2006/5/31

映画「ダ・ヴィンチコード」を観て…(少々ネタバレ)  好きな映画と本(一部ネタバレあり)

仕事の後、友達と待ち合わせて、映画「ダ・ヴィンチコード」を観た。放映時間ぎりぎりにシネマに飛び込むと、ルーブル美術館が開館以来、初めて映画の撮影を許したという、なかなか観られない夜のルーブル美術館の景色が目の前に飛び込んで来て、贅沢な気持になった。そして、映像の中にダ・ヴィンチの名画や発明品と、西洋史の名所・旧跡が登場する事によって、映画自体がインテリジェンス溢れる仕上がりとなっていた。始めは、テンポも良く、ダ・ヴィンチに導かれ謎が解かれて行くのだが、全く予備知識の無かった私でも、物語のキーになるものが見え過ぎてしまい、結末を知った推理小説を、読んでいるような感じがして来た。
クリックすると元のサイズで表示しますダ・ヴィンチコード」サウンドトラック盤。

上映が開始されて直に、味わえるスリル感の中で、殺人犯扱いされたラングドン(トム・ハンクス)が、上着に着けられた発信機を、ゴミ収集車に投げ入れて警察を巻くあたりで「この手は、私でも思いつく」と、意外性の無さにがっかりしてしまったが、その気持が最後まで続いてしまい、サスペンス物独特の「はっ」とするようなトキメキは得られなかった。学生時代の先輩は、この「ダ・ヴンチコード」の本を読んで感動し、面白いと薦めてくれた。長編だからと、先送りにして読んでいないまま映画を観たが、私も本を読んだ方が良いのか?と思った。

確かに、パリ・ロンドンと懐かしい景色が出てきたり、セーヌ川やテムズ川に沿った景色も美しく、それだけでも楽しめるのだが、どうも内容に物足りなさを感じてしまった。私が期待しすぎたのか?それとも映画は、判り易く脚色してあるのか?…でも、とにかく史実を元に書かれたフィクションとして一度は観る価値があるのかもしれない。私はストーリーだけを追い「謎解きもの」としてだけ考えると、「ナショナルトレジャー」の方が、数倍面白かった気がする。

そんな中で、私が凄い…と思ったのは、色素欠乏症の修行僧・シラスを演じたポール・ベタニーの演技力だった。信仰の深さも、奇異にさえ感じさせるその姿に、何処かで観た俳優さんだな…と思い出したら、「ビューティフル・マインド」の主人公の妄想の中に出て来るルームメイト役を演じていた。このように独特で特殊な雰囲気を演じ出せる俳優さんが、今後、どんな映画に出演するのか?と、大変興味深く思った。

◎映画「ダ・ヴィンチコード」公式サイト
http://www.sonypictures.jp/movies/thedavincicode/

◎箸休め
ルーブル美術館には、もう1度行きたくなった。前に私が行った時、現地の人に「1日で周りたい」と言ったら「30年滞在する覚悟でも無理だ」と笑われた。私がもし次にフランスへ行くとしたら「オランジェリー美術館」と決めていたが、モナリザの絵を観たくなった。絵は変わらなくその場に有り続けて来たが、10数年経った私にとっては、かなり違う味わい方がある気がする。それにしても「ダ・ヴィンチ」は500年の時を経た者達にも、発想の素を与え続けている。映画の後で、むしろダ・ヴィンチ自身の遺した物に、生でもっと触れたくなるのは間違いない。


*お詫び*
この記事にだけですが、妙なURLのコメントが続いています。よって、一旦コメント欄を閉じさせて頂きます。御了承下さい。検索して来て頂いた方で、コメントを下さる方は、最新記事に書いて下さいませ。管理人の方で、此方に移動させて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。
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2006/5/30

フェンウェイ球場・テレビ観戦する松井選手と球場へ行ったお友達  Boston Red Sox・MLB

去る5月12日に左手首を骨折したニューヨークヤンキースの松井秀喜選手は、同じニューヨークの2チームがぶつかる地下鉄シリーズ(球場間が地下鉄で繋 がっている)と、東地区の首位攻防戦であり、伝統のカード、対レッドソックス戦を、球場に行けないファンと同じ立場で試合を観てみようと、初のテレビ観戦を体験したという。入団以来、連続出場をし続けた松井選手は、確かに自分のチームの試合をリアルタイムでテレビ観戦する事など、有り得なかった。更 に松井選手は、何より肉眼で見た感覚を大事にして来ており、今までも映像を見る事は少なかったそうだ。そんな松井選手のテレビ観戦の感想は「テレビに出られない事は悔しいけど、応援しながら客観的に観られた」と、新聞紙上で答えていた。
クリックすると元のサイズで表示します 試合開始直後の三塁側、
そこに55番のゼッケンはない…。


松井選手とは反対に、テレビ観戦が殆どの私達日本のファンは、松井選手が出場出来なくなった事に伴って、ヤンキース戦のNHKの放映もなくなってしまっ た為、私が、開幕前から楽しみにしていた22日から開催されるボストン、フェンウェイ球場でのヤンキース対レッドソックスの3連戦を、TVでは観る事が出来なくなった。しかし、その試合観戦の為に私の友達のaoiさんが、遥々ボストンまで出向いてくれていた。私は仕事をしながら、ネットのゲームデイでしか追えなかったが、aoiさんから試合内容について電話を貰ったり、aoiさんが書いているブログを読んだり、掲載写真を見たりして、その臨場感を少しでも味わう事が出来た。そんな中、1勝1敗で向えた3連戦の3日目には、aoiさんと一緒に観戦していたニューハンプシャーのすぬさんの近くの席で、初めてフェンウェイで観戦したNさんから、その感動の様子を撮った写真が届いた。私は、それらの貴重な写真を見ながら自分が訪れた時の雰囲気と、その香りを思い出していた。
満員の球場内・ネット裏の席から撮影クリックすると元のサイズで表示します

ところで、肝腎の試合内容は、先発投手が、レッドソックス(クレメント)、ヤンキース(ランディ・ジョンソン)で、共に調子が今ひとつ上がらず、またバッターもチャンスに打てないという締まりの無い試合だったようだが、結果、レッドソックスが負けてしまい、試合終了直後のaoiさんは、地元ファンの人達と一体化して、「このままでは帰国できないーっ」と怒り爆発だった。それでもラミレスのグリーンモンスターへのHRが観られて「山に飛んで行く飛行機のようだった」と話してくれた。そしてその後、選手の出待ちをして、何とラッキーにもウイリーモー・ぺーニャにサインを貰う事が出来たらしい。ペーニャ選手は、とても気さくで、嫌な顔1つ見せずにサインしてくれていたそうだ。メジャー選手からサイン…なんて夢のような話だと羨ましくもあったが、 「aoiさん、ボストンまで行って良かったね」と思わず呟いていた。Nさんは、ぺーニャ選手のサインする様子も写真に収めてくれていた。Nさんと一緒に行ったJさんは、よくフェンウェイ観戦をするそうだが、試合後に、こんなに気さくに話しながらサインする選手とは、初めて会ったそうだ。ぺーニャ選手は、将来性を期待されアローヨ投手と交換トレードで加わった若手有望株である。その様子には、その温かい人柄が滲み出ているようで、今後の活躍を期待したいと思った。
クリックすると元のサイズで表示します 試合後、サインしているペーニャ選手。

ところが、そのぺーニャと、私がファンであるセットアッパー(昨年はクローザーとしてしても合わせて88試合に登板・アリーグ最多登板)投手のマイク・ティムリンが、強かったはずの肩を痛めて、昨日から故障者リスト入りをしてしまった。ぺーニャ選手の怪我については、原因が判らないが、ティムリン投手は、WBCへ の参加で春季キャンプでの調整不足のまま、シーズン入りした事が原因ではないかと、言われている。レッドソックスは今日から10日間の長いロードに入る。レッドソックスがフェンウェイに帰ってきた日には、この2人が復帰している事を信じたい。一方、松井選手は、22日に抜糸をし、術後の痛みも治まったようだ。松井選手は「8月復帰を目標にしたい」と語っているが、ヤンキースが次にフェンウェイへ来る頃は、時期的にも微妙な所だ。しかしこの際、しっかり休んで、きっちりと治して欲しい。初体験のテレビ観戦から松井選手が得るものも、視点が変われば何か特別な気がして、楽しみである。

◎箸休め
試合後にaoiさんやNさん達を、車で迎えに来てくれたインドの貴公子Vさんは、野球には全く興味がないらしい。aoiさんも、少し前まで(レッドソックスに出会うまで)あまり野球が好きではなかったそうだ。Vさんを野球好きにするには…?その計画案も持ち上がっているが、実は、私は(口下手なので?)そのメンバーに加わる自信がない。でもインド料理以外食べられなかったVさんだが、最近では他の料理も食べられるようになっているそうだ。よって野球もきっとルールとか理解出来たら、好きになってくれる事を期待したい。彼に野球の良さを説明し観戦を薦めよう…。この際、松井選手にでも、その役目を担って貰いたいものである。
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2006/5/30

フェンウェイ球場・4月24日の試合写真  Boston Red Sox・MLB

クリックすると元のサイズで表示します照明が点灯し迫力が増す球場内。

不調なオルティースと好調のラミレスクリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します立ち上がって一喜一憂するファン。

ペーニャ選手のバッテングシーン。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますそれにしても、良い眺めの席だこと…。

◎写真はクリックで拡大し、より一層臨場感が増します。

★aoiさんのブログ「青いblog」
http://bostonredsox.blog56.fc2.com/
★すぬさんのブログ「すぬのうち@NH」
http://gold.ap.teacup.com/sunui/
★写真提供
……ボストン在住のNさん、ありがとうございました。
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2006/5/29

サッカーW杯まで11日…ブラジル・ロナウジーニョの足技  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

足技や頭、肩などを使ってまるで、曲芸師のようにボールをリフティングする選手を「フットボール・ジャグラー」と呼ぶそうだ。なるほど、ボールを自在に操る様は、ジャグリングのパフォーマンスに似ている。しかし、サッカーに於いてのフットボール・ジャグラーは、必ず目の前にいる敵をかわさなければ芸人の粋とは言われない。それが試合中、曲芸のような技を使って相手をかわしゴールまで決めてしまう選手が、今ブラジル選手の中に1人いる。その選手の名は、ロナウジーニョ…。2006年ワールドカップドイツ大会は、「フットボールジャグラー」ロナウジーニョの技を堪能する大会だとも言われている。ロナウジーニョの足技で最も有名なものが、NIKEのCMで見せている『エラシコ』という技だ。『エラシコ』とは、ポルトガル語で「輪ゴム・ゴム紐」という意味で、アウトサイドでボールを動かした方向へ行くと見せかけて、つられた相手を抜き去るという、フェイント技である。
クリックすると元のサイズで表示します 華麗な足技師・ロナウジーニョ。

『エラシコ』は、練習を重ねれば大体の選手が出来るようになるらしいが、試合で実際に通用させるのはとても難しいという。 『エラシコ』ばかりしていては、相手に読まれてしまうからだ。ロナウジーニョの『エラシコ』が有効に働くのは、彼の足技が豊富で、「インサイドフック」「アウトサイドフック」「クライフターン」を始め、ロナウジーニョが少年時代のフットサルで編み出した「シャペウ」(ポルトガル語で帽子の意)という大技など、何が飛び出すか?予想不可能である為に、相手は技を読みきれずどうしても引っかかってしまうそうだ。また、ロナウジーニョは、「ダブルタッチ」「ラボーナ」「マルセイユ・ルーレット」という技も巧みに使いこなし、相手を翻弄してしまう。正にブラジルが生んだ世界的にも著名なプレーヤー、ペレやジーコ、ガリンシャらのような伝説的プレーヤーの再来と言えるようだ。

ロナウジーニョ、本名ロナウド・デ・アシス・モレイラ(ロナウジーニョとは小さいロナウドという意)彼にも、ブラジルの多くの少年と同じように、1才の誕生日にはサッカーボールが贈られた。ロナウジーニョには、9才年上でかつてJリーグ、コンサドーレ札幌でもプレイした、ホベルト・ジ・アシス・モレイラという兄が居る。その兄のアシスは、ロナウジーニョにとって、尊敬するプレーヤーであり、大親友でもありライバルだった。特にロナウジーニョが8才の時、溶接工だった父が急逝してからは、父親代わりでもあった。現在兄アシスとロナウジーニョは、ブラジルの地元で、サッカークラブ「ポルトアレーグリFC」を立ち上げ、サッカーのプロ選手育成だけでなく、例えプロのサッカー選手になれなくても社会人として自活して行けるように、大学等と提携して、英語やコンピューターを教えるという、貧しい子供達を支援するプロジェクトに取り掛かっている。また、ロナウジーニョは世界食料計画の親善大使も務めている。

兄のアシス氏は、中日スポーツ誌の記者に語っている。 「1つのボールは、22人の幸せを広げる。サッカーボールは子供達の喜びなんだ。ロナウジーニョにとっても、ボールは初めて出会った情熱だった。毎日触れて、何かを発見したり、生み出したり、ボールは彼の人生最大の親友なんだよ」…と。28日放映のNHKスペシャルでもロナウジーニョが特集されており、小さい頃からボールと共に暮らしていた映像も流されていた。その映像の中で、幼いロナウジーニョは、犬とも一緒に過していた。犬とボールを取り合って楽しみながらテクニックを磨く事は、現在も変わりなく続けているという。

名誉の『10番』を背負うロナウジーニョクリックすると元のサイズで表示します

更に、映像から観られるロナウジーニョの魅力とは、2005年の年棒総額が、2300万ユーロ(約32億4300万円)となり、過去3年間、王座に君臨していたベッカムを抜いて、サッカー界の“富豪番付”のトップに立ったにも関らず、とても庶民的である事だ。人気に溺れず謙虚であり続ける姿は、画像で映し出されたサッカーを愛する子供の頃の心のままなのだ。貧しい子供達に、ボール1つあれば…と、サッカーの喜びを教える為への投資は、惜しまない。自分の活躍が子供達の夢に繋がる…と、嬉しそうにブラジルの名誉のゼッケン『10番』のユニフォームにサインしていたロナウジーニョ。サインの大きさも控えめだった。今回の大会は、ブラジル代表として『11番』をつけ出場した4年前とは一味違う。サッカーの王様ペレが、神様ジーコが背負ったゼッケン『10番』でキャプテンとして臨むワールドカップ2連覇達成はなるのか…?それとも2連覇を阻む国は何処だろうか?その試合の行方と共に「フットボール・ジャグラー」ロナウジーニョの技を観られるのも最大の楽しみである。

○箸休め
こんな凄い選手と、予選リーグで戦う事が出来るという日本選手は、幸せだなと思う。勝敗は蓋を開けるまで分らないが、3戦目に最高潮に仕上げて来る…と報じられているブラジルチームの芸術とも言われる攻撃陣を如何に防ぎ、貴重な1点を取れるかどうか?が課題である。

◎参考 
・中日スポーツ5月26日紙面、・NHKスペシャル「魔術師・ロナウジーニョ」
・「世界スーパープレーヤー列伝 ロナウジーニョの技」 学研スポーツムックサッカーシリーズ より


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2006/5/28

サッカーW杯まで13日…選手交代のルールの歴史に思う事  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

サッカー・ワールドカップ日本代表チームが、いよいよ日本を26日出発し、27日、ドイツ、ベートーベンの生まれた街・ボンへ入った。何と言ってもワールドカップは、サッカーの単一競技の大会であるにも関らず、大会への参加国数、テレビ観戦者数、大会の顧客動員数、収益金の額、全てに於いてオリンピックに勝っており、文字通り世界最大のスポーツイベントと言える。そのワールドカップを後13日後に控え、テレビや新聞紙面上でも、様々な特集が組まれている。その中で、私自身知らなかったルールの歴史について、書いて置こうと思う。サッカーと言えばその反則に対して、審判が出す「イエローカード、レッドカード」があり、柔道の{教育的指導}という言葉のように、そのオリジナリティ溢れる言葉とされているが、実はこのカードのルールが使用されるようになったのは、1970年のメキシコ大会からだそうだ。ワールドカップのルール等規定の歴史は、このメキシコ大会で大きく変わったようだ。
ドイツ・ボンに入ったジーコ監督と選手達 クリックすると元のサイズで表示します

このメキシコ大会から、試合中の選手交代も認められるようになっており、それ以前は、かなり激しいプレーの中、故障者を出しても交代できず、退場した場合、少ない人数でプレーするのが、当り前だったようだ。実際に1966年のイングランド大会では、エースFWのペレを擁するブラジルの三連覇が確実とされていたが、グループリーグ最終戦のポルトガル戦で、ペレが相手チームの激しいタックルによって足を負傷し、ピッチに立ち続ける事が出来なくなった。結果、そのままチームも1-3で敗れてしまい、まさかのグループリーグ敗退というハプニングとなった。

1958年・1970年ブラジル優勝に貢献した、ペレ選手(現在65才) クリックすると元のサイズで表示します

また試合内容が激しくなっている現状の上に、メキシコ大会の会場では、その大部分が標高2000メートル級の空気の薄い高地だという事と、ヨーロッパのテレビ放映が炎天下の正午という暑い時間帯という悪条件が重なった為、選手のコンディションを懸念したFIFA(国際サッカー連盟)が、この大会より、5人の選手のベンチ入り、そのうち2人の交代を認める決定をした。現在では、各国のリーグや国際試合事に、それぞれ違いはあるが、主な国際大会やJリーグの場合は3人まで交代出来るとされている。メキシコ大会以前のワールドカップは、40年前に思いを馳せてみると、如何に選手にとって過酷で激しいものであったかが、うかがい知れる。現在は、選手達にとって、ルールだけでなく、道具・設備共に恵まれた環境下である。選手達の最高のパフォーマンスに期待したい。
JALのチャーター機 クリックすると元のサイズで表示します 

★以下、ドイツ滞在中のスパイラルさんの、現地からのレポート。
クリックすると元のサイズで表示します 前回ワールドカップがドイツで開催されたのは'74西ドイツ大会ですから32年ぶり、東西ドイツ統一後初の開催となります。この時の優勝国がフランツ・ベッケンバウアーを擁する西ドイツ。そのベッケンバウアーは今大会の組織委員長を務めています。また、現在の優勝トロフィーはイタリアの彫刻家"Silvio Gazzaniga"が制作したものですが、これが初めて使われたのは、やはり'74西ドイツ大会から。今回のドイツ大会からは”純金”で新しく鋳造したものが使われるそうです。このトロフィ−、世界各地で巡回展示され、日本では2月ごろ公開されていましたね。

ドイツが次に優勝したのは'90イタリア大会。'89年11月にベルリンの壁が崩壊したあとの大会ですが、優勝時はまだ西ドイツ。この年の10月に東西ドイツの統一が達成される事になります。トリノ五輪ですっかり有名になったルティアーノ・パバロッティの「トゥーランドット・誰も寝てはならぬ」が世界的ヒットとなるきっかけとなったのが'90イタリア大会でした。

先週4月のFIFA世界ランキングが発表され、日本は18位、ドイツは19位。今まで開催国が1次リーグを突破しなかった例はあまり有りませんが、これを占う意味でも5月30日の日本対ドイツの親善試合が注目されています。Jリーグは運営面でドイツのブンデスリーガ(Fußball-Bundesliga)をお手本にしましたが、日本のサッカーは本当に強くなりましたね。
クリックすると元のサイズで表示します ユニフォーム第1位メーカー「プーマ」

最後に現地メディアからユニフォームについて。出場する32ヶ国のユニフォームのメーカーは多い順番に1位"PUMA"2位"NIKE"3位"adidas"だそうです。 先に”アディダス”を設立したのが弟の「アドルフ・ダスラー」、続いて兄の「ルドルフ・ダスラー」が設立したのが”ルーダ”ですぐに”プーマ”と改名。今回のワールドカップ・ユニフォーム部門ではお兄さんの”プーマ”の勝ちとなりました。

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2006/5/26

サッカーW杯まで15日…スタジアムの芝生に思う事  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

ワールドカップまで、後15日、半月となった。今日はサッカー場の芝生について書いてみようと思う。サッカー場に芝を生やすのは、選手達の体を保護するのが第一目的である。今回W杯が開催されるドイツでは、至る所に天然芝のサッカーグラウンドがあるそうだ。土の校庭で、練習をしている日本の子供達に比べると、羨ましい限りだが、その芝と思われるグリーンをよく目を凝らして見ると、その芝の半分が雑草だと言う。スライデングしたり転倒したりしても痛くないようにと、芝を張っているのだから、半分が雑草でも、まめに刈り込んで行けば、ゴルフのパターの時のように、芝目を気にする程の繊細さは必要ないと思われていて、問題がないらしい。
ベルリン・オリンピア・シュタディオン  クリックすると元のサイズで表示します
 
しかしながら、今回開催されるW杯の会場となるスタジアムの芝には、雑草は混じっていないという。それどころか、芝のコンディションを最良に守る為に、開会式と開幕試合の場所を、ベルリン(オリンピックスタジアム)とミュンヘン(アリアンツ競技場に分けて、それぞれ別の会場で行う事になっている。これは、式典で芝が踏み荒らされ、その直後の試合ではボールの動きに影響が出るのでは…?と、懸念されたからだそうだ。更にベルリンの会場では、翌日以降試合が開催される為、当初計画された大掛かりなイベントを中止し、簡素な式典にして芝を守るという徹底ぶりだ。ドイツでは、芝は「選手達の最高のパフォーマンスを可能にする為のもの」という考え方が行き届いているのだ。

式典という華やかなセレモニーで、国をアピールするよりも、見た目は地味でも「自分達のゴールを守り、相手のゴールを落とす」という唯一無二の目的にかなったサッカーをするというドイツ人の考え方が背景にあり、ドイツ選手のプレーにも、その考え方は、反映されているそうだ。サッカー界もグローバル化が進んで、国々の枠を超えて選手が行き来をするようになった為、一昔前の「個人技の南米、組織のヨーロッパ」という分類が、一概には出来なくなった。それでも、W杯として国代表選手が集まると、そのプレーの端々に国民気質が見え隠れするので、その国々の特徴を探るのも、また楽しみの一つである。
クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します 
日本代表ユニフォームとヤタガラスのマーク

国際試合を観ていて気付くが、日本代表チームが着るユニフォームには、3本足の烏「ヤタガラス」(『八咫→八・アタ』という寸法を示す→大きなという意)のマークが付いている。この烏は、『古事記』、『日本書紀』に登場しており、その中では、天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫である、日本建国を目指すイワレヒコ(即位して神武天皇)が、現在の和歌山県熊野地方で遭難した時に、高天原から一羽の大きな烏が遣わされ、一行の道案内をしたと書かれている。このカラスの導きがあってこそ、神武天皇は敵を討ち、大和の国を平定した…とされている事から、「ヤタガラス」は「勝利に導くシンボル」として付けられているようだ。「ヤタガラス」に導かれて決勝リーグ進出へ…。日本チームはどんなサッカーを見せてくれるのだろうか?開催国・ドイツの各スタジアムは、芝のコンディションを整えて、各国の選手達を待っている。

◎W杯開催の各競技場ガイド
http://sports.nikkei.co.jp/wc2006/game/stadium.cfm
クリックすると元のサイズで表示します
★以下は、お仕事で現在ドイツ滞在中のスパイラルさんから、ボールについてのコメントです。

六角形20枚と五角形12枚を組み合わせたサッカーボールの形は、13種類ある「アルキメデスの立体」(Archimedean solid)の内の1種で「切頭(頂)二十面体」と言って、正三角形20枚で構成される「正二十面体」の12個の頂点を切り取った多面体です。理論上の起源は、紀元前3世紀頃の古代ギリシアですが、これより遥か昔から「亀の甲羅」は六角形と五角形の組み合わせ。やはり、一番偉大な数学者は「自然界」ですね。

今回のFIFAワールドカップから、アディダスと日本の(株)モルテンが共同開発したボールが使われます。従来の亀甲パネルからデザインも一新されましたが、これは86’メキシコWCでの合成皮革採用ボール(アステカ)に次ぐ大きな変更で、今大会のボールの名前は"+Teamgeist"。確か日韓WCでは「フィーバーノヴァ」。仏WCでは「トリコロール」とか言う名前でしたね。採用が検討されていたゴール判定用のICチップは誤作動が多すぎ採用見送りとなりましたが、ゴール判定にICチップとはコッリーナさんが去ったあと審判力が問われていると言うことでしょうか。

ベルリンで決勝戦用の"Final"と書かれた金色のボールを見ましたが、縫い目がスムース過ぎて「空気力学的に不規則な揺れを生じGKに不利」と言うのが分かるような気がします。その他のWC試合球は一個一個にスタジアム名・チーム名・試合日・キックオフ時間が刻印されたものが使われるそうです。 

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2006/5/25

ちょうちんブルマのルーツ…その出生から2才まで その1  学生時代の思い出とちょうちんブルマ

もうすぐ、サッカーW杯と言う事で、昨日はW杯の審判の秀でた運動能力について書いた。私が実の両親から遺伝的に貰ったもので、唯一、他の人より少し優れていた能力が運動能力だったと感謝している。私は、小学校の時から、体育の時間だけが楽しみだった。後は、両親とも身長も(鼻も)高く私は、いつか伸びるだろう…と希望を持ち続けて現在に至っていて、両親が持っていた他の良い所は、殆ど似ていない気がしている。そもそも生まれた時の私は、1700グラムの未熟児で、母は、妊娠中毒症がひどく、妊娠5ヶ月から入退院を繰り返していたが、8ヵ月も終わりに近づいた時、容態が悪化して緊急手術となったらしい。両親とも居ない今は、詳しく聞く事が出来ないが、帝王切開なのに深夜1時に生まれているという結果で、その緊急性を知る事が出来る。母体だけでも助けたい…という目的の手術だったらしいが、私は生命力が強かったらしく生きている事が出来たのだ。
クリックすると元のサイズで表示します初めてのひな祭りの写真(9ヶ月)

更に私の生命力の強さは、並大抵ではなく、翌年10ヶ月で迎えた「赤ちゃんコンクール」(決して赤ちゃんの美人コンテストではない)の未熟児の部で、健康優良児として岐阜県で優勝してしまうという、成長ぶりだったようだ。母は、そのお礼と報告も兼ねて、私が4才になるまで、お世話になった岐阜大学病院へ毎年訪れていた。4才以降は母がいなくなった為、行ってはいなかったのだが、大人になって当時の看護師さんに偶然出会った時、看護師さんは、私の名前を見て「あの時の赤ちゃん」と思い出して下さった。それくらい、駄目かと諦めていた赤ちゃんが健康優良児に選ばれ、新聞にも載ってしまったのは、印象的だったらしい。

さて、私は物心ついた時から、走るのが早く、短距離も長距離も強かった。それは、両親からの遺伝的要素と、後天的に悪戯ばかりして、特に祖母から追い駆けられていたから…と自分で思っていたのだが、何年か前に、育ててくれた母が「蔵を整理していて見つけた」と、私の4才までのアルバムを持って来てくれた。私はそのアルバムを開いてみて驚いた。私の「逃げ足の速さルーツ」が、そのアルバムの中に載っていたからである。育ての母は親戚の人の紹介で、父の後妻として私が6才になる頃に嫁いで来たのだが、祖母は、私が生みの母を思い出さないようにと、幼少時のアルバムを蔵に隠していたようだ。それは、父と祖母が相談した結果、私の為に出した結論だったと思っている。
赤ちゃんコンクール入選の新聞(母と私)クリックすると元のサイズで表示します

アルバムを開いて行くと、母直筆のコメントも添えられていて、まず、未熟児だったかなり小さい生まれたての写真から始まり、お七夜、ひな祭りの写真と続いている。両親は、結婚して何年もなかなか子供が授からず、授かったと思ったら駄目になるかも?と諦めた事もあった反動か、その4才までに思い切り可愛がって貰っていたな…と感じる事が出来た。更にアルバムの写真は、赤ちゃんコンクールで入選した時の新聞記事や、県下で優勝した際に、改めて新聞に載った「ほたる本邦初公開・ヌード写真」(オールヌードで刺激的過ぎる?為ブログでは非公開)と続いていた。また、この写真は、自分で見ても結構笑える。当時、家業が写真屋さんをしていた伯母曰く、新聞社の本格的なカメラマンのフラッシュを前に、泣き叫ぶ赤ちゃんの中、1人だけ笑って手をパチパチと拍手していたらしく、その横綱ばり?の心臓でも県下一だったそうだ。父からは「こいつは、もしかしたら馬鹿かもしれない?」と心配した程、何にも動じず、へらへらしていたとも…聞いていた。
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2006/5/25

ちょうちんブルマのルーツ…その出生から2才まで その2  学生時代の思い出とちょうちんブルマ

そんな私の初めての長い旅行は、2才を前にした今頃の時期、祖父の末の弟が住んでいた大阪へ行った事だった。私はその小父さんを「大阪の秀(ひで)小父さん」と呼んでいたが、毎年、お盆と正月には、私の育った家にやって来て何日か滞在し、随分と可愛がって貰った思い出がある。アルバムによると、秀小父さんは、私達を奈良へと連れて行ってくれたようだ。そして私は、大仏の大きさに魂消たらしいが、大仏の鼻の穴の大きさとは露知らず、柱に刳り貫かれた穴を、何度も何度も潜って喜んでいたようだ。そしてその後、若草山を訪れている。問題はここである。若草山には鹿が放し飼いになっている。両親は、恒例の如く「鹿せんべい」を買い、私に鹿へ食べさせるようにと、与えた。ところが…である。食い意地が張っていたのか、はたまた、悪戯心があったのか、自分でも定かではないのだが、私は、鹿にあげるふりをして、自分で「鹿せんべい」を食べてしまったのだ。

クリックすると元のサイズで表示します 鹿に追われている証拠写真。
宙に浮く私の足と対照的な鹿のカメラ目線が憎い?(クリックで拡大します)


目の前にせんべいを出されるも、自分より図体の小さい子供に、食べられてしまった鹿は、きっと怒ったのだろう…私を追いかけて来た。流石の私も逃げ出した。鹿はずっと追って来たようで、私は泣きながら母の元へと辿り着いた。しかし、両親は恐がる私に、鹿さんに謝れと「ごめんなさい」を言わせ、もう1度、「鹿せんべい」を与えさせた。母に抱かれながら、せんべいを持ち、思い切り足を突っ張らせて、体は引いてしまっている情けない姿の写真も残っていた。それにしても、この一連の動作を、本来なら助けてくれるべき存在の父が、カメラに収めていたのも、何か解せない。そしてよく見ると鹿は、ちゃっかりカメラ目線であるのだ。2才に満たない子供の足が宙に浮いて必死に走っている。そして、その後ろを余裕で追い駆けるカメラ目線の鹿…。私は、(残念ながら)ここに「ちょうちんブルマ」のルーツを見つけた。
必死の形相でせんべいをあげ直す私。クリックすると元のサイズで表示します

この一枚は、何とも情けない写真であるが、その写真からは、「悪い事?をしたらちゃんと謝りなさい」という両親の教えも伝わって来た。2才の私のこの体験は、今では殆どその記憶は残っていないのだが、人としての基本・謝る事を教えられた事に、今改めて感謝し、けっして忘れてはいけないと思っている。…しかしながら、生まれて直ぐから、私の人生が、目標としている「エレガント」からは、かけ離れた「三枚目路線」として確定していたのか…とアルバムを見て、嘆かわしいやら、笑えるやら…であった。全く、今までの私のささやかな「エレガント路線」への心がけと努力は、所詮無駄だったという事なのだ。

また、その写真を見ていると、運動能力だけでなく、泣きながら逃げる我が子を、恐らく楽しみながら?撮影した父の「悪戯心」も、私に遺伝していると推察できた。アルバムの続きの写真からも、その片鱗が伺われる。その後は、悪戯している様子が写された写真ばかりなのだ。結果、私の悪戯心の一番の被害に遭ったのは、両親は勿論だが、後には、腹違いの妹と弟達だった気がしている。妹については、前の日記で触れているが、弟の事も色々と思い出している。その逸話等はまた別の日記で…。
クリックすると元のサイズで表示しますカメラを向けても、悪戯ばかりの9ヶ月頃
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2006/5/24

サッカーW杯まで17日…審判に思う事(コリーナさんを讃えながら)  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

ワールドカップに参加する国は、各地区の厳しい予選を勝ち抜いてこそ参加となるのは、周知の通りだが、ワールドカップで笛を吹く審判の座をかけても、厳しいテストが行われているようだ。4年前、日韓共同開催の前大会で、その堂々たる審判ぶりが印象的だったコリーナ審判(イタリア語ではコッリーナと発音)は、2005年、45才で定年となられて現役を退かれてしまい、失礼ながら選手よりもコリーナさんファンの私としては、その勇姿が観られないのはとても残念だが、前大会の決勝戦、そして因縁対決「イングランドVSアルゼンチン」の大会でも主審を務められたコリーナさんに敬意を表しながら、W杯の審判にスポットを当ててみたいと思った。
クリックすると元のサイズで表示します 2002年W杯・アルゼンチンVSイギリス
因縁試合の開始時、握手を笑顔で見守る主審のコリーナさん(右から2人目)


サッカーの試合を観ていると、選手はそれぞれポジションがあり、若干構えている時間もあるようだが、主審ともなると、常にボールと共に動き、選手より運動量が、かなり多い事に気付く。よって審判のテストは、始め健康診断からスタートし、最後は運動能力テストに終わるそうだ。この運動能力テストには2種類あり、短距離走として、40メートルを6.2秒以内で6回走り、スタートラインまで戻る時間は合わせて1分30秒というスピードを求められる。更にもう1つのテストでは、150メートルを30秒以内で10回走り、その間、次のスタート地点まで50メートルを35秒以内で歩かなければならない。勿論コースから出てしまえば失格となり、そのスタミナと回復力が求められている。

勿論、FIFA(国際サッカー連盟)の委員会による、ルールについての筆記試験や面接もある。計20分間の英語の選択試験の後、試合ルールに関する試験を、30分間受ける。更にビデオによるテストでは、24の事例を2度見せられ、どのような判定を下すかを、即答しなければならないそうだ。今回ドイツ大会に向けても先々月、フランクフルトで行われた最終テストに、世界38カ国から44人の国際審判がW杯審判の座を目指した。ドイツ大会と前回の大会との最大の違いは、同じ国、または同じ連盟から3人以上の審判チームを採用し、過去にあったような誤解を無くそうとしているという点だ。この審判のチーム制を導入する事により、審判とアシスタントの意志の疎通を計り、過去にあったような誤解を避けようという試みである。このアシスタントのテストも先月末に行われ、審判チームの中の1人でも不合格になれば、チーム全体が失格になるという厳正ぶりだったようだ。W杯に参加できるのは、選手達も一握りの過ぎないが、審判の方達も、想像を超える程の厳しいテストを通り抜けなければならないのだ。
敗者に温かいコリーナさん・中田選手と…クリックすると元のサイズで表示します

素早い判断力と運動能力を必要とされる審判の仕事…。私は、サッカーはプレイした事が無いので、まったくもって妙な発想をしたのだが、前回のワールドカップの時、コリーナさんが出ている試合でコリーナさんは、常にプレイの先を読み、どちらのチームの選手から見ても、絶好の位置にいる気がして、『そこでコリーナさんにパス!』と、つい叫んだりしてしまっていた。後でTVの特集を観て知ったが、コリーナさんは、予め受け持つ試合のチームの試合をビデオで観て、チームの戦術や各選手の特徴を掴んでから試合に臨んだと言う。当時、その審判としての徹底したプロ意識にも脱帽した。更に試合も後半になると、選手は苦しそうな表情を見せる中、涼しい顔で走り回っていたコリーナさんばかりを目で追いかけていた。そして、コリーナさんが決勝戦の審判を勤めると知った時は、嬉しさ半分、コリーナさんの体調管理の事さえ、心配してしまった程のファンになっていた。今回の運動能力テストに協力したドイツの医師、エルンスト・ヤコブ氏は語った。「トップレベルの国際試合で、笛を吹いている審判というのは、皆フィジカルコンディションもトップクラスであるという事が証明されています」。

★ピエルルイジ・コリーナ
1960年2月13日生まれ、イタリア出身。イタリア語、英・仏・西と4ヶ国語を話す。1977年審判としてデビュー。1995年FIFAの国際審判となる。1998年から6年連続で世界最優秀審判に選ばれた。スキンヘッドの風貌と、猛抗議にも屈しない毅然とした態度で有名。24歳で脱毛症という病気になり、判定に不服を抱いたドイツの選手から嫌味でドライヤーを贈られた事もある。専用ホームページで海外の審判の相談に答える等、世界最高の主審として人望も厚い。九州のたこ焼きチェーン「八ちゃん堂」のテレビCMにも出演した。 2005年6月18日、イタリアの審判定年制に基づき引退。定年を延ばす特例を出すと引退惜しまれたが、名審判は最後までルールを守りぬいた。本業はファイナルシャルアドバイザー。趣味は読書。
★信条…「試合に関る全ての人との良好な関係を築けば、良い試合になる。」 


因みにドイツ大会では、日本から2大会連続で上川徹氏が、名誉ある主審審判として選ばれた。以下は、決定後の上川氏のコメント。
「再び夢のフィールドに立てる事に、大きな喜びと誇りを感じています。経験を生かし、平常心でしっかりと試合をコントロールしたいと思います。また、私の活動を支えて下さった皆様に深く感謝申し上げます。」川上氏にも、コリーナさんのような毅然とした審判ぶりを期待したい。

◎コリーナさんのエピソードについては、イタリア在住のスピンさんが書いて下さった、昨日の記事のコメント欄を、是非お読み下さい。
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2006/5/23

サッカーW杯まで18日…「オフサイド」について思う事  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

サッカーのワールドカップまで、後18日となった。ワールドカップは、体操も、レスリングも、そしてウィンタースポーツのスキー等、他の種目でも開催されているが、単に「ワールドカップ」と聞くと『サッカー』を一番に想像する人が多いだろう。地球規模で考えると、サッカーは、世界一愛されているスポーツと言っても過言ではないほど、多くの国々でプレイされているスポーツである。しかしながら、このサッカーというスポーツ…。夢中で観ていると私の中で、何故かじれったいような矛盾が生まれて来る。それは、本来、点数を取って競い合うスポーツでありながら、得点が入りにくいようなルールが設けられている事だと気付く。そのルールの代表が『オフサイド』である。この『オフサイド』とは、主にサッカーやラグビー等、フットボールに設けられたルールで、相手との相対関係で決まり、絶対位置は基より設定されていない。

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この『オフサイド』を簡単に説明すると、「ボールより前でプレーするのを厳しく制限する」ルールで、例えば、攻撃するチームの選手がパスを後方から受ける時に、必ず前方に守備側の選手が2人以上いなければならない…即ちパスを受ける時にゴールキーパーと1対1になってはいけないというもので、実に得点が入り難い…一見不合理とも思えるルールなのだ。何故こんなルールが生まれたのだろうか?と、そのルールの歴史を紐解くと、それはサッカーの起源とも言われている、中世まで遡る。サッカーの起源は諸説あるようだが、今回はイギリスの祭事として始まった説を有力説として記載して行こうと思う。日韓両国で開催された前回のワールドカップの際にも、その情景がNHKで特集された記憶もあった。

さて、その祭のイベントとして競技された当時はまだ、手を使って居り、どちらかと言うとラグビーに近いものであったようだが、村をあげて何百人単位で楽しんだ。競技場は、村全体を使用し、数キロ離れた村の端の門や水車がゴールだった。村人達は、二手に別れ、1つのボールを巡って組んず解れつ、川を越え、岡を越えて運んだが、村には外出禁止令を出し、参加者には、死者も出るほど荒っぽい祭事の競技だったらしい。勝敗は、片方がゴールすれば決し、競技は終わる。ゆえに1日かかってゴールする事もあれば、あっと言う間にゴールしてしまう事もあったらしいが、結果、お祭りの最大のイベントとして、一日中たっぷりと楽しむ為に、お互いにゴールさせないという暗黙の了解が出て来たようだ。そして、例えば待ち伏せ行為等をして、自分のチームサイドを離脱してボール奪い取り、簡単にゴールする事を「オフサイド」と呼んで禁止した。
クリックすると元のサイズで表示します W杯ドイツ大会・公式ボール(レプリカ)

その祭事の競技が、やがて村の広場へと会場を移し、学校の校庭へと移動してプレイされるようになり、サッカーとラグビーに分かれて行ったのだが、双方ともに起源である祭事の「オフサイドの精神」が残されて来たとされている。このように正に、オフサイドとは、待ち伏せ行為を禁止させるような…正々堂々とプレイするというルールである反面、得点・勝利には極めて禁欲的なルールである。しかし、このじれったさがあるからこそ、そのプロセスを大事にし、1点の価値が極めて重く、ゴールが得られた時、より一層、その歓喜が弾けるのだろう。特に日本代表チームは、国際試合等、大きな大会では、ゴール欠乏症に陥ってきている。ジーコ監督は「便秘のようなすっきりしない試合」と例え、今回ドイツ大会の人選では、FWの選手選びにかなり悩んだようだ。ワールドカップでは、日本選手による「ゴーーール」の声を是非、何度も聞きたいものである。

 ◎以下は、イタリア在住のスピンさんが、書いて下さったコメントより、サッカーのイタリア発祥説…
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サッカーは、イングランドがルーツ国、これサッカーファンの常識ですよね? でも、イタリアの常識は違います。 サッカーもイタリアが最初なんです。全ての道はローマに通じちゃうんです。サッカーをヨーロッパのほとんどの国では"Footballかそれに近い言葉で表しますよね。 これがイタリアでは"Calcio"…カルチョ=蹴るって意味なので「蹴るチョッ!」って感じかしら? 五角形・六角形のサッカーボールだってダヴィンチのスケッチが元になってるとか、ルールはイングランドに合わせてあげているとか言っています。しまいには、イングランドは昔ローマ帝国領だったとか、ユーヴェ"Juventus"は初代ローマ皇帝の"Augustus Caesar"がつけた名前だとか言うけど、なにも紀元前まで遡らなくてもいいのにね。


◎以下イタリアのサッカーについて…起源など詳しく書かれたHP
http://www.h3.dion.ne.jp/~bologna/calcio.htm

◎当ブログ内「サッカー・W杯まで1ケ月半…「ベルリンの奇跡」から70年後に」の記事
http://diary.jp.aol.com/applet/hotarudesu/20060424/archive
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