2007/3/10

『鈴渓義塾』Vol...1『鈴渓の心』を受け継ぐ小学校を尋ねて。  日記(今日思うこと)

ここ数日、各学校の卒業式の仕事を承っていて、お陰様で忙しい日を送って居り、ブログの更新も出来ずにいたが、実は私の頭の中が飽和状態で、整理がつかない状態であった。それは、今週の連休、久しぶりに2日とも外出し、春の嵐のような天気だった月曜日(5日)は『ねのひ』のお酒で知られている『盛田の味の館』へ行き、その後、盛田家の15代目の当主となるはずべく育ち、その影響を受けた私塾…『鈴渓義塾』の精神を受け継ぐ、常滑市立小鈴谷(こすがや)小学校を訪れ、資料を見せて頂いた。
クリックすると元のサイズで表示します 盛田酒造…味の館。

盛田酒造が実家の盛田昭夫。クリックすると元のサイズで表示します
(小鈴谷小学校資料室にて撮影)
 

そして翌6日は念願だった『ノリタケの森』、『徳川美術館』へ行く事が出来た。しかし、これだけ中身の濃いお休みを過ごすと、まるで和風懐石、フランス料理のフルコース、更にしゃぶしゃぶ懐石を朝、昼、晩と食べたような?感じで、私の脳のCPUは飽和状態になってしまった。恐らくこの3ケ所の施設については、私のつたない筆で何処まで表現出来るか全く自信がない。まだまだ頭の中が整理できている訳ではないが、少しずつでも、書き始めようと思った。『鈴渓義塾』…開国間もない明治5年に、小鈴谷村郷小学校としてスタートを切った。当時は、尋常小学校より高等の教育を受ける為に作られていた学校は、知多半島には、半田一校が作られていたのみで、通学が困難な子供達の為に、盛田昭夫氏の4代前の当主、盛田命祺は、私財を投じて私塾『鈴渓義塾」を作るに至ったのであった。

クリックすると元のサイズで表示します小学校玄関の「鈴渓義塾」の文字。

その時の塾長には、村郷小学校の校長として盛田翁に呼ばれていた、伊勢神宮の神官の子息で、国漢文は勿論の事、数学、ドイツ語、物理学に長けていた溝口幹が就任した。盛田翁と親交があった福沢諭吉の作った『慶応義塾』に比べると、『鈴渓義塾』は現在の小学校高学年から、中学校低学年の少年少女の教育の場となっていたが、教えられたいた内容は、現代の高校生並みにレベルが高く、英語、数学、理科、国文、漢文、簿記、体操などが教えられていた。体操では、当時殆ど行われていなかった野球も教えられており、文明開化を迎えたばかりの日本、それも知多半島の田舎の小鈴谷村でこんな教育が行われていたと知った私は、何かで頭を殴られた程のカルチャーショックを受けてしまった。

『鈴渓義塾』の卒業者名簿を見ると、更に目を見開いてしまう。トヨタの大番頭としてトヨタ自動車中興に貢献した石田退造、戦艦大和の艦長だった森下信衛、「標準語の父」と呼ばれた文学博士の石黒魯平、敷島パン(PASUCO)の創業者である盛田善平、東芝会長の岩田弐夫、元文部事務次官の伊東延吉…等、錚々たるメンバーの名前が、連なっている。『鈴渓義塾』についての著書、二宮隆雄の『情熱の気風』によると、某新聞社の取材では、『鈴渓義塾』のあった小鈴谷村を「尾張の教育村」と記した上で「お百姓の老人でも、かなりの英語を話し、数学、国語に至るまで達者だという珍しい村がある」と小鈴谷村の事が書かれている。また、展示室には、多くの文献、資料が残されており、溝口幹自ら墨書した英語、数学の教科書、更に顕微鏡の見方の本や、溝口幹が愛用した品々が展示されていた。
クリックすると元のサイズで表示します 英語の教科書と答案用紙。

溝口直筆の顕微鏡の見方の本。
クリックすると元のサイズで表示します

また、溝口幹は、人としての生きるべき姿を自ら率先して生徒に見せ、『鈴渓義塾』の名前に恥じない人間味のある教育を目指したという。それは子供達の長所を認め、得意な分野を伸ばすよう指導した。トヨタ自動車創業を経済面で支え続けた、石田退三は、溝口幹の言葉を『情熱の気風』の中でこう振り返っている。

「これから あなたが自分の長所を認めてもらいたいのなら、
 まったく逆の人の長所も認めてやる、大きな気持ちが必要です」


『鈴渓義塾』の卒業生については、それぞれ少しずつ、書き記していくつもりだが、私が訪れた小鈴谷小学校の先生方は、突然の訪問者の私を温かく受け入れて下さり、貴重な資料を見せて頂けただけでなく、校長室で校長先生とも、お話する事が出来た。小鈴谷小学校では、現在でも『道徳』の時間を設け、有徳人、盛田命棋、塾長で教育者の鏡であった溝口幹が築き上げた『鈴渓の心』を子供達に語りついでいるという。私は小鈴谷小学校に、本物の『学校の姿』を、そして先生方のお姿に本物の教育者の姿を見つけられた気がして、心が洗われる思いであった。5日は春の嵐のような一日だったが、学校から出る頃には、嵐のような天気は収まり、雲の切れ目から一筋の光が刺していた。その光を見つめながら、この学校を訪れて良かった…と心から感謝した。

クリックすると元のサイズで表示します小学校入り口の『鈴渓の心』の石碑。

※温かくお迎え頂いた小鈴谷小学校の山田校長先生、職員の皆様に厚くお礼を申し上げます。

※お詫び
盛田昭夫氏は『鈴渓義塾』の創設者・命棋翁の精神を引き継いだようですが、住民票は名古屋にあった為、卒業していないそうです。お詫びして訂正させて頂きます。メールにてご指導下さった小鈴谷小学校の山田校長先生に、改めて深くお礼申し上げます。

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