2007/6/30
クイーンアリスへ食事に…No1 雨上がり…東の空に架かる虹 日記(今日思うこと)
29日の夕方から、友達が中部国際空港・セントレア内にある、レストラン・クイーンアリスで、(23日が貸切で予約不可だった為)一週間遅れの誕生日を祝う食事会を催してくれた。29日は、月末・年度末である事も重なって、サロンワークも経理関係の仕事も忙しい日ではあったが、せっかく予約を取ってくれたのだから…と出かける事にした。私達の車は雨上がりの知多半島道路を一路、セントレアへと向かった。走行中、友達のMさんが「虹ー!」と叫んだので、彼女が指差す東の空を見てみると、綺麗な半円の虹が、架かっていた。それもよく見ると2つ…。私達は思わず路側帯に車を停めて、虹に魅入ってしまった。私の拙い腕では、なかなか上手く撮影できなかったが、載せたいと思う。(写真はクリックで拡大します)
近すぎたが綺麗な半円だった。
虹の外側にもう1つの虹が…
虹とは、周知の通り、英語ではレインボー(rainbow)。これは、外来語として日本語にも取り入れられているが、「雨の弓」という意味がある。フランス語では、アルカンシエル(arc-en-ciel)と言い、「空に掛かるアーチ」の意味があるという。今回見る事が出来た2つの虹は、色もはっきりと見える、主虹(しゅこう)と呼ばれる虹の外側に、副虹(ふくこう)と呼ばれる薄っすらとした虹が見られた現象で、写真では分りにくいが、主虹は赤が一番外側となり、内に向かって橙、黄、緑、青、藍、紫の七色(と、日本では決めれているが)で、副虹は、逆で赤が内側、紫が外側となり、反対になっているとそうだ。古代中国で主虹は、「虹」(こう)と呼び、『空に横たわる竜』の一種とされていた。また主虹は雄とされ、対する副虹は雌とされて「霓」(げい)と書かれていたという。(参考・Wikipedia) 私達は、出発前、フランス料理の事で頭が一杯?だったが、虹を見た瞬間、感動と喜びで心が一杯になった。
※この後、私達が食べたクイーンアリスでの食事…
フレンチのフルコースの写真と内容は、また後日掲載します。ごめんなさい。
★せっかく頂いたコメントの返事が、遅れてしまっています。
少しずつ、時間を見つけて書かせて頂きます。申し訳ありません。
更に、スパムコメントが続いている為、(絶対したくなかったのですが)
止むを得ず、コメント欄も承認制とさせて頂きました。
何卒、ご理解下さいますよう、どうぞ宜しくお願い致します。
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虹の外側にもう1つの虹が…

虹とは、周知の通り、英語ではレインボー(rainbow)。これは、外来語として日本語にも取り入れられているが、「雨の弓」という意味がある。フランス語では、アルカンシエル(arc-en-ciel)と言い、「空に掛かるアーチ」の意味があるという。今回見る事が出来た2つの虹は、色もはっきりと見える、主虹(しゅこう)と呼ばれる虹の外側に、副虹(ふくこう)と呼ばれる薄っすらとした虹が見られた現象で、写真では分りにくいが、主虹は赤が一番外側となり、内に向かって橙、黄、緑、青、藍、紫の七色(と、日本では決めれているが)で、副虹は、逆で赤が内側、紫が外側となり、反対になっているとそうだ。古代中国で主虹は、「虹」(こう)と呼び、『空に横たわる竜』の一種とされていた。また主虹は雄とされ、対する副虹は雌とされて「霓」(げい)と書かれていたという。(参考・Wikipedia) 私達は、出発前、フランス料理の事で頭が一杯?だったが、虹を見た瞬間、感動と喜びで心が一杯になった。
※この後、私達が食べたクイーンアリスでの食事…
フレンチのフルコースの写真と内容は、また後日掲載します。ごめんなさい。
★せっかく頂いたコメントの返事が、遅れてしまっています。
少しずつ、時間を見つけて書かせて頂きます。申し訳ありません。
更に、スパムコメントが続いている為、(絶対したくなかったのですが)
止むを得ず、コメント欄も承認制とさせて頂きました。
何卒、ご理解下さいますよう、どうぞ宜しくお願い致します。

2007/6/24
メジャーからのプレゼント…松坂9勝目、岡島と桑田らの活躍ぶり Boston Red Sox・MLB
1982年当時のボストン・レッドソックスのユニフォームを着た松坂大輔が、WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)決勝戦以来、1年3ヶ月ぶりにサンディエゴ・ぺトコパークのマウンドに立っていた。この日のユニフォームは、対戦相手のパドレスが、同チームの元選手で、首位打者を8回獲得したトニー・グウィン氏が野球殿堂入り(1月)した事に敬意を表し、同氏がデビューした年のユニフォームを着用すると決まっていた事から、レッドソックスもそれに合わせ、グレーの生地にBostonと書かれた1982年のユニフォームを着てプレーした。
1982年のユニフォームで投げる松坂。
写真は全てyahoo photoより。
相手チームの投手は、『精密機械』『プロフェッサー(教授)』とまで呼ばれている程の制球力を持ち、メジャー339勝(2007年6月22日現在)をあげている、グレッグ・マダックス…。松坂がメジャー挑戦を宣言した時、自ら「ノーマン・ライアンとグレッグ・マダックスを合わせて2で割ったような投手になりたい」と憧れている投手であった。松坂はその緊張感もあったのか?初回、大きく制球が乱れノーアウト満塁のピンチを迎えた。1アウトを取ったもののヒットを打たれ1失点。しかし、その後は冷静さを取り戻し、ランナーを残塁させたまま1回を締めた。また2回以降は、メジャーに渡ってからの最速の156キロも記録する等、落ち着いた投球振りを見せ、味方打線が4回に逆転すると、初回に36球を投じてしまった付けがあって6回で降板したが、先発投手の義務を果たし、勝利投手の権限を掴んでいた。
その後、レッドソックスはロペス、デルカーメンと繋ぎ、8回には私が待ちに待っていた?岡島が登場してきた。岡島は、現地時間の6月21日時点でメジャー30球団ブルペン陣全ての選手の中で、防御率1、01はトップの成績である。岡島はそんな記録も意識していないかのように、いつもの如くブルペンを出る時には、帽子を取って一礼し、マウンドに上がる時も丁寧に一礼して投げ始めた。松坂は後に「岡島さんが投げる時は安心しきっている」と話していたが、その期待に応えるべく、得意のチェンジアップを駆使して2三振とセカンドライナーで三者凡退に斬って取り、通算500セーブを挙げたパドレス、トレーザー・ホフマンが見守る中、防御率を0、98とした。そして2対1のまま、9回はレッドソックスの守護神…ジョナサン・パベルボンが抑えて17セーブを記録し、松坂の9勝目が決定した。
マイペースで無失点を続ける岡島。
サンディエゴ・ペトコパーク…華やかなWBC優勝の記憶が甦る中、その当時、このマウンドで投げる事すら予想もされていなかった岡島が、緊迫した場面で好投し、33試合の登板で、防御率を脅威の0点台まで伸ばした事は、非常に喜ばしかった。そして私は岡島の活躍を観ながら思い出していた。先日、現地時間の6月10日、ヤンキースタジアム開催のニューヨーク・ヤンキース対ピッツバーグ・パイレーツ戦で、メジャー初登板を果たした桑田真澄の笑顔…を。それは、同じくパイレーツ所属で、1960年に41才でデビューを果たしたオールド・ルーキー、ディオメデス・オリーボに次ぐ、39歳と70日でのメジャーデビューを無失点で飾った素晴らしい笑顔だった。また一昨日、シアトル・マリナーズでイチローとの対決も果たしイチローから三振を奪い、そしてこの日も登板し、3分の2回を投げ無失点、役割をしっかり果たした。桑田がマウンドに走って向かう姿には、20年間見続けて来た夢が叶い、投げられる喜びに満ち満ちた野球少年のような爽やかな笑顔があった。
チームメイトから讃えられる桑田。
今日のメジャーリーグの試合では、WBCの感動が甦るとともに、松坂が憧れのマダックスと投げ合って勝利を得た…自信の笑顔、岡島が抑えた後の清清しい笑顔、またニュースではあったが桑田が、チームメイトから讃えられている時の満面の笑顔が観られ、夢を見続けて努力すれば叶う事もある…という希望を貰ったようで幸せな気持ちになれた。そして41才の大ベテラン投手、マダックスがゲームを振り返り「いい試合だった。(松坂に)投げ負けたよ」と潔く語ったというコメントのニュースが、更に嬉しく感激した。
※23日に誕生日を迎えました。
お祝いのカード、メール、コメントを下さった方々に、厚くお礼申し上げます。
また、ブログの更新及びコメントの返事を怠った事により、ご心配をおかけ致しました。
ごめんなさい。私は色々なハプニング?はありましたが、何とか元気にしています。
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写真は全てyahoo photoより。
相手チームの投手は、『精密機械』『プロフェッサー(教授)』とまで呼ばれている程の制球力を持ち、メジャー339勝(2007年6月22日現在)をあげている、グレッグ・マダックス…。松坂がメジャー挑戦を宣言した時、自ら「ノーマン・ライアンとグレッグ・マダックスを合わせて2で割ったような投手になりたい」と憧れている投手であった。松坂はその緊張感もあったのか?初回、大きく制球が乱れノーアウト満塁のピンチを迎えた。1アウトを取ったもののヒットを打たれ1失点。しかし、その後は冷静さを取り戻し、ランナーを残塁させたまま1回を締めた。また2回以降は、メジャーに渡ってからの最速の156キロも記録する等、落ち着いた投球振りを見せ、味方打線が4回に逆転すると、初回に36球を投じてしまった付けがあって6回で降板したが、先発投手の義務を果たし、勝利投手の権限を掴んでいた。
その後、レッドソックスはロペス、デルカーメンと繋ぎ、8回には私が待ちに待っていた?岡島が登場してきた。岡島は、現地時間の6月21日時点でメジャー30球団ブルペン陣全ての選手の中で、防御率1、01はトップの成績である。岡島はそんな記録も意識していないかのように、いつもの如くブルペンを出る時には、帽子を取って一礼し、マウンドに上がる時も丁寧に一礼して投げ始めた。松坂は後に「岡島さんが投げる時は安心しきっている」と話していたが、その期待に応えるべく、得意のチェンジアップを駆使して2三振とセカンドライナーで三者凡退に斬って取り、通算500セーブを挙げたパドレス、トレーザー・ホフマンが見守る中、防御率を0、98とした。そして2対1のまま、9回はレッドソックスの守護神…ジョナサン・パベルボンが抑えて17セーブを記録し、松坂の9勝目が決定した。
マイペースで無失点を続ける岡島。

サンディエゴ・ペトコパーク…華やかなWBC優勝の記憶が甦る中、その当時、このマウンドで投げる事すら予想もされていなかった岡島が、緊迫した場面で好投し、33試合の登板で、防御率を脅威の0点台まで伸ばした事は、非常に喜ばしかった。そして私は岡島の活躍を観ながら思い出していた。先日、現地時間の6月10日、ヤンキースタジアム開催のニューヨーク・ヤンキース対ピッツバーグ・パイレーツ戦で、メジャー初登板を果たした桑田真澄の笑顔…を。それは、同じくパイレーツ所属で、1960年に41才でデビューを果たしたオールド・ルーキー、ディオメデス・オリーボに次ぐ、39歳と70日でのメジャーデビューを無失点で飾った素晴らしい笑顔だった。また一昨日、シアトル・マリナーズでイチローとの対決も果たしイチローから三振を奪い、そしてこの日も登板し、3分の2回を投げ無失点、役割をしっかり果たした。桑田がマウンドに走って向かう姿には、20年間見続けて来た夢が叶い、投げられる喜びに満ち満ちた野球少年のような爽やかな笑顔があった。

今日のメジャーリーグの試合では、WBCの感動が甦るとともに、松坂が憧れのマダックスと投げ合って勝利を得た…自信の笑顔、岡島が抑えた後の清清しい笑顔、またニュースではあったが桑田が、チームメイトから讃えられている時の満面の笑顔が観られ、夢を見続けて努力すれば叶う事もある…という希望を貰ったようで幸せな気持ちになれた。そして41才の大ベテラン投手、マダックスがゲームを振り返り「いい試合だった。(松坂に)投げ負けたよ」と潔く語ったというコメントのニュースが、更に嬉しく感激した。
※23日に誕生日を迎えました。
お祝いのカード、メール、コメントを下さった方々に、厚くお礼申し上げます。
また、ブログの更新及びコメントの返事を怠った事により、ご心配をおかけ致しました。
ごめんなさい。私は色々なハプニング?はありましたが、何とか元気にしています。

2007/6/10
スピンさんの欧州便りNo26…「エカテリーナ宮殿U(琥珀の間)」 スピンさんの欧州便り

※広さ55uの宮殿内では小さな部屋です。(写真は全てクリックで拡大します)
壁一面に張られた琥珀の重さは6.5トンで50万ピースもの琥珀が使われているそうです。
このモザイク画は視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚と言う人間の五感がテーマになっています。
この部屋も第二次世界大戦中にナチスドイツによって琥珀が全部持ち去られ、
現在もオリジナルの琥珀の多くは行方不明だそうです。
修復が完成したのは2003年のサンクト・ペテルスブルグ建都300年の時。
撮影したのは、その少し後です。
今は「琥珀の間」だけは完全に撮影禁止になっているそうです。
上の写真と別の面です。

※この宮殿があるバルト海沿岸は琥珀の世界的産地です。
それでも、バルト産の琥珀は黄色がかった褐色のものが殆どなので、
これだけの色を揃えるのは至難の業です。
琥珀面…拡大写真

★第二次世界大戦で破壊されたエカテリーナ宮殿の絵。

※↑こんな状態から今の姿にまで修復されました。
エルミタージュの置時計

※これは1917年にロシア革命が起こった深夜2時10分で止まった時計だそうです。...by spin.

2007/6/10
スピンさんの欧州便りNo26…「エカテリーナ宮殿」 T スピンさんの欧州便り
エカテリーナ宮殿は、サンクト・ペテルベルグの南へ24Kmのプーシキンにあります。プーシキンはロシアの帝政時代はツアールスコエ・セロと言って「皇帝の村」と言う意味です。現在の地名「プーシキン」はエカテリーナ宮殿に併設されたリツェイ(貴族学校)で学んで、ロシア文学史上最高の詩人と称えられるアレクサンドル・プーシキンに因んだものです。この宮殿は18世紀初頭にピョートル大帝が妃のエカテーナT世に贈り、娘のエリザベートT世が大改造、その後エカテリーナU世も改装して今の形式に落ち着いたのが1770年代で完成までに長い歳月が掛けられています。日本の漂流民「大黒屋光太夫」がエカテリーナU世との謁見を許されたのが、この宮殿で、漂流から8年後の1791年6月の事だったそうです。その何ヶ月か後にエカテリーナU世から招待された光太夫が初めて紅茶を飲んだ日が、日本の「紅茶の日」…だと、従兄のスパイラルが言っていました。(写真は全てクリックで拡大します)
エカテリーナ宮殿(庭園側からの外観)
ロシアバロック様式の建築で、設計はエルミタージュと同じイタリアのラストレッリです。ライトブルーと白の外観とフランス庭園の幾何学模様で何となく軽快な印象を受けます。エルミタージュ(冬宮)のライトグリーンと白、ピョートル大帝・夏宮のライトイエローと白。モスクワのクレムリンと違って、とっても明るい感じがするのがサンクト・ペテルブルグに遷都された時代の宮殿です。宮殿の敷地面積は600万u、建物の長さは325mだそうです。
金色のオニオンドーム
※ロシア正教会のシンボルです。
←正面玄関
※最初の写真の反対側になります。
中央階段室→
※両側の壁面は「古伊万里」で飾られています。
この階段室は赤いカーテンと絨毯以外は真っ白で壁画も金の装飾もありません。
この宮殿が造られた当時は古伊万里は金と同等の価値が有ったそうです。
シンプルな白い壁が、そんな高価な古伊万里を引き立たせています。
カーテン越しの日光が
白壁を赤く染めて…
壁のレリーフ→
※このレリーフも「古伊万里」の為にデザインされています。
「古伊万里」をクローズアップ
「古伊万里」のワンセット
※同じ形で絵付けの異なる「古伊万里」6点が、ワンセットになっています。
大皿の下に時計が埋め込まれている部分
大広間(ボール・ルーム)
※宮殿のメインルームで
エカテリーナU世が大黒屋光太夫と謁見したのもこの部屋だそうです。
沢山の鏡が嵌め込まれているので「鏡の間」とも呼ばれています。
18世紀の雰囲気
(何かの撮影みたいでした)
ドアの両側の「ペーチカ:печка」
※ロシア伝統の暖房装置です。
どことなく東洋的な「ペーチカ」。
※模様や色合いが懐かしい感じで、どことなく東洋的です。
でも、これは有名なオランダの「デルフト焼」で、
オランダから職人を呼び寄せて焼いたそうです。
「デルフト焼」は東インド会社を通じて入ってくる
日本や中国の陶磁器の影響を受けて完成されました。
この藍色が「デルフト・ブルー」→
白のバンケットルーム
テーブル右側の拡大
※この宮殿には100Kgの金が内外装に使われたそうです。
←別の食堂
※壁際の燭台と鏡が部屋を明るくしています。
テーブルクロス・食器など
※テーブルクロス・食器・ナイフ&フォークまで赤いリボンのデザインで統一されています。
「別の食堂」の写真に写っているセットは、青いリボンで統一されています。

※↑まるで「ウェッジウッド」みたいなインテリア
エカテリーナU世がスコットランドの建築家に依頼した部屋です。
アルミニューム製の赤い装飾。
※この部屋が作られた19世紀の始め頃、
アルミニュームは発見されたばかりで、金銀に匹敵する程の貴金属だったそうです。
…Uへと続く。
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ロシアバロック様式の建築で、設計はエルミタージュと同じイタリアのラストレッリです。ライトブルーと白の外観とフランス庭園の幾何学模様で何となく軽快な印象を受けます。エルミタージュ(冬宮)のライトグリーンと白、ピョートル大帝・夏宮のライトイエローと白。モスクワのクレムリンと違って、とっても明るい感じがするのがサンクト・ペテルブルグに遷都された時代の宮殿です。宮殿の敷地面積は600万u、建物の長さは325mだそうです。
金色のオニオンドーム

※ロシア正教会のシンボルです。

※最初の写真の反対側になります。
中央階段室→

※両側の壁面は「古伊万里」で飾られています。
この階段室は赤いカーテンと絨毯以外は真っ白で壁画も金の装飾もありません。
この宮殿が造られた当時は古伊万里は金と同等の価値が有ったそうです。
シンプルな白い壁が、そんな高価な古伊万里を引き立たせています。

白壁を赤く染めて…
壁のレリーフ→

※このレリーフも「古伊万里」の為にデザインされています。

「古伊万里」のワンセット

※同じ形で絵付けの異なる「古伊万里」6点が、ワンセットになっています。

大広間(ボール・ルーム)

※宮殿のメインルームで
エカテリーナU世が大黒屋光太夫と謁見したのもこの部屋だそうです。
沢山の鏡が嵌め込まれているので「鏡の間」とも呼ばれています。

(何かの撮影みたいでした)
ドアの両側の「ペーチカ:печка」

※ロシア伝統の暖房装置です。

※模様や色合いが懐かしい感じで、どことなく東洋的です。
でも、これは有名なオランダの「デルフト焼」で、
オランダから職人を呼び寄せて焼いたそうです。
「デルフト焼」は東インド会社を通じて入ってくる
日本や中国の陶磁器の影響を受けて完成されました。
この藍色が「デルフト・ブルー」→


テーブル右側の拡大

※この宮殿には100Kgの金が内外装に使われたそうです。

※壁際の燭台と鏡が部屋を明るくしています。
テーブルクロス・食器など

※テーブルクロス・食器・ナイフ&フォークまで赤いリボンのデザインで統一されています。
「別の食堂」の写真に写っているセットは、青いリボンで統一されています。

※↑まるで「ウェッジウッド」みたいなインテリア
エカテリーナU世がスコットランドの建築家に依頼した部屋です。
アルミニューム製の赤い装飾。

※この部屋が作られた19世紀の始め頃、
アルミニュームは発見されたばかりで、金銀に匹敵する程の貴金属だったそうです。
…Uへと続く。

2007/6/6
スピンさんの欧州便りNo25…「ロマノフ王朝、夏の宮殿」U スピンさんの欧州便り

★(画像は全てクリックで拡大します)
※肖像画はピョートル大帝ではなく、エカテリーナU世です。
(白馬に跨って、ちょっとほたるさんみたい) ←「とんでもない!」…ほたるの飛び入りひとり言。
玉座の間の窓とシャンデリア。

※赤いシェードと壁の色が女性的に感じます。
シャンデリアが少しくすんで見えるのは、カラーガラスを使っているからです。

白いバンケットルーム


音楽室か娯楽室


※毎年5月下旬にサンクト・ペテルブルグの創立記念のお祭りがあって、
この日から「夏の宮殿」に水が引かれて噴水が見られるようになります。
そして、同じ頃から「白夜」が約2ヶ月間続きます。
9月を過ぎると噴水はまたお休み。
10月に入ると朝晩の気温が氷点下になるからです。ロシアの厳しい冬と夏の宮殿…。
次は「エカテリーナ宮殿」の写真と解説を送りますね。...by spin.

2007/6/6
スピンさんの欧州便りNo25…「ロマノフ王朝、夏の宮殿」T スピンさんの欧州便り
ヴェルサイユ宮殿にも匹敵する宮殿を目指したロマノフ王朝の宮殿群…。その中でも、歴代ツアーリの中で2人だけ「大帝:The Great 」と呼ばれる
「ピョートルT世」と「エカテリーナU世」の名前を冠した「夏の宮殿」を紹介します。最初は「ピョートル大帝の夏の宮殿」、「ペトロヴァレッツ」からです。
ペトロヴァレッツ(ペトロホフ)は、サンクト・ペテルブルグの西約30Kmのフィンランド湾に面する場所です。ロマノフ王朝第5代ツァーリ(皇帝)ピョートルT世がこの地に宮殿建設を始めた事から、地名の「ペトロヴァレッツ」も「ピョートルの宮殿」と言う意味になります。その後、歴代の皇帝によって建設が進められ、ロシア革命後も保存されていましたが、第二次世界大戦の時にナチスドイツによって破壊され、金の装飾などは持ち去られてしまいます。戦後、ドイツの資金援助もあって修復れたのが今の姿です。新築に近い形で修復されているので、往時のロマノフ王朝の豪華な生活振りが窺えます。 (画像は全てクリックで拡大します)
ボリショイ・ド・ヴァレッツ(大宮殿)
とグランド・カスケード
※64の泉と約150の噴水、
255体のブロンズ像で構成される宮殿は噴水庭園としては世界一の規模。
配水管の総延長は22Kmにもなるそうです。
24Km離れた水源との高低差を利用して動力を必要としない省エネ設計。
これが完成した時代にはモーターもポンプもないから当たり前ですね。
左右の階段状のカスケード
※このカスケード(滝)にも金の装飾が施されています。↑
大宮殿のテラスから。
※運河の先はフィンランド湾、そしてバルト海です。
噴水の並木道。
※運河の幅は12m。その両側に合計22の噴水が配置されています。
サムソンの噴水
※この場所は噴水が造られる以前は船着場で、
宮廷の貴族達が宮殿の真下まで、船を漕ぎ入れる事ができたそうです。
サムソンの噴水(拡大)
※対スウェーデンの戦勝を記念して造られたもので、
サムソンがロシアを、ライオンがスウェーデンを表しています。
サムソンの身長は3m、ライオンが吹き上げる水の高さは20mです。
トリトンの噴水
※これは海の怪獣と戦うトリトンの像。
この噴水に限らず庭園の至る所で虹を見る事ができます。
写真には、なかなか綺麗に写らなくて残念!
ニンフの泉
※彫像の多くは、イタリアから輸入されたそうですが、
題材はギリシャ神話に基づくものが多いようです。
ネプチューンの泉
※ロシア海軍を創設したピョートルT世。
部下を助けるために真冬の海に飛び込んで、それが原因の肺炎で亡くなったそうです。
今も宮殿を見守るネプチューンは、ピョートルT世自身なのかも知れませんね。
アダムの噴水。
※イブの噴水と一対になっていて、この宮殿では最も古い噴水です。
太陽の噴水
金色に輝くクーポラ
※ロシアの教会を見ると、この国が東洋と西洋の間にある事を感じさせます。
ロシア帝国のシンボル「双頭の鷲」
階段室
階段を登って…。
※天井の縁や壁は、「トロンプルイユ:騙し絵」で描かれています。
ボール・ルーム(舞踏室)
「ロマノフ王朝、夏の宮殿」Uへと続く。by...spin.
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「ピョートルT世」と「エカテリーナU世」の名前を冠した「夏の宮殿」を紹介します。最初は「ピョートル大帝の夏の宮殿」、「ペトロヴァレッツ」からです。
ペトロヴァレッツ(ペトロホフ)は、サンクト・ペテルブルグの西約30Kmのフィンランド湾に面する場所です。ロマノフ王朝第5代ツァーリ(皇帝)ピョートルT世がこの地に宮殿建設を始めた事から、地名の「ペトロヴァレッツ」も「ピョートルの宮殿」と言う意味になります。その後、歴代の皇帝によって建設が進められ、ロシア革命後も保存されていましたが、第二次世界大戦の時にナチスドイツによって破壊され、金の装飾などは持ち去られてしまいます。戦後、ドイツの資金援助もあって修復れたのが今の姿です。新築に近い形で修復されているので、往時のロマノフ王朝の豪華な生活振りが窺えます。 (画像は全てクリックで拡大します)

とグランド・カスケード
※64の泉と約150の噴水、
255体のブロンズ像で構成される宮殿は噴水庭園としては世界一の規模。
配水管の総延長は22Kmにもなるそうです。
24Km離れた水源との高低差を利用して動力を必要としない省エネ設計。
これが完成した時代にはモーターもポンプもないから当たり前ですね。
左右の階段状のカスケード

※このカスケード(滝)にも金の装飾が施されています。↑

※運河の先はフィンランド湾、そしてバルト海です。
噴水の並木道。

※運河の幅は12m。その両側に合計22の噴水が配置されています。

※この場所は噴水が造られる以前は船着場で、
宮廷の貴族達が宮殿の真下まで、船を漕ぎ入れる事ができたそうです。
サムソンの噴水(拡大)

※対スウェーデンの戦勝を記念して造られたもので、
サムソンがロシアを、ライオンがスウェーデンを表しています。
サムソンの身長は3m、ライオンが吹き上げる水の高さは20mです。

※これは海の怪獣と戦うトリトンの像。
この噴水に限らず庭園の至る所で虹を見る事ができます。
写真には、なかなか綺麗に写らなくて残念!
ニンフの泉

※彫像の多くは、イタリアから輸入されたそうですが、
題材はギリシャ神話に基づくものが多いようです。

※ロシア海軍を創設したピョートルT世。
部下を助けるために真冬の海に飛び込んで、それが原因の肺炎で亡くなったそうです。
今も宮殿を見守るネプチューンは、ピョートルT世自身なのかも知れませんね。
アダムの噴水。

※イブの噴水と一対になっていて、この宮殿では最も古い噴水です。

金色に輝くクーポラ

※ロシアの教会を見ると、この国が東洋と西洋の間にある事を感じさせます。

階段室


※天井の縁や壁は、「トロンプルイユ:騙し絵」で描かれています。
ボール・ルーム(舞踏室)

「ロマノフ王朝、夏の宮殿」Uへと続く。by...spin.
