2007/5/31
婚礼…ご自宅着付から新婦のベーゼンドルファー・ピアノ演奏まで 着物の着付関係(和服)
5月27日、その日は朝から青空が広がっていた。近所のお茶屋さんのお嬢様…ピアノの先生の結婚式…。式場は、花嫁さんたっての希望で、ウィーンのイグナーツ・ベーゼンドルファー社の製作で、同じくウィーンの建築家、ハンス・ホラインがデザインした、デコラティブなピアノが設置されているという…伊勢湾沿いの某式場で行われた。その式場の経営母体は写真館で、美容師・衣装等、全て持ち込み不可という事だったが、花嫁さんとお母様のご指名もあり、式場側と交渉して下さって、私は初めてその式場・披露宴で、ブライダルの仕事を担当させて頂いた。
チャペルの外観。
チャペル入り口に飾られた生花
(スモークツリー、薔薇のジュリアやマダム・ヴィオーレも入れて貰った)
当初、花嫁さんは、ウェデングドレスでご自宅を出られる予定だったが、ご自宅がお茶屋さんという事もあり、純和風のお家だったので、私がコンクールやスタッフに使用するために購入していた和装(白無垢・色内掛け)を着て頂くようにご提案した所、花嫁さんは勿論、ご家族も大変喜んで下さり、ご自宅から和装で出て、私の店で洋装に着替えて式場に向かう事となった。当日は、花嫁さんが出来上がる時間になると、続々と見学、お見送りして下さる方がお庭に詰掛けられて、後でお尋ねした所によると、配られたお菓子の数から、100人は超えていたらしい。最近ご自宅から出られるお嫁さんが少なくなったせいか、白無垢から色内掛けに替えると拍手も起こった。
衣桁に掛けた白無垢(花嫁宅)
ご自宅を出られる所
式場に着くと、まず花嫁さん(以下新婦)を控え室にお連れして、私は、チャペルと披露宴会場を確認しに行ってみた。披露宴会場には、新婦こだわりのピアノ…ベーゼンドルファー社のピアノがどっしりと存在感をアピールしていた。そのピアノは「タキシード」というテーマで、ピアノの大屋根(蓋)の部分を赤いラッカーで仕上げた地色に、金色の模様を施し、ハンス・ホラインはその大屋根をタキシードの裏地に見立ててデザインしたという。大屋根の赤と、ピアノの黒のコントラストが斬新で、正にタキシードのように凛としてスマートな印象がして、私の目を釘付けにした。
ベーゼンドルファー製ピアノ。
チャペルは披露宴会場から200メートル程離れていて、外を移動するために、雨が降ったら?と懸念したが、その時は、バスで移動になるという事だった。厳粛なチャペル式の後、披露宴が始まった。新婦は、ウェデングドレスのまま、ヘアー飾りのみチェンジして入場、ご来賓の挨拶の後、ノンアルコールのシャンパンで乾杯、そして花嫁さんの生徒さんが新郎・新婦へとプレゼント演奏もされた。その後、新婦はカクテルドレスに色直し、そして待望のピアノ演奏となった。彼女が選んだ曲は、リストの『ラ・カンパネラ』=鐘という曲で、きっと誰もが耳にした事はあると思うが、ピアノ奏者なら、誰もが憧れる曲なのだそうだ。
ウェディングドレス姿。
しかし、その演奏は、速度も軽快で速い上に、1オクターブより広い音程を含む跳躍があり、手先の器用さ、正確さ、弱い指の機敏さを鍛える練習曲として使う事もあるそうだが、最大で15度の跳躍があり、演奏者は、手を移動する時間を与える休止がないまま、2オクターブ上で同じ音符が演奏され、他にも薬指と小指のトリルなどの難しい技巧を要し、非常に難しい曲なのだという。新婦の演奏は、とても力強く尚且つ、流れるような美しさもあり、素人の私でも感動して涙が止め処なく溢れた。
新婦によるラ・カンパネラ演奏
光栄にも宴席に私の席も用意して頂き、美味しいお料理を堪能すると共に、新郎新婦の知人・友人の方々には音楽に携わる方が多く、心が豊になるような素敵な披露宴だった。また 対照的であるような気もするが、新婦のお父様が用意された、引き出物のお茶に添えられた言葉も、私の胸に深く刻まれたので、以下に記して置きたいと思う。
『茶の木は直根(大根や人参のように側根が小さく)真っ直ぐに根を伸ばす事や、植え替えが効かないという俗説等から、嫁入りと茶は結びついたとされています。結婚式の当日は、花嫁が親族に茶を入れる事を、最初の仕事とする風習もあります。また、茶は健康にも非常に良いと言われていますので、花嫁の実家の茶を使わせて頂きました。どうぞご受納下さいませ』(ご両親より)
伊勢湾の綺麗な夕焼け。
お店の手持ちの衣装という事で、前日から新婦さんのお家へ伺って衣装の準備をし、当日は、早朝から夜まで関わらせて頂いた結婚式であったが、ご両家の方々にもとても喜んで頂けて、美容師冥利に尽きる仕事だったと思った。そして帰路に向かう頃には、伊勢湾の綺麗な夕焼けと、心地よい海風が、私を労ってくれている気がしていた。
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チャペル入り口に飾られた生花

(スモークツリー、薔薇のジュリアやマダム・ヴィオーレも入れて貰った)
当初、花嫁さんは、ウェデングドレスでご自宅を出られる予定だったが、ご自宅がお茶屋さんという事もあり、純和風のお家だったので、私がコンクールやスタッフに使用するために購入していた和装(白無垢・色内掛け)を着て頂くようにご提案した所、花嫁さんは勿論、ご家族も大変喜んで下さり、ご自宅から和装で出て、私の店で洋装に着替えて式場に向かう事となった。当日は、花嫁さんが出来上がる時間になると、続々と見学、お見送りして下さる方がお庭に詰掛けられて、後でお尋ねした所によると、配られたお菓子の数から、100人は超えていたらしい。最近ご自宅から出られるお嫁さんが少なくなったせいか、白無垢から色内掛けに替えると拍手も起こった。

ご自宅を出られる所

式場に着くと、まず花嫁さん(以下新婦)を控え室にお連れして、私は、チャペルと披露宴会場を確認しに行ってみた。披露宴会場には、新婦こだわりのピアノ…ベーゼンドルファー社のピアノがどっしりと存在感をアピールしていた。そのピアノは「タキシード」というテーマで、ピアノの大屋根(蓋)の部分を赤いラッカーで仕上げた地色に、金色の模様を施し、ハンス・ホラインはその大屋根をタキシードの裏地に見立ててデザインしたという。大屋根の赤と、ピアノの黒のコントラストが斬新で、正にタキシードのように凛としてスマートな印象がして、私の目を釘付けにした。

チャペルは披露宴会場から200メートル程離れていて、外を移動するために、雨が降ったら?と懸念したが、その時は、バスで移動になるという事だった。厳粛なチャペル式の後、披露宴が始まった。新婦は、ウェデングドレスのまま、ヘアー飾りのみチェンジして入場、ご来賓の挨拶の後、ノンアルコールのシャンパンで乾杯、そして花嫁さんの生徒さんが新郎・新婦へとプレゼント演奏もされた。その後、新婦はカクテルドレスに色直し、そして待望のピアノ演奏となった。彼女が選んだ曲は、リストの『ラ・カンパネラ』=鐘という曲で、きっと誰もが耳にした事はあると思うが、ピアノ奏者なら、誰もが憧れる曲なのだそうだ。
ウェディングドレス姿。

しかし、その演奏は、速度も軽快で速い上に、1オクターブより広い音程を含む跳躍があり、手先の器用さ、正確さ、弱い指の機敏さを鍛える練習曲として使う事もあるそうだが、最大で15度の跳躍があり、演奏者は、手を移動する時間を与える休止がないまま、2オクターブ上で同じ音符が演奏され、他にも薬指と小指のトリルなどの難しい技巧を要し、非常に難しい曲なのだという。新婦の演奏は、とても力強く尚且つ、流れるような美しさもあり、素人の私でも感動して涙が止め処なく溢れた。
新婦によるラ・カンパネラ演奏

光栄にも宴席に私の席も用意して頂き、美味しいお料理を堪能すると共に、新郎新婦の知人・友人の方々には音楽に携わる方が多く、心が豊になるような素敵な披露宴だった。また 対照的であるような気もするが、新婦のお父様が用意された、引き出物のお茶に添えられた言葉も、私の胸に深く刻まれたので、以下に記して置きたいと思う。
『茶の木は直根(大根や人参のように側根が小さく)真っ直ぐに根を伸ばす事や、植え替えが効かないという俗説等から、嫁入りと茶は結びついたとされています。結婚式の当日は、花嫁が親族に茶を入れる事を、最初の仕事とする風習もあります。また、茶は健康にも非常に良いと言われていますので、花嫁の実家の茶を使わせて頂きました。どうぞご受納下さいませ』(ご両親より)

お店の手持ちの衣装という事で、前日から新婦さんのお家へ伺って衣装の準備をし、当日は、早朝から夜まで関わらせて頂いた結婚式であったが、ご両家の方々にもとても喜んで頂けて、美容師冥利に尽きる仕事だったと思った。そして帰路に向かう頃には、伊勢湾の綺麗な夕焼けと、心地よい海風が、私を労ってくれている気がしていた。

2007/5/26
松坂大輔週間MVP受賞…と仲間達(ココ、ローウェル他)5/20の写真 Boston Red Sox・MLB
ボストン・レッドソックス対アトランタ・ブレーブス戦、この日はダブルヘッダーが行われ、その1試合目だった。小雨が降り続くものの、プレーには支障なさそうと判断してJさんは仲間とフェンウェイパークへ向かったそうだ。(写真は全てクリックで拡大)
試合前のDゲート前の風景。
小雨が降っていても熱気に溢れている。
試合開始直後…。
暗くなり雲行きが怪しくなって、大雨が降りそうだったという。
1回の裏には天気も回復。
投球練習している松坂。
絶好調のユーキリス…1HR。
満塁HRを打ったローウェル。
満塁HRの後、左からドリュー(背番号7)、ラミレス(24)、ローウェル(25)、オーティス(34)。打席へ入るバリテック(33)。
ベンチに引き上げる4人。
力投する松坂…完封して欲しかった。
素振りをするラミレス。
打席に入るラミレス。
打席でストレッチ?
2Bヒットを打ったラミレス。
ベンチで…ラミレス。
三塁まで走ったオーティス。
剣道か?畑を耕す構えか?ココ。
※ココ・クリスプは、22日のヤンキース戦で、一塁から二塁へと盗塁してから、ワンヒットで速い速い…好走塁を見せてホームに生還した。ココの反射神経の良さ、足の速さは、どうやら遺伝子に組み込まれていた?らしい。因みにココの母親のパメラさんは、元陸上の短距離選手で、妹は現在もプロのスケート選手として活躍中!。そして父親は元ボクサーだったという素晴らしいスポーツ遺伝子?を受け継いでいるのだ。更に特筆すべき事は、母方の祖父が、オリンピックで使用されたスターティングブロックの開発者で、陸上競技の殿堂入りを果たしている。
◎ココ・クリスプについて詳しい記事は昨年の記事↓
★新生レッドソックスの展望と、ココ・クリスプ選手
http://diary.jp.aol.com/applet/hotarudesu/20060404/archive
試合終了後の掲示板。
この時点で10ゲーム差
売店で…岡島と松坂のTシャツ。
※何と!松坂(背番号18)のTシャツは、日本語の名前の文字のも入れて3種類ある。
◎箸休め
この日、満塁ホームランを含む6打数5安打と大活躍のマイク・ローウェルは、バッターボックスに入る時の表情が、私にはどうしても「情けな〜い顔」に見えてしまう。しかし、キューバ出身の両親を持ち、スペイン語と英語を巧みに話せる温和な性格のローウェルは、チームの中での潤滑油的働きをしているそうだ。そしてローウェルの母校、フロリダ・インターナショナル大学野球部では、彼がつけていた背番号「15」は永久欠番として、その活躍の栄誉を讃え、後世に語り継がれて行くという…。
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小雨が降っていても熱気に溢れている。
試合開始直後…。

暗くなり雲行きが怪しくなって、大雨が降りそうだったという。

投球練習している松坂。


満塁HRを打ったローウェル。


ベンチに引き上げる4人。


素振りをするラミレス。


打席でストレッチ?


ベンチで…ラミレス。


剣道か?畑を耕す構えか?ココ。

※ココ・クリスプは、22日のヤンキース戦で、一塁から二塁へと盗塁してから、ワンヒットで速い速い…好走塁を見せてホームに生還した。ココの反射神経の良さ、足の速さは、どうやら遺伝子に組み込まれていた?らしい。因みにココの母親のパメラさんは、元陸上の短距離選手で、妹は現在もプロのスケート選手として活躍中!。そして父親は元ボクサーだったという素晴らしいスポーツ遺伝子?を受け継いでいるのだ。更に特筆すべき事は、母方の祖父が、オリンピックで使用されたスターティングブロックの開発者で、陸上競技の殿堂入りを果たしている。
◎ココ・クリスプについて詳しい記事は昨年の記事↓
★新生レッドソックスの展望と、ココ・クリスプ選手
http://diary.jp.aol.com/applet/hotarudesu/20060404/archive

この時点で10ゲーム差


※何と!松坂(背番号18)のTシャツは、日本語の名前の文字のも入れて3種類ある。
◎箸休め
この日、満塁ホームランを含む6打数5安打と大活躍のマイク・ローウェルは、バッターボックスに入る時の表情が、私にはどうしても「情けな〜い顔」に見えてしまう。しかし、キューバ出身の両親を持ち、スペイン語と英語を巧みに話せる温和な性格のローウェルは、チームの中での潤滑油的働きをしているそうだ。そしてローウェルの母校、フロリダ・インターナショナル大学野球部では、彼がつけていた背番号「15」は永久欠番として、その活躍の栄誉を讃え、後世に語り継がれて行くという…。

2007/5/26
松坂大輔週間MVP受賞と、岡島秀樹無失点記録途絶える…に思う事 Boston Red Sox・MLB
4月のアメリカン・リーグ最優秀新人賞をレッドソックスの岡島秀樹が受賞したニュースに続いて、松坂大輔が先週の週間MVPに選出された。松坂は、先週一週間で2試合に登板し17回を投げ、一試合を完投勝利で飾って、防御率2.12、11奪三振という成績で、一週間の打率が577だったマリナーズのイチローも抑えての朗報だった。その松坂が今日、現地時間の25日、6連勝をかけてテキサス・レンジャーズを相手に先発する。ニューヨークでヤンキースを相手に3試合中、ウェイク・フィールドと、カート・シリングが先発して2敗と負け越しただけに、地元ボストンでは、松坂に大きな期待がかかっているという。
手に入れて貰った岡島のTシャツ。
一方、メディアに自称(松坂の?)「陰」と発言した事から、ヒーロー・イン・ザ・ダーク=「ダークマン」という愛称を命名された岡島は、ヤンキース戦の2試合目、ジュリアン・タバレスの好投と味方打線の好調で、7対2と点差が開いていたにも関わらず、8回に調整登板した。岡島は19試合連続無失点を続けており、デレク・ジターを筆頭としたヤンキースの中軸を相手に投げたのだが、ジターにヒットを打たれた後、フォアボールで松井秀樹、アレックス・ロドリゲス(A・ロット)を出塁させてしまい満塁のピンチを迎えた。だが、次ぎの打者…現在アメリカン・リーグの打率首位を走る、ホルヘ・ポサーダをショートゴロに打ち取り、これでダブル・プレーが取れて、満塁のピンチから一転すると思った矢先…私の目にはショッキングな映像が映った。
先に書いたA・ロットは、一塁から二塁へ走ったが当然のようにアウトだった。しかし、その後、レッドソックスの二塁手、ダスティン・ぺドロイアが一塁に送球しようとした瞬間、A・ロットは、ペドロイアの胸元(お腹の辺り?)に肘鉄砲を食らわした。私はそのシーンを観て、2004年の10月19日に開催された、ア・リーグ・チャンピオンシップシリーズの第6戦を思い出した。この試合は、4回表にもマーク・ベルホーンが打った飛球がレフトスタンドの観客に当たって跳ね返り、拾った松井が内野へ返球した為、二塁打だと判断され、レッドソックス側が猛抗議をしてホームランと判定し直された…という事がおきていたが、8回にはピッチャーゴロを打った問題のA・ロットが、自らボールを獲って一塁へ向かった投手、ブロンソン・アローヨ(現レッズ)のグラブを叩き、落球させたシーンがあった。TVでは、はっきりと叩いているシーンが見て取れたが、審判からは見えていなかったのか?ジターが本塁へ還って一旦は得点が認められた。
結果、この件もレッドソックス側の抗議でA・ロットはアウトになったが、スポーツマンとして「絶対してはならない行為だ」と、その時から私は、どんなに優秀なスラッガーだとしても、認めることが出来なくなっていた。結局ヤンキースはそのチャンピオンシリーズで、先に3勝して圧倒的有利に立ちながらもこの第6戦を落とし、第7戦も敗れてワールドシリーズへは駒を進める事が出来なかった。そんな行為をするからなのか?アメリカでは、『A・ロットの所属するチームは(ワールドシリーズで)優勝できない』…というジンクスを書く記者まで現れている。実際、マイアミ大学を蹴ってドラフト1位で入ったマリナーズでは、首位打者となるも、チームはポストシーズンで敗退。2000年に移籍したレンジャーズは以降ポストシーズンにも進めなかったという。更に2004年から在籍しているヤンキースも、ワールドシリーズには進出できない状態のままである。
A・ロットが肘鉄をした直後
※二塁に滑り込んだはずのA・ロットのこの格好は、あまりに不自然…
初めからエルボーするつもりでいた…としか思えない。
アメリカの解説では問題にしていたが、日本の解説者はノーコメント…解せなかった。
(この写真のみyahoo photoより引用)
私はこのようなジンクスは信じたくないが、今回、ペドロイアに放ったエルボー(肘鉄)は、アローヨのグラブを払った時より悪質に見え、(幸いペドロイアに怪我は無かったようだが)守備妨害でアウトにするのは勿論のこと、投手が危険球を投げた事と扱いを同じにして『退場も然るべきだ』と思った。そしてその行為が審判には認められず、ジターが本塁に生還して、岡島の無失点記録が途絶えたのは、今だにどうしても納得できないでいる。しかし岡島当人にとっては、これで吹っ切れて、もっと良い投球が出来るかもしれない?と、今日こそ!松坂→岡島という勝利のリレーを見たいと楽しみにしている。(実は、レンジャーズの大塚晶則も好きなので是非投げて欲しいが、それにはボストンが負けていなければならず、微妙な気持ちでもある)。
◎No2は、5月20日にフェンウェイパークで開催の対アトランタ・ブレーブス戦の写真。
(ボストンのJさんご提供)
◎お詫びとお願い。
或るスタッフの親族に不幸が続き、更に最近、別のスタッフの家にも不幸事がありました。よって通常より技術者2名を欠いて、仕事で多忙にしていた為、頂いたコメントの返事、及びブログの更新が出来ませんでした。ごめんなさい。お陰様で金曜日よりスタッフ全員揃って仕事をしておりますが、週末は婚礼もあり、また忙しくなりそうです。コメント欄は、時間を見つけて返事させて頂きますので、ご了承下さい。宜しくお願い致します。
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一方、メディアに自称(松坂の?)「陰」と発言した事から、ヒーロー・イン・ザ・ダーク=「ダークマン」という愛称を命名された岡島は、ヤンキース戦の2試合目、ジュリアン・タバレスの好投と味方打線の好調で、7対2と点差が開いていたにも関わらず、8回に調整登板した。岡島は19試合連続無失点を続けており、デレク・ジターを筆頭としたヤンキースの中軸を相手に投げたのだが、ジターにヒットを打たれた後、フォアボールで松井秀樹、アレックス・ロドリゲス(A・ロット)を出塁させてしまい満塁のピンチを迎えた。だが、次ぎの打者…現在アメリカン・リーグの打率首位を走る、ホルヘ・ポサーダをショートゴロに打ち取り、これでダブル・プレーが取れて、満塁のピンチから一転すると思った矢先…私の目にはショッキングな映像が映った。
先に書いたA・ロットは、一塁から二塁へ走ったが当然のようにアウトだった。しかし、その後、レッドソックスの二塁手、ダスティン・ぺドロイアが一塁に送球しようとした瞬間、A・ロットは、ペドロイアの胸元(お腹の辺り?)に肘鉄砲を食らわした。私はそのシーンを観て、2004年の10月19日に開催された、ア・リーグ・チャンピオンシップシリーズの第6戦を思い出した。この試合は、4回表にもマーク・ベルホーンが打った飛球がレフトスタンドの観客に当たって跳ね返り、拾った松井が内野へ返球した為、二塁打だと判断され、レッドソックス側が猛抗議をしてホームランと判定し直された…という事がおきていたが、8回にはピッチャーゴロを打った問題のA・ロットが、自らボールを獲って一塁へ向かった投手、ブロンソン・アローヨ(現レッズ)のグラブを叩き、落球させたシーンがあった。TVでは、はっきりと叩いているシーンが見て取れたが、審判からは見えていなかったのか?ジターが本塁へ還って一旦は得点が認められた。
結果、この件もレッドソックス側の抗議でA・ロットはアウトになったが、スポーツマンとして「絶対してはならない行為だ」と、その時から私は、どんなに優秀なスラッガーだとしても、認めることが出来なくなっていた。結局ヤンキースはそのチャンピオンシリーズで、先に3勝して圧倒的有利に立ちながらもこの第6戦を落とし、第7戦も敗れてワールドシリーズへは駒を進める事が出来なかった。そんな行為をするからなのか?アメリカでは、『A・ロットの所属するチームは(ワールドシリーズで)優勝できない』…というジンクスを書く記者まで現れている。実際、マイアミ大学を蹴ってドラフト1位で入ったマリナーズでは、首位打者となるも、チームはポストシーズンで敗退。2000年に移籍したレンジャーズは以降ポストシーズンにも進めなかったという。更に2004年から在籍しているヤンキースも、ワールドシリーズには進出できない状態のままである。
A・ロットが肘鉄をした直後

※二塁に滑り込んだはずのA・ロットのこの格好は、あまりに不自然…
初めからエルボーするつもりでいた…としか思えない。
アメリカの解説では問題にしていたが、日本の解説者はノーコメント…解せなかった。
(この写真のみyahoo photoより引用)
私はこのようなジンクスは信じたくないが、今回、ペドロイアに放ったエルボー(肘鉄)は、アローヨのグラブを払った時より悪質に見え、(幸いペドロイアに怪我は無かったようだが)守備妨害でアウトにするのは勿論のこと、投手が危険球を投げた事と扱いを同じにして『退場も然るべきだ』と思った。そしてその行為が審判には認められず、ジターが本塁に生還して、岡島の無失点記録が途絶えたのは、今だにどうしても納得できないでいる。しかし岡島当人にとっては、これで吹っ切れて、もっと良い投球が出来るかもしれない?と、今日こそ!松坂→岡島という勝利のリレーを見たいと楽しみにしている。(実は、レンジャーズの大塚晶則も好きなので是非投げて欲しいが、それにはボストンが負けていなければならず、微妙な気持ちでもある)。
◎No2は、5月20日にフェンウェイパークで開催の対アトランタ・ブレーブス戦の写真。
(ボストンのJさんご提供)
◎お詫びとお願い。
或るスタッフの親族に不幸が続き、更に最近、別のスタッフの家にも不幸事がありました。よって通常より技術者2名を欠いて、仕事で多忙にしていた為、頂いたコメントの返事、及びブログの更新が出来ませんでした。ごめんなさい。お陰様で金曜日よりスタッフ全員揃って仕事をしておりますが、週末は婚礼もあり、また忙しくなりそうです。コメント欄は、時間を見つけて返事させて頂きますので、ご了承下さい。宜しくお願い致します。

2007/5/20
「にわぜんきゅう」さんのアトリエを訪ねて…お地蔵さんの絵他 日記(今日思うこと)
知多半島道路を内海インターで降りて約10分、磯の香りが漂う町の一角に、「丹羽善久…にわぜんきゅう」さんのアトリエ&ギャラリーは、その静かな佇まいを見せていた。私は数年前、ぜんきゅうさんの描かれた『お地蔵さんの絵』を見てから、是非訪れてみたいと思っていたが、友達との予定が合わず伸び伸びになっていた。15日の午後、私は1人だったが、時間が出来たので思い切って出かけることにした。知多半島道路も、半田インターより先は、自然の山々の中を走る形になっており、窓を開けると新緑の香りが漂って来て、ドライブしていても心地よかった。予め電話してぜんきゅうさんがご在宅かを確かめて出かけたが、アトリエに着くと、奥様が「ようこそ、ようこそ」と笑顔で迎えて下さった。また、ぜんきゅうさんは、毎週火曜日には施設からご帰宅されるお母様と一緒に、お庭でくつろいで居られ、快く写真撮影にも応じて下さり、温かいお人柄が伝わって来るようだった。
アトリエ入り口の門
「ようこそ」の看板が出迎えてくれる
築163年の家を改築されて作られた、ぜんきゅうさんのアトリエ&ギャラリーは、心の故郷へ帰ってきたような…懐かしささえ感じられる建物で、中に入ると、ぜんきゅうさんの描かれたお地蔵さんの絵が沢山展示されていた。私はついつい嬉しくなり、時間の経つのを忘れて見入ってしまった。奥様は、わざわざ佐渡から取り寄せられたという金粉入りの『おけさ柿茶』を出して下さり、ぜんきゅうさんが、お地蔵さんの絵を描かれるようになった経緯などをお話して下さった。ぜんきゅうさんは、40代になってから、帰郷した故郷、内海の海の石や砂の美しさに癒され、石や流木を使った造形作家としてアトリエを設立された。そしてボランティアとして老人ホームで絵や習字、粘土を使った人形作りを教えておられるうち、ご老人からの要望があってお地蔵さんの絵を描かれるようになったそうだ。
お地蔵さんが描かれた盾…まあるい心で…。
砂で丸く着色されている。
ぜんきゅうさんの描かれるお地蔵さんは、墨で一筆書きのようにすっきりと描かれ、そして内海の浜の細かい砂で着色されている。現在はアクリル絵の具で着色された多彩な絵も描かれてはいるが、私は初めて見た時、この砂で着色されたお地蔵さんの絵の虜になった。奥様にその描き方をお尋ねしたところ、親切丁寧に教えて下さった。ぜんきゅうさんは、まず墨汁でお地蔵さんを描き、そしてスプレー糊を掛け、茶漉しのようなものに入れた砂をぜんきゅうさん独自の方法(振り掛ける高さや量にコツがあるそうだ)で、砂を振り掛けた後、ラッカーで仕上げられるのだという。自然との調和…白くて細かい内海の砂が、ぜんきゅうさんの手によって、お地蔵さんに命を吹き込んでいるようで、その生き生きとした、そして優しい表情に思わず手を合わせてしまいたくなった。私は、そのギャラリー内で時が経つのも忘れて、のんびりと寛がせてもらい、帰路についた。奥様は玄関に出て見送って下さった。素敵な出会いに感謝しながら、日常の雑多を忘れてまた訪れよう…と思った。
築163年のアトリエとお地蔵さん
笑顔が素敵なぜんきゅうさん。
◎中部経済新聞掲載、ぜんきゅうさんの記事
http://www.nande.com/topic/19991126/topic.htm
◎ぜんきゅうさん公式HP
http://www.nande.com/zenkyu/
◎以下写真集(携帯カメラで撮影の為、拡大しません。ごめんなさい。)
内海の砂を吹きかけたお地蔵さん。
和紙のタペストリー
砂で出来た「守り地蔵」の壁掛け
壁掛け…いつも見ています。
和紙の壁掛け…ありがとうのこころ。
壁掛け…おかげさん。
木彫りのお地蔵さん
ぜんきゅうさんの絵葉書集
壁掛け…詩(太陽だって…)
看板…希望の文字を書いて貰える。
作品が並ぶギャラリー
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「ようこそ」の看板が出迎えてくれる

築163年の家を改築されて作られた、ぜんきゅうさんのアトリエ&ギャラリーは、心の故郷へ帰ってきたような…懐かしささえ感じられる建物で、中に入ると、ぜんきゅうさんの描かれたお地蔵さんの絵が沢山展示されていた。私はついつい嬉しくなり、時間の経つのを忘れて見入ってしまった。奥様は、わざわざ佐渡から取り寄せられたという金粉入りの『おけさ柿茶』を出して下さり、ぜんきゅうさんが、お地蔵さんの絵を描かれるようになった経緯などをお話して下さった。ぜんきゅうさんは、40代になってから、帰郷した故郷、内海の海の石や砂の美しさに癒され、石や流木を使った造形作家としてアトリエを設立された。そしてボランティアとして老人ホームで絵や習字、粘土を使った人形作りを教えておられるうち、ご老人からの要望があってお地蔵さんの絵を描かれるようになったそうだ。

砂で丸く着色されている。

ぜんきゅうさんの描かれるお地蔵さんは、墨で一筆書きのようにすっきりと描かれ、そして内海の浜の細かい砂で着色されている。現在はアクリル絵の具で着色された多彩な絵も描かれてはいるが、私は初めて見た時、この砂で着色されたお地蔵さんの絵の虜になった。奥様にその描き方をお尋ねしたところ、親切丁寧に教えて下さった。ぜんきゅうさんは、まず墨汁でお地蔵さんを描き、そしてスプレー糊を掛け、茶漉しのようなものに入れた砂をぜんきゅうさん独自の方法(振り掛ける高さや量にコツがあるそうだ)で、砂を振り掛けた後、ラッカーで仕上げられるのだという。自然との調和…白くて細かい内海の砂が、ぜんきゅうさんの手によって、お地蔵さんに命を吹き込んでいるようで、その生き生きとした、そして優しい表情に思わず手を合わせてしまいたくなった。私は、そのギャラリー内で時が経つのも忘れて、のんびりと寛がせてもらい、帰路についた。奥様は玄関に出て見送って下さった。素敵な出会いに感謝しながら、日常の雑多を忘れてまた訪れよう…と思った。

笑顔が素敵なぜんきゅうさん。

◎中部経済新聞掲載、ぜんきゅうさんの記事
http://www.nande.com/topic/19991126/topic.htm
◎ぜんきゅうさん公式HP
http://www.nande.com/zenkyu/
◎以下写真集(携帯カメラで撮影の為、拡大しません。ごめんなさい。)

和紙のタペストリー


壁掛け…いつも見ています。


壁掛け…おかげさん。


ぜんきゅうさんの絵葉書集


看板…希望の文字を書いて貰える。



2007/5/18
スピンさんの欧州便りNo24…モナコグランプリレースの写真U スピンさんの欧州便り

(ヌーベル・シケイン)
※豪華なヨットが並ぶ光景は、モナコGPならでは…です。(写真はクリックで拡大します)
“Tabac”コーナー

※船上でレースを楽しむ人たち。
シャンパンを飲みながらモナコGP観戦するならこれですね。
スタンド席のチケット代€400と比較すると、
食事とパドックパス付きのヨット観戦もそんなに高くないのかも知れません。
写真の船はヨットではなく遊覧船かな?

“Tabac”(左下)まで。
トンネルから“Piscine”

(ピッシーヌ)まで。
※「ピッシーヌ」は、水泳プールと言う意味のフランス語で、
プールを迂回するようなコースになっています。
“Nouvelle Chicane”を通過する

★ミハエル・シューマッハ
※最終予選、“Rascasse”コーナーで停車した行為が走路妨害と判定されて、
決勝では最後尾スタートとなったM.シューマッハ。
追抜きが難しいモナコで5位まで順位を上げたのはさすがです。
モナコGPのコースレコードは2004年にM.シューマッハがフェラーリで出した、1分15秒143。
ちなみに私のレコードは10分ちょっと……。

すぐにピットレーン入り口。
※その先が“Anthony Noghes”(アントニー・ノゲ)の最終コーナーです。
右側の道路にはスターティンググリッドが書かれていてゴールはすぐ先です。
斜面は“Rocher”(ロシェ)と言う有料立見席。
「ロシェ」は「岩」と言う意味で名前の通り岩山の斜面みたいな所です。
ここでも決勝日には€70のお値段です。
さらに上の斜面はタダ見の人達。タダだけに転げ落ちそうな所です。
「レストラン・カサゴ」:“La Rascasse”

※2006年モナコGPで一躍有名になった「レストラン・カサゴ」:“La Rascasse”です。
しかし、お味についてはノーコメントです。

そしてゴール!!

※このチェッカーフラッグが最初に使われたのもモナコが最初だそうです。
F1では、いくら優勝しても賞金はゼロ。貰えるのはトロフィーと名誉だけです。

※優勝はルノーのフェルナンド・アロンソさん。
カーナンバー“1”は昨シーズンのチャンピオンです。
それよりも、タイヤを見て下さい。こんなにボロボロ……
モナコの市街地コースがどんなに過酷かと言うことですね。
レース後のコーナー辺り。

※タイヤのカスが一面に散らばっています。大きいものでは10cm以上あります。

現モナコ大公アルベールU世。
モナコGP最多優勝は…

★故アイルトン・セナさん。
※私はこの頃小学生か中学生なので名前を知っている程度でした。
でも、F1観戦に来ていたブラジルの人が「ブラジルの英雄だ」と言っていました。
F1ってサッカーに少し似ています。ヨーロッパ勢が強くて南米も熱狂的、
でもアメリカはノリが今一つで、モータースポーツでは独自路線みたいなね……。

※モナコの自動車博物館には、レーニエV世のカーコレクションが展示されていますが、
ここにも、アイルトン・セナさんのポスターとブラジルカラーのヘルメットが展示されています。
アイルトン・セナの銅像

※今年から中止になったサンマリノGPで、
アイルトン・セナさんが亡くなったのは1994年5月1日の事…。
銅像は、事故が起こったイモラのコーナーに向かって建てられています。

なんて寂しそうな銅像なんでしょうね……
◎今年のモナコGPは5月24日〜27日です。
友達に誘われてるので、もしかしたら行くかも知れません。 by...spin.
◎前回の記事で、開催日を私が24日〜27日と記述した所、
メールにて25日はF-1レースが無いとご指摘頂き、一旦訂正させて頂きましたが、
スピンさんがお持ちのモナコ自動車クラブ(ACM)の案内状にも、同様に記述されており、
25日は、モナコGPの一環としてGP2やポルシェのワンメークレースが行われるそうです。
よって、改めて再訂正させて頂きます。by...hotaru.

2007/5/17
スピンさんの欧州便りNo24…モナコグランプリレースの写真T スピンさんの欧州便り
今日は、2006年モナコGPの写真を中心に、実際のレースの写真(一部2005年以前の写真も有)を掲載します。昨年私は、モナコに行けなかったから、プレスの友達に貰ったものです。でも、もし行っていてもカーレースの写真は、アマチュアにはちょっと無理なんですけどね。何故なら、車がアッと言う間に通り過ぎちゃうから…。(写真はクリックで拡大します)
モナコ港の夜景
↑これは開幕間近の写真です。
F1・GPの為のスタンドやガードレールの設置は、約1ヶ月前から行われます。
F1マシンや機材を運ぶトランスポーターが、ピットレーンに停まっています。
フェラーリとルノーの
モーターホーム。
※この光景がサーカスに似ているから「F1サーカス」と言うそうです。
本物のサーカスの方でも、モナコで毎年一月に開催される
“INTERNATIONAL CIRCUS FESTIVAL OF MONTE-CARLO”での最優秀賞
“Golden Crown”(黄金の道化師賞)はサーカス界の「アカデミー賞」なんだそうです。
パドック・パス。
右上がF1ドライバー用。
※赤のパスはピットレーンへの立入可、緑はダメと言うのはF1GP共通の決まりです。
セッション中のピットレーンはとっても危険です。
モナコGP決勝スタート。
※他のサーキットと違って、モナコではビルの反響音も加わって凄い轟音です。
同じチームの車の見分け方は、ドライバーの頭上にあるT字型のオンボードカメラの色です。
赤がファーストドライーバー、黒がセカンドドライバー、黄色がサードドライバー。
でも、これを肉眼で見分けるのは相当良い席じゃないと……。
“Sainte de Vote”コーナーから“Beau Rivage”へ。
※コーナー左のクレーンは走行不能になったF1マシンの撤去用。
海岸沿いの道路(右側)のコーナーが“Tabac”コーナー。
コース右側に青いパラソルが並んでいる所も有料立見席です。
“Beau Rivage”の登り坂
(美しいビーチ)
※車高が低いF1から見えるのは綺麗な景色ではなく、ガードレールまたガードレール……
この区間は、時速250〜260Kmで走行します。
オテル・ド・パリの高級ブランド・ショップ屋上テラス。
上と同じ場所で前方から。
※背景を見ると、スタート地点からかなり登って来たのが分かります。
“ Massenet”コーナー
※オテル・ド・パリ横を通過中。コーナー直前で270Km
正面玄関前
※普段から超高級車が並ぶオテル・ド・パリ。
でもF1の値段に比べたら、そんな車は自転車みたいなもの…です。
ホテル内で観戦する人達。
↑あまりの轟音に耳を塞ぐ女の子。F1GP観戦に耳栓は必携です。
“Casino”コーナー
コーナースピードは127Km。
“Mirabeau Haut”コーナー
“Grand Hotel Hairpin”(旧Leows HP)の全景
※超低速コーナーと言っても、このヘアピンカーブを45Kmで走り抜けます。
グランド・ホテル側から撮影
★フェルナンド・アロンソ(ルノー)
“Grand Hotel Hairpin”入り口側
★ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
ヘアピンカーブの内側から撮影
★マーク・ウェーバー(ウィリアムズ)
“Mirabeau Bas”コーナー
“Portier”コーナーからトンネルへ
※90Km弱でコーナーを回り加速して行きます。
写真中央、クレーン車が居る場所が「グランドホテル(ロウズ)ヘアピン」です。
手前のスタンド席の後ろは「日本庭園」の入り口になります。
レース中のトンネル内
※カーブと高いガードレールで、かなり見通しが悪いです。
“Speed Trap”
※トンネルを出て、緩やかな下り坂。モナコGPで最もスピードが出る区間です。
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↑これは開幕間近の写真です。
F1・GPの為のスタンドやガードレールの設置は、約1ヶ月前から行われます。
F1マシンや機材を運ぶトランスポーターが、ピットレーンに停まっています。
フェラーリとルノーの

モーターホーム。
※この光景がサーカスに似ているから「F1サーカス」と言うそうです。
本物のサーカスの方でも、モナコで毎年一月に開催される
“INTERNATIONAL CIRCUS FESTIVAL OF MONTE-CARLO”での最優秀賞
“Golden Crown”(黄金の道化師賞)はサーカス界の「アカデミー賞」なんだそうです。

右上がF1ドライバー用。
※赤のパスはピットレーンへの立入可、緑はダメと言うのはF1GP共通の決まりです。
セッション中のピットレーンはとっても危険です。
モナコGP決勝スタート。

※他のサーキットと違って、モナコではビルの反響音も加わって凄い轟音です。
同じチームの車の見分け方は、ドライバーの頭上にあるT字型のオンボードカメラの色です。
赤がファーストドライーバー、黒がセカンドドライバー、黄色がサードドライバー。
でも、これを肉眼で見分けるのは相当良い席じゃないと……。

※コーナー左のクレーンは走行不能になったF1マシンの撤去用。
海岸沿いの道路(右側)のコーナーが“Tabac”コーナー。
コース右側に青いパラソルが並んでいる所も有料立見席です。
“Beau Rivage”の登り坂

(美しいビーチ)
※車高が低いF1から見えるのは綺麗な景色ではなく、ガードレールまたガードレール……
この区間は、時速250〜260Kmで走行します。

上と同じ場所で前方から。

※背景を見ると、スタート地点からかなり登って来たのが分かります。

※オテル・ド・パリ横を通過中。コーナー直前で270Km
正面玄関前

※普段から超高級車が並ぶオテル・ド・パリ。
でもF1の値段に比べたら、そんな車は自転車みたいなもの…です。

↑あまりの轟音に耳を塞ぐ女の子。F1GP観戦に耳栓は必携です。

コーナースピードは127Km。
“Mirabeau Haut”コーナー


※超低速コーナーと言っても、このヘアピンカーブを45Kmで走り抜けます。
グランド・ホテル側から撮影

★フェルナンド・アロンソ(ルノー)

★ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
ヘアピンカーブの内側から撮影

★マーク・ウェーバー(ウィリアムズ)

“Portier”コーナーからトンネルへ

※90Km弱でコーナーを回り加速して行きます。
写真中央、クレーン車が居る場所が「グランドホテル(ロウズ)ヘアピン」です。
手前のスタンド席の後ろは「日本庭園」の入り口になります。

※カーブと高いガードレールで、かなり見通しが悪いです。
“Speed Trap”

※トンネルを出て、緩やかな下り坂。モナコGPで最もスピードが出る区間です。

2007/5/16
松坂大輔、完投勝利!…松坂の好投と好守備のペドロイア Boston Red Sox・MLB
松坂大輔がメジャーデビューして1ヶ月半、登板試合8試合目にして、ようやく地元フェンウェイ・パークの大観衆を大満足させた。5月14日、相手チームは現在、中地区首位にして昨季アメリカン・リーグの優勝を果したデトロイト・タイガース。強打者が揃うチームであった。この日、フェンウェイパークのマウンドに立った松坂は、ホーム防御率7点台というデータを忘れさせるかのような投球ぶりで、124球を投げ、6安打、無四球、5奪三振、1失点とし、好調を続けているレッドソックス投手陣の中でも、今季初の完投勝利を挙げた。尚、レッドソックスの新人投手としては、1994年のティム・バンエグモンド(現、ブリューワーズ)以来12年ぶりの快挙だという。「レッツゴー・ダイスケ」歓声は鳴り止まず、9回を投げ終えた松坂を、3万6935人の観客は総立ちで出迎えた。松坂は、ベンチに下がる時、遠慮がちに帽子をとって軽く振り観客に応えた。…それは松坂が初めて知った珠玉の勝利の味だった。
完投し5勝目を挙げた松坂。
私は、朝から生放送で試合を観た。この日の松坂は、直球の最速が148キロと抑え気味の投球で、球威より制球を重視して投げていたように感じた。常にストライクが先行し、全投球を終えて無四球という結果…振り返ってみれば1回に20球以上は投げておらず、3回にグランダーソンにホームランを打たれるも、4回以降はタイガースの打者に3塁さえ踏ませなかった。三振は5個と控え目の数字だったが、16個の内野ゴロを打たせてアウトを積み重ねられたのは、ボールが低めに制球されていたからだといえよう。試合終了の瞬間、歩み寄った捕手バリテックと松坂の2人の爽やかな笑顔が印象的だった。松坂は試合後のインタビューで「(完投は)先発ピッチャーにとって一番気持ちが良い事。9回のマウンドに上がった時、凄く力を貰った。…中略…フェンウェイパークで初めて良い投球が出来た事に興奮している」と笑顔で語り、「次は三振も増やしたい」と本音を漏らした。それは『DICE-K』の呼び名に応える頼もしい「奪三振宣言」だった。
拝んで讃え合う松坂と
ルーゴ(後ろ向き)とタバレス。
さて、この試合、守備に打撃にと大活躍して、松坂の投球を援護した二塁手、ダスティン・ペドロイア(NHKではペドロアと言っているが)について、少し書いてみようと思う。ペドロイアは、175cm(実はもっと小さいのでは?と思うが)と小兵ながら、素早い反射神経と、バッテイングセンスの良さが売りの23才。アリゾナ州立大卒業後に加入した、レッドソックス生え抜きの選手として将来を期待されている。現在は二塁を守っているが遊撃手として守備に着く事も出来るという。今季出足の4月は打率1割代と低迷し「先発メンバーから外した方が」…という声もあったらしいが、フランコナ監督は信頼して使い続け、5月に入ってそれに応えるように打ち始め、何より守備の良さが光って来た。
好守備を見せたペドロイア
昨年9月、フェンウェイ・パークで行われたミネソタ・ツインズ戦の後、トロントへの移動バスの脇へ、パペルボンらと共に変装して現れ(その日は新人選手達が変装する日だったらしい)ファンサービスしてくれた。ペドロイアは、メジャー登録枠が増えた9月に、マイナーから上がってきた選手の中でも一際小さく、反対に目立っていて、私は注目していた。ペドロイアが、ロッカールームから赤ちゃんの着ぐるみ姿で出て来た瞬間、思わず「あーっ、あのチビだ」と叫び、被っていた帽子を差し出した。勿論、彼には日本語が分かる訳もなく、また156cmの私に「チビ」とは言われたくないだろうが、気軽にサインに応じてくれた。何人ものファンがボール等を差し出しサインを求める中、始終笑顔で最後までサインに応じていた。昨年のワールドシリーズでは、ベドロイヤより小柄な(170cm)カーディナルスのショート、デービット・エクスタインが、MVPを獲ったこともあり、今後エクスタインと共に、体格で劣る選手達の希望となって欲しいと思っている。
赤ちゃんスタイルに変装
ぺドロイアは、この試合も、ライトとセンターへ抜けるような2つの鋭い打球を体を張ってセーブし、素早い投球で一塁に送ってアウトを取り、松坂を助けた。その時マウンドの松坂は、打たれた瞬間、きっと「抜けた」と思ったに違いないが、ペドロイアのナイスプレーにグラブをつけたまま拍手をしたり、頭を下げてお礼の仕草を見せていた。試合終了後のハイタッチの時も、ペドロイアの腰を叩いて感謝の意を示していた。今までの松坂は、ドミニカの選手達の励ましに戸惑うような仕草を見せていた気もしたが、ここに来て見せたバリテックとの笑顔や、ペドロイアへのお礼の意思表示は、素直な気持ちから自然に滲み出て来た気がして、チームメイトからの信頼を得ると共に、松坂自身がチームに心底溶け込んで来たな…と思えて、大変嬉しい気持ちだった。
オルティースと拝み合う…。
(写真…ぺドロイアの変装以外yahoo photoより)
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私は、朝から生放送で試合を観た。この日の松坂は、直球の最速が148キロと抑え気味の投球で、球威より制球を重視して投げていたように感じた。常にストライクが先行し、全投球を終えて無四球という結果…振り返ってみれば1回に20球以上は投げておらず、3回にグランダーソンにホームランを打たれるも、4回以降はタイガースの打者に3塁さえ踏ませなかった。三振は5個と控え目の数字だったが、16個の内野ゴロを打たせてアウトを積み重ねられたのは、ボールが低めに制球されていたからだといえよう。試合終了の瞬間、歩み寄った捕手バリテックと松坂の2人の爽やかな笑顔が印象的だった。松坂は試合後のインタビューで「(完投は)先発ピッチャーにとって一番気持ちが良い事。9回のマウンドに上がった時、凄く力を貰った。…中略…フェンウェイパークで初めて良い投球が出来た事に興奮している」と笑顔で語り、「次は三振も増やしたい」と本音を漏らした。それは『DICE-K』の呼び名に応える頼もしい「奪三振宣言」だった。
拝んで讃え合う松坂と

ルーゴ(後ろ向き)とタバレス。
さて、この試合、守備に打撃にと大活躍して、松坂の投球を援護した二塁手、ダスティン・ペドロイア(NHKではペドロアと言っているが)について、少し書いてみようと思う。ペドロイアは、175cm(実はもっと小さいのでは?と思うが)と小兵ながら、素早い反射神経と、バッテイングセンスの良さが売りの23才。アリゾナ州立大卒業後に加入した、レッドソックス生え抜きの選手として将来を期待されている。現在は二塁を守っているが遊撃手として守備に着く事も出来るという。今季出足の4月は打率1割代と低迷し「先発メンバーから外した方が」…という声もあったらしいが、フランコナ監督は信頼して使い続け、5月に入ってそれに応えるように打ち始め、何より守備の良さが光って来た。
好守備を見せたペドロイア

昨年9月、フェンウェイ・パークで行われたミネソタ・ツインズ戦の後、トロントへの移動バスの脇へ、パペルボンらと共に変装して現れ(その日は新人選手達が変装する日だったらしい)ファンサービスしてくれた。ペドロイアは、メジャー登録枠が増えた9月に、マイナーから上がってきた選手の中でも一際小さく、反対に目立っていて、私は注目していた。ペドロイアが、ロッカールームから赤ちゃんの着ぐるみ姿で出て来た瞬間、思わず「あーっ、あのチビだ」と叫び、被っていた帽子を差し出した。勿論、彼には日本語が分かる訳もなく、また156cmの私に「チビ」とは言われたくないだろうが、気軽にサインに応じてくれた。何人ものファンがボール等を差し出しサインを求める中、始終笑顔で最後までサインに応じていた。昨年のワールドシリーズでは、ベドロイヤより小柄な(170cm)カーディナルスのショート、デービット・エクスタインが、MVPを獲ったこともあり、今後エクスタインと共に、体格で劣る選手達の希望となって欲しいと思っている。

ぺドロイアは、この試合も、ライトとセンターへ抜けるような2つの鋭い打球を体を張ってセーブし、素早い投球で一塁に送ってアウトを取り、松坂を助けた。その時マウンドの松坂は、打たれた瞬間、きっと「抜けた」と思ったに違いないが、ペドロイアのナイスプレーにグラブをつけたまま拍手をしたり、頭を下げてお礼の仕草を見せていた。試合終了後のハイタッチの時も、ペドロイアの腰を叩いて感謝の意を示していた。今までの松坂は、ドミニカの選手達の励ましに戸惑うような仕草を見せていた気もしたが、ここに来て見せたバリテックとの笑顔や、ペドロイアへのお礼の意思表示は、素直な気持ちから自然に滲み出て来た気がして、チームメイトからの信頼を得ると共に、松坂自身がチームに心底溶け込んで来たな…と思えて、大変嬉しい気持ちだった。
オルティースと拝み合う…。

(写真…ぺドロイアの変装以外yahoo photoより)

2007/5/15
16試合連続無失点…「あっちむいてホイ」投法?の岡島秀樹 Boston Red Sox・MLB
現地時間の14日は、地元フェンウェイパークの対デトロイト戦で、松坂大輔が登板する。地元ファンの間での松坂フィーバーはまだ治まっていない様子だが、これまで松坂一辺倒だった地元のボストングローブ誌では、ブルペン投手である岡島秀樹の特集を組むようになった。13日の同誌では「『OK』ajima」と題し「またも岡島がOKな働きをした」と報じた。更に「この日も無失点で伝説になりつつある。防御率0.48」は(守護神の)パベルボンさえジェラシーを覚えるはずだ」と書いており、例えヒットを打たれても冷静な投球で無失点に抑えている所から『神の子』とも呼ばれているそうだ。よってフェンウェイパーク傍の公式グッヅ売り場では、デビット・オルティースと松坂のTシャツの横にゼッケン37番の岡島のTシャツが並べられ、連日売り上げを伸ばしていると言う。
防御率0.48、16試合連続無失点の
岡島秀樹↑
更に日本の新聞各紙でも、岡島の投球フォームについて、面白い?命名をして、特集が組まれるようになった。元々『下向き投法』とか『うつむき投法』と呼ばれてはいたが、以前福島豊が名付けた『あっちむいてホイ投法』という呼び方がなかなか面白いと思った。レッドソックスのフランコナ監督は、初め「打者を見ていないから危険ではないか?」と思ったらしいが、投げる瞬間しっかり?見ている事が分かり安堵したそうだ。同僚のフリオ・ルーゴは「岡島は頭のてっぺんにもう1つ目がある」と言ったり、同じブルペン投手のJ.C.ロメロは「He's on autopilot man.(彼は自動操縦)」と言い、スーパーサブとして活躍しているアレックス・コーラも「His eyes are in his neck.(彼の目は首についている)」と言って驚いているらしい。
正に「あっちむいてホイ」投法?の岡島→
この岡島の投球方法は、岡島が子供の頃、日本ハムファイターズのファンで漫画家の高橋陽一(「キャプテン翼」が有名)が書き、1990年から1991年にかけて、週刊少年ジャンプに連載された『エース』に登場する主人公「相羽一八」が投球する際に、帽子を落として投げる事に影響されて編み出した投法だという。しかし先日民放で特集していたが、巨人入団直後は、暴投に次ぐ暴投で、なかなか制球が定まらず、良い成績は残せなかった。投法の変更を求める首脳陣に対し、ピッチングコーチの鹿取義隆は「子供の頃からの投法を変える必用はなく、リリースポイントの瞬間、腕を出来る限り地面と垂直にするように」とアドバイスし、現在の投法が確立されたそうだ。番組では京都のある街で、畑を耕す岡島のお父さんのインタビューを流していたが「あんな変な投げ方で大リーグに通用しているのか?!」と驚き、少し疑い気味だった事が微笑ましかった。
高橋陽著の漫画…「エース」単行本。
お父さんの疑念?を晴らすかのように、この岡島独自のフォームから投げ出されるカーブやチェンジアップは、名立たるメジャーリーガーの打者達を翻弄し、地元誌では岡島が投げるチェンジアップを「OKI-DOKI」と名付けている。岡島は、初登板時にホームランを打たれたストレートの感覚を、今も忘れずに自分を戒め「あの球を投げない限り、長打にはならないと思っている」と言った。また中日スポーツ誌によると、岡島がまだ確実な戦力と認められていない頃(4月中旬)には、レッドソックスのファレルピッチングコーチから「チェンジアップを投げる時の手首の使い方」を詳しく学び、現在は故障者入りしているが、ブルペン投手の要として2004年から投げている、レッドソックスの鉄腕セットアッパー、マイク・ティムリンからも指導を受け「緊迫した場面は働き甲斐がある」と精神力も高めて来たそうだ。岡島は、12日のオリオールズ戦でも登板したが、岡島の名前がコールされると、満員のスタンドからは大きな歓声と拍手が沸き起こったという。
試合前の練習でチームメイト…
タバレス、ペドロイヤと談笑する岡島。(写真は単行本以外、yahoo photoより)
この日の8回、単発のヒットを2本打たれたものの、ランナーを出してからは岡島の『伝家の宝刀』…外角低めのチェンジアップで内野ゴロ併殺を奪い、更に次の打者も内野ゴロに仕留めて無失点、そしてベンチに下がる際には、観客は総立ちとなっていたそうだ。その時のインタビューで岡島は「1点もやれない場面なので、力一杯投げるよりも抑え気味にコントロール重視で投げた」と語り「大歓声は、非常にありがたいです」と照れ笑いしたという。結果、1イニング3分の2を投げ、投げた23球中、20球がストライクで、リーグトップの9ホールド目を記録し、無失点記録を16イニングと更新した。「今日の試合もヤバイ場面がありましたけど、神様はまだ僕に味方をしてくれているのですね」と、はにかむ岡島…。開幕前は「MATSUZAKA」、「DISE-K」の名前しか知らなかった地元ファンの心を釘付けにしている。岡島の投法がメジャーの新名物?としてボストンでは、どんな名前を付けられるか?非常に楽しみである。
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岡島秀樹↑
更に日本の新聞各紙でも、岡島の投球フォームについて、面白い?命名をして、特集が組まれるようになった。元々『下向き投法』とか『うつむき投法』と呼ばれてはいたが、以前福島豊が名付けた『あっちむいてホイ投法』という呼び方がなかなか面白いと思った。レッドソックスのフランコナ監督は、初め「打者を見ていないから危険ではないか?」と思ったらしいが、投げる瞬間しっかり?見ている事が分かり安堵したそうだ。同僚のフリオ・ルーゴは「岡島は頭のてっぺんにもう1つ目がある」と言ったり、同じブルペン投手のJ.C.ロメロは「He's on autopilot man.(彼は自動操縦)」と言い、スーパーサブとして活躍しているアレックス・コーラも「His eyes are in his neck.(彼の目は首についている)」と言って驚いているらしい。
正に「あっちむいてホイ」投法?の岡島→

この岡島の投球方法は、岡島が子供の頃、日本ハムファイターズのファンで漫画家の高橋陽一(「キャプテン翼」が有名)が書き、1990年から1991年にかけて、週刊少年ジャンプに連載された『エース』に登場する主人公「相羽一八」が投球する際に、帽子を落として投げる事に影響されて編み出した投法だという。しかし先日民放で特集していたが、巨人入団直後は、暴投に次ぐ暴投で、なかなか制球が定まらず、良い成績は残せなかった。投法の変更を求める首脳陣に対し、ピッチングコーチの鹿取義隆は「子供の頃からの投法を変える必用はなく、リリースポイントの瞬間、腕を出来る限り地面と垂直にするように」とアドバイスし、現在の投法が確立されたそうだ。番組では京都のある街で、畑を耕す岡島のお父さんのインタビューを流していたが「あんな変な投げ方で大リーグに通用しているのか?!」と驚き、少し疑い気味だった事が微笑ましかった。

お父さんの疑念?を晴らすかのように、この岡島独自のフォームから投げ出されるカーブやチェンジアップは、名立たるメジャーリーガーの打者達を翻弄し、地元誌では岡島が投げるチェンジアップを「OKI-DOKI」と名付けている。岡島は、初登板時にホームランを打たれたストレートの感覚を、今も忘れずに自分を戒め「あの球を投げない限り、長打にはならないと思っている」と言った。また中日スポーツ誌によると、岡島がまだ確実な戦力と認められていない頃(4月中旬)には、レッドソックスのファレルピッチングコーチから「チェンジアップを投げる時の手首の使い方」を詳しく学び、現在は故障者入りしているが、ブルペン投手の要として2004年から投げている、レッドソックスの鉄腕セットアッパー、マイク・ティムリンからも指導を受け「緊迫した場面は働き甲斐がある」と精神力も高めて来たそうだ。岡島は、12日のオリオールズ戦でも登板したが、岡島の名前がコールされると、満員のスタンドからは大きな歓声と拍手が沸き起こったという。
試合前の練習でチームメイト…

タバレス、ペドロイヤと談笑する岡島。(写真は単行本以外、yahoo photoより)
この日の8回、単発のヒットを2本打たれたものの、ランナーを出してからは岡島の『伝家の宝刀』…外角低めのチェンジアップで内野ゴロ併殺を奪い、更に次の打者も内野ゴロに仕留めて無失点、そしてベンチに下がる際には、観客は総立ちとなっていたそうだ。その時のインタビューで岡島は「1点もやれない場面なので、力一杯投げるよりも抑え気味にコントロール重視で投げた」と語り「大歓声は、非常にありがたいです」と照れ笑いしたという。結果、1イニング3分の2を投げ、投げた23球中、20球がストライクで、リーグトップの9ホールド目を記録し、無失点記録を16イニングと更新した。「今日の試合もヤバイ場面がありましたけど、神様はまだ僕に味方をしてくれているのですね」と、はにかむ岡島…。開幕前は「MATSUZAKA」、「DISE-K」の名前しか知らなかった地元ファンの心を釘付けにしている。岡島の投法がメジャーの新名物?としてボストンでは、どんな名前を付けられるか?非常に楽しみである。

2007/5/13
従姉の結婚式…ジュリアという薔薇を使ってブーケ製作 日記(今日思うこと)
明日13日は、母の日…私は名古屋市内某ホテルにて、執り行われる従姉の結婚式に列席します。従姉が申し込んだ挙式はパック挙式で、美容師の持ち込みが厳しかったたので、私は初めて仕事を含まず、披露宴のお席でゆっくり出来そう?です。でも、ホテルへ行くまでの時間が、けっこう慌しいです。朝からお祝いのブーケを作って、自分の髪をまとめ、その後、披露宴に参列する人達のセットと着付、そして私自身も訪問着を着ます。
正式名=ジュリア・クレメンツローズ
ジュリアを使って製作したブーケ…
★無事に披露宴を終え帰宅して、ブーケスタンドに置かれたブーケをUPしました。5/13 9:10 PM
ブーケは写真の↑ジュリアというミルクティー色の薔薇を中心に使って、ブーケオアシスにアレンジ…。ビタマイヤー様式のブーケを作る予定です。従姉は4年前に母親(伯母)を亡くしています。母の日に念願の花嫁姿…天国へと届きますように。
カーネーションのディスプレイ(ロビー)
披露宴会場、雛壇のバックには…
モネのジヴェルニーの橋(睡蓮)の絵が飾られていて、感動しました。
店内の生け込みの写真 5/12現在。
花材→枝物=ドウダンツツジ、花すおう、
百合(カサブランカ、ソルボンヌ)、アルストロメリア、デルフィニューム(青い花)
※以下のトラックバックは母の日の謂れについて…
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ジュリアを使って製作したブーケ…

★無事に披露宴を終え帰宅して、ブーケスタンドに置かれたブーケをUPしました。5/13 9:10 PM
ブーケは写真の↑ジュリアというミルクティー色の薔薇を中心に使って、ブーケオアシスにアレンジ…。ビタマイヤー様式のブーケを作る予定です。従姉は4年前に母親(伯母)を亡くしています。母の日に念願の花嫁姿…天国へと届きますように。

披露宴会場、雛壇のバックには…

モネのジヴェルニーの橋(睡蓮)の絵が飾られていて、感動しました。

花材→枝物=ドウダンツツジ、花すおう、
百合(カサブランカ、ソルボンヌ)、アルストロメリア、デルフィニューム(青い花)
※以下のトラックバックは母の日の謂れについて…

2007/5/12
スピンさんの欧州便りNo23…F1モナコグランプリU スピンさんの欧州便り
「モナコグランプリ」のレースでは、この玄関のすぐ前をF1マシンが疾走して行きます。
モナコのホテルは総客室数が3千室も無いから、モナコグランプリ開催時は予約も大変。
隣のニースに泊まって、モナコにやって来る人の方が多いみたいです。
(写真は全てクリックで拡大します。)
Hôtel de Paris正面玄関
※モナコで一番の伝統と格式を誇るホテルで、創業が1864年。客室は117しかありません。
←玄関を入ります。
インテリアも豪華です。
Place du Casino カジノ広場
※ここがモンテカルロ(Monte-Carlo)と言う地名発祥の地。
「シャルルの山」の頂上です。
正面がグラン・カジノ、
右はオテル・ド・パリ、左もカフェ・ド・パリと言うカジノです。
右側のカーブが「カジノ・コーナー」で、レースは右から左へと進みます。
←グラン・カジノ
※中に入ると宮殿のような建物です。
ここのVIPルームでは、最低賭け金が1回€2000または$3000だそうです。
ここはドレスコードに注意が必要で、カジノと言うよりヨーロッパの社交場です。
グラン・カジノのディテール
※モナコのカジノ全てと「オテル・ド・パリ」「オテル・エルミタージュ」等は
S.B.Mと言うモナコ公国が株式の大半を持つ会社のもの。
S.B.M.(SOCIETE DES BAINS DE MER)を英語で言えば“SOCIETY OF THE SEA BATHS”。
もともとは療養で海水浴に来る人の為の会社だったそうです。
モナコには所得税や固定資産税が無くて、普通の会社は法人税も実質ゼロ。
ほとんどの場合は相続税も無いから、お金持ちにとっては夢のような国です。
カジノからの歳入は数%に過ぎないそうですから、
多くの人がモナコでお金を使ってTVA(付加価値税)を沢山払ってる…
…と言うことなんでしょうね。
“Mirabeau Haut”コーナー
※左側の「ミラボウホテル」の上にあるから付いた名前です。
“Haut”(オウト)は“High”、次に出てくる“Bas”(バス)は“Low”と言う意味。
ここからは海岸まで下り坂です。
こんな所がモナコGPでは数少ない追い抜きポイントだそうですよ。
Grand Hotel Hairpin
※正面にモンテカルロ・グランドホテルがあるヘアピンカーブ、
赤白のゼブラゾーンが、ここがモナコGPのサーキットだと言う証です。

↑カーブを曲がると見えてくる地中海。
下り坂+急カーブで、曲がるだけで精一杯です。
ヘアピンカーブの入り口側
※この階段を昇るとカジノ広場です。
左端にあるのはグランドホテル内の「サン・カジノ」の入り口です。

↑“Mirabeau Bas”コーナーを過ぎ、
この先の右カーブが“Portier”(ポルティエ)コーナーです。
ここを左折すると、日本庭園の入り口になります
“Tunnel”トンネル→
※トンネルと言ってもグランドホテルの下が道路になっています。
緩い右カーブで傾斜は、ほとんどありません。
←“Tunnel”の中
※このトンネルをF1マシンは、時速260〜270Kmで走るそうです。
トンネルを抜けた所
※この辺がスピード・トラップ(速度計測ポイント)です。
この先は海岸沿いになるので、少し省略して次は…。
“Rascasse”コーナー
※写真の建物は“La Rascasse”と言うレストランです。
「ラスカス」は、日本のカサゴみたいなお魚です。
去年のモナコグランプリでは、M.シューマッハがこのコーナーで車を停めて大問題に…
コースは写真の手前を左に進み、かなりきつい右カーブ。
少し直進して、PITに入るか、スタート地点に戻ります。
そしてゴール!!
↑この写真は、2006年のモナコグランプリの実際の写真です。
最初のスタート地点の写真からは、全く想像がつかないけれど、
道路に引かれたラインは、間違いなくあのラインです。
※次はモナコグランプリ開催時の写真を送ります。by...spin.
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モナコのホテルは総客室数が3千室も無いから、モナコグランプリ開催時は予約も大変。
隣のニースに泊まって、モナコにやって来る人の方が多いみたいです。
(写真は全てクリックで拡大します。)
Hôtel de Paris正面玄関

※モナコで一番の伝統と格式を誇るホテルで、創業が1864年。客室は117しかありません。

インテリアも豪華です。
Place du Casino カジノ広場

※ここがモンテカルロ(Monte-Carlo)と言う地名発祥の地。
「シャルルの山」の頂上です。
正面がグラン・カジノ、
右はオテル・ド・パリ、左もカフェ・ド・パリと言うカジノです。
右側のカーブが「カジノ・コーナー」で、レースは右から左へと進みます。

※中に入ると宮殿のような建物です。
ここのVIPルームでは、最低賭け金が1回€2000または$3000だそうです。
ここはドレスコードに注意が必要で、カジノと言うよりヨーロッパの社交場です。
グラン・カジノのディテール

※モナコのカジノ全てと「オテル・ド・パリ」「オテル・エルミタージュ」等は
S.B.Mと言うモナコ公国が株式の大半を持つ会社のもの。
S.B.M.(SOCIETE DES BAINS DE MER)を英語で言えば“SOCIETY OF THE SEA BATHS”。
もともとは療養で海水浴に来る人の為の会社だったそうです。
モナコには所得税や固定資産税が無くて、普通の会社は法人税も実質ゼロ。
ほとんどの場合は相続税も無いから、お金持ちにとっては夢のような国です。
カジノからの歳入は数%に過ぎないそうですから、
多くの人がモナコでお金を使ってTVA(付加価値税)を沢山払ってる…
…と言うことなんでしょうね。

※左側の「ミラボウホテル」の上にあるから付いた名前です。
“Haut”(オウト)は“High”、次に出てくる“Bas”(バス)は“Low”と言う意味。
ここからは海岸まで下り坂です。
こんな所がモナコGPでは数少ない追い抜きポイントだそうですよ。
Grand Hotel Hairpin

※正面にモンテカルロ・グランドホテルがあるヘアピンカーブ、
赤白のゼブラゾーンが、ここがモナコGPのサーキットだと言う証です。

↑カーブを曲がると見えてくる地中海。
下り坂+急カーブで、曲がるだけで精一杯です。
ヘアピンカーブの入り口側

※この階段を昇るとカジノ広場です。
左端にあるのはグランドホテル内の「サン・カジノ」の入り口です。

↑“Mirabeau Bas”コーナーを過ぎ、
この先の右カーブが“Portier”(ポルティエ)コーナーです。
ここを左折すると、日本庭園の入り口になります
“Tunnel”トンネル→

※トンネルと言ってもグランドホテルの下が道路になっています。
緩い右カーブで傾斜は、ほとんどありません。

※このトンネルをF1マシンは、時速260〜270Kmで走るそうです。
トンネルを抜けた所

※この辺がスピード・トラップ(速度計測ポイント)です。
この先は海岸沿いになるので、少し省略して次は…。
“Rascasse”コーナー

※写真の建物は“La Rascasse”と言うレストランです。
「ラスカス」は、日本のカサゴみたいなお魚です。
去年のモナコグランプリでは、M.シューマッハがこのコーナーで車を停めて大問題に…
コースは写真の手前を左に進み、かなりきつい右カーブ。
少し直進して、PITに入るか、スタート地点に戻ります。

↑この写真は、2006年のモナコグランプリの実際の写真です。
最初のスタート地点の写真からは、全く想像がつかないけれど、
道路に引かれたラインは、間違いなくあのラインです。
※次はモナコグランプリ開催時の写真を送ります。by...spin.
