2005/10/25

ちょうちんブルマのその後 part 1  学生時代の思い出とちょうちんブルマ

先日の中学校の思い出の中の、ちょうちんブルマの話に対し、コメントを頂いたり、メールを頂いたりしたので、リクエスト?にお答えし(僅かな人ではあるが、楽しんで頂けたようで)今日は、ワールドシリーズも無いことだし、ちょうちんブルマのその後を書く事にした。と言っても大した落ちはないのだが。。。
私は幼少時から、どうも大事な所でずっこける傾向にあったようだ。自分では、このボケは、養殖されたボケのつもりではあったが、どうやら天然のボケらしい。近頃、新年のモットーは「エレガント」だが、毎年、元旦早々崩れ去っている。何でも、友達の分析によると、他の人が冷静な時に慌て、慌てている時に冷静らしく、根っからの、天邪鬼なのかもしれない。

そんな感じで幼少時から何かに追いかけられながら、走るのが速くなり、陸上部に在籍していたのだが、2年になる時、陸上部を辞める事になってしまう。それは先輩女子部員が卒業し、もう1人の同級生の女子もソフトボール部に転部する事になった為、職員会議で女子陸上部は無くなる事に決ったのだ。行き場をなくした私は…と書くと悲哀に満ちた感じなのだが、ショックだったのはM先生だけで、私はトラックに青春をかけるなどという意気込みもなく、男子の中で搾られるのは堪らないと思っていたので、何の抵抗もなく他の部に移る事にした。その代わり、M先生は、陸上の大会には出場させるという条件をつけた、そんな条件を呑んだ上で呼んでくれたのが、バスケット部であった。チビではあったが、すばしっこかったし、シュートのコントロールも悪くなく、何より大勢で、パスの練習したりするのも楽しかった。そうして、バスケット部に属しながら、陸上の練習もする…なんていう、陸上部だけだった時より、むしろ、ハードになったのだが、何とか楽しくやっていた。

ところが、バスケットのパスの練習をしていた時、校内に入り込んで来た、暴走族のバイクに撥ねられるというアクシデントに遇う。脳震盪を起こし、ダイレクトにぶつかった左足の腱を痛め、暫く陸上の練習は出来なくなってしまったのだ。しかし、快復後は、駅伝に出たり、相変わらずのお転婆ぶり?だった。市民運動会では景品を取り捲った。鍋やハンガー、石鹸等、家庭用品を持ちきれくて、鍋を被って帰宅した事もあった。そのようにして、家計を助けていた?にも関らず、祖母からは「何とかならないか」と言われ続けていた。習字の先生や、茶華道の師匠から、匙を投げられたのもこの頃だったからだろう。何せ家庭科の時間だろうと、美術の時間だろうと、さっさと済ませて外に出て遊ぶ事ばかり考えていたし、女の子らしさからは程遠かった。祖母は、まったくをもって諦めが悪く、親族が集まると「女の子らしくする方法」を相談していたらしいのだ。

そこで出た結論が、スペイン系のミッションスクール(女子高)へ進学させる事だった。父は女の子らしく…という目的は果たせそうもないとは思ったらしいが、情操教育たるものには、興味があり、悪くない、と賛成した。当時、父は教頭になって居り、教頭会とやらの役員をしていて、「教員をしていると、子供の育て方を迷い、間違いがち」という話題になる度、「全くその通りだ、うちなんか、出来損なった典型だ」と大声で言い放っていたくらいだった。このように、祖母の大いなる期待と、父母のかすかな期待を背負い、その女子高を受験する事になった。今でも、地元では、出身高校を聞かれて答えると100%の確率で「え゛っー?。あそこは、お嬢さん学校でしょ」と、今の私からは、まるで想像がつかないかのように、驚かれる。よって、高校名は、余り答えたくないのが本音である。
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2005/10/25

ちょうちんブルマのその後 Part 2  学生時代の思い出とちょうちんブルマ

その女子高の試験は、2月初旬に、筆記3科目論文2題、そして本人面接で行われた。私は半ば、「駄目なら、公立もあるさ」くらいの気持ちでいたし、実際に、出た論文の題名が「フロンティア精神」と、「いろはにほへと」だったから「はぁ?なんだこれ?」というレベルで、開拓者の精神を解き明かすなんてもっての他、西行法師がどんな気持ちで歌を詠んだのかも、なーにも考えず、とりあえず、高校生になったら…みたいな、題目から外れた事を書き、原稿用紙を埋めていた気がする。面接も、スペイン人のシスターが相手だったから、部屋に入った瞬間には、英語で聞かれると、びびったものの、「どうぞおかけ下さい」と流暢な日本語で言われ、気が緩んでリラックスし過ぎてしまった。どうせ論文で落ちると諦めていたし、反って元気溌剌だった。大人しく答えるようにと、言われて居た事すら、頭からすっかり飛んでいた。当り前だが、落ちていると思い込んでいた為、合格発表すら見に行かなかった。

しかしながら、両親の面接が功をなしたか、それとも何か間違ったのか、何と合格してしまった。その高校は、単願のみの80名定員だった為、他の私立/公立高校の試験日は出校日になっていた。とりあえず、講堂に集められ、オリエンテーリングを受けたり、大きな教室に入れられて、中学の復習問題のテストを受けたりした。その雰囲気は、私が今まで味わったことの無い、「都会的香り」がするものだった。そんな中、受かったからには、都会的雰囲気の女子高生になってみようとも、思い始めていた。何故なら、同じ中学からは1人も進学していなかったというより、厳密に言うと、私の中学からは初の入学者だったのだ。父は、いつまで持つかな…と思っていたらしいが、とにかく入学式に至るまでは、なるべく目立たず、大人しくしていた。面接で一緒だった朝ちゃんという子は、「良家のお嬢様」と思っていた、と後で言っていたから、私の演技力も大したものであったと思っている。

入学式の時、1人、遅刻してきて、大騒ぎで自分の場所を探していた同級生の子にも、整然と「ここではないですか?」なんて、教えちゃったり出来たものだから、私はすっかり落ち着き払った女子高生気分だった。そしてクラスの発表があり、私は1年2組になった。例の遅刻して来た子とは、違うクラスだった。少し安堵した。ああいう子と同じクラスだと、地が出てしまうのも時間の問題だと懸念していたからである。静粛な雰囲気の中、廊下を通って1年2組の教室に入った。担任の先生はまだ来ていなかった。自分の席に着こうとしたその時。。。「あっ、あの時の、ちょうちんブルマー」。。。私を指差す向こうには、通信陸上の時、予選で一緒だったらしい(私は覚えていなかったが)こっちゃんというやつが居た。どこまでも着いてくる「ちょうちんブルマ」の汚名?に、がっくりしたものの、これで地で行けるという安心感も生まれた気がする。このように始まった、私の高校生活。。結局は、入学式に遅刻した来た子とも仲良くなってしまい、朱に混じって赤くなるどころか、厳粛な規則にまで妙な規則が加わってしまう程の活躍?ぶりは、また、別の日記で……

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