2007/4/4

上巳の節句…柳川の「さげもん」と尾張徳川の雛飾りに思う事  日記(今日思うこと)

今日は満月、花冷えの空に満月が煌々と輝いている。各地区で開催されている雛祭りの行事も、4月3日または、今週末で終了する所が多いが、今年の旧暦の3月3日は4月19日にあたっており、和歌を伝承し続けてきた京都の公家の旧家、冷泉家では、今頃から雛人形を飾り始め、旧暦3月の上旬の巳の日(上巳の節句=桃の節句)まで飾られているという。私が是非一度は訪れてみたいと思っている「柳川雛祭り・さげもんめぐり」は、残念ながら3日をもって終了してしまったが、名古屋市内の徳川美術館での企画展「尾張徳川の雛祭り」は、4月8日まで開催されている。
クリックすると元のサイズで表示します 北原白秋邸の雛飾りと「さげもん」

先に書いた「柳川雛祭り・さげもんめぐり」は、水郷の街「柳川」で、北原白秋家を中心に開催され、お雛様水上パレードもあり、街全体が美しく艶やかに飾られる。柳川と言えば、現在料理旅館として美しい庭園を誇る、旧柳川藩主・立花氏の別宅「御花」。そして江戸時代末期から、柳川藩主の腰元達の手慰みとして伝授されて来た「柳川鞠」が、私の記憶の中では浮かんでくる。「柳川」は、祖母が元気な頃、数少ない旅行自慢として話してくれていた街であった。「柳川鞠」は、女の子の無事な成長を願って一針ずつ刺し込んで作られ、やがてお雛様と共に飾られるようになったという。これが柳川名物、手作りの「さげもん」である。

庭先に飾られた「さげもん」→クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します 柳川鞠の豪華な「さげもん」

此方は「さるぼぼの雛飾り」→クリックすると元のサイズで表示します 
※飛騨高山のお土産に頂き、お店に飾ってあります。


また、徳川美術館へは、先月訪れる事が出来たが、数あるお雛様の中でも、目玉?は、秩父宮妃・勢津子様の雛飾りであった。勢津子様は、松平(会津藩)常雄氏の長女で、幕末に活躍した松平容保(かたもり)の孫。昭和3年(11928年)に秩父宮雍仁(やすひと)親王と御結婚され、平成7年(1995年)に薨去された。妃殿下として日本赤十字社を始めとする御公務に携わられる傍ら、美術品にも造詣深く、徳川美術館にも何度か訪れられているそうだ。妃殿下御愛蔵の雛人形、及び雛飾りは、形見分けの1つとして実妹の尾張徳川20代、義知夫人の正子様に遺賜され、平成8年に正子様より徳川美術館へ寄贈されたものである。皇室のお雛様に相応しく、男雛の冠は立纓(りゅうえい=天皇のみ許されたとされるシテ)で、装束も天皇のみに許されたとされている黄櫨染(こうろぜん=黄色の中に赤を混ぜた色)の御袍(おんほう=束帯の上着)を着用している。
クリックすると元のサイズで表示します 秩父宮勢津子様のお雛様

福君の雛道具「鏡台セット」
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そして毎年、人気を博しているのが、尾張徳川11代目夫人の福君様(さちぎみ)の雛道具である。「菊折枝蒔絵雛道具」と呼ばれるその精巧な雛道具は、梨子地に菊の蒔絵を配し、所々に御実家の近衛家の家紋である「抱牡丹紋」と徳川家の「葵紋」を散らしたデザインになっており、金具は全て銀製、現存する大名家の雛道具の中でも、最も華麗で格調高いと言われ、当時製作した職人達の意気込みを感じる事が出来る。福君は、嫁いだ年の3年後の天保10年に夫の斉温が病没すると落飾して「俊恭院(しゅんきょういん)」と改めるも、癪(胃痙攣)に苦しみ翌年10月に21才の若さでその生涯を閉じたと記録されている。福君は、その名に反して薄幸であったが、雛道具からは、当時の最高位の姫君の婚礼にこめられた思いが伝わって来て、暫し時の経つのを忘れてしまう。

◎参考
福岡県・北原白秋記念館の栞、JAF Mate No4、
徳川美術館発行「尾張徳川のひなまつり」より
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