオンが、新しい技術、製品で凌ぎを削りあっていた。しかし、新しい物に目を向けるばかりでなく、この環境の良さに感謝して、古くから伝わる物の良さも、今一度、味わってみたいと思っている。
また、「焼き物その 2」とし、次は幼い頃に馴染みのある?磁器・有田焼きの一部について、触れる予定である。
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○参照 「陶器と磁器の違い」 
http://www.oodate.or.jp/user/kitchinhouse/mame/toki-jiki.html

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