2006/6/30

東西の力を集結し、32年ぶりの主催国優勝へ…W杯・ドイツチーム  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

1974年W杯、西ドイツ大会は…開催国、西ドイツの優勝も語り継がれているが、当時「鉄のカーテン」で、断絶していた冷戦下の東西ドイツが対決をした、最初で最後の大会としても記録に残っている。それは、民主化の波が押し寄せ、「ベルリンの壁」が崩壊する15年前の事であった。その年が明けたばかりの1月5日、ワールドカップの組み分け抽選者に選ばれた、ベルリンの聖歌隊に所属していた11才の少年、デトレフ・ランゲ君がひいたボールは、運命の対決を演出した。当時41ヶ国で実況放送され、約8億人が見守る中、一次リーグ1組に、東西ドイツが組み込まれると、会場にはどよめきの後、歓声が巻き起こり、世界中には衝撃が走った。
クリックすると元のサイズで表示します 32年前優勝の西ドイツ・ベッケンバウアー

そして迎えた6月22日、ハンブルグのフォルクスパルク・スタジアムは、6万人の大観衆を集め、東西ドイツの戦いとなった。サポーターの殆どが西ドイツ側で、誰もが2年前欧州チャンピオンに君臨した、西ドイツの勝利を疑わなかった。当時東ドイツのエースだった、ユルゲン・シュパルバッサーは、当時を振り返ってこう語っている。「社会主義対資本主義という政治的な構図を背景に騒がれていたし、僕達も負けるわけには行かなかった」。スコアは0対0のまま、前半を終え、観客からは西ドイツに対するブーイングが大きくなりだした。そして後半開始8分後、東ドイツGKから送られたボールでのカウンターアタックから、シュパルバッサーがシュートを決めた。シュパルバッサーはピッチの上で、でんぐり返しをして喜んだという。

しかし、東側の駆けつけた2500人の観客は、喜びを分かち合う程のサッカーファンではなかった。シュパルバッサーの回想によると、東ドイツは、ドイツ社会主義統一党の仕切りで、西ドイツに亡命する事のない模範的な市民のみを送り込み、普段はサッカーとは何の関係もない人達だったという。結果スコアは、1対0のまま、東ドイツが歴史的勝利を挙げた。シュパルバッサーがロッカールームに引き上げる途中の通路で、西ドイツのパウウル・バドナーが待っていて、ユニフォーム交換を申し出た。続いて他の選手達も東ドイツのロッカーにやって来て、脱いだばかりのユニフォームが積まれた洗濯籠を指差し、交換を提案した。同じドイツ人として、政治的背景を乗越えた、スポーツ選手ならではの友好の儀式だった。
キャプテン・バラックとチームメイト。クリックすると元のサイズで表示します

この試合を契機に、西ドイツは、キャプテンのベッケンバウアーを事実上の監督とし、戦略を練り直して決勝トーナメントで勝ち進み、遂に7月7日、オランダとの決勝で勝利し、W杯の頂点に立った。ベッケンバウアーはカイザー(皇帝)と呼ばれ、その後のサッカー界に選手として、監督として様々な形で君臨し続ける事になる。尚、このW杯で、西ドイツが敗戦を記したのは唯一、東ドイツだけだった。ベッケンバウアーとシュパルバッサーは、今も交友関係を続け、今大会、大会組織委員長として活躍が光るベッケンバウアーから、開幕戦のドイツ対エクアドルのチケットが届いたそうだ。

当時から選手達に壁はなかった、しかし、東西ドイツ統一後、現在も東側の貧窮は続いている現状は否めない。BSの特集でも観たが、東側でプレーする選手達は、プロとは名ばかりでギャラも安く、雪が降っても除雪設備が無い為、自ら雪かきをしてグランドを整備しなければならない。そんな恵まれない環境下でも、東ドイツ式英才教育を受けた選手が育ち活躍している。今大会、ドイツのキャプテン、ミヒャエル・バラックもその1人だ。シュパルバッサーは、バラックら東側出身の選手の活躍に自信を深め、来春自らが学んだ東ドイツ式のカリキュラムを土台に、6才から14才までのサッカーの英才教育をする『ユルゲン・シュパルバッサー・スポーツ学校』をベルリンで開校し、若年層の育成に力を注いで行くという。

「東側出身のキャプテンだからこそ、意味がある」…。ベッケンバウアーは、そのプレーの類似性から、「小皇帝」とも呼ばれるバラックに、大いに期待を寄せているそうだ。前回大会の決勝戦では、バラックの出場停止もあり、ブラジルに敗れた。だが、今大会は地元の利も生かして、充分優勝を狙える位置に来た。まずはアルゼンチン戦。厳しい内容にはなるだろうが、東西の力を集結したドイツチームに死角はあるのだろうか。バラックをキャプテンとするドイツチームは、東西出身の2人の先輩に見守られ、32年ぶりの優勝へ…ドイツ全国民共通の夢…頂点へと、今駆け上がろうとしている。
クリックすると元のサイズで表示します 2002年決勝後、カーンのこの姿が目に焼きついた。

◎追記
ドイツと言えば、GKのオリバー・カーンと印象付けられた前回大会…。今季カーンは、正キーパーの座をレーマンに明け渡している。正GKで無ければ代表を降りるのでは?と懸念されていたが、28日に開催されたドイツサッカー協会の記者会見の様子が報道され、そんな杞憂を一蹴した。カーンは、自らの口で、正GKレーマンを賛辞し、インテリジェンスに溢れた質疑応答をした。そして、裏方でもチームに貢献できる喜びを述べチームワークに徹する内容だった。その姿は、これまで強烈な自己主張を繰り返し物議を呼んできたカーンとは別人だったという。自身が負けた相手を讃える潔さ…。ドイツ国内ではカーンに対する敬意も広がりを見せているそうだ。マイナス経験を心の余裕に成長させたカーンの姿から、私達も学ぶものが多い気がした。

◎参考
サッカーキングNo32/朝日新聞社・中日新聞6月30日紙面より
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2006/6/29

W杯、8強出揃う…トッティやジダンの活躍に思うこと  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

ワールドカップも大詰め…『ドイツ、アルゼンチン、イタリア、ウクライナ、イングランド、ポルトガル、ブラジル 、フランス 』と、8強が出揃った。見渡せば、過去のW杯で優勝した国の全7ヶ国中、ウクライナを除いた6ヶ国がその名を連ねていた。今大会で国家独立後、初出場で8強入りをしたウクライナ以外は、各組シードされた国が順当に勝ち上がった。伝統とは由々しきものだと痛感した。初出場のウクライナは、90分+30分の死闘の上、PK戦でスイスに勝った。一次リーグから、全ての試合を無失点に防いで来たスイスも、PK戦になった時、チームの若さが露出したのか、3人蹴っても、誰一人としてゴールネットを揺らす事が出来ず、敗退してしまった。
クリックすると元のサイズで表示します ロスタイムにPKを決め、このゴールを
「10ヶ月の我が子に捧げる」と指しゃぶりをして見せたトッティ。


反対に、8強に残ったW杯優勝経験を持つ伝統のある国々では、ベテランの域に達した選手の活躍も光った。中でも私の印象に残っている選手は、0対0のまま、あわや延長戦かと誰もが思った後半ロスタイム、PKを見事に決めたイタリアのトッティ…。酷暑の為体調を崩しながらも、絶妙なフリーキックを決めたベッカム…。華麗なドリブルが復活したポルトガルのフィーゴ…。そして駄目押しのゴールを、自らの足で叩き出したフランスのジダンだった。更にトッティとジダンはお互い、前回大会では苦い体験を持っていた。そして、トッティは今年2月に右足首を骨折し、今もまだボルトが8本入ったまま、5月になって、ようやくピッチに立てるようになったばかりだという。

また、ジダンは、前回大会の直前、韓国との親善試合で怪我をしてしまい、殆どの試合に出ることが出来なかった。その悔しさを胸に抱えたまま、体力の限界を感じ、2004年にはフランス代表から退く決意をした。しかし今大会への予選となった各試合で、アンリ、トレセゲ、ビエラのスター選手らが上手く機能せず、苦戦が続き、ジダンが呼び戻された。母国の為に代表入りするも、ジダンは今大会終了後の引退を表明している。そんなジダンだが、決勝Tの対スペインの試合では、1998年フランス大会での活躍を彷彿させるような動きだった。失礼ながら、ジダンの勇姿を観られるのは最後かもしれない?と思っていた私の推測を打ち砕くように、ゴールアシストをし、更に相手をかわす見事な足技から、シュートを繰り出し得点した。チームメイトもジダンの花道を飾る如く、一致団結していた。ベテランを守り立てるチームワーク…。このような光景を見せてくれるW杯には、やはり、心動かされるものがある。準々決勝は、6月30日から…。好カードが続き、そこにまた新しいドラマが待っていると思うと、既に今から、ときめいてしまう。
ゴールを決め祝福されるジダン。 クリックすると元のサイズで表示します

一方、今大会では、試合後、監督のインタビューを聞いたり、記事として読んだりしていると、(当たり前だが)負けた国に限って審判への苦情が目立った気がした。最近ではポルトガル対オランダ戦で、16枚のイエローカード、4枚のレッドカードが乱れ飛び、オランダの監督は「1分間事に試合の流れが止められ、ペースを乱された」と、主審のロシア・イワノフ氏を批判した。更にこれを受けて、FIFAのブラッター会長が、迂闊にも「審判にイエローカード」発言をし、その後の審判ぶりに影響が懸念された。中日スポーツコラムにも、書かれていたが、私も審判を非難するより、まずは選手にフェアプレーを、呼びかけるべきだと思った。

以下「会長こそイエローです。」中日スポーツ記事より引用。
『…前略。問題は責任のある立場人物が、配慮を欠く発言で現場の混乱を招く事だ。確かにイワノフ主審は激戦のあまり、途中から試合の制御を欠いた場面はあったが、あくまで基準に従った忠実な判定を下していた。…中略…。今大会の審判団は、周到な準備を重ね、過去の大会を上回るレベルで判定を下していると見られる。世間の反響に迎合するような不用意な判定で、批判ばかり浴びては、審判の立つ瀬が無くなってしまう』ケルン・時事通信。

さて、審判としてW杯に出場している上川氏と広嶋氏らは、一次リーグで、2試合を担当した以降は、控え審判となっていた。FIFAは、28日、この先笛を吹く可能性の無い、帰国審判を発表する。今後の日本サッカー界の為に、例え控えであってもドイツに残り、審判の立場として、生で試合を観て来て欲しいと願っている。

◎箸休め
W杯を観ている私の影響か、しっかりサッカー通になったつもりの父は、28日の夜、BSで放映された、『フーリガンを防げ!ドイツミュンヘン』という番組を観ていた。そして一言。「ヨーロッパのサッカー場では、フリーターが発炎筒を炊いたりして暴れるらしいなぁ。警備も大変やなぁ」と言った。私は「フリーターじゃなくて、フーリガンって言うんだよ」と言ったが、番組の中で「フーリガンの根底には、失業問題や人種差別などがある」と報道していた為、「失業問題」だけが更にインプットされたようで「サッカーが好きやったら、フリーター問題も知っとかななぁ」と、説教気味に駄目押しされた。もう1度訂正したが、最後まで父は、私が間違えている…と思ったままだった。流石の私も諦めたが、毎日のように、本宅にいる犬の散歩に行ってご近所さんと、サッカー談義をしていると聞き、明日の話題が心配になった。誰か父の間違いを正してくれる人は、いないだろうか…。


★上川氏らは、審判団23チーム中の12チームに選ばれ、控え審判として残る事になった。名誉な事と讃えたい。(6/29)
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2006/6/27

W杯、イングランド対エクアドルを観戦して…DF・ジョン・テリー  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

イングランド代表、DF・ジョン・テリー。私が彼の名前を脳裏に刻みつけたのは、6月15日の一次リーグ、イングランド対トリニダード・トバコ戦だった。イングランドのGKロビンソンが、ボールをキャッチしようと前に出たがスルーされて、トリニダード・トバコの決定的得点のチャンスになった。トリニダード・トバコのFW・スターン・ジョンが、ゴールへ押し込もうとした所へ、素早く走り込み、オーバーヘッドキックでクリアした選手…。それがテリー選手だった。ディフェンダーとしての位置取りの良さが素晴らしいのか、その後もテリーの好セーブが目立った試合だった。
クリックすると元のサイズで表示します 危機一髪を救ったテリーの右足。

決勝トーナメントへ勝ち進んだイングランドは、現地時間の26日、強豪エクアドルと対戦した。両者相譲らない攻防が続き、勝って8強入りをしたのは、後半15分、ベッカムの鮮やかなフリーキックで1点を獲得した、イングランドだった。ベッカムは、試合中に嘔吐したほど体調が良くなかったが、この巧みなフリーキックをゴールポストの中に決める事によって、いぷし銀のようなキックの精巧さと、キャプテンとしての意地を見せた。しかし、FIFAがMOM(マン・オブザ・マッチ)に選んだのは、殊勲打を放ったベッカムではなく、献身的に自陣のゴール前でクリアし続けた、ジョン・テリーだった。

前記した、トリニダード・トバコ戦から、すっかりテリーのファンになった私は、この試合もテリー選手の動きに注目していた。前半11分、芝で滑ってしまったようなクリアミスで大ピンチを招いて冷や汗を掻いたが、その後は、好守備が光り、イングランドを完封勝利へと導いた。サッカーの試合を観ていると、華やかな得点シーンに目を奪われがちだ。そしてキーパーの好守は目立つものだが、ディフェンス陣の身を挺したセーブは、地味になってしまい、なかなか評価され難い気がしていた。そんな中、テリーのMOM受賞は、とても嬉しいニュースだった。
キャプテンを託し交代するベッカム。クリックすると元のサイズで表示します

ジョン・テリーは、1980年12月7日、イギリスのロンドンに生まれた。チェルシーチームの訓練生として育ち、1998年、17才の若さでトップ選手としてデビューを果たした。その後2年間は、修行の時代が続いたが、2000年から2001年に出場機会を増やすと、以降はチェルシーの主力として定着。チェルシーの知将、モウリーニョ監督の絶大なる信頼を得て、現在はプレミア・シップ2連勝軍団のキャプテンを務めている。このテリー選手…。一見若き英国紳士に見えるのだが、その経歴を辿ると、なかなかやんちゃな時期もあって面白い。彼にとってのそのターニングポイントとなった事件は、2002年、前回W杯が開催された年に遡る。2001年9月に泥酔した痴態を写真誌に撮影されて、それが報道され、更に年が明けた1月には、同僚でイングランド代表のランパードとナイトクラブで店員に暴行を働いたとして、何と警察に逮捕されてしまった。

結果、無実として釈放されたものの、W杯に向けてモチベーションを高めていく大事な時期に、刑務所送りになるのを覚悟して、歯磨きセットやラジオまで用意する羽目になったという屈辱を受けた。しかし、この逆境を機に、テリーは、ライフスタイルをすっかり変え一切の酒を断ち、練習の虫と化して、チェルシーの年間最優秀選手に選ばれるほどに成長した。今や、その人望の厚さはイングランドの選手の中でも群を抜いており、次期代表キャプテンと嘱望されているという。サッカーに於けるDF陣は、スピードのある相手チームのストライカー達とダイレクトに対さければならない。そんなポジションでテリーは、対人プレーと空中戦に絶対的強さを見せている。今大会「イングランドが優勝候補だ」という声も、彼の活躍があるからこそ…の気がした。
クリックすると元のサイズで表示しますエクアドル戦前のイングランド代表。
写真は、全てクリックで拡大します。


奇しくも、このブログを書いている今、F組2位通過のオーストラリア対イタリア戦が行われている。たられば…ではあるが、もし日本が勝ち進んでいれば、この試合に出場していたはすである。前半戦、攻め入るイタリア選手を防ぎ続けたオーストラリアのDFの選手達の好プレーぶりが随所に光る。どんなFWにも屈しないフィジカルの強さを誇るDF陣の育成…日本はシュートの打てるFWの選手を育てる事は勿論だが、イングランドやオーストラリアのDF陣の強さも見習って欲しいと思った。尚、MOMに推奨したFIFAのテクニカル・スタディ・グループは、テリーのプレーを「殆どミスがなく、守備面では完璧な試合だった。チームメートのミスを助け、エクアドルの好機を止めていた」と評価した。

◎参考
日刊スポーツ(インターネット版)、ワールドサッカーキングVol 032(朝日新聞社)


★追記
オーストラリア対イタリアは、0対0の攻防の末、後半ロスタイムに得たPKを、途中出場のトッティが見事に決めて勝利した。前大会の決勝Tで、トッティはヒディング率いる韓国との試合でシュミレーションの反則を取られ退場、チームは目の前で延長戦の末敗れるという屈辱を味わった。このPKによってトッティは、対ヒディング監督にリベンジを果たした形となった。それにしても、破れはしたが、オーストラリアを就任僅か1年で、素晴らしいチームに育てたヒディング監督…。その功績を讃えたい。ヒディング監督は、来季からロシアの監督就任が決まっているそうだ。
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2006/6/26

W杯、決勝T開始…帰国した日本チームと中田選手に思う事  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

サッカーW杯の決勝トーナメントが開始された24日、一次リーグで敗退した日本の選手達が帰国した。その中に、中田英寿選手の姿は無かった。中田選手は、自身の公式HPでブラジル戦を前に、「この試合が最後とならないように…」と、W杯の後の代表引退をほのめかしていたが、試合の後、芝に倒れたまま「次につなげるしかない。まだまだ力が足りない」と話したと言われ、また、中田選手を、ドイツのブンデスリーガ・ヘルタが獲得に動き出した事が判明。その動向が注目されている。ブンデスリーガ・ヘルタは、F組のライバルだったクロアチア代表の主将MFのN・コバチが今季限りで退団すると決まっており、後継の手を探しているという。既に昨季も、中田選手にオファーを出しているという事実もあり、中田選手獲得に本腰を入れ始めたそうだ。
 クリックすると元のサイズで表示しますオーバーヘッドでキックする中田選手。

中田選手については、現在セリエA・フィオレンティーナと、今季レンタル移籍したボルトンとの交渉が間もなく開始される予定らしい。プレミア残留を第一希望に交渉は進められるそうだが、ブンデスリーガ・ヘルタの本拠地ベルリンと契約し、イタリア、イングランドに続く第3のリーグにその身を移して戦う可能性が出てきた。日本チームの中で唯一、W杯に出場した過去3大会、全10試合に出場した中田選手…。その流した涙は、W杯への惜別の涙だったのか、再びこの場に立つという誓いの涙だったのか…。中田選手自身も、実は解らないのかもしれない。中田選手を包み込むような芝の緑が一際鮮やかに見え、松尾芭蕉の句が浮かんだ。

  「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」  

クリックすると元のサイズで表示します

日本が哀愁を残してきたドイツの各会場で、決勝トーナメントは、現在2日目を向かえ、TVではイングランド対エクアドルの試合を実況している。決勝トーナメントに勝ち上がった今大会のベスト16の国は、連盟別に欧州⇒10、南米⇒3、北中米カリブ海⇒1、オセアニア⇒1、で、アジア勢は4ヶ国が全て敗退した。アジア連盟の出場枠は、1998年、フランス大会で、出場チームが32ヶ国に増えたのを契機に、2ヶ国からプレーオフ分の0・50枠を含む、3・5ヶ国に増えた。そして、前回は開催国という事で、日本と韓国の分、2ヶ国を入れての4・5枠にされた。今大会は、その日韓大会での両国の健闘もあり(韓国ベスト4、日本ベスト16)、開催国枠に関係なく、4・5枠が与えられて、サウジアラビア、イラン、韓国、日本と4ヵ国が出場した。しかし、1ヵ国も一次リーグを突破できず、次回2010年の南アフリカ大会の出場枠が削減されるのでは?と懸念される。
クリックすると元のサイズで表示します 左からオーウェン、レノンとルーニー。
(オーウェンは怪我で今大会は絶望だが、若い力も台頭しベスト8を決めた)


しかも2010年の大会予選からは、オセアニア連盟から、アジア連盟に転籍したオーストラリアが参加してくる。今大会日本を下して、決勝トーナメントへ進んだオーストラリアが参戦する上に、出場枠が減らされてしまうようでは、日本チームのW杯出場への道は、更に茨の道となるだろう。そのうえ、世界ユース準優勝の1979年生まれの小野選手ら以降が続いて居らず次世代が育っているとは、言い難い。試合を観ていたら、ベッカムのフリーキックで先制したイングランドは、そのベッカムに変えて、プレミアシップて゜最少年齢出場記録を保持する神童、アーロン・レノン(19才)を登場させた。レノンは、短時間ではあったがスピードと力で、若さを証明してみせた。更に今回、イングランドは、出場こそしていないが、レノンだけでなく、17才のテオ・オルコットも抜擢し代表メンバーに入れている。怪我から復帰し、相手を引きずるような豪快なドリブルで、相手チームをかき回しているルーニーも、20才とU22(22才以下)の選手である。日本チームにU22の選手が1人も選ばれていなかったのも、非常に気がかりであった。
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2006/6/24

私の誕生日の長い1日…W杯日本対ブラジル観戦から泥棒事件まで  日記(今日思うこと)

今朝は、3時30分に、ぱっちりと目が覚め、ワールドカップの日本対ブラジル戦を観戦した。試合を観た後の脱力感から少し転寝をして、そのまま、仕事に入った。仕事は、そんなに忙しかった訳ではないが、スタッフの1人が夏風邪を引いて休んでいた為、人手不足に拍車がかかり、慌しい1日だった。夜7時までご予約があり、その後、友達の企画で誕生日の食事会に出かけた。そのお店は完全予約制の和洋中入り交ざった創作料理が売りのお店で、私は初めて連れて行って貰った。7時になると友達が車で迎えに来てくれていて、仕事を終えたばかりの私は、慌てて車に乗り込んだ。そのお店は私のお店から高速道路を使って車で25分くらいの所にある。高速に乗って気がついた。デジカメを充電したまま、忘れてきた事に…。ブログにお料理の写真を載せる…と約束していた「ピュアラの部屋」のピュアラさんに申し訳ない…と思ったが、時既に遅しだった(ピュアラさんごめんなさい)。
クリックすると元のサイズで表示します 懐石風創作料理の葡萄屋さん。

海に面した店内は満席で、どちらかと言うと女性が多いお店だった。完全予約制の利点が生かされていて、タイミングよくお料理が出て来る。(詳しくは以下「葡萄屋」さんのブログ、今月のディナーを参照)。全ての料理に工夫がなされて居り、とても美味しかった。中でも私のお気に入りの料理は、まず、アパタイザーとして出てくる豆乳プリン、生ゆばと鱧(はも)の梅肉添え。それから人参と抹茶のスープ。鯛焼きと名付けられた黒鯛のパイ生地包み。←鯛焼きの形をしている。そしてメインのサーロインのガトー、デミグラスソース添えで、これは、お肉の味付とソースの味付具合が絶妙だった。その後、サラダ、リゾットが出て最後は、デザート…葛餅とフルーツのパッションフルーツソース。カラメルアイスクリームのシュー仕立てだった。
◎葡萄屋さんHP
http://www5e.biglobe.ne.jp/~budouya/

食事の途中で、ピュアラさんから、お祝いメールが届いた。可愛いピュアラさんちの「ちょび」という猫ちゃんの画像付きだった。皆で見て「可愛いい」と喜んでいたが、デジカメを忘れた事を報告しなければならない。苦手の親指シフトだが、携帯メールでその事を伝えた。ピュアラさんからは、早速返事が来て「携帯で写真撮るべし!」と書かれてあった。既に食事の殆どを済ませていた私は、携帯をカメラモードにした。私の機種はもう3年以上前のものだ。綺麗に撮れる自信はない。だから最初から携帯の撮影は諦めていた。デサートは、お皿に生クリームで、「HAPPY BHIRTHDAY HOTARU」と書かれロウソクが1本灯っていた。フラッシュの無い私の携帯ではそのロウソクが頼りだと撮ってみたが、暗くて上手く写らない。何気にメニューキーを押したら、何と「暗闇モード」があるではないか!?3年を過ぎて初めて知ったこの事実…。自分の馬鹿さ加減を棚に上げ、大発見とばかりに暗闇モードで初撮影した。
デザート、2種類が乗ったお皿の周囲に名前が入れられている。 クリックすると元のサイズで表示します

お腹一杯になって、良い気分で帰宅すると、びっくりする知らせが入っていた。何と本宅の裏にある倉庫(80坪)に泥棒が入ったと言うのだ。以下、父と私の会話。

私「泥棒が入ったんだって?大丈夫だったの?」

父「たあけ(たわけ…名古屋弁で馬鹿の意)な泥棒でなぁ。
 彼方此方で金目の物を盗んどって(盗んでいて)捕まったらしいわ」

私「もう捕まったの?家(うち)はいつ入られたの?」

父「知らんなぁ。捕まって家(うち)からも盗ったって自供したらしい」

私「何を盗って行ったんだろう?」

父「分からん。泥棒に聞きゃーいいわ」(聞けばいい)
  「警察に被害総額は?って聞かれたけどな、
  ガラクタも盗ってったかもしれんし、泥棒に聞いてくれって言っといた」。

クリックすると元のサイズで表示します
倉庫には、私のスキー用品や、乗馬用の鞍や長靴も入れてあった。それに農耕器具もあるし、父の愛車の軽トラックも収納してある。父は、毎日のように開けているはずだ。もし泥棒と鉢合わせして居直られたらと思うと、私は一瞬ぞっとしたが、このように、泥棒が逮捕されるまで、盗難に遭った事すら分かっていなかった父の話を聞いていて、父曰く、たあけ(たわけ)の泥棒に盗られた事も気付かないのは何者よ…?と思いながら、目出度いというか、大らかで笑えるというかで、何だか気が抜けてしまった。サッカー観戦の為に、気合を入れて早起きした誕生日、無事に仕事は終えて、フルコースを食べるもデジカメを忘れた馬鹿な私、既に新しい年齢の私に汚点?を残してしまった。そして私の長い1日の最後は、一瞬緊迫したがその後、どっと力が抜けるという結末だった。はてさて私のこの1年間…またもや、こんな1年になるのかと思うと、何だか先が思いやられる気がした。

◎お礼
メールやカードでお祝いメッセージを頂いた、aoiさん、ピュアラさん、Kさん、Usakoさん、ジョーさん、M&Mさん、Jさん、Tさん、Yutaさん、Miyuさん、S-マラーホフさん、Shinさん、ありがとうございました。
また、コメント欄で、ご丁寧にお祝いの言葉を頂いた方々には、順次お礼の返事をさせて頂きます。今後共、ご指導の程を、どうぞ宜しくお願い致します。

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2006/6/23

日本対ブラジル戦を観て…ブラジルを本気にさせた先制点  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

王者ブラジルを本気にさせた玉田選手のシュート。12分間のリードだったが、今大会無失点のブラジルから、得点を取ったのは、大いに意味がある事だと思った。そのリードしたムードを変えたのが前半ロスタイムに入ったロナウドのヘディングシュート。怪物ロナウドも、先発か控えかのぎりぎりの立場に立たされているゆえ、必死の姿が観て取れた。後半は終始ブラジルのペース。ブラジルの猛攻は、1戦目2戦目と、控えにいたジョニーニョの無回転のミドルシュートに始まった。控えだったと言ってもジョニーニョは、展開力に優れるリヨンチーム、五連覇の立役者であり、ドリブル、パス、フリーキック共にハイレベルである…このような選手が控えメンバーになっているのが、ブラジルの力の恐ろしいところだ。
クリックすると元のサイズで表示します 先制点を入れた玉田とジーコ監督。 

その後も、ロナウジーニョにアシストされて次のシュートを決めたジウベルトも、遅咲きではあるが、地元ドイツのベルリンでプレーしているスピードのある選手だ。また昨夏のコンフェデ杯でセレソンとしてデビューしたシシーニョも、ここぞとばかりに自己PRをし、ピッチを走り回った。その後、ロナウド、ロビーニョのたたみかけるようなシュートを川口選手はセーブし続けた。しかし後半36分、遂にロナウドが駄目押しの4点目を決めた。この得点でロナウドは、旧西ドイツのゲルト・ミュラーが持っていたW杯最多得点の14点に並んだ。見せ付けられた王者ブラジルの強さ…圧倒的なスピード、ディフェンスを寄せ付けないドリブル、正確なパス、確実なシュート。「アジアマイスター」と呼ばれている日本に「世界マイスター」のブラジルは、後半、つけ入るすきを与えなかった。試合後芝の感触を惜しむように、ずっと起き上がらなかった中田選手の姿が印象的だった。
最後まで芝の上に残った中田選手 クリックすると元のサイズで表示します

◎仕事中に慌てて書きました。この試合については、また改めて書きたいと思います。

因みに、今日は私の誕生日です。日本チームの勝利が何よりの誕生日祝いになると思っていましたが、残念な結果でした。もう祝う年ではないのですが、お祝いまでして頂きました。カードやメール、電話など…。やはり「おめでとう」の言葉は幾つになっても嬉しいものですね。あたたかい言葉を贈って下さった方々へ。この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

クリックすると元のサイズで表示します じんさんから頂いた蛍の「え」

totoさんから届いた黄色い薔薇の花束 クリックすると元のサイズで表示します
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2006/6/22

日本対ブラジル戦、1日前に…日本チームに思うこと  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

決戦の時間まで後1日半となった。日本チームは、合宿先のドイツ、ボン市で、ジーコ監督の指示の元、ブラジル戦に備えて530本ものシュート練習という特別メニューをこなした。シュート練習は1時間20分に渡って行われ、更に中田選手と小野選手は、居残ってシュートを打ち続けたという。過去の例からすると、過去試合2日前の練習でジーコ監督は、戦術練習を行わせるのが通例だったようだ。しかし、決勝トーナメントに進むには、ブラジルに2点差以上をつけての勝利が不可欠、勿論クロアチアがオーストラリアと引き分け以内という事が前提でもあるが、とにかく、点を取る事…枠内への確実なシュートを決める事を徹底して、選手にイメージ付けたようだ。
クリックすると元のサイズで表示します ジーコ監督の指示を聞く選手達。

各新聞紙面によると、ジーコ監督は「ジェイド」という言葉を絶叫していたという。「ジェイド」とは、ポルトガル語で、シュートの蹴り方、フォームという意味で、選手達には、インパクトの瞬間に足首を固定する練習を繰り返させたそうだ。ジーコ監督自身も、現役時代にシュート練習を繰り返し数を重ねる事で、シュートのフォームを安定させた。そして、どんな体勢からでもシュートを打ち出せるように特訓して来たのだという。同じような事を、以前読んだサッカー雑誌の中のインタビューで、マラドーナ氏も語っていた記憶がある。ブラジル戦を前にして、基本中の基本を徹底的に練習させたのだ。中村俊輔選手も「ブラジル相手には、戦術を考えてやるレベルではない。自分達のサッカーを無我夢中でするだけだ」と語っており、昨年のコンフェデ杯時の感覚を、思い出しているという。
コンフェデ杯で活躍した大黒選手。 クリックすると元のサイズで表示します

今大会、決勝トーナメントへと勝ち上がるには、失点0のブラジル相手に、2得点以上を入れて勝ち点を取らねばならない。ジーコ監督が就任以来、日本チームが戦って来た試合数、71試合を振り返ると、日本チームの得点平均は、1試合1・59点で、2点差以上の勝利は、15試合あるが、その殆どがアジア勢からで、アジア以外の地区の国相手では、僅か5試合しかない。反対にブラジルは、W杯8大会連続出場、89試合を戦って来たデータでいうと、2失点以上の黒星を記したのは、たった6試合。そして現在は、W杯9連勝中である。その連勝を一次リーグで黒星をつけてストップさせるのは、ブラジルの選手のみならず、国民が許すはずがない。どちらにしても、非常に厳しい数字である事には間違いないが、試合は何が起こるか分からない。ジーコ監督は、「髪の毛1本程のチャンスでも、チャンスがある限り、それにすがりつく、皆も同じ気持を持って欲しい」と強い口調で選手達に訴えたそうだ。

一方、21日付のイタリアのスポーツ紙、ガゼッタ・デロ・スポルトは、W杯1次リーグの各組第2戦で活躍したベスト11を発表し、GKはクロアチア戦でPKを止めた好セーブが光った、川口選手が選ばれたという朗報が届いた。川口選手の神がかり?な好セーブは、1996年のアトランタオリンピックでブラジルを無失点に押さえ、それは「マイアミ(アトランタ)の奇跡」と呼ばれ語り継がれている。また、記憶の中に強烈に残っている、1997年のワールドカップ最終予選でのイラン戦。そして激闘の2004年、アジアカップ……。と絶対絶命のピンチを歓喜のシーンへと一変させて来たのも川口選手の好セーブだった。奇しくも8年前、同じシュチエーションで向えたクロアチア戦では、失点を許し最終試合を待たずにリーグ敗退が決まった。川口選手は、その因縁の相手をノーゴールに封じ込み、リベンジを果たしたのであった。しかしながら、周知の如く得点に恵まれず、勝ち点を得る事は出来なかった。
クリックすると元のサイズで表示します 体調も快復し、その左足に期待できる中村選手。

ブラジル戦では、勿論2点差以上に、こだわりたいが、最低でも、MOM(マン・オブザ・マッチ)や、ガゼッタ・デロ・スポルト誌のベスト11に、日本のFW陣、いや(川口選手には申し訳ないが)GK以外の選手の名前が上がるのを、期待していたい。中村選手も、ドイツ入りしてから、足の筋肉の不調や、風邪に泣かされてきたが、この数日で「体が軽い」と本人が言うほどに、調子を戻して来たそうだ。ドイツ戦で痛めた足首の状態が懸念される加地選手も、練習は大事をとって控えているが、試合には出られるという。クロアチア戦で右足首を捻挫した稲本選手も、元気に復帰し練習に加わった。私も色々とマイナス材料を書いてきたが、意外に、ブラジル相手と聞いて、伏せ目がちで弱気になっているのは、私達ファンだけかもしれない。選手達の朗報を頼りに、前を向いて応援しよう。選手達がサッカーの基本を練習したように、私達ファンも初心にかえり、選手達の力を信じて心から応援するべきだと思った。選手達には、伸び伸びと試合をして欲しい…。それぞれの未来の為に、そこに一筋の光が差している限り…。

◎参考
中日スポーツ、中京スポーツ各紙。週刊サッカー7/4号(日本スポーツ企画社)より
 

尚、6月22付の中日スポーツによると、中田選手が居残ってまで打ったシュートは、90本に登り、選手全員合わせると598本になったという。川口選手は、そのシュート全てを1人でゴールマウスに立って受けたそうだ。2試合でシュートを決められなかったFW陣も奮起し、堂々と胸を張れるようになって欲しい。
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2006/6/21

ブラジル対オーストラリア戦を観て…日本チームに託す事  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

日本対クロアチア戦の1時間後にキックオフとなったブラジル対オーストラリア戦、続けて観戦すると意気込んでいたが、日本の応援でどっと疲れが出たのか、そのまま熟睡してしまった。VTRは予約してあったので、翌日結果を知ってからゆっくりと観戦した。結果は2対0でブラジルの勝利、ブラジルは決勝トーナメント進出を決定していた。私はブラジルチームが余裕で試合を進めていたと想像した。ところが…である。蓋を開けてみたらクロアチア戦に続いて、オーストラリアにも苦戦しているではないか?!前回大会の得点王、怪物ロナウドが、怪我による練習不足から、その強さとスピード、巧みさも既に失っている気がした。
クリックすると元のサイズで表示します 後半4分、先制点を入れたアドリアーノ。
(16日に、長男が誕生したばかりだそうだ)。


そもそも、ブラジルチームは、大会直前の強化試合として、今月4日に組んだニュージーランド戦の1戦のみで、パレイラ監督も「実践が少なく難しい面もある」と語っていた。ブラジルチームは、欧州トップクラスのクラブの主力で活躍している選手達揃いで、シーズンをフルに戦った主力選手の体調を考慮し、疲労回復に重点を置いた為、直前の試合を組まなかったという。W杯の予選リーグを強化合宿代わりにし、チームの連係を計り調子を上げて行く計画のようにも思われた。この調子では日本も勝てる…と思いつつも、こんなものではない!と思い直しながら、その圧倒的な強さと技術、層の厚さ、積み重ねた歴史を考えると、目が眩む程になってしまう。
得点に喜ぶブラジル選手達  クリックすると元のサイズで表示します

最早、怪物でなくなったロナウドをFWに据えたブラジルを観て、今大会で新旧のスターが、入れ替わる時が来ているのかもしれないと思った。そう考えると、1996年以降、メンバーに大幅な入れ替わりのないフランスは、世代のメンバーを凌駕する選手がでてきていないのが、気がかりだ。そういう観点から見てみてもブラジルは、既に若手が台頭し活躍し始めている。新旧の入れ替わり…ブラジルの強さは、その辺りに秘められている気がした。カルテット・マジコ(またはクアドロ・マジコ)と呼ばれた魔法使いの名前でさえ、2005年のコンフェデ杯では、ロナウド不在の穴を見事に埋めたロビーニョ(22才)を加えた、カカー(24才)、アドリアーノ(24才)、ロナウジーニョ(26才)と1980年代生まれの4人で占めた。まだまだ世界に君臨するとは言われながらも、1970年代生まれのロナウド(29才)、ロベルト・カルロス(33才)らから、自然に引継ぎが行われつつあるのだ。

現実に、対オーストラリア戦で入れた2点目は、控えとして途中出場した、フレッジ(22才)からパスを受けたロビーニョ(22才)がシュートし、ポールに跳ね返されたボールを再び押し込んだのもフレッジだった。このフレッジは、リカルド・オルベイラの負傷を受けて、急遽召集された選手である。フレッジの活躍は、ブラジルの選手層の厚さを物語る。その要因として、サッカーが国技とも言われるブラジルのお国柄もあるだろう。また、クロアチア戦で華麗なミドルシュートを決め、オーストラリア戦でも活躍著しいカカー選手は、前回の大会では、セレソン(ブラジル代表)として参加するも、一次リーグのコスタリカ戦で、たった18分間の出場だった。ベンチで試合を見続けたカカー選手は、その悔しさを胸にACミランへ移ってから、トレーナーが止める程に練習に打ち込んだという。
クリックすると元のサイズで表示します 2点目を入れ、存在をPRしたフレッジ。

その努力がACミランで開花し、W杯のピッチで大輪に開きつつある。カカー選手の甘いマスクとは裏腹の攻撃的なプレースタイルは、きっと決勝トーナメントでも注目の的となるであろう。ロビーニョ然りである。オーストラリア戦の後半27分、ロナウドに代わってピッチに入ってからは、自由自在に走り回り、ロナウジーニョのマークについた、相手選手を引き離した。ロビーニョが入ったブラジルは、その豊富な運動量に誘われて、まるで水を得た魚のように元気になった。実際、国民全てが監督というブラジル国内では、ロナウドよりロビーニョを先発に…という世論も多くなっているようだ。カカーとロビーニョ、この2人が、フットボールジャグラー…ロナウジーニョの周りを走り回る時、そこに死角は無い気がする。しかし、サッカーの試合に不可能はない。日本もオーストラリアの、ブラジルを苦しめた組織的プレーを見習いながら、チャンスは少なくても、それを生かして得点に結びつけて欲しい。ブラジルの底力を感じながら、そんな事を思った。

◎箸休め
友達と次の日本戦について話していると、ブラジルは決勝トーナメント進出を決めたのだから、主力選手を休ませてくれないだろうか?とか、ジーコはブラジルのサッカーの神様だから、手加減してくれないだろうか?とか、藁をも掴む逃げの発想になったりする。いやとんでもない、ブラジルは、まだ無失点だ、プライドにかけて失点は防ぐだろう。サッカーの神様が監督の日本相手だからこそ、敬意を持って、全力で当たってくる気もする。全力のブラジルから得点を奪ってこそ、日本はその力を世界に知らしめる事が出来るのだ。…等と言い聞かせつつ、何故か武者震いをしている私であった。
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2006/6/20

紫陽花の花に寄せて…宿沢広明氏(ラグビー元日本代表)急逝  日記(今日思うこと)

月曜日はお休みだったので、久しぶりに本宅へ行って過した。本宅の庭には紫陽花の木が沢山植わっている。今日は晴天だったが、紫陽花の花には、やはり雨上がりが良く似合うと思った。紫陽花の名は、中国の唐の詩人、白楽天(白居易)が、江州の郡守をしていた時、管内の招賢寺を訪れ、僧侶に一輪の紫の花を見せられ、見惚れて詠み僧侶に捧げた歌に基づくと言われている。
紫陽花(花びらと見えるのはがくの部分)クリックすると元のサイズで表示します

 「紫陽花詩」 白楽天

招賢寺有山花一樹、無人知名。
色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物。
因以紫陽花名之。


(意味)
招賢寺に山花が一樹ある、名を知る人はいない。
色は紫にして香しく、芳麗にして愛するべく花であり、
すこぶる、「いぬぶな」によく似ている。
よって紫陽花と、これを名付ける。


名の由来には、別の説もあり、集まる意味のアヅと藍(あい)のアイから生まれたとも、されている。原産は日本で、中国を経由して、ヨーロッパに渡り、品種改良が施されて日本へと逆輸入されたという。また、紫陽花をヨーロッパに初めて紹介したのがシーボルトだったという説もあって、シーボルトの愛した「お滝さん」の名前から、別名「おたくさ」とも呼ばれる。「紫陽花や はなだにかはる きのふけふ」(はなだ→薄い紫)と、正岡子規も詠んでいるように、紫陽花は土の酸性度具合や肥料によって、花の色が変る為、「七変化」「八仙花(はっせんか)」の呼び名もある。花言葉は移り気とも言われ、日本では地味な扱いを受けたが、ヨーロッパでは珍重されて、品種改良が進んだそうだ。
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15年くらい前の今頃、御見舞いを兼ねて埼玉の従姉を訪ねた時、ピンク色の紫陽花の鉢植えを貰った。鮮やかなピンクの紫陽花を見るのは初めてだったので、嬉しくて新幹線で持ち帰り、庭に植えたがその色が変わってしまって、とても残念だった記憶がある。今になって冷静に考えれば土壌の地質で変わったのだと納得出来る。ピンクの紫陽花が、その色鮮やかさを保つには、アルカリ性よりの土が良いのだそうだ。私が見舞った時は、従姉は過労で倒れて入院し、退院したばかりだった。紫陽花の鉢植えは退院後に裁判所の同僚の人から2鉢貰った物の1つだったのだそうだ。その従姉の家には、もう1組の訪問者があった。その方々の名は、ラグビー元日本代表の宿沢広明氏と上田昭夫氏だった。当時宿沢氏は、ラグビー全日本チームの監督をされていて、上田氏は、フジテレビのキャスターだった。お2人は、従姉のご主人の知り合いとして、お見舞いに来られていた。

その宿沢氏が、一昨日お亡くなりになった。三井住友銀行にお勤めの宿沢氏は、週末の貴重なお休みを利用して、仲間と群馬県の赤城山に登山中、胸の痛みを訴えて倒れられ、防災ヘリで病院に運ばれたが、助からなかったそうだ。心筋梗塞だった。享年55才。あまりにも早すぎる急逝だった。私は学生時代からこの仕事に就いた頃は、ラグビー観戦が大好きだった。恐らく自分が出来ないスポーツに憧れたのだと振り返る。宿沢氏や上田氏は、小柄ながら全日本のスクラムハーフとして大活躍された。宿沢氏は、ラグビーのプロ化にも力を注いで来られたという。奇しくもサッカーは、プロ化を先駆し、Jリーグも発足、今、日本チームはW杯に出場している。ラグビー界では、体格に恵まれない日本は、なかなか世界で勝てないが、ラグビーのワールドカップも、来年フランスで開催予定だ。全日本チームは1勝11敗と負け越しでいるが、来年こそは勝ち進んで欲しいと願いたい。庭の紫陽花を見ながら、宿沢氏のご冥福とラグビー界の発展を祈った。

★宿沢広明
埼玉県、熊谷高校→早稲田大学とスクラムハーフ(SH)で活躍。早大では2度の日本選手権優勝を経験した。日本代表としてキャップ3。1989年から1991年まで日本代表監督を務め、強豪のスコットランドから殊勲の勝利を挙げ、1991年W杯のジンバブエ戦で、日本にW杯初勝利をもたらした。その後、早大ラグビー部監督を務め、日本ラグビー協会の強化委員長としてプロ化計画にも尽力した。ラグビーに携わりながら、1973年に旧住友銀行に入りロンドンなど海外勤務の後、主に市場部門を歩んだ。同部門の収益を大きく拡大させ、その手腕を買われ経営幹部として将来を嘱望されていた。


◎以下 上田昭夫氏のHP
(サッカーのW杯観戦についても書いて居られます)
Fuji TV公式サイト「上田昭夫の ひ・と・り・ご・と」
http://www.fujitv.co.jp/sports/hitorigoto.html

尚サッカーW杯、ブラジル対オーストラリアを観戦して…は、今夜書く予定です。宜しくお願い致します。
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2006/6/19

日本対クロアチア戦を観戦して…夢を繋ぐ勝ち点「1」  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

勝てた試合だと思った。日本チームは自分達の陣形を整えながら、上手く試合のペースを掴んでいた。しかし、最後まで決定打は出ないまま、引き分けとなった。

互いに勝ち点3が欲しく、後が無い日本対クロアチア戦が、ニュンルンベルグのフランケンスタジアムで行われた。試合開始直後に日本は、怒涛のような攻撃を見せてくれたが、シュートには切れが無く、コントロールも良くない為、なかなか枠内に決まらなかった。前半20分過ぎ、宮本選手のファールからクロアチアがPKを得た。そのPKを川口選手が好セーブ。流れは日本に向いたように思えた。しかし、決定打が無いまま、前半を終わった。
クリックすると元のサイズで表示します 気迫でPKを止めた川口選手。

後半になって、福西選手の代わりに前大会2得点の稲本選手が入った。稲本選手は、期待通り相手チームのボールをカットしカウンター攻撃に出たり、相手に強いプレッシャーをかけた。私はオーストラリア戦でも、相手に対して強い稲本選手を使ってもう少し中盤の選手を楽にして欲しかったと思っていた。稲本選手の金髪が果敢にボールを取りに行く姿が、日本チームに元気を与えてくれている気がしていた。しかし、なかなかシュートには繋がらなかった。均衡が破られないまま、今度は、後半16分、柳沢選手に代えて玉田選手を投入。私は、高原選手がシュートを打てていなかったので、早い段階で、大黒選手との交代を望んでいた。でも、大黒選手が入ったのは、後半残り5分前だった。かなり遅い気がした。結果、日本は14本、クロアチアも19本のシュートへと持ち込んだが、両チームとも決め手にはならなかった。
試合前、円陣を組む日本チーム。 クリックすると元のサイズで表示します 

私にとっての日曜日は、早朝から忙しい1日だった。お客様にはサッカーファンの方が多く、会話の殆どがサッカーの話題だった。市内で和牛焼肉店を経営されているOさんは、「今夜は早めにお店を閉める」と仰っていた。お客様が来られないし、ご自分が観たいからだそうだ。近所のH内科の先生も、ご自分がゴルフでベストグロスを出せたから、「今日は良い日なので日本も勝てるだろう」と仰った。誰もがそれぞれの勝手な?根拠や想いで日本チームにエールを送っていた。私は、仕事の後少し休んで、日本戦を観て、更にブラジル対オーストラリア、韓国対フランスも観るつもりだったが、落ち着いて寝ても居られず、とうとう日本対クロアチアの試合時間となってしまった。
クリックすると元のサイズで表示します PKセーブ後川口選手と抱き合う中田選手。

試合中は、TVの前で観ていても、手に汗を掻き何度も洗いに行った。選手達の頑張りによって惜しいシーンが何度もあっただけに、より一層悔しさが増した。試合終了後、私もどっと疲れが出て、結局ブラジル戦も観られず、TVも電気も点けたまま知らない間に眠ってしまっていた。一週間の仕事の疲れと応援疲れが出たのだろうか?朝、目が覚めた時には、体がやたらとだるかった。でも、今でも目を閉じるとPKを止めた川口選手に抱きついていた中田選手の姿が目に焼きついている。日本チームが一次リーグを突破し、決勝トーナメントへと進むには、22日のブラジル戦で、ただ勝ち点を取るだけでなく、大差で勝つ必要がある。厳しい現状だが、まだ可能性はある。可能性が0では無い限り、日本選手は一次リーグ突破へと挑み続ける。

尚、15日にイングランド対トリニダード・トバコ戦で、審判を務めた上川主審チームは、19日にハンブルクで行われる、サウジアラビア対ウクライナ戦では、控えに当たる第4、第5審判を務める事に選ばれたそうだ。控えとは言え、3試合目にもエントリーされた事に敬意を払いたい。上川主審チームにも、決勝トーナメントで笛を吹いてくれる…望みを繋げていたい。
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