2005/11/25

体操世界選手権 個人総合31年ぶり金メダル  日記(今日思うこと)

体操の世界選手権第3日目の24日、オーストラリア、メルボルンのロッド・レーバー・アリーナで男子個人総合決勝が行われた。そんな中、冨田洋之(セントラルスポーツ)が56.698点で日本勢31年ぶりの優勝を果たした。富田洋之といえば、アテネオリンピック、男子体操団体の鉄棒の最後の演技者で、「新月面の描く放物線は栄光への…」と解説者が興奮して叫んだ記憶が新しい。最終演技者のプレッシャーも跳ね除け、気がつけば、鉄棒演技者の最高得点。2位のアメリカに1.0近い差をつけ圧倒的強さでの金メダルだった。そんな英雄になっても、彼は朴訥として、はにかむような笑顔しか見せなかった。

クリックすると元のサイズで表示します水鳥寿も大健闘し2位になり金・銀と日本選手が独占した。

種目別、力技の吊り輪の演技でも、苦しい顔を全く見せず、解説者曰く「まるで自分の部屋で寛いでいるかのような」演技だった。跳馬も着地をぴったり決めた。審査員の点数には恵まれず、メダルには届かなかったが、彼の美しい演技に、眠るのも忘れてTVに釘付けになったものだった。鹿島、米田、塚原の陰で、目立つ存在ではなかったが、地道に、体操の基礎を重視し、努力を重ねて来た富田が、今回の世界大会で、1974年の笠松茂氏以来、31年ぶりに、個人総合の金メダルを取った事は、私にとっても、とても喜ばしい事であった。

クリックすると元のサイズで表示します 唯一得意でない床運動も克服しつつある。

以下、富田洋之の体操感と、アテネオリンピックまでの経過と戦績?を書いて置きたい。
冨田洋之の演技には、体操競技の基本とも言える「美しさ」が集約されている。指先から足先にまで全神経を集中させ、体線を真っ直ぐに保ち、技の正確さを追求する。とかく難易度の高い技に走りがちな現在の体操界において、冨田は常に体操の本質を忘れる事無く、練習を続けてきた。 美しさより、正確さに重きを置くというシドニー五輪後のルール改正も、冨田を後押しした。更に正確な演技をする事は、美しい演技になるという事を富田は実証する。2001年11月の全日本選手権(高知)では個人総合で初優勝。翌年3月のアメリカンカップ(米国・フロリダ州オーランド)で同3位に入った時には、地元のメディアが「これぞ、体操だ!」と冨田の演技の美しさを絶賛したという。

クリックすると元のサイズで表示します 足先まで神経が行き届き美しいと定評があるあん馬

2003年8月の世界選手権(米国・カリフォルニア州アナハイム)は、各国の体操関係者やファンに、「富田」の名を知らしめる大会となった。最初の床でミスが出て、出遅れたものの、あん馬で9.737、平行棒で9.687とそれぞれ出場選手中最高の得点をマーク。個人総合で合計57.435点をたたき出し、銅メダルに輝いた。また、同じく銅メダルの団体でも日本チームのエースとして終始安定した演技を行い、8年ぶりのメダル獲得に大きく貢献する。しかし、冨田は満足していなかった。「自分のふがいなさを痛感する大会になってしまった」とコメントした。その言葉から、あくまでも完璧を求める冨田の美学が垣間見えた。

富田は、1992年バルセロナ五輪で6個の金メダルを獲得した旧ソ連合同チームのビタリー・シェルボ(現ベラルーシ)を見た時、そのあまりに美しい演技に魅了されたことがその後の冨田の方向性を決めたという。「体操は相手と戦うスポーツではない。自分の演技が完ぺきにできるかどうかです」。そんな風に語る冨田にとって、美しい体操は、永遠のテーマだという。。全6種目に苦手のない冨田が自分の演技に満足した時、世界の舞台で、個人総合優勝は着いてくると、信じていた。

クリックすると元のサイズで表示します 富田の鍛えられた体と対照的なはにかんだ笑顔

日本に居たら、多かれ少なかれ、TV放映もあっただろうと、日本に居ない自分がとても悔やまれる。
それにしても、全種目を通じて高得点を取る事は、肉体的は勿論、精神的にも、相当な強さが必要だと思う。練習の虫、努力の人、富田が、世界一となった事は、少し遅すぎる気もするが、とても、嬉しく、お目出度い事だと思った。「富田君、個人総合、金メダル、おめでとうございます」


◎冨田洋之選手の最新記事は、2006年11月8日の
「体操を芸術に…冨田洋之…「情熱大陸」を観て。」に書いています。
宜しければ、カレンダーの日にちをクリックしてご覧下さい。
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