2005/10/26

WS 最長試合時間  Boston Red Sox・MLB

とても長い試合だった。5時間40分。気持ち的には、アストロズの応援をしていた。
両チームブルペン陣の踏ん張りで、5対5から、得点が動かぬまま、延長14回を迎えていた。均衡を破ったのは、ギーエン監督が、井口に変えて投入したブラム。そのブラムがホームランを打ったのだ。ギーエン監督の采配が吉と出た。ナリーグのルールにのっとり、投手にも打順が周る事から、代打も多く、両チームピッチャーも野手も殆どが加わった全員野球になっただろう。そしてホワイトソックスには、ラッキーなヒットも生まれ、その後、4球で満塁。ルーキーピッチャーのアスタシオは更に4球を与え、押し出しで追加点を与えてしまった。深夜の1時を周り、観客も帰り始めた。そして、アストロズは14回裏、最後の最後まで、ランナーを塁に置いたまま、2点を返す事が出来なかった。
クリックすると元のサイズで表示します史上最長の熱戦を締めくくったのは、先発投手バーリーだった。彼を使ってまで勝ちたかったギーエン監督、バーリーを抱きしめ喜んでいる。

ハイライトは、3回裏から、アストロズのオズオルドが進塁しようとして戻る時、2塁手が投げたボールが、飛び出したオズワルドに当たった。痛かったろうが、そのお陰でアウトにならずに済んだ。そして、送りバントの後、進塁し、2塁手と笑いながら会話していた。こういうシーンはいいなぁと、思った。その後、ビジオのタイムリーヒット。その後バークマンにタイムリーが出て、追加点、3対0になった。今日も序盤はアストロズのペースだ。一昨日は競り負けたアストロズ、今日こそはという意気込みを感じていた。

ホワイトソックスのビッグイニングは、5回だった。クリーディのHRは嬉しかった。にわかではあるが、第1戦のあの守備を見てから個人的なファンになった。そして、井口ヒットの初打点で2点目追加。ダイも粘った後、タイムリーヒットでポドセドニック生還。4番コネリコは、打ち取られたが、ピアジンスキーの当たりは、長打になりホワイトソックスは逆転した。更にロワード4球で、再び、クリーディ。打者一巡の猛攻であった。その時、クリーディは、デッドボール。これは、わざと、としか思えない当て方に思えた。

更に8回裏、アストロズの攻撃。ホワイトソックスは、打者毎の、投手交代。継投作戦だった。ギーエン監督のピッチャー交代のジェスチャーは看板になっている程だが、巾が細く高いというジャスチャーだったので、ジェンクスではなくハーマンソンと私にも解った。ハーマーソンは、9月30日ぶりの登板だった。気負いがないかと懸念した所、案の定、ヒットを打たれ同点になった。

9回の表、アストロズはピンチになったが、第2戦でさよならHRを打たれたクローザー、リッジは、今回は3振で抑えた。9回裏、1打さよならの場面、ホワイトソックスのギーエン監督は、経験が豊富のヘルナンデスに託す。そして2アウト満塁の所で、4番打者エンズバーグを3振に打ち取った。このヘルナンデスのピッチングぶりは、見事だった。ホワイトソックスのブルペン陣は防御率2点台以内が5人もいて、充実している。今更ながらだが高津の居場所がないはずだと感じた。そして、今日の得失点は、そのブルペンピッチャーの経験の度数が、得失点の鍵を握っていた気がする。

今日は、球場が変って、両者、入れ替わったユニホームがよく似ており、試合開始当初、父は勿論、私も間違えてしまった。更に父は、延長の緊迫した場面で、尚、「ヤンキースとヤンキースが試合しているみたいだな」と、この後に及んで言っていた。確かにアウェイとホームのユニフォームに似ている。能天気に、野球を楽しめていいな、と思いつつ、私は、「レッドソックスとホワイトソックスは、ボストンの紅白チームじゃないよ」と、説明した。が、しかし、「そんなもん、どっちにしろ、アメリカの赤組と白組じゃないか」と答えられてしまった。ごもっともである。此方の勝負?は、今日もまた父の勝ちとなった。
   選手の皆さん、ファン、関係者の方々、長時間、お疲れ様でした。
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2005/10/26

アストロズ、巻き返しへの道  Boston Red Sox・MLB

ワールドシリーズは、試合をアストロズの本拠地、ヒューストンへと移した。巻き返しの切り札として、アストロズのミニッツ・メイドパークの屋根の開閉が論議を呼んだ。というのも、アストロズは、レギュラーシーズン途中、屋根の途中開閉の2試合を除くと、閉めた試合が36勝17敗で6割7分9厘だった。しかし開けた試合では5割7部7厘と下回っている。些細な事であるが屋根が閉まった状態では、相手チームが慣れていなくて試合がし難いに違いない。レギュラーシーズンでは、主催球団のアストロズが決定権を持っていたが、ポストシーズンでは、主催者のコミッショナーが決める事になっているらしく、天候に問題がなければ開けて決行という方針だったようで、結局開けたまま、開始された。

また、今日の試合に対して、ヒューストン市民には「No Sox 令」たるものが出ていて、靴下を履いていないファンの人達が居ると言う。いくらヒューストンがシカゴより暖かいといっても試合開始時の温度は、14℃。素足では辛いだろう。そして、帽子を逆に被り逆転を願う。何にでも縋りたいというアストロズのファンの気持ちが痛いほど伝わって来た。試合は、現地時間の深夜12時40分現在、延長14回、5対5のまま、ワールドシリーズ最長試合時間の記録を更新しつつある。

閑話休題
いつも、思うことだが、選手が取れそうなファールボールを観客が取ろうとして、邪魔してしまう光景をよく見る。一昨年のカブスは、その行為を機に流れが大きく変わり勝利を逃してしまった。球場にクラブ持ち込み禁止にする事は、無理かなぁ?最低、子供だけにするとか。。。



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2005/10/26

ちょうちんブルマのその後 番外編  学生時代の思い出とちょうちんブルマ

私のことを、指差して「ちょうちんブルマ」からの脱皮を妨げた「こっちゃん」は、やはり名門中学の陸上部だっだだけあって、通信陸上のその後も、着々とタイムを上げ走るのも早くなっていた。そして何より170cm近い長身だった。私達の学年は、こっちゃんの他にも足の速い者が後2人居て、校内の学年対抗リレーでも、3年生に勝てる早さだった。私達は東海3県にあるカトリック5校の大会のリレーにも、新記録をかけて出場する事になった。私達の高校には、体育専門の先生がいなかった為、体育の先生(講師さん)は某体育大学から来られていて、そこの大学の陸上部へもバトンの練習を中心に、指導して貰いに行く事にもなった。

こっちゃんは、私達4人の中で1番早かったが、バトンの受け渡しがネックになっていて、当然のようにアンカーに指名された。私はスタート時に瞬発力はあっても雷管の音でひるむ癖がありスタートには適さず第3走者になった。それに、不器用なこっちゃんに、バトンを渡すのは、私の役目とされた。リレーの指導をしてくれた大学陸上部の人達は国体にまで出たグループだったので、バトンの受け渡し練習も、並の練習ではなかった。バトンサークルに入ったら、走者は「Go」と声をかけ、同時に次の走者はスタートする。そしてお互い走りながら後は、「はいっ」と声をかけ、振り向かずバトンを受け取る。私達は手に肉刺が出来、破れても、破れても、新記録の為と厳しい練習を重ねた。

試合当日は、秋晴れの良い天気だった。私達は万全をつくして望んだつもりだった。愛知県の某高校女子部で、その大会は開催された。他にもアーチェリー、テニス等、強い部活も参加していた。その中でも、リレーはやはり花形で、全試合の最後に開催された。私達のチームは最強だった。私は1位でバトンを受け取り、2位とは既に10メートル以上の差がついていた。私も更に引き離して行ったそうだ。ところが、200メートルトラックの第3コーナーを周ろうとした時、バトンのウェイティングサークルに、こっちゃんの姿が無い。私は一瞬、何が起こったか察知できなかった。するとこっちゃんは、走り終えた第1走者と共に、コースの中で、悠然と体操座りをしているではないか!「こっちゃーん」(実際は呼び捨て)私は彼女の名前を喚きながら走っていった。こっちゃんは「はっ」と気付いて立ち上がりバトンサークルに来たが、私から「はい、どうぞ」みたいな、バトンの手渡ししか出来なかった。のちに言う「宅急便受け渡しリレー」であった。こっちゃんは泣きながら爆走した。受け渡す時には3位のチームと同時になっていたが、こっちゃんは牛蒡抜きし、1位になった。しかし、新記録は藻屑と消えた。

応援していた同じ女子校の仲間は、私の喚きながらの走行、こっちゃんの泣きながらの爆走と、「はい、どうぞ」のバトン受け渡しが、余りにも対照的で面白かったと後で他人事のように言っていたが、本人達は、「あんなにバトンの練習したのに。。。」と悔しかった。それでも、こっちゃんの泣いている姿に、誰も怒る者はいなかった。指導してくれた大学生の人が、「ふぅー」とついた、ため息だけが、やたら大きく聞こえていた。因みに、こっちゃんは、体育前の着替えの時、ストッキングとパンツも一緒に脱いでしまう癖があった。それも、面倒だからと、先にスカートを脱いでしまっているから、大変だ。当時更衣室が無かったので、教室で着替えていたのだが、一度、体育の先生が伝言の為に入って来た瞬間に、脱いでしまった事があり、先生にお尻を披露してしまった強者である。しかし、あの時「ぎゃーっ」と言って逃げ出したのは、先生の方だった。そのこっちゃん、3年前優しそうな彼と結婚した。「宅急便を受け取る度に、あのリレーを思い出します。すまん」と年賀状に書かれていた。こっちゃんにとっては、今でもあのリレーの事がトラウマ?らしい。
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