2007/7/28
フェンウェイ観戦記No3…7月18日、対ロイヤルズ戦、写真集 Boston Red Sox・MLB
この日のボストンは朝から雨模様、試合が行われるか否か?チケットを持っている人達は、天気の行方が気になっていただろう。メジャーでは、160以上の試合をタイトな日程でこなす上に移動距離も半端な長さではない。よって延期になった場合、Wヘッダーになる事が多い。選手達の負担を考えると、雨天順延はなるべくなら避けたいのが関係者の心情だ。幸いボストンの天気は変わりやすい…望みをもって待っていたら夕方から晴れ間も見えて来た。私は前日に続いて、フェンウェイパークへと出かけた。
子供に帽子を被せるテッドの銅像
フェンウェイパークのBゲート前には、往年の名プレーヤー、20世紀最後の4割バッターだったというテッド・ウィリアムズの銅像がある。この銅像は実物よりも大きく、2004年に建てられ歴史は浅いが、今ではフェンウェイパークの写真撮影の名所となった。テッド・ウイリアムズと言えばマスコミ嫌いで有名だったそうだが、「ジミーファンド基金」には率先して協力した心優しい選手だったという。フェンウェイパークから徒歩15分のDana-Faber癌研究所地下にあるジミーファンドギャラリーにもテッド・ウィリアムズの打率の数(406個)のサインボール(テッドから子供達に贈られたサインボールが寄付された)や数々の写真と一緒に、この銅像の写真が飾られている。当ブログ『ジミーファンドと小児癌基金』参照→http://diary.jp.aol.com/applet/hotarudesu/20051206/archive
(写真はクリックで拡大)
銅像の足、軽く40センチはある?
蒸し暑く団扇で扇ぐ筆者。
レッドソックス殿堂入り選手達の名前
多少の雨は安心?屋根付内野席。
シートからホーム側を撮影。

※永久欠番が掲げられた上のデッキにも2004年、客席が増設された。
タバレスの登板
守備から戻るラミレス。
粘りを見せるぺドロイア
塁に出たペドロイア。
バットの七つ道具?
打席で構えるオーティス。
素振りをするラミレス。
打席のラミレス。
ネット裏の観客席。
プルペンの岡島(右から2人目)
…謎の木を持っている。
ひたすら肩を鍛える岡島。
タバレス6失点でコーチがマウンドへ
7回ティムリンが引き継ぐ
テイムリンの投球。
8回はデルカーメン、
そして9回、1点差で逆転を信じてパペルボン登場。パペルボンの球は、打者の手前で浮き上がり、打ち難いという。その理由の1つにしなやかな投球フォームがあげられるという。また、投げ出す瞬間、力強く踏み込んだ左足の角度と投げる右腕の角度が対照となっている事が分るが、これはフォームのバランスの良さを表し、ボールは見事にコントロールされるらしい。しかしこの日は、ティムリンを始め、パペルボンまでブルペン陣が好投するも、味方の援護がなく1点差で惜敗した。
9回、パペルボン登場
(↓パぺルボンのしなやかで力強い投球フォーム↓)
投球フォーム(1)
→ (2)
(3)
スピードのある直球とスライダー、カットファーストボール等多くの球種を投げられるという。

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フェンウェイパークのBゲート前には、往年の名プレーヤー、20世紀最後の4割バッターだったというテッド・ウィリアムズの銅像がある。この銅像は実物よりも大きく、2004年に建てられ歴史は浅いが、今ではフェンウェイパークの写真撮影の名所となった。テッド・ウイリアムズと言えばマスコミ嫌いで有名だったそうだが、「ジミーファンド基金」には率先して協力した心優しい選手だったという。フェンウェイパークから徒歩15分のDana-Faber癌研究所地下にあるジミーファンドギャラリーにもテッド・ウィリアムズの打率の数(406個)のサインボール(テッドから子供達に贈られたサインボールが寄付された)や数々の写真と一緒に、この銅像の写真が飾られている。当ブログ『ジミーファンドと小児癌基金』参照→http://diary.jp.aol.com/applet/hotarudesu/20051206/archive
(写真はクリックで拡大)
銅像の足、軽く40センチはある?


レッドソックス殿堂入り選手達の名前


シートからホーム側を撮影。


※永久欠番が掲げられた上のデッキにも2004年、客席が増設された。
タバレスの登板


粘りを見せるぺドロイア


バットの七つ道具?


素振りをするラミレス。


ネット裏の観客席。


…謎の木を持っている。
ひたすら肩を鍛える岡島。


7回ティムリンが引き継ぐ


8回はデルカーメン、

そして9回、1点差で逆転を信じてパペルボン登場。パペルボンの球は、打者の手前で浮き上がり、打ち難いという。その理由の1つにしなやかな投球フォームがあげられるという。また、投げ出す瞬間、力強く踏み込んだ左足の角度と投げる右腕の角度が対照となっている事が分るが、これはフォームのバランスの良さを表し、ボールは見事にコントロールされるらしい。しかしこの日は、ティムリンを始め、パペルボンまでブルペン陣が好投するも、味方の援護がなく1点差で惜敗した。

(↓パぺルボンのしなやかで力強い投球フォーム↓)
投球フォーム(1)

→ (2)

(3)

スピードのある直球とスライダー、カットファーストボール等多くの球種を投げられるという。


2007/7/27
フェンウェイ観戦記No2…7月17日、対ロイヤルズ戦、写真集 Boston Red Sox・MLB
この日の先発は、ナックルポーラーのティム・ウェイクフィールドで、私は初めてレッドソックスの練習開始時間から入場し、練習風景の一部始終を観る事が出来た。練習の順としては、ホームチームが先にバッテング練習を行い、その後ゲストチーム、そして先発投手が練習し、他の選手達もウォーミングアップに入る。そして国家斉唱の後、試合開始となる。この日は、シートも私にとって初の外野席、マウンドからは、かなり遠いが、ブルペンにはとても近く、何より感動したのは、ワイドスクリーンで試合を観ているような…内野席とは一味違う臨場感を味わえた事だった。
フェンウェイパーク外野席からの眺め。
手を振ってくれた後の松坂。
先の観戦記にも書いて重なるが、バッティング練習の時、松坂がすぐ傍で外野に飛ぶボールを処理していたので「松坂さーん」と呼んだら振り返って両手を振って応えてくれた。しかしミーハーなファンとなってしまい、カメラを向ける事が出来ず情けないと思ったが、いい思い出となった。試合は今まで生で観戦した試合の中で、これもまた初めての負け試合だったが、充分楽しむ事が出来た。(画像はクリックで拡大)
当日券を求めてCゲートに長蛇の列
Cゲートの壁に…
ヘイト・ヤンキース(ヤンキースが嫌い)のマーク。
試合前の練習で。松坂とタバレス。
(タバレスが松坂に悪戯をしていた証拠?写真)
投球フォームをしてくれた松坂
打って良し、守って良しのココ・クリスプ
ウェイク専用キャッチャー?ミラベリ
体を解すウェイクとミラベリ。
バッテング練習、ラミレス。
ラミレスとローウェル、ルーゴ
練習後のオルティース。
ジョン・ベイルに投げて貰った公式球
(ロイヤルズのジョン・ベイル投手は、元広島カープに在籍していたそうだ)
国家斉唱…レッドソックスの選手達。
右上にはグリーン・モンスター席が…
ワイドスクリーン画面のような眺め
ベンチからブルペンへ移動する岡島
ブルペンに入る岡島、手前ティムリン。
オーティスの打席。
期待の新人…ペドロイヤの打席。
前の席の人のレッドソックス靴下
ナックル使いのウェイク・フィールド
★ボールを持った右手指の形に注目!!
※以下は、プルペンの写真
手を振ってくれたティムリン。
ワイド画面を見るテイムリン。
正捕手…キャプテンのバリテック。
ファレルピッチングコーチ
守護神…パペルボン
手を振ってくれた後のパペルボン
出番の無かったパペルボンと登板したスナイダー。
※この試合、3対9と負け、ほたるフェンウェイ観戦初黒星となった。
足首を軽く捻挫しており「威力が落ちたか!?」とは、友人の談。
『レッドソックスの為にも?早く治そう』…と本気で思った。
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手を振ってくれた後の松坂。

先の観戦記にも書いて重なるが、バッティング練習の時、松坂がすぐ傍で外野に飛ぶボールを処理していたので「松坂さーん」と呼んだら振り返って両手を振って応えてくれた。しかしミーハーなファンとなってしまい、カメラを向ける事が出来ず情けないと思ったが、いい思い出となった。試合は今まで生で観戦した試合の中で、これもまた初めての負け試合だったが、充分楽しむ事が出来た。(画像はクリックで拡大)

Cゲートの壁に…

ヘイト・ヤンキース(ヤンキースが嫌い)のマーク。

(タバレスが松坂に悪戯をしていた証拠?写真)
投球フォームをしてくれた松坂


ウェイク専用キャッチャー?ミラベリ


バッテング練習、ラミレス。

ラミレスとローウェル、ルーゴ


ジョン・ベイルに投げて貰った公式球

(ロイヤルズのジョン・ベイル投手は、元広島カープに在籍していたそうだ)

右上にはグリーン・モンスター席が…


ベンチからブルペンへ移動する岡島


オーティスの打席。


前の席の人のレッドソックス靴下


★ボールを持った右手指の形に注目!!
※以下は、プルペンの写真

ワイド画面を見るテイムリン。


ファレルピッチングコーチ


手を振ってくれた後のパペルボン


※この試合、3対9と負け、ほたるフェンウェイ観戦初黒星となった。
足首を軽く捻挫しており「威力が落ちたか!?」とは、友人の談。
『レッドソックスの為にも?早く治そう』…と本気で思った。

2007/7/26
独立リーグ…ナシュア・プライドの長坂秀樹投手を訪ねて Boston Red Sox・MLB
7月22日、私はオハイオ出身で元左腕投手をしていたという友人に依頼して、独立リーグ、ナシュア・プライドのホームスタジアムへ連れて行って貰った。その目的は、6年前単独渡米し、オフはアルバイトをしながら、直向に独立リーグで頑張り続けている、Littele Hidekiこと、長坂秀樹投手に会う事だった。長坂投手は、166センチと野球選手としては小柄ながら、Max150キロ以上のストレートを投げるという。長坂投手のホームページを読むと、心からベースボールを愛しプレーしている事が伝わってくる。私はHPを読んだ時から、是非ご本人に会ってみたいと思っていた。
Littele Hidekiこと長坂秀樹投手。
その長坂投手が、今季から拠点を西海岸から東海岸に移し、ニューハンプシャー州のナシュアでプレーする事が決まり、ボストンから車なら日帰りも可能な距離と知ると、今回の渡米中に、何としてもその願いを果たしたかった。友人にその旨を告げると快諾してくれたが、友達の都合がつく22日はホームゲームだろうか?私は公式ページで確認すれば良かったのだが、長坂投手に直接メールで尋ねてみる事にした。長坂投手は、彼のHPを読んでもよく分るように、ファンをとっても大切にしてくれる選手である。私にも丁寧な返事が届き、更にシートまで確保しておいて頂けるという事だった。残念ながら長坂投手の登板の日では無かったが、私は長坂投手に会えるだけでなく、初めて独立リーグの試合の雰囲気を味わう事が出来る…と、前日から胸が高鳴っていた。
当日は、好天に恵まれ、私達の車はボストンを昼過ぎに出発した。ゲームは2時05分開始…。湿気のない心地よい風を受けながら、私は車窓からの緑一杯の景色を眺めていた。車はボストンを出発してから1時間弱で、マサチューセッツ州からニューハンプシャー州へと入った。一段と緑が多く空気が美味しいと思った。10分位すると左手のスタジアムが見えてきた。いよいよだ…私の胸は更に高まった。
ホールマン・スタジアム正面。
スタジアムは、レンガ造りが主体で趣があった。ホールマンスタジアム…1940年代当時、ニューヨークのブルックリンを拠としていたドジャーズ傘下のマイナーチーム(Nashua Dodgers)がホームとし、後に野球殿堂入りした名捕手Roy Campanellaと、初代サイヤング投手、Donald(Don) Newcombeもプレーした歴史あるスタジアムである。球場に入ると彼らの背番号「39」と「36」は永久欠番として掲げられていた。その由緒あるスタジアムも、1986年から空き家になっていたらしいが、10年前このスタジアムをホームとするナシュア・プライドが発足し、現在に至っているという。
プライド対サーフ、試合の様子。
ナシュア・プライドは、独立リーグの中でも、Canadian-American Association of Professional Baseball …通称Can-Amリーグに属し、現在10チームで試合が組まれている。この日は、アトランティックシティ・サーフというチームとの試合だった。ゲートを入ると、観客一人一人にチーム紹介や今シーズンのレビューが書かれたプログラムと、選手達の成績が印刷された用紙が渡された。チームには、長坂秀樹投手の他に日本人投手が2名、元オリックスの岡本明投手と、元楽天の矢野英司投手が属している。私は彼らの名前を目で追った。そして試合前ベンチ傍に行って、長坂投手に会う事が出来た。写真でしか観た事の無かった長坂投手は、HPやメールから伝わってくるそのままの、笑顔の素敵な好青年だった。
長坂秀樹投手のサイン。
試合が始まった。選手の呼び出し?の声はフェンウェイパークとよく似ていたが、1つ違ったのは巻き舌で例えば「ロロロロロッサリオー」と伸ばした声が響き渡った。それに応えて観客も同じように巻き舌で選手に声援を送る。ファールボールの効果音も場外になるとガラスが割れる音が入ったりしてとても愉快だった。また、イニングチェンジの時には「駐車場で一番汚い車に賞品を」と呼び出したり、絞ったTシャツを速く着るコンテストとかもあって、観客をゲーム以外でも愉しませてくれた。選手の人達も、関わっている人達も、そして観客も「本当に野球が好きな人達なんだなぁ」としみじみ思った。
試合は、プライドが4対2で負けてしまったが、長身で長坂投手と2人でチームのプロモーション写真となったPalazzolo投手や、レッドソックスに1996年から2002年まで在籍して'El Guapo'と呼ばれて親しまれていたRich Garcés投手(体型から、元レスラーだったのかと思った)の投球も観られて、そして何より試合の後、長坂投手と話も出来、サインもして貰ったので、大満足だった。長坂投手の夢は、勿論メジャーで投げる事…。現在レッドソックスのブルペンにもNashua Prideで投げていたBrendan Donnelly投手がいる。夢は見続け努力するといつか叶う、そしてその夢に向かって進む行程こそが何より大事だと…長坂投手の生き様から私達は、学ぶことが出来るだろう。
◎箸休め
尚、 Garcés投手も、メジャーへの返り咲きを目指しているという。レッドソックス時代の背番号は… 「34」。現在はOrtiz選手がつけているが、Garcés投手もかなりの人気者だったそうだ。
Rich Garcés投手。
※外国人選手名は英文字で記した。
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その長坂投手が、今季から拠点を西海岸から東海岸に移し、ニューハンプシャー州のナシュアでプレーする事が決まり、ボストンから車なら日帰りも可能な距離と知ると、今回の渡米中に、何としてもその願いを果たしたかった。友人にその旨を告げると快諾してくれたが、友達の都合がつく22日はホームゲームだろうか?私は公式ページで確認すれば良かったのだが、長坂投手に直接メールで尋ねてみる事にした。長坂投手は、彼のHPを読んでもよく分るように、ファンをとっても大切にしてくれる選手である。私にも丁寧な返事が届き、更にシートまで確保しておいて頂けるという事だった。残念ながら長坂投手の登板の日では無かったが、私は長坂投手に会えるだけでなく、初めて独立リーグの試合の雰囲気を味わう事が出来る…と、前日から胸が高鳴っていた。
当日は、好天に恵まれ、私達の車はボストンを昼過ぎに出発した。ゲームは2時05分開始…。湿気のない心地よい風を受けながら、私は車窓からの緑一杯の景色を眺めていた。車はボストンを出発してから1時間弱で、マサチューセッツ州からニューハンプシャー州へと入った。一段と緑が多く空気が美味しいと思った。10分位すると左手のスタジアムが見えてきた。いよいよだ…私の胸は更に高まった。
ホールマン・スタジアム正面。

スタジアムは、レンガ造りが主体で趣があった。ホールマンスタジアム…1940年代当時、ニューヨークのブルックリンを拠としていたドジャーズ傘下のマイナーチーム(Nashua Dodgers)がホームとし、後に野球殿堂入りした名捕手Roy Campanellaと、初代サイヤング投手、Donald(Don) Newcombeもプレーした歴史あるスタジアムである。球場に入ると彼らの背番号「39」と「36」は永久欠番として掲げられていた。その由緒あるスタジアムも、1986年から空き家になっていたらしいが、10年前このスタジアムをホームとするナシュア・プライドが発足し、現在に至っているという。

ナシュア・プライドは、独立リーグの中でも、Canadian-American Association of Professional Baseball …通称Can-Amリーグに属し、現在10チームで試合が組まれている。この日は、アトランティックシティ・サーフというチームとの試合だった。ゲートを入ると、観客一人一人にチーム紹介や今シーズンのレビューが書かれたプログラムと、選手達の成績が印刷された用紙が渡された。チームには、長坂秀樹投手の他に日本人投手が2名、元オリックスの岡本明投手と、元楽天の矢野英司投手が属している。私は彼らの名前を目で追った。そして試合前ベンチ傍に行って、長坂投手に会う事が出来た。写真でしか観た事の無かった長坂投手は、HPやメールから伝わってくるそのままの、笑顔の素敵な好青年だった。
長坂秀樹投手のサイン。

試合が始まった。選手の呼び出し?の声はフェンウェイパークとよく似ていたが、1つ違ったのは巻き舌で例えば「ロロロロロッサリオー」と伸ばした声が響き渡った。それに応えて観客も同じように巻き舌で選手に声援を送る。ファールボールの効果音も場外になるとガラスが割れる音が入ったりしてとても愉快だった。また、イニングチェンジの時には「駐車場で一番汚い車に賞品を」と呼び出したり、絞ったTシャツを速く着るコンテストとかもあって、観客をゲーム以外でも愉しませてくれた。選手の人達も、関わっている人達も、そして観客も「本当に野球が好きな人達なんだなぁ」としみじみ思った。
試合は、プライドが4対2で負けてしまったが、長身で長坂投手と2人でチームのプロモーション写真となったPalazzolo投手や、レッドソックスに1996年から2002年まで在籍して'El Guapo'と呼ばれて親しまれていたRich Garcés投手(体型から、元レスラーだったのかと思った)の投球も観られて、そして何より試合の後、長坂投手と話も出来、サインもして貰ったので、大満足だった。長坂投手の夢は、勿論メジャーで投げる事…。現在レッドソックスのブルペンにもNashua Prideで投げていたBrendan Donnelly投手がいる。夢は見続け努力するといつか叶う、そしてその夢に向かって進む行程こそが何より大事だと…長坂投手の生き様から私達は、学ぶことが出来るだろう。
◎箸休め
尚、 Garcés投手も、メジャーへの返り咲きを目指しているという。レッドソックス時代の背番号は… 「34」。現在はOrtiz選手がつけているが、Garcés投手もかなりの人気者だったそうだ。

※外国人選手名は英文字で記した。

2007/7/25
ジョン・レスター投手、悪性リンパ腫から復活!勝利投手となる Boston Red Sox・MLB
2006年、レッドソックス期待の新人左腕投手として鮮烈なデビューをしたジョン(ジョナサン)・レスターは、前半期が過ぎ、8月を迎えた時点で15試合に先発、7勝2敗、防御率4.76の成績を残していた。前記したように防御率は然程良くないものの、22才の若さと勝負強さで、後半戦の活躍を期待されていたが、8月23日、オークランドへ遠征中、背中に痛みを訴え、チームから離脱、ボストンに帰ってMGH(マサチューセッツゼネラルホスピタル)で検査した結果、9月1日、anaplastic large cell lymphoma(未分化大細胞型リンパ腫)と診断された。
レスターが入院したMGH正面玄関。
(マサチューセッツ・ジェネラル・ホスピタル)
その新聞報道を読んだレッドソックスファンには、大きな衝撃が走った。私も素人ながら、もし健康な身体を取り戻せたとしても、現役メジャーリーガーとして復帰するのは厳しいのでは?と懸念しながら、とにかく治るようにと祈っていた。9月に観戦したゲームでは、マイク・ティムリンらが中心となって、主力選手達がレスターの背番号を腕に巻き、回復を願いながらプレーしている姿を観た。やがてシーズンが終わり、秋が深まった頃、レスターが退院したというニュースが届いた。化学療法、放射線治療が効を成したのか…予後は順調だとも風の便りで耳にした。レッドソックスのチームの面々も、多くのファンも、その朗報を聞き、胸を撫で下ろしていた事だろう。特に自ら精巣癌から復活したチームメイト、マイク・ローウェルは、陰、日向となってレスターを支えたに違いないと思った。
そして、2007年が開けてレスターは、3Aのキャンプに参加、4月末より、故障者リストから外れて3A= Pawtucket Red Soxでリハビリを兼ねた調整登板を続けていた。地元誌では「6月中にメジャー復帰か?! 」とも書かれ、ファン達はその復帰を待ち望んでいた。そしてようやく(アウェイではあるが)その時が来た。2007年7月23日、クリーブランド、対インディアンズ戦で、ご両親ご親族の見守る中、23才になったレスターは、その勇姿を見せてくれた。背番号は昨年の「62」から心気一転「31」番に…。ダスティン・ペドロイヤが昨季64番から、今季15番になったように、正にメジャー選手として定着する証の背番号のようだった。
力投するレスター(背番号31)
この日のレッドソックスは、レスターの先発を後押しするかのように初回から打ち続けて、2回までに5点を先取した。レスターは3回に2ランホームランを浴び2失点、4回には満塁のピンチにもなったが、失点0できり抜けた。テレビカメラは、客席のご両親の心配そうな表情を映し出していた。結果、7回を投げ、勝ち投手の権利を得て降板した。引き継いだのはブルペンの要選手、マイク・ティムリンだった。「レスターの勝ち星を消してはならない!」誰もがそんな気持ちでプレーしているように見えた。3点差という事で、一時岡島も投球練習をしていたが、味方が追加点を挙げた為、8回途中から投げていたデルカーメンが、そのまま9回も引き継いだ。
レスター復帰に声援を送るファン。
(試合写真は yahoo photo より引用)
そして、レッドソックスは勝った。ボストンからクリーブラントまでは飛行機で約2時間…多くのファンも詰掛けて、レスターの今季メジャー初勝利を見届けた。地元ボストンでも、自宅で或いは、スポーツバーで、そしてパブリックビューイングで、沢山の人々が感動を共にしたと思う。ジョン・レスターの病からの復活勝利…それは、ボストン市民、レッドソックスのファン、そして今も病と闘っている患者さん、関係者の方達にとっても、大きな励みとなる…価値ある1勝だと思った。
「Jon Lester Welcome back!」
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(マサチューセッツ・ジェネラル・ホスピタル)
その新聞報道を読んだレッドソックスファンには、大きな衝撃が走った。私も素人ながら、もし健康な身体を取り戻せたとしても、現役メジャーリーガーとして復帰するのは厳しいのでは?と懸念しながら、とにかく治るようにと祈っていた。9月に観戦したゲームでは、マイク・ティムリンらが中心となって、主力選手達がレスターの背番号を腕に巻き、回復を願いながらプレーしている姿を観た。やがてシーズンが終わり、秋が深まった頃、レスターが退院したというニュースが届いた。化学療法、放射線治療が効を成したのか…予後は順調だとも風の便りで耳にした。レッドソックスのチームの面々も、多くのファンも、その朗報を聞き、胸を撫で下ろしていた事だろう。特に自ら精巣癌から復活したチームメイト、マイク・ローウェルは、陰、日向となってレスターを支えたに違いないと思った。
そして、2007年が開けてレスターは、3Aのキャンプに参加、4月末より、故障者リストから外れて3A= Pawtucket Red Soxでリハビリを兼ねた調整登板を続けていた。地元誌では「6月中にメジャー復帰か?! 」とも書かれ、ファン達はその復帰を待ち望んでいた。そしてようやく(アウェイではあるが)その時が来た。2007年7月23日、クリーブランド、対インディアンズ戦で、ご両親ご親族の見守る中、23才になったレスターは、その勇姿を見せてくれた。背番号は昨年の「62」から心気一転「31」番に…。ダスティン・ペドロイヤが昨季64番から、今季15番になったように、正にメジャー選手として定着する証の背番号のようだった。
力投するレスター(背番号31)

この日のレッドソックスは、レスターの先発を後押しするかのように初回から打ち続けて、2回までに5点を先取した。レスターは3回に2ランホームランを浴び2失点、4回には満塁のピンチにもなったが、失点0できり抜けた。テレビカメラは、客席のご両親の心配そうな表情を映し出していた。結果、7回を投げ、勝ち投手の権利を得て降板した。引き継いだのはブルペンの要選手、マイク・ティムリンだった。「レスターの勝ち星を消してはならない!」誰もがそんな気持ちでプレーしているように見えた。3点差という事で、一時岡島も投球練習をしていたが、味方が追加点を挙げた為、8回途中から投げていたデルカーメンが、そのまま9回も引き継いだ。

(試合写真は yahoo photo より引用)
そして、レッドソックスは勝った。ボストンからクリーブラントまでは飛行機で約2時間…多くのファンも詰掛けて、レスターの今季メジャー初勝利を見届けた。地元ボストンでも、自宅で或いは、スポーツバーで、そしてパブリックビューイングで、沢山の人々が感動を共にしたと思う。ジョン・レスターの病からの復活勝利…それは、ボストン市民、レッドソックスのファン、そして今も病と闘っている患者さん、関係者の方達にとっても、大きな励みとなる…価値ある1勝だと思った。
「Jon Lester Welcome back!」

2007/7/21
フェンウェイ観戦記No1…7月15日・松坂大輔11勝目(V)写真集 Boston Red Sox・MLB

レフトで陽気に守るラミレス。(写真は全てクリックで拡大)
ブルペンで肩慣らしをする岡島。


セキュリティの人と会話する女の子。


ここにワンバウンドして客席に…


※オーティスの打球は、ワンバウンドで外野席に入り、グランドダブルとなった。
綺麗に整備されていた所へ捕球に来て着いたリオスの足跡と、その先がボールのバウンドの痕跡。
6回裏、クリスプとペドロイア

のWスチール成功!

6回裏、一気に5点(掲示板)


ブルペンを出て一礼する岡島。


電光掲示板に映る岡島


一礼して投球に入る岡島。


正にうつむき投法?

※力投を見せ、1ヒットを許すも無失点に抑えた。

勝利のハイタッチ


※オマケの写真

ブルージェイズのアレックス・リオス。
「レッドソックスに来てくれないかなぁ」…ほたるの(本当の)ひとり言。

2007/7/20
フェンウェイ観戦記No1…7月15日・松坂大輔11勝目(U)写真集 Boston Red Sox・MLB
7月19日、雨の為2時間遅れで始まったホワイトソックス戦、マウンドへ上がった松坂には、自身の12勝目とチームの連敗を止めるという…大きな期待がかかっていたが、6回に3連続フォアボールの後、ヒットで追加点を許し途中でマウンドを降りる残念な結果となった。また、味方打線の反撃を期待しながら8回に登板した岡島も、今季20ホームランを放っていたポール・コネリコに、開幕試合以来、41試合振りのホームランを打たれ1失点してしまった。私は外食から帰りテレビで観ていたが、本人が一番ショックだろう…と思い、以降の投球に影響が出なければ…と懸念したが、乱れる事無く抑えた冷静さはいつもの岡島だと思った。結局チームも追加点を加えられず、敗れて3連敗…。毎年、夏に弱いと言われているレッドソックスにとって正念場の季節となった。
※以下は、7月15日、松坂11勝目の時のフェンウェイパークで撮影した写真(クリックで拡大)
初回マウンドに上がった松坂。
5回までは1失点の松坂(No18)。
ルーゴ、ペドロイアの二遊間コンビ
ブルージェイズのリオス
※アレックス・リオスは、オールスター出場の人気選手、HRダービーでは2位となった。
外野スタンドを眺める筆者。
バッターボックス側を撮影。
再び松坂…マウンドの高さに注目!
※以下は、守備別にゼッケン等を記載しながら写真を掲載。
捕手キャプテンのバリテック(No33)
DHデビッド・オルティース(No34)
センター、ココ・クリスプ(No10)
ライト、エリック・ヒンスキー(No12)
レフト、マニー・ラミレス(No24)
ファースト、ケビン・ユーキリス(No20)
セカンド、ダスティン・ぺドロイア(No15)
ショート、フリオ・ルーゴ(No23)
サード、マイク・ローウェル(No25)
7〜8回マニー・デルカーメン(No17)
9回、岡島(No37)のマウンド。
※以降「フェンウェイ観戦記No1…7月15日・松坂大輔11勝目(V) 写真集」へと続く。
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※以下は、7月15日、松坂11勝目の時のフェンウェイパークで撮影した写真(クリックで拡大)

5回までは1失点の松坂(No18)。


ブルージェイズのリオス

※アレックス・リオスは、オールスター出場の人気選手、HRダービーでは2位となった。

バッターボックス側を撮影。


※以下は、守備別にゼッケン等を記載しながら写真を掲載。
捕手キャプテンのバリテック(No33)


センター、ココ・クリスプ(No10)


レフト、マニー・ラミレス(No24)


セカンド、ダスティン・ぺドロイア(No15)


サード、マイク・ローウェル(No25)


9回、岡島(No37)のマウンド。

※以降「フェンウェイ観戦記No1…7月15日・松坂大輔11勝目(V) 写真集」へと続く。

2007/7/19
フェンウェイ観戦記No1…7月15日・松坂大輔11勝目(T) Boston Red Sox・MLB
現地時間の7月14日、対トロント・ブルージェイズ戦…松坂の登板の日、私はチケットを持たずにフェンウェイパークへ向かった。しかしながら知り合いの伝でライトのホームランポール際の最前列のシートを用意して頂けて観戦する事が出来た。球場には、ゼッケン「18・MATSUZAKA」のTシャツが目立ち、立見席も入れて37000人近い満員の観衆が、松坂に期待をかけていた。しかし、この日の松坂は精鋭を欠き、結果6回を投げて9安打を許し4失点した。その内容は、5回まで味方打線に4点を取って貰い、失点は1だけで、このまま好投を続ければ11勝出来るか?と期待していたが、6回には、4回にもソロホームランを打たれたトロイ・グラースに、2ランホームランを打たれ同点とされてしまった。ストライクが先行せず苦労している様子が見て取れた。(写真はクリックで拡大)
Cゲートには、当日券を求めて
長蛇の列も出来ていた(写真はDゲートで開場を待つ人達)
マウンド上の松坂。
しかしその裏、打線が爆発、 5点を取って勝負を決定付けた。7回8回は、中継ぎのデルカーメンが投げ0点に抑えていたが、ブルペンでは8回頃から、岡島が本格的に投げ始めた。5点差でも調整登板があるのか?!と、私は岡島の投球が生で観られる…と期待に胸が高鳴っていた。岡島は5回以降、ブルペンの座席に座らず、松坂の投球ぶりを心配そうに眺めながら、ゴムベルトのような物や、杓のような木を使ったりして肩のトレーニングをしていた。時々その姿を双眼鏡で観ていた私は、写真を撮ろうと試みたが、流石『うつむき投法』とも呼ばれているだけあって、投げた瞬間は、ブルペンの低い柵から姿が消えてしまった。
ブルペンで投球練習する岡島。
投げた瞬間…消えた?
そしていよいよ、9回表、岡島の名前がコールされると、観客は総立ちで拍手して迎えた。岡島はいつものようにブルペンを出る時、帽子を取って一礼しマウンドへ向かった。観客は、岡島が投げ終わって勝つ瞬間まで、スタンディングオベーションのままだった。それは、オールスターゲームに選ばれて帰って来た事に労いを込めて『お帰りなさい』と言っているように思えた。私は、この日も岡島のゼッケンのTシャツを着用して行っていたが、食べ物、飲み物(Hoodのソフトクリームはとても美味しい)を買う為に席を立つ度に「オゥー、オカジマ、ドウモ、アリガト」と何度も声をかけられ、中には私に向かって拝む人までいた。本当に(岡島は)人気者なんだなぁと嬉しかった。
岡島のTシャツで観戦する筆者。
また、フェンウェイパークでは「Let's go Red sox!」と拍手をしながら選手に贈る声援方法があるのだが、9回には、その同じテンポで「オ・カ・ジ・マ」と球場全体に響き渡っていた。きっと岡島にも聞こえて、大きな後押しとなっているに違いないと思いつつ、試合の余韻と共に、頬を撫でていく夜風の心地よさを味わっていた。尚、レッドソックスは、明けて15日、同じくオールスター帰りのジュシュ・ベケットが好投するも、打線の援護が貰えず、1対2で負けてしまった。そして16日から、カンザスシティ・ロイヤルズを迎え、新人のケイソン・ギャバードが4対0と完投・完封で勝利したが、17日のナックル・ポーラー、ティム・ウェイクフィールドと、18日のジュリアン・タバレスの先発で残念ながら2連敗してしまった。よって「連敗を止めて欲しい」と19日に投げる松坂の肩に、また大きなプレッシャーがかかっている。
熱烈な?松坂ファンの女性。
私は予めチケットを取ってあった17日と、更に体調も良かったので、18日にもフェンウェイパークへと足を運んだ。17日にはバッテング練習の時、タバレスと並んで外野にいた松坂に向かって「松坂さーん」と声をかけた所、何と振り返り、両手を振って笑顔で応えて貰う事が出来た。しかし、私も友達も驚きと感激の余りか?単にミーハーな一ファンとなってしまい、その瞬間を写真に撮る事など、すっかり忘れてしまった。誠に残念であったが、この日を含めて両日撮影した他の写真も、沢山撮った中から抜粋し(解説付きで?)順を追って載せて行きたいと思っている。
※文中選手名、敬称略
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長蛇の列も出来ていた(写真はDゲートで開場を待つ人達)
マウンド上の松坂。

しかしその裏、打線が爆発、 5点を取って勝負を決定付けた。7回8回は、中継ぎのデルカーメンが投げ0点に抑えていたが、ブルペンでは8回頃から、岡島が本格的に投げ始めた。5点差でも調整登板があるのか?!と、私は岡島の投球が生で観られる…と期待に胸が高鳴っていた。岡島は5回以降、ブルペンの座席に座らず、松坂の投球ぶりを心配そうに眺めながら、ゴムベルトのような物や、杓のような木を使ったりして肩のトレーニングをしていた。時々その姿を双眼鏡で観ていた私は、写真を撮ろうと試みたが、流石『うつむき投法』とも呼ばれているだけあって、投げた瞬間は、ブルペンの低い柵から姿が消えてしまった。

投げた瞬間…消えた?

そしていよいよ、9回表、岡島の名前がコールされると、観客は総立ちで拍手して迎えた。岡島はいつものようにブルペンを出る時、帽子を取って一礼しマウンドへ向かった。観客は、岡島が投げ終わって勝つ瞬間まで、スタンディングオベーションのままだった。それは、オールスターゲームに選ばれて帰って来た事に労いを込めて『お帰りなさい』と言っているように思えた。私は、この日も岡島のゼッケンのTシャツを着用して行っていたが、食べ物、飲み物(Hoodのソフトクリームはとても美味しい)を買う為に席を立つ度に「オゥー、オカジマ、ドウモ、アリガト」と何度も声をかけられ、中には私に向かって拝む人までいた。本当に(岡島は)人気者なんだなぁと嬉しかった。

また、フェンウェイパークでは「Let's go Red sox!」と拍手をしながら選手に贈る声援方法があるのだが、9回には、その同じテンポで「オ・カ・ジ・マ」と球場全体に響き渡っていた。きっと岡島にも聞こえて、大きな後押しとなっているに違いないと思いつつ、試合の余韻と共に、頬を撫でていく夜風の心地よさを味わっていた。尚、レッドソックスは、明けて15日、同じくオールスター帰りのジュシュ・ベケットが好投するも、打線の援護が貰えず、1対2で負けてしまった。そして16日から、カンザスシティ・ロイヤルズを迎え、新人のケイソン・ギャバードが4対0と完投・完封で勝利したが、17日のナックル・ポーラー、ティム・ウェイクフィールドと、18日のジュリアン・タバレスの先発で残念ながら2連敗してしまった。よって「連敗を止めて欲しい」と19日に投げる松坂の肩に、また大きなプレッシャーがかかっている。
熱烈な?松坂ファンの女性。

私は予めチケットを取ってあった17日と、更に体調も良かったので、18日にもフェンウェイパークへと足を運んだ。17日にはバッテング練習の時、タバレスと並んで外野にいた松坂に向かって「松坂さーん」と声をかけた所、何と振り返り、両手を振って笑顔で応えて貰う事が出来た。しかし、私も友達も驚きと感激の余りか?単にミーハーな一ファンとなってしまい、その瞬間を写真に撮る事など、すっかり忘れてしまった。誠に残念であったが、この日を含めて両日撮影した他の写真も、沢山撮った中から抜粋し(解説付きで?)順を追って載せて行きたいと思っている。
※文中選手名、敬称略

2007/7/13
オールスターNo3…マニー・ラミレスと岡島秀樹 Boston Red Sox・MLB
オールスターに選出されながらも、参加しないで故郷ドミニカへ帰省するのでは?と思っていたのが、マニー・ラミレスだった。しかし蓋を開けてみると、一番張り切って、楽しんでいたように見えた。ベンチで踊ったり、イチローがランニング・ホームランでベンチに帰った後、タオルで扇ぐパフォーマンスを見せたりする等、子供のようにはしゃいでいる様子がテレビで映され、見ているだけで思わず「もうっ、ラミちゃんったら」(私はラミレスをラミちゃんと呼んでいる)と、微笑んでしまった。
グリーンモンスター前を守るラミレス。
マニー・ラミレスは、そのフォームが「美しい」とまで言われるほどのバッテングセンスを持っているが、守備の時やベンチでは、天然ぶりを見せてくれて、とても面白い選手である。フェンウェイパークのグリーンモンスターの主とも言われ、跳ね返ってくるボールを捌くのは上手いのだが、何とそのグリーンモンスターの上に、観客席が造られた事を、真ん前で守っていながら2年間気付かなかった…という逸話もある。また、フォアボールを選んだ後、まだバッターボックスに残っていて、主審に一塁に行くよう指示されたりする事も多々あったりする。私も見た事があるが、フェンウェイのレフト側で観戦している時、投手の好投でボールが飛んで来なかったりすると、観客に向かって色々ポーズを取ったりして楽しませてくれる。このラミレス…毎年のようにトレードの噂が立っているが、今年は落ち着いていてくれそうで、後半戦の大活躍を期待している。
二塁打を打ったラミレス(7/5)
また、オールスター32番目の男として選ばれた岡島秀樹は、一時肩を作る投球シーンが映されマウンドに上がる事が期待されたが、今回の登板は見送られてしまった。残念だったが、本人は雰囲気を味わえただけでも幸せだと思っているように感じた。しかも私は、更に嬉しいニュースを知った。岡島もサンフランシスコからボストンに帰って目にするであろうが、ボストンでは7月9日付で、例年の如く「BOSTON HERALD」誌が、前半戦が終わった時点で選手の活躍ぶりを、【GRADE A+】から【GRADE F】の段階で評価した記事が載せられた。その中で、唯一人【GRADE A+】という最高の評価を得たのが岡島であった。紙面には岡島の写真を大きく載せ『40イニング以上投げた投手で防御率0、82は素晴らしい、レッドソックスの(前半戦の)成功に大いに貢献している』と書かれていて、記事の最後には、ローマ字で『「Domo Arigato」(Thank You very much.)』と締めくくられていた。これは大変名誉な事だと、読んでいて凄く嬉しくなった。因みに【GRADE A】の評価を得たのは、先に書いたジョシュ・ベケット、ジョナサン・パペルボン、ケビン・ユーキリス(一塁手)の3人と、テリー・フランコナー監督。【GRADE A−】の評価が、マイク・ローウェル(三塁手)、ダスティン・ペドロイア(二塁手)の2人で、松坂大輔は【GRADE B+】だった。
オールスター、AT&Tパークで…。
(ローウェル、岡島、パペルボン、ベケット) yahoo photoより引用。
※記事参考 別冊週間ベースボール、ボストンヘラルド誌7月9日版、他
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マニー・ラミレスは、そのフォームが「美しい」とまで言われるほどのバッテングセンスを持っているが、守備の時やベンチでは、天然ぶりを見せてくれて、とても面白い選手である。フェンウェイパークのグリーンモンスターの主とも言われ、跳ね返ってくるボールを捌くのは上手いのだが、何とそのグリーンモンスターの上に、観客席が造られた事を、真ん前で守っていながら2年間気付かなかった…という逸話もある。また、フォアボールを選んだ後、まだバッターボックスに残っていて、主審に一塁に行くよう指示されたりする事も多々あったりする。私も見た事があるが、フェンウェイのレフト側で観戦している時、投手の好投でボールが飛んで来なかったりすると、観客に向かって色々ポーズを取ったりして楽しませてくれる。このラミレス…毎年のようにトレードの噂が立っているが、今年は落ち着いていてくれそうで、後半戦の大活躍を期待している。
二塁打を打ったラミレス(7/5)

また、オールスター32番目の男として選ばれた岡島秀樹は、一時肩を作る投球シーンが映されマウンドに上がる事が期待されたが、今回の登板は見送られてしまった。残念だったが、本人は雰囲気を味わえただけでも幸せだと思っているように感じた。しかも私は、更に嬉しいニュースを知った。岡島もサンフランシスコからボストンに帰って目にするであろうが、ボストンでは7月9日付で、例年の如く「BOSTON HERALD」誌が、前半戦が終わった時点で選手の活躍ぶりを、【GRADE A+】から【GRADE F】の段階で評価した記事が載せられた。その中で、唯一人【GRADE A+】という最高の評価を得たのが岡島であった。紙面には岡島の写真を大きく載せ『40イニング以上投げた投手で防御率0、82は素晴らしい、レッドソックスの(前半戦の)成功に大いに貢献している』と書かれていて、記事の最後には、ローマ字で『「Domo Arigato」(Thank You very much.)』と締めくくられていた。これは大変名誉な事だと、読んでいて凄く嬉しくなった。因みに【GRADE A】の評価を得たのは、先に書いたジョシュ・ベケット、ジョナサン・パペルボン、ケビン・ユーキリス(一塁手)の3人と、テリー・フランコナー監督。【GRADE A−】の評価が、マイク・ローウェル(三塁手)、ダスティン・ペドロイア(二塁手)の2人で、松坂大輔は【GRADE B+】だった。

(ローウェル、岡島、パペルボン、ベケット) yahoo photoより引用。
※記事参考 別冊週間ベースボール、ボストンヘラルド誌7月9日版、他

2007/7/13
オールスターNo2… マイク・ローウェルとジョナサン・パペルボン Boston Red Sox・MLB
メジャーリーグはオールスターゲームも終わり、今週から後半戦に入ろうとしている。メジャーでは球宴でお祭りとは言うものの、たった一試合の勝敗が、今季のワールドシリーズのアドバンテージが懸かっているので、関係者は真剣になる。10日のゲームも今季、セーブの失敗が1度も無い、マリナーズのJ.Jプッツが、2アウトを取った所で味方のエラーが出て、その後(以前、広島にいた)ソリアーノに2ランホームランを打たれ、1点差まで迫られた。アメリカン・リーグ率いるリーランド監督は、それまで投手のイニング途中交代は行っていなかったが、次の打者にフォアボールを与えた後、流石に交代を言い渡した。
三塁を堅守するローウェル(7/5)
その時、守備に入っていたレッドソックスのマイク・ローウェルの姿がTV画面に映し出された。ローウェルは、先発メンバーではなかったが、2人目のサードとして途中から登場、ヒットも放って攻守に活躍していた。堅守で有名なマイク・ローウェルは、実は自ら精巣癌から復活し癌基金活動にも意欲的な人間味溢れる選手である。ローウェルは、ドイツ系キューバ人を両親に持ち、キューバで生まれた。その後一家揃ってプエルトリコに亡命、そしてマイアミに移住して育った。ローウェルは、運動神経が抜群だけでなく頭脳も明晰で、フロリダ州立マイアミ大学では、財政学の学位を取得、野球でも大活躍してローウェルの着けた背番号「15」は、フロリダ州立大野球部の永久欠番となっているという。
ジュシュ・ベケットと共に、2003年のマーリンズで、ワールドシリーズ制覇を経験し、苦しい抗癌治療を乗り越えて復帰した後には、トニー・コニグリアー賞(怪我や病気から復活した選手に与えられる賞)を受賞している。2003年から、ローウェルがレッドソックスに加入して以降は、スペイン語も堪能な事から、ドミニカ等のスペイン語圏出身の選手と、英語圏の選手の橋渡し役としての尽力も大きく、彼がいると「ほっ」とするような、チームメイトに安心感をもたらす選手でもある。温厚そうに見えるが実は熱くなる選手である。賢さゆえに要領よく隠し玉の名手としても有名だ。後半戦も攻守に於いて活躍をして欲しい。
ラジコンに興ずるパベルボン
(2006.9.26 Fenway)
オールスターゲームで、8回のマウンドを任されたのは、レッドソックスのクローザー、ジョナサン・パペルボンだった。パペルボンは、昨年も脅威の防御率0点台で、オールスターに選ばれていながら投げる機会が無かった為、今回の登板が2年目の正直?となった。今季から先発に転向…という説もあったが、やはりクローザーとして投げる事に決まり、今や不動の守護神となった。防御率は1点台とその強さを示しているが、3Aから這い上がったレッドソックス生え抜きの選手である為、年棒は42万ドルと驚くほど少なく松坂の15分の1にも達していない。だが、パペルボンの投球には、お金の為ではなく、誇りをかけて投げるという気合が見られる。パベルボンの目標は、ヤンキースのクローザー、マリアーノ・リベラだそうで、今後もレッドソックスの守護神として、切れの良いスライダーと、カート・シリングから伝授されたスプリッターで三振の山を期待出来ると思っている。
仮装してサインするパペルボン
と、そのサイン(2006/9/21 fenway)
※記事参考 別冊週間ベースボール他
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その時、守備に入っていたレッドソックスのマイク・ローウェルの姿がTV画面に映し出された。ローウェルは、先発メンバーではなかったが、2人目のサードとして途中から登場、ヒットも放って攻守に活躍していた。堅守で有名なマイク・ローウェルは、実は自ら精巣癌から復活し癌基金活動にも意欲的な人間味溢れる選手である。ローウェルは、ドイツ系キューバ人を両親に持ち、キューバで生まれた。その後一家揃ってプエルトリコに亡命、そしてマイアミに移住して育った。ローウェルは、運動神経が抜群だけでなく頭脳も明晰で、フロリダ州立マイアミ大学では、財政学の学位を取得、野球でも大活躍してローウェルの着けた背番号「15」は、フロリダ州立大野球部の永久欠番となっているという。
ジュシュ・ベケットと共に、2003年のマーリンズで、ワールドシリーズ制覇を経験し、苦しい抗癌治療を乗り越えて復帰した後には、トニー・コニグリアー賞(怪我や病気から復活した選手に与えられる賞)を受賞している。2003年から、ローウェルがレッドソックスに加入して以降は、スペイン語も堪能な事から、ドミニカ等のスペイン語圏出身の選手と、英語圏の選手の橋渡し役としての尽力も大きく、彼がいると「ほっ」とするような、チームメイトに安心感をもたらす選手でもある。温厚そうに見えるが実は熱くなる選手である。賢さゆえに要領よく隠し玉の名手としても有名だ。後半戦も攻守に於いて活躍をして欲しい。
ラジコンに興ずるパベルボン

(2006.9.26 Fenway)
オールスターゲームで、8回のマウンドを任されたのは、レッドソックスのクローザー、ジョナサン・パペルボンだった。パペルボンは、昨年も脅威の防御率0点台で、オールスターに選ばれていながら投げる機会が無かった為、今回の登板が2年目の正直?となった。今季から先発に転向…という説もあったが、やはりクローザーとして投げる事に決まり、今や不動の守護神となった。防御率は1点台とその強さを示しているが、3Aから這い上がったレッドソックス生え抜きの選手である為、年棒は42万ドルと驚くほど少なく松坂の15分の1にも達していない。だが、パペルボンの投球には、お金の為ではなく、誇りをかけて投げるという気合が見られる。パベルボンの目標は、ヤンキースのクローザー、マリアーノ・リベラだそうで、今後もレッドソックスの守護神として、切れの良いスライダーと、カート・シリングから伝授されたスプリッターで三振の山を期待出来ると思っている。

と、そのサイン(2006/9/21 fenway)

※記事参考 別冊週間ベースボール他

2007/7/11
オールスターNo1…デビッド・オルティーズとジョシュ・ベケット Boston Red Sox・MLB
メジャーリーグのオールスターゲームは、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地・AT&Tパークで、9日ホームラン・ダービーが開催され、いよいよ10日には、ゲームが行われる。私が今滞在しているボストンのレッドソックスからは、アメリカン・リーグ、ナショナル・リーグ合わせた30チームの中で最多の6名が選出され、7日に行われたデトロイトでのゲーム終了後、オーナーの自家用ジェット機で、サンフランシスコへ向かったと此方のニュースで聞いていた。早くその名誉ある勇姿を見たいと思っていたが、昨日TV観戦したホームラン・ダービーの会場でも、ローエル、岡島、ラミレス、パベルボン、そしてオーティスに姿を見ることが出来た。(ベケットの姿は見当たらなかった)
オルティースとボンズ
(7/9 all-star game ) yahoo photoより
そんな中、ホームラン・ダービーでも、まるで監督のように同郷のゲレーロ選手にバットを運んで励ましたり、圧倒的存在感を見せていたのが、今回で4年連続出場を一塁手としてのファン投票でも堂々1位を獲得して、出場を決めたデビット・オルティーズであった。オルティーズは、ボストンのファンから「ビック・パピ』(大きな父さん)と呼ばれ、親しまれている。バッターボックスに立つと、鋭い眼光で選球眼の良さを発揮し、見送りの三振が大変少ない選手であるが、試合を離れると、愛嬌たっぷりのパフォーマンスを見せてくれる。
選球眼の良いオルテイース(7/5)
DH制ではない為、今回一塁の守備に着く事に、一抹の不安を持ったファンもいると思うが、学生時代はショートを守っており、何と1992年にマリナーズへ一塁手として入団した年には、3Aではあるが最高守備率を記録している。またオルティーズが盗塁すると、ニュースになるほど足が遅いと思われているが、(確かに速くはないが)実は俊敏さも持ち備えている選手なのだ。動作が遅く感じるのは194cm、104キロの巨漢ゆえだろう。そんなオルティーズは、1997年、ツインズでメジャーに昇格後、バッティングフォームの変更を言い渡され、真価を発揮出来ずに居た。
そして2003年、レッドソックスへ移籍後本来のフォームに戻し、30本塁打、100打点をマークした。そしてレッドソックスファンには忘れられない、2004年10月、ヤンキースとのリーグ優勝決定戦の第4戦、3敗して後の無いレッドソックスを延長12回、サヨナラ2ランホームランで救った。更に5戦でも、延長14回の裏、サヨナラヒット打って、チームに勢いをつけた。4戦のホームランが0時を過ぎていた事から、このプレーオフの優勝決定戦で、1日に2本の「サヨナラ打」を放った、クラッチヒッターとして、母国ドミニカ共和国では「ビック・パピ」+『セニョール・オクトゥブレ』(スペイン語でミスター・オクトーバー、10月の男)とも呼ばれ英雄となっている。
そんなオルティーズも、試合を離れると愛嬌たっぷりである。試合終了後、愛車の1台ハマーに乗り込む姿を見かけたが、白いセーターにジーンズ、ニット帽を被ってポシェットを斜めがけしている姿には、思わず笑みがこぼれた(2006/10/13 当ブログ参照)。2004年にはマニー・ラミレスと共に日米野球で来日し、親日家でもあるらしい。実際に松坂を自宅に招いたり、ベンチで引き上げてくる岡島を讃え、可愛がっている姿も見かけたりする。今季、ホームランバッターとしては、14本とまだ物足らないが、安打を量産しており、打率314を記録している。初出場した2004年のように豪快なホームランを見せて欲しい。
一方、投手として監督推薦で初出場を掴んだのは、ジョシュ・ベケット。今季は、同い年の松坂がレッドソックスに加入した事によって、一番良い刺激を受けた選手のように思う。国は違うがベケットも松坂と同様、高校時代から豪腕として注目の的だったという。それ故に驕りもあったのか?自ら「Phenom(天才)」と呼び、1999年にマーリンズからドラフト全米2位で指名を受けるも契約金で揉めるとか、問題児のイメージが付きまとった。しかし、野球に対する態度は真摯で、投手として長く投げ続ける秘訣をアドバイス受けると、そのアドバイス通り、練習後に毎日3マイルのランニングを欠かさないそうだ。
天才ぶりを発揮?!12勝のベケット。
その天才振りが花開いたのは、2003年のワールドシリーズで、対ヤンキースを相手に最終戦で完投勝利をおさめ、優勝に貢献すると共にMVPも獲得した。そしてヤンキースに強いというキャッチフレーズで、レッドソックスに移籍したが、2006年は防御率5点台が物語るように、力が入りすぎてしまったのか?1つの回で大量失点し『炎上』するシーンが多く見られ、期待通りの結果は残せなかった。しかしながら、前記したように今季は冷静な投球ぶりを見せ、前半戦終了時にハーラートップの12勝を挙げ、防御率も3点台に留めて活躍、レッドソックスの首位に大きく貢献している。レッドソックスファンの方なら同じ事を思う気がするが、今年の松坂の投球ぶりを見ていると昨年のベケットをフラッシュバックしているようだ。後半戦の松坂には、ベケットを良いお手本として、肩の力を抜いた投球を見せて欲しいと願っている。
★オールスター戦 イチロー選手、MVP受賞!
3打数3安打、オールスター史上初(何と本人も史上初)の
ランニングホームランを記録、おめでとうございます。
※参考 週間ベースボール別冊他
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(7/9 all-star game ) yahoo photoより
そんな中、ホームラン・ダービーでも、まるで監督のように同郷のゲレーロ選手にバットを運んで励ましたり、圧倒的存在感を見せていたのが、今回で4年連続出場を一塁手としてのファン投票でも堂々1位を獲得して、出場を決めたデビット・オルティーズであった。オルティーズは、ボストンのファンから「ビック・パピ』(大きな父さん)と呼ばれ、親しまれている。バッターボックスに立つと、鋭い眼光で選球眼の良さを発揮し、見送りの三振が大変少ない選手であるが、試合を離れると、愛嬌たっぷりのパフォーマンスを見せてくれる。
選球眼の良いオルテイース(7/5)

DH制ではない為、今回一塁の守備に着く事に、一抹の不安を持ったファンもいると思うが、学生時代はショートを守っており、何と1992年にマリナーズへ一塁手として入団した年には、3Aではあるが最高守備率を記録している。またオルティーズが盗塁すると、ニュースになるほど足が遅いと思われているが、(確かに速くはないが)実は俊敏さも持ち備えている選手なのだ。動作が遅く感じるのは194cm、104キロの巨漢ゆえだろう。そんなオルティーズは、1997年、ツインズでメジャーに昇格後、バッティングフォームの変更を言い渡され、真価を発揮出来ずに居た。
そして2003年、レッドソックスへ移籍後本来のフォームに戻し、30本塁打、100打点をマークした。そしてレッドソックスファンには忘れられない、2004年10月、ヤンキースとのリーグ優勝決定戦の第4戦、3敗して後の無いレッドソックスを延長12回、サヨナラ2ランホームランで救った。更に5戦でも、延長14回の裏、サヨナラヒット打って、チームに勢いをつけた。4戦のホームランが0時を過ぎていた事から、このプレーオフの優勝決定戦で、1日に2本の「サヨナラ打」を放った、クラッチヒッターとして、母国ドミニカ共和国では「ビック・パピ」+『セニョール・オクトゥブレ』(スペイン語でミスター・オクトーバー、10月の男)とも呼ばれ英雄となっている。
そんなオルティーズも、試合を離れると愛嬌たっぷりである。試合終了後、愛車の1台ハマーに乗り込む姿を見かけたが、白いセーターにジーンズ、ニット帽を被ってポシェットを斜めがけしている姿には、思わず笑みがこぼれた(2006/10/13 当ブログ参照)。2004年にはマニー・ラミレスと共に日米野球で来日し、親日家でもあるらしい。実際に松坂を自宅に招いたり、ベンチで引き上げてくる岡島を讃え、可愛がっている姿も見かけたりする。今季、ホームランバッターとしては、14本とまだ物足らないが、安打を量産しており、打率314を記録している。初出場した2004年のように豪快なホームランを見せて欲しい。
一方、投手として監督推薦で初出場を掴んだのは、ジョシュ・ベケット。今季は、同い年の松坂がレッドソックスに加入した事によって、一番良い刺激を受けた選手のように思う。国は違うがベケットも松坂と同様、高校時代から豪腕として注目の的だったという。それ故に驕りもあったのか?自ら「Phenom(天才)」と呼び、1999年にマーリンズからドラフト全米2位で指名を受けるも契約金で揉めるとか、問題児のイメージが付きまとった。しかし、野球に対する態度は真摯で、投手として長く投げ続ける秘訣をアドバイス受けると、そのアドバイス通り、練習後に毎日3マイルのランニングを欠かさないそうだ。

その天才振りが花開いたのは、2003年のワールドシリーズで、対ヤンキースを相手に最終戦で完投勝利をおさめ、優勝に貢献すると共にMVPも獲得した。そしてヤンキースに強いというキャッチフレーズで、レッドソックスに移籍したが、2006年は防御率5点台が物語るように、力が入りすぎてしまったのか?1つの回で大量失点し『炎上』するシーンが多く見られ、期待通りの結果は残せなかった。しかしながら、前記したように今季は冷静な投球ぶりを見せ、前半戦終了時にハーラートップの12勝を挙げ、防御率も3点台に留めて活躍、レッドソックスの首位に大きく貢献している。レッドソックスファンの方なら同じ事を思う気がするが、今年の松坂の投球ぶりを見ていると昨年のベケットをフラッシュバックしているようだ。後半戦の松坂には、ベケットを良いお手本として、肩の力を抜いた投球を見せて欲しいと願っている。
★オールスター戦 イチロー選手、MVP受賞!
3打数3安打、オールスター史上初(何と本人も史上初)の
ランニングホームランを記録、おめでとうございます。
※参考 週間ベースボール別冊他
