2007/11/29

アメリカ・コネチカット州にあるカジノ…モヒガンサンを訪れて  ボストンの思い出

日本では晩秋の晴れ渡った暖かい日の事を『小春日和』と呼んでいるが、北米(アメリカ・カナダ)では、インディアン・サマーと呼ぶそうだ。これは、ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)に伝わる伝説で、神様がキセルで煙草を吸い、その煙が暖かい日を作り出すと信じられており、神様がくれた恵の暖かさの中、厳しい冬に備える冬仕度を捗らせるのだという。今年は、ボストンでも比較的暖かい日が続いており、一昨日の夜等は、暑過ぎて窓をあけた程だった。インディアン・サマーだなと思いつつ、そこで私は、11月22日、サンクスギビング(感謝祭)の日に、ボストン在住の中国人の友達…Pangさんに連れて行って貰った、ネイティブ・アメリカンが経営しているカジノの事を書こうと思った。
クリックすると元のサイズで表示します一際目立つモヒガンサンのホテル
モヒガンサン内の案内図
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コネチカット州にあるカジノ…「モヒガンサン」は、ニューヨークから車で北へ約200キロ(2.5時間)、ボストンから150キロ(2時間弱)のコネチカット州にあるアメリカ先住民保護地区に建てられているカジノとホテル、ショッピングアーケードを持つモヒガン族が経営するカジノ施設である。アメリカの先住民達は、コロンブスがアメリカ大陸を発見して以来アメリカ建国に至るまで、侵略して来たヨーロッパの人達から土地、住居、物資、そして人権や生命までを奪い取られてきたという悲しい歴史がある。そこで米国政府は、一般のアメリカ市民を規制する法律を超越した扱いとして、自治権を与え、先住民独自の生活習慣やルールを認めており、先住民居住区では、治外法権的な事が許されている。よって州法で「規制」されているゲーミングに関する法律にも、従わなくても良い事となっており、先住民達は、独自のゲーミング規制法を1988年に成立させ、各地でカジノを開いたという。先住民の部族数は、米国政府の認定によると562あり、大多数の人達が国内314ヶ所の居住区内に住んでいるそうだ。
クリックすると元のサイズで表示しますスロットルで楽しむ人達
車を賭けた?ゲームコーナー
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サンクスギビングは、殆どの会社やお店等も休日となり、途中の道路は空いていたが、「モヒガンサン」に着くと、大駐車場には車が所狭しと並んでいて、異次元のように思えた。更に中へ入ると、昼時という事もあり、通路も凄い人で混雑していた。奥に進むとスロットルマシンがタワーのように建ち並び、カードゲームやルーレットを行う台のコーナーが花びらのような円形に配置されていた。私にとって映像でしか見た事が無い世界だった。折角来たのでと食事の後、初めてスロットルの台に座ってみた。全ての台に於いて(ドルをプールして置けるカードもあるようだが)現金が使用可能で、台によって最低ラインが決められていた。連れて行ってくれたPangさんは、カードゲームに行ってしまった為、私は使用方法も解らず10ドル紙幣を投入すると、スイッチを押すだけで(レバーでもOKとなっている)ドラムが回転し始めた。画面を見ていると横や斜めの各ラインに賭ける金額を設定出来る事が判った。しかし方法も解らずに座るのは無謀者、私は20ドル使った時点で、他の人達の見学をする事にした。当たっている人をじっと観ていると、色々な仕掛けもあってかなり面白かった。
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滝とベネチュアングラスの塔クリックすると元のサイズで表示します

面白さが解った所で頑張れるとギャンブラーの素養充分なのだろうが、私は煙草の煙が目にしみたのと(禁煙コーナーは後で見つけた)、滞在時間が残り少なかった為、ベネチュアングラスで出来たオブジェのシンボルタワー?があるという滝「Taughhannick Falls」 へと、ショッピングモールを経由して向かった。因みに「モヒガンサン」には、中央のエントランスを挟んで、カジノが東側に森がテーマの「Casino Of The Earth」。西側には星がテーマになっているという「Casino Of The Sky」と2ヶ所あり、公式サイトによると総面積291000sq.feetで、350台のテーブル、6200台のマシンが設置されているそうだ。そしてカジノ部分の入場は21才以上限定で、各入り口で係りの人がチェックしている。託児所も完備で、とにかく広い…。Pangさんとはエントランスで待ち合わせていたが、戻れるか?少し不安だった。
クリックすると元のサイズで表示します中央にあるツリー型モニュメント
(一旦別になったPangさんとここで待ち合わせた)


ショッピングモールにも多くの人達が歩いていて、買い物を楽しんだり、各オブジェの前で写真撮影をしたりしていた。サンクスギビングという事で、キリスト教徒の人達は、自宅でターキーを食べ家族と過ごし外に出かける事は少ないらしい。この日は、そのせいもあってか?アジア系の人達が80%を占めていたように感じた。中はレストラン街も充実しており、食事も美味しかった。モヒガンサンはカジノを見学したり、モール内でショッピング、そして彼方此方のオブジェを見学しているだけでも充分楽しめるが、やはり「カジノで遊ぶ!」と決めて隣接したホテルをとり、時間をかけて訪れるのが一番良いのでは?と思った。尚、アメリカに於ける先住民を「インディアン」と呼ぶのは、コロンブスが南米の諸島を東インド諸島と間違えていた事に由来するという。此方では「先住民」または「ネイディブ・アメリカン」と記した。
 
※以下は「モヒガンサン」のクリスマスイルミネーション
クリックすると元のサイズで表示します 「Casino Of The Earth」にある櫓。
レストラン街の熊とツリークリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示しますショッピングモール
モールを2階から撮影クリックすると元のサイズで表示します
イルミネーション部分の拡大
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2007/11/23

ボストン美術館No4…印象派の影響を受けたアメリカ絵画T  ボストンの思い出

ボストン美術館のアメリカ絵画に分類される絵の中で、私はジョン・シンガー・サージェントの絵…「エドワード・ダーリー・ボイドの娘達」(1882年)が、脳裏に焼きついて離れなかった。この絵は2007年春、名古屋ボストン美術館に「アメリカ絵画-子供の世界」という題目で来日しており、私は今回、この絵と海を越えて再会する形となった。サージェントの絵は、アメリカ絵画に分類されているものの、サージェント自身は、1856年イタリアで生まれ、少年時代をフィレンチェで過ごしている(両親の国籍がアメリカ)。12歳から絵を学び始め、14才でフィレンツェのアカデミア・デッレ・ベッレ・アルティに通い、1874年には18才で官立美術学校に入って学んだ。
クリックすると元のサイズで表示しますエドワード・ダーリー・ボイドの娘達
[221.9×222.6cm] (※写真は全てクリックで拡大)


やがてサージェントは、1877年パリのサロン(官展)に出品し、一躍脚光を浴びる事となるが、1884年に出品した『マダムX』という実物大の肖像画(メトロポリタン美術館蔵)が、当時にしては肌の露出が多く官能的で、実在の女性…ゴートロー夫人と明らかに酷似していた為に(実はサージェントが、夫人にモデルを頼み込んで描き、「マダムX」として名前を伏せていた)、一大スキャンダルとなり、翌年パリを離れてロンドンに移り住んだ。しかしその実力は群を抜いており、ロンドンでも肖像画家としての地位を得ると、ロイヤル・アカデミーに出品、1897年には同アカデミー正会員となった。そして1891年、ボストン公共図書館の壁画制作にと白羽の矢が立った。この仕事の為にボストンとロンドンを行き来しながら活動をしていたサージェントは、更に1916年、ボストン美術館移転の際、建物のロトンダ(円形大ホール)の吹き抜けの天井絵を任される。サージェントは、この天井絵をギリシャ、ローマ神話等から想を得て描くと共に、装飾のレリーフを含めるロトンダの空間全体の設計に携わった。
ロトンダの天井絵  クリックすると元のサイズで表示します

さて、時間が前後するが、本題の絵…「エドワード・ダーリー・ボイドの娘達」は、サージェントが若干26才の時に描いている。19世紀当時に描かれた家族の肖像画の多くは、子供達皆が対等な位置にいて、両親と共に座っていたり、遊んでいる姿が描かれていたが、この絵は、そのセオリーとは違い、意図的に異なる技法でボイドの4人の娘達の持つ、個々に独立した個性を強調している。まず、向かって右前方に立っているのが、この絵の主役のような8才のメアリー、少し後ろにいる2人の姉、12才のジェーンと14才のフローレンス。この姉2人は部屋の後部に立ち、まるで召使のように控えているように見える。そして床に座っている末っ子のジュリア(4才)。ジュリアはこの絵の中で唯一の玩具である人形を抱いて無邪気な表情をしている。このように等しい重要度でモデル達を描くという慣例が破られ、姉妹それぞれの個性を強く表して描かれている。※以下は姉妹それぞれの拡大写真(部分)

クリックすると元のサイズで表示します ←三女、メアリー。

次女ジェーンと長女フローレンスクリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します ←末っ子のジュリア。

この作品は、例の「マダムX」出品の前年…1883年のサロンで、大変な注目を浴びた作品で、批評家の間では、過去に例のない構図と少女達の笑顔がない表情に、賛否両論ではあったが、パリの日刊紙「ルヴュー・デ・ドゥ・モンド」は『作品に潜む心理的な不可解…観る者に家族間の関係について疑問を呈している事…を上手く表現している』と絶賛した。またサージェントは、ピアノを弾いたりして、子供達の機嫌を損ねる事なく肖像画を描き続けた。更にサージェントは、1980年代中頃から、モネの住むジヴェルニーを訪ね、1885年、モネをモデルにした「木の脇で写生するクロード・モネ」という作品も描いている。
絵の中にある有田焼きの壷 クリックすると元のサイズで表示します
(実物の写真…江戸後期〜明治初期作成)


一般的には、上流階級の人達を描いた肖像画家として、知名度が高いサージェントだが、1907年頃から肖像画の注文を一切断り、晩年はボストン美術館のロトンダ製作に携わる傍ら、水彩で風景画を描いていたという。サージェントは、アメリカの画家達に印象派の技法を伝える共に、絵画コレクターの良きアドバイザーとしても活躍した。更に前記したロダンダの設計と、展示してある自らの絵画で、ボストン美術館、そしてアメリカ絵画の発展に大きく貢献していると言えよう。   ※最後は問題となった[マダムX」の絵(メトロポリタン美術館蔵)
クリックすると元のサイズで表示しますマダムX(ゴートロー夫人)1884年
[208.6 x 109.9 cm]…思わず息を呑んでしまう程の美しさである。
サージェントが、生涯唯一依頼ではなく、自らモデルに頼み込んで描いた作品だったという。

John Singer Sargent's Galleryより引用→http://www.jssgallery.org/
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2007/11/21

ボストン美術館No3…クロード・モネ「ラ・ジャポネーズ他」  ボストンの思い出

ボストン美術館に設けられた印象派の部屋…その中でも、一際人目を引いて目立っている絵が、モネがカミーユ婦人に日本の着物(打ちかけ)を着せて1875年に描いた「ラ・ジャポネーズ」(副題:和装のモネ夫人)である。この絵は縦2メートル50センチもあるカンヴァスに、カミーユ婦人を等身大の大きさで描き、モネが如何に日本好きだったか!を象徴する絵でもある。1867年開催のパリ万国博覧会に、日本から出品された浮世絵に魅せられたモネは、晩年を過ごしたジヴェルニーに「私の最高の作品」とモネ自身がこよなく愛した日本庭園を造り、池には睡蓮を咲かせた。そして現在もジヴェルニーのモネの家には、浮世絵が飾られているという。
クリックすると元のサイズで表示しますラ・ジャポネーズ(クリックで拡大)

浮世絵の影響で「ラ・ジャポネーズ」の小道具にもこだわりが見られる。床に敷かれた畳地の上に並べられた2枚の団扇と、壁に飾られた団扇には、浮世絵や日本画が描かれていて興味深い。打ち掛けも、奇抜な侍の刺繍柄から、当時浮世絵に描かれた芝居衣装だと思われる。ポーズは、切手でも有名な菱川師宣の「見返り美人」の影響を受けている。また、反対にカミーユ婦人には、本来黒髪だったにも関わらず、金髪のウィッグをかぶせ、手に持った扇子には、フランス国旗を示す3色を使った虹のような絵が描かれていて、初めは何となく違和感を感じるが、このミスマッチも暫く観ていると、違和感が消え、東洋と西洋が調和しているように見えて来るから不思議である。

「光の画家」と呼ばれたモネは、風景画が多く、人物画は多くないが、カミーユ婦人を描いた作品等、何作か残している。しかしながら今日では印象派の巨匠とされているモネも、カミーユ婦人と過ごした新婚時代は絵が売れない時代であった。その当時絵画は屋外で景色を描くという概念がなく、生計の為に人物を取り入れた作品を描かねばならなかったという裏事情があったという。今では代名詞ともなった「印象-日の出」でさえ、色と色の境目の隙間や、形がはっきりしない筆使いは、嘲笑の的となっていたのである。そんな時代背景の中、生まれたのが、カミーユをモデルにした「緑衣の女」(ブレーメン美術館蔵)であり「ラ・ジャボネーズ」であった。「ラ・ジャボネーズ」は、 1876年開催の第2回印象派展で、2000フランという高値がついたという。しかし、モネの描きたいテーマはあくまでも「外界の光」だった。
振り返る笑顔のカミーユクリックすると元のサイズで表示します 

元々病弱だったカミーユ婦人は「ラ・ジャポネーズ」完成の3年後に、2人の子供を置いて亡くなった。その後のモネは数少ない理解者の援助を受け、旅をしながら光を取り込んだ風景画を描き続けた。中でも「積みわら」「ポプラ」「ルーアン大聖堂」は、光によって刻々と色を変える同じ景色を、連作で描いた事で知られている。モネは、この連作を契機に長い不遇から抜け出し、印象派としての成功をおさめたという。この時モネは既に50歳になっていた。
夕暮れの積みわら(1891年)クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します朝のルーアン大聖堂(1924年)

夕暮れのポプラ並木(1891年)クリックすると元のサイズで表示します

★インクスタンド(1876年 フランス製)
Paul Legrandデザイン Frederic Boucheron製作
1876年に開催された印象派展で、モネの「ラ・ジャポネーズ」の傍に展示されていた。銀製の土台に、エナメルや金を使用し、七宝焼きのような技法で細かく模様が描かれ、ジャポニズムを強く意識した作品である。
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インクスタンド側面
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※クロード・モネ (1840年パリ生まれ)
ウジェーヌ・ブーダンとの出会いが「光の画家」としてモネの方向を決定づけた。1859年ピサロと知り合い、1862年グレールのアトリエにて、ルノワール、シスレーらと親交を結んだ。1874年第1回印象派展に「印象−日の出」を出品。当時中傷の的となったが、皮肉にもこの作品が「印象派」という名称の由来となる。1890年にジヴェルニーに移り住み、以降1926年に没するまで、ジヴェルニーで製作を続けた。終生印象主義の技法を追求、貫き通した最も典型的な印象派の画家である。


以下、晩年描き続けたモネの代表作…『睡蓮』の2作品
クリックすると元のサイズで表示します

睡蓮(1905年)↑→クリックすると元のサイズで表示します

睡蓮の絵は、水の広がりが無限に見えるように暗示する為、わざと睡蓮を途中で切れるように描いている。モネはしばしばこの形のカンヴァスを使用し、睡蓮と池、睡蓮の葉と花、光をすい汲む水面と反射する水面のコントラストを駆使して構図を作ったという。


※トラックバックは
「スピンさんの欧州便りNo11…晩年のモネが過したジヴェルニー」と、
「スピンさんの欧州便りNo10…モネのオランジェリー美術館」
…モネの庭や睡蓮の大作など貴重な写真が載っています。
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2007/11/20

ボストン美術館No2…ビゲローコレクション(北斎、豊国他)  ボストンの思い出

ボストン美術館で開催中の特別展…ビゲローコレクション、「江戸の誘惑」(Drama and Desaia)は、連日多くの人が訪れており、週末は特に混み合っているという。幻のコレクションとまで呼ばれていた、ビゲローコレクション…私は、葛飾北斎の肉筆をそして、浮世絵をじっくり見てみたいと思い立ち、木枯らしが吹き始めた平日の寒い午後、再びボストン美術館を訪れた。美術館に着いた私は、名古屋ボストン美術館の会員証を提示し、無料チケットを手にすると、真っ直ぐに「江戸の誘惑」(Drama and Desaia)コーナーへと向かった。カメラを片手に急ぎ足で歩く私の姿から、何人かの人に報道関係の人と間違えられたり、道順を聞かれたりした。いつもの事ながら方向感覚だけは悪くない私は、黙って歩いていると地元に住んでいるように見えるらしい。以下「江戸の誘惑」(drama and Desire)に展示されていた作品の写真を一部掲載する。
(写真はクリックで全て拡大)
クリックすると元のサイズで表示します「Drama and Desaia」の垂れ幕

★「鳳凰図屏風」(phoenix)葛飾北斎(1835)
金箔の背景に鳳凰を描いた華麗な作風の屏風で、その色鮮やかさは、北斎の色彩感覚の鋭さを表している。北斎芸術が集約された傑作作品だと言える。
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「鳳凰図屏風」中央拡大クリックすると元のサイズで表示します

★「鏡面美人図」葛飾北斎(1805)
江戸時代の女性の後姿を描いた作品。黒塗りの蒔絵らしい鏡台に姿を写して髪の結い上げ具合を確かめている。この女性の立ち姿…腰を前に出して弓なりのように身を反らした形に描く技法は北斎特有のものだという。着物の柄、髪の毛など詳細に美しく描かれている。
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「鏡面美人図」拡大写真クリックすると元のサイズで表示します

★「薪を運ぶ大原女」葛飾北斎(1804〜1818)
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大原女の拡大写真クリックすると元のサイズで表示します

★「提灯絵 龍蛇」葛飾北斎(1804〜1818)
「提灯絵 龍虎」と共に提灯に墨で描かれた迫力ある作品。
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★「三代目中村歌右衛門」歌川豊信(1812 )
三代目中村歌右衛門は、初代歌右衛門の実子で「梅玉歌右衛門」とも呼ばれていた。 三代歌右衛門は、敵役・立役・女形をも見事に演じる「兼ル役者」として絶大な人気を誇り、文字通りの千両役者であった。通常、女形を演じる役者は幼少より女性らしく振る舞う努力を積み重ねて、やっと一人前になると言われているが、三代目は男らしくも、女らしくも演じきった。この絵は、歌右衛門が江戸から上方へ上がる時、熱烈なファン1人が豊国に依頼して、その面影を写させた作品だろう…と推測されている。
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★「芝居町・遊里図屏風」菱川師宣(1684〜1704)
浮世絵の開祖とも言われ、『見返り美人』で有名な菱川師宣の、数少ない肉筆の代表作。江戸の「芝居小屋」と「遊郭」を、六曲屏風の左右に描き分けられている。
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「芝居町・遊里図屏風」一部拡大
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◎私はプレスさんと間違えられたのか?全く注意を受けなかったのですが、
特別展だけは、撮影禁止だそうですので、悪しからずご了承下さい。

※トラックバックはボストン美術館No1…葛飾北斎の肉筆…ビゲローコレクションより 
(ウイリアムス・スターシス・ビゲローについてと北斎の肉筆画)
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2007/11/15

ダスティン・ペドロイア、最優秀新人選手受賞、おめでとう!  Boston Red Sox・MLB

体全体で打って、体全体で守備をする…ペドロイアのプレーを追いかけていると、高校球児を観ているようで清々しい。身長は、公称175cm(もう少し低い気もする)とメジャーリーガー1、2を争う小兵であるため、余計そう見えるのかもしれないが、溌剌としたプレー姿から『山椒は小粒でもピリリと辛い』という言葉まで浮かんで来る。ペドロイアは2006年9月、メジャーベンチ枠を25人から40人に増やす「セプテンバー・コールアップ」によって、3Aポータケットよりメジャーに昇格した。当時からフェンウェイパークでも、小柄な為、一際目立っていて、(横っ飛びで捕球とか)守備が上手い選手だなぁ…と思っていた。更に私にとって一番印象深かったのは、昨年の「ルーキー・ラギングデー」で試合の後、ベビー服を身にまとい、哺乳瓶まで持って登場、気軽にサインをしてくれた事だった(当時の記事と一部重複)。
クリックすると元のサイズで表示します新人仮装でベビー服を着た
ペドロイア(2006年9月21日撮影)


今季のペドロイアは、序盤の4月打率1割8分2厘とスロースタートで、地元では使い続ける首脳陣への非難もあったが、5月に入ると4割1分5厘と、その鬱積を跳ね飛ばす勢いで数字に残る活躍をし始め、結果シーズン終了時には打率3割1分7厘という好成績を収めた。守備については、試合を観ていればよく分るが、反射神経の良さで体格をカバーし、好守備を見せ、何度も松坂を始めとする投手陣、果てはチームの危機を救って来た。ペドロイアが打つとチームは元気になる…そういっても過言ではない程のムードメーカーでもあった。そんなペドロイアが、一生に一度しかチャンスがないアメリカンリーグの「rookie of the year(最優秀新人選手)」に選ばれた事を、レッドソックスの選手及び首脳陣、ファンを含む関係者全員が喜んでいるに違いない。
ギブス姿で記者会見のペドロイアクリックすると元のサイズで表示します
(Yahoo photoより引用)

アリゾナで行われた喜びの記者会見場に、ペドロイアは左手をギブスに包んで現れた。報道によると左手有鉤骨の骨折で、11月6日に折れた骨の摘出手術を受けていたという。有鉤骨とは手根骨(手の平の根元部分にある骨)の1つの事で、この骨の手の平側の突出を「有鉤骨鉤」と言い、野球のバットを握ったまま、小指球(小指側の手の平の筋肉のふくらみ)を強打したり、ゴルフで芝生を打ってしまった際に骨折する事が多く、正式には「有鉤骨鉤骨折」と呼ぶそうだ。ペドロイアの話によると、骨折した日は定かではないが、レギュラーシーズン終盤の9月10日に骨折は判明したという。しかし「優勝争いの佳境にあって 戦列を離れたくなかった。痛みと折り合いをつける方法を見つけるしかなかった」と、バットの握り方を変える等、工夫をして怪我を隠し通した。以降、ポストシーズンも含め約30試合に出場したが、本人とごく一部の関係者以外、知らなかった為に、地区シリーズ前半の打撃不振には、TVの解説者も「気持ちが空回りしている」等と声高らかに言っていたものだった。
クリックすると元のサイズで表示します手の骨の図から有鉤骨骨折(図は右手)

メジャーではレギュラーシーズンが、162試合と試合数も多い上に、移動距離もアメリカの東から西、北部(カナダも含む)から南部と半端な距離ではない。シーズンを通してそのコンデションを維持するのは並大抵の努力では不可能だと思う。よってシーズン終盤ともなると、ポストシーズン進出か否かを分ける大事な試合の時期に、負傷を抱えている選手が少なくない。9月半ばから約2週間の休養を貰った岡島でさえ、ワールドシリーズの時は、彼方此方痛く体はボロボロで、精神力だけで投げていたという。長いレギュラーシーズンを戦った後、更に10月、メジャーの長いポストシーズンを戦い抜く…並みの根性では乗り切れないと思う。「心頭滅却すれば火もまた涼し」…ではないが、ペドロイアもなかなか根性が座っている。手術は無事成功、後遺症は心配ないという。人一倍向上心が強く努力家のペドロイア…。『最優秀新人選手賞、おめでとう!』。しかしながら今は怪我を理由に、ゆっくり休んで欲しいと願いたい。

 クリックすると元のサイズで表示します体全体を使って振り切る。
フェンウェイの電光掲示板クリックすると元のサイズで表示します
(2007年8月3日撮影)


★ダスティン・ペドロイア(二塁手)
1983年8月17日生まれ、カリフォルニア州出身、右投右打。
高校時代から抜群の野球センスの良さが光り、アメリカ代表チームに選ばれるも、当時170cm足らずの身長ゆえに、ドラフトで指名するチームは何処にも無かった。そこでペドロイアは奨学金を受けながらアリゾナ州立大に進学すると、1年生にしてショートのレギュラーとなり、大学の最多安打記録を塗り変えた。そして「大学界のピートローズ」と呼ばれる程打ちまくった。2004年、大学4年の時、再びドラフトにかかる。体格のハンディを問題にして手を挙げないチームが相次ぐ中、レッドソックスが2位で指名した。当時、その指名に対し過大評価と貶す声を、マイナーリーグで通算打率3割を超える高打率を記録して一蹴した。

※以下、週間ベースボールより引用した、アリゾナ大野球部監督の言葉…
「彼(ペドロイア)程、向上心が強い選手は見た事が無かった。体格の面から言えば、どう考えても他人に負けている。しかし正確なスローイングと抜群のバットコントロールを武器に、向かって来たボールは全て捌き、打席では常にボールを芯で捉えていた。彼は自分の限界を突き破り続けた選手だった」。

※更にレッドソックスGM(ゼネラルマネージャー)…セオ・エプスタインの言葉…
「彼をドラフトで獲得し、育て上げているこの球団を誇りに思っている」。

クリックすると元のサイズで表示します「ペドロイア式ロータッチ!」
このようにチームメイトからも愛されて?いる。(Yahoo Photoより)
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2007/11/13

ボストン美術館No1…葛飾北斎の肉筆…ビゲローコレクションより  ボストンの思い出

ボストンを訪れる度に、必ず1度は足を運んで来たボストン美術館…。私は勿論、モネを始めとする印象派の絵を間近で眺められるのも、1つの楽しみではあったが、ボストン美術館に所蔵されている膨大な日本の美術品にも惹かれるものがあり、その品質の高さに驚かされていた。私は今回の渡米で、この日本及び中国を始めとするアジアの美術品収集に尽力した人物達…岡倉天心(覚三)、エドワード・シルベスター・モース、アーネスト・フランシスコ・フェノロサ、ウイリアムス・スターシス・ビゲローらについて、紹介された本などを読み、彼らが魅せられた日本美術を紹介しながら書き記そうと思っていた。名古屋ボストン美術館のメンバーシップを持っている私は、今更だが、そのカードでボストン美術館への入館料が無料だと知ると(念の為、名古屋ボストン美術館に問い合わせた所、初の問い合わせだったそうで驚いたが)、時間を見つけては、何度か行ってみようと決めていた。
クリックすると元のサイズで表示します ボストン美術館正面
(ハンチントン通りより、2007年7月撮影)


木立の紅葉も終わりを迎えようとしている11月中旬の週末に、ボストン美術館を訪れると、玄関には長蛇の列が出来ており、初めは特設開催の「ナポレオン展」が人気で混んでいるのかと思っていた。チケット売り場に並び「名古屋ボストン美術館」のメンバーシップカードを提示すると、何と私と友人の分、2枚のチケットが用意され、パスポートの提示は必要なく特別扱いのような優遇で驚いた。(尚、ボストン美術館は入場料が大人17ドル必要だが、その半券で10日間は無料で入館可能だそうだ)。私は早速、日本美術のコーナーへと向かった。初めに目に入って来たのが「相撲の浮世絵」だった。このコーナーも各展示品の前に人だかりが出来ており、かなりの人気ぶりだった。その後「江戸の誘惑」という看板に導かれて入ってみると、そこには私が浮世絵=版画だと印象付けられていた私のイメージを、打ち破るような作品が展示されており、大きな衝撃を受けた。中でも「朱鍾馗図幟」と呼ばれる葛飾北斎の肉筆の絵の前では、身動きが出来なくなる程であった。…と同時に必見すべきは、このコーナーであると確信した。
「朱鍾馗図幟」北斎(1805) クリックすると元のサイズで表示します

解説によると「朱鍾馗図幟」は、縦230センチを超える麻地の幟(のぼり)旗に中国で疫病を防ぐ鬼神と伝わる鍾馗(しょうき)様の立ち姿が、朱色で力強く描かれており、端午の節句に鯉のぼりと一緒に掲げられた品だそうだ。北斎の肉筆の中では最大の幟絵で、ボストンの浮世絵コレクションの中でも、最重要作品の1つだという。呆然としたままの私の目に、次に入ってきた作品は、同じく北斎が縮緬の袱紗に描いた「唐獅子図」で、円の中に墨で描かれた1頭の唐獅子と、枠の外に埋め込まれるように描かれた牡丹の花の鮮やかさが対照的で、時間が経つのを忘れて見入ってしまった。更に真ん中に置かれた提灯には、龍と虎の戦いが描かれていた。北斎といえば「富嶽三十六景」が最も有名で、富士を臨む各地の景色には、西洋画の遠近法等も取り入れられていると言われているが、これら民衆の生活に根付いた作品は、北斎の作品の中でも極めて珍しく、日本にあれば国宝級の作品だと思われる。このコーナーでは、立ち止まってじっくりと観ている人や、メモを取る人も多く、大盛況であり、アメリカに於いて「浮世絵」の人気ぶりが伺えた。
クリックすると元のサイズで表示します 「唐獅子図」北斎(1844)

さて「江戸の誘惑」コーナーに展示されている作品は、全てウイリアムス・スターシス・ビゲローが収集したコレクションである。ビゲローの職業は本来、医師で、モースの導きにより1882年(明治15年)に初来日、日本美術に魅せられて東京に居を構え、モースやフェノロサと共に日本美術品収集の旅をした。更に貧しい日本画家を経済的に援助したり、奈良地方の宝物保存の為の融資を引き受けたりしたそうだ。岡倉天心による日本美術院(横山大観、下村観山ら卒)創設時にも、2万円(現在の金銭価値にして約2000万円)の寄付をして援助している。約7年間の日本滞在中に収集したコレクションは、浮世絵を始め様々な流派の絵画、刀剣、刀装具類、染織品、漆器、彫刻等、広い分野に渡り、その数は約41,000点にも上るという。ビゲローが集めたコレクションは、1つ残らずボストン美術館に寄贈され保管されている。明治維新の開国とともに、西洋化の一途を辿る日本に於いて、軽んじられがちだった日本の美術を再び見出し、収集したビゲローは、貴重な日本の伝統文化を美しく保存してくれた人物の1人として…現代を生きる私達日本人が、手を合わせ感謝するべきだと言えよう。

尚、私は「浮世絵」が今まで余り好きではなく見逃していたが、昨年(2006年)、これらビゲローコレクションは同題目として、110年ぶりに日本へ里帰りしている(神戸、名古屋、東京で展示)。それまで長期に渡ってビゲローの遺志で、門外不出を執り、その数の多さゆえ謎に包まれたままとなっていたが、1997年に日本からボストンへと研究員による調査団が送られ、初めて陽の目を見た作品も多くあったそうである。これらを代表とするビゲローの700点に及ぶ肉筆画のコレクションは、版画とは異なって注文によって特別に描かれた「特注品」の1点物であり、その価値は、到底計り知る事が出来ない…。
「提灯絵 龍虎」北斎(1804〜1818)クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します「鏡面美人図」北斎(1805)

「Li bai admiring a waterfall」クリックすると元のサイズで表示します
北斎(1849) ※(写真は全てクリックで拡大)


※SELEBRETE JAPAN AT THE MFA
2008年2月10日まで、ボストン美術館にて開催
ボストン美術館公式HP →http://www.mfa.org/
★またボストン美術館では「walk this way」と題し、
各時代、各国の様々な形式の『靴』が、会場の彼方此方に展示されていた。
その中で、2007年を代表する靴として、
レッドソックス、松坂大輔使用のナイキ製スパイクも展示されている。

◎参考
「岡倉天心とボストン美術館」…名古屋ボストン美術館発行
「岡倉天心物語」…新井恵美子著
「江戸の誘惑」…朝日新聞社HP

◎私はプレスさんと間違えられたのか?全く注意を受けなかったのですが、
特別展だけは、撮影禁止だそうですので、悪しからずご了承下さい。
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2007/11/11

アメリカへ…機内持ち込み品検査と経由地サンフランシスコ  日記(今日思うこと)

11月7日午後、私はユナイテット航空830便に搭乗する為、一路中部国際空港へと向かった。今年7月にも同じ路線でアメリカ入りをしているが、改めて機内持ち込み手荷物検査や、預けるスーツケースについての注意点等を書いて置こうと思った。2007年5月より、ユナイテット航空、ノースウエスト航空共にエコノミークラスでは、スーツケース1個の重さ23キロ以下で2個までが、航空運賃に含まれる。(2005年9月5日までは32キロまでだった。JALは2006年の時点で32キロまでOKだが、航空会社によって取り決めが違う為、問い合わせ必要)。24キロを超え32キロまでのスーツケースには、1個につき、日本円で3000円、ドルでは25ドル超過金を支払う。尚、スーツケース内には、鋏や液化状の物も入れられるが、揮発性の物、ライター等は入れる事が出来ず、必ず施錠はしないままにして預ける。因みにビジネス(ファースト)クラスへ搭乗の方は、32キロ×2個までOKで、全てのクラスに於いて32キロを超える荷物は『貨物』扱いとされ、課金率がかなり高くなるので(市販されているスーツケース以外の荷物を預ける場合等は大きさの制限も有)、各航空会社へ問い合わせが必要である。尚、問い合わせる際には、必ず担当者の名前を聞く事もチェックイン時のトラブル防止の1つとも言える。
クリックすると元のサイズで表示しますセントレア離陸寸前… 右手の建物内にはレストラン、クイーンアリス。
離陸…眼下に伊勢湾を眺めて
クリックすると元のサイズで表示します

スーツケースを預けたら、次は機内に持ち込む手荷物と自分自身の保安検査を受ける。ここで予め「200ml以下の目薬やコンタクトレンズ用保存液、歯磨剤、マスカラ、蛍光ペン等…液化またはゲル化している物」を透明なビニール袋に入れて置き、ノートパソコン(ラップトップ)と同じく、荷物から出して保安検査用に用意されたトレーに入れる。そして持ち込む手荷物全てを、X線検査機に通す。自身は金属探知機を通るが、上着、帽子、ベルト等は、外してトレーに入れ荷物と一緒のX線検査機に通す。(金属探知機は、ポケットの小銭やベルトの金具は勿論、髪留めのバレッタにも反応するので外した方が良い)。今回、中部国際空港では、靴は脱がなくても良かったが、靴を脱ぐように指示される空港(米国では、ほぼ100%靴は脱ぐ)もあるので、注意が必要である。

さて2006年8月に起きた英国・ヒースロー空港での液体爆弾テロ未遂事件以来、液体またはゲル化した物の機内持込が、厳しく制限されて来たが、今年になって、少し改善された点を書いて置く。まず、水やお茶等、大切な飲料水であるが、保安検査時に於いて、外部から持ち込めない事には変わりなく、ペットボトル等も捨てるようにゴミ箱が設置されている。しかしながら、一旦保安検査を受け、出国した後で買い求めた飲料水は、機内持ち込み可。昨年のように搭乗前に再度検査がある訳ではない。これによって免税品の酒類も手荷物として持ち込める事になった。要は化粧品にしても、出国後、空港内で購入した品に関しては、チェック無しで持ち込めるという事で、昨年感じた空港内の各ショップと、保安検査係との情報の疎通もかなり改善されて来たと言える。(一昨年9月には、空港内で売られていたゼリーが持ち込み不可となり、その場で食べるか捨てるかの選択肢しか無かった例があった)。
クリックすると元のサイズで表示します国際線手荷物不可の表示(赤)が…

更に、空港内のショッピングモールにて売られている土産品にも、それぞれ「国際線手荷物不可」という表示がなされるようになり、非常に分かりやすくなった。また昨年は、不可だった練り羊羹、餡等も持ち込み可となった。但し、水分が多い漬物等は、殆ど許可されていないので、米国に持ち込みたい場合は、予め購入してスーツケースに入れてしまえばOKである。チェックインの際に、この機内持ち込み荷物と、スーツケースに入れて預ける荷物について、混同されるケースが多く、原則的に、スーツケースに入れれば良い物(鋏や安全剃刀等)と、手荷物として自身が機内へ持ち込んではいけない物を、常に把握して置く必要があると感じ、今回の液化物に関しては、その原則+αであると認識すれば、分かり易いように思った。
クリックすると元のサイズで表示しますユナイテットの機体(サンフランシスコ)

さて、私は無事、サンフランシスコに到着し、入国審査、税関検査を受けたのであるが、過去何回も入国審査を受けたデトロイトに比べて、サンフランシスコは、入国審査官も(偶々かもしれないが)、次のフライトを気遣ってくれたり、温かい人が多いように思った。入国後、スーツケースを受け取る時も、ターンテーブル傍で係の人がカートに乗せてくれるなど本当に親切だった。更に国際線から国内線へ移動時には、チケットを見せると丁寧にゲートの指示をして貰え、航空会社の人も温かかった。サンフランシスコ到着時、空港は霧に包まれていたが、触れ合った人達が優しく温かい気持ちにして貰えた。更に私は、友人が仕事でサンフランシスコへ行き、2日前、同じゲートを通ったので、情報を貰っていて、空港内にある和食の「TOMOKAZU寿司店」や、マッサージ機のある「Brookstone」にも立ち寄ってお腹と体を満足させ、ボストンへと向かう事が出来たのである。

「TOMOKAZU」…お寿司は美味!。クリックすると元のサイズで表示します 

※以下は、友人より「サンフランシスコの朝の景色」
クリックすると元のサイズで表示しますパウエル-メイソン線のケーブルカー
片側方向しか走行不可の為、ターンさせて折り返す。

「良い1日を…」行きの?バスが…クリックすると元のサイズで表示します
何と、朝から事故に遭ってしまっていた(怪我人は無かった模様)。
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2007/11/7

「大人が選ぶ映画ヒロインベスト30」…ヘップバーンが遺した詩  日記(今日思うこと)

先週末は仕事が忙しく、慌しい時間を過ごした。11月3日は「文化の日」…TV番組に興味深い番組が多々ある中、私はテレビ朝日の『Sma STATION』で「大人が選ぶ映画ヒロインベスト30」という特集を放映すると知り、録画しておいた。初め「大人が選ぶ…」という言葉に「何歳くらいの人が基準なのだろう?」と、少し思ったりもしたが、選ばれる女優が活躍した年代を考えれば解るだろう…と再生して観る事にした。番組中、堂々の1位に輝いたのは、オードリー・ヘップバーンだった。映画界で大活躍した頃のヘップバーンは、キュートで快活なイメージだったが、結婚後は母として女優活動を休業、1989年の『オールウェイズ』に出演するも、1993年、直腸癌によって74才で亡くなるまでの晩年は、ユニセフ親善大使としての慈善活動に費やした。そんなヘップバーンが遺したと言われている言葉に、とても美しい詩がある。
クリックすると元のサイズで表示します 『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を受賞。

For attractive lips, speak words of kindness.
For lovely eyes, seek out the good in people.
For a slim figure, share your food with the hungry.
For beautiful hair, let a child run his fingers through it once a day.
For poise, walk with the knowledge you'll never walk alone ...
People, even more than things, have to be restored, renewed, revived,
reclaimed and redeemed and redeemed ...
Never throw out anybody.
Remember, if you ever need a helping hand,
you'll find one at the end of your arm.
As you grow older you will discover that you have two hands.
One for helping yourself, the other for helping others.


    魅力的な唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと
    愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること
    スリムな体のためには、飢えた人々と食べ物を分かち合うこと
    豊かな髪のためには、一日に一度、子供の指で梳いてもらうこと
    美しい身のこなしのためには、決して一人で歩むことがないと知ること

    人は、物より遥かにに多く回復し、復活し、生きかえり、
    再生し、報われることが必要なのです
    くり返し、くり返し、報われることが…。
    決して何人たりとも見捨ててはなりません。
    助けてくれる手が必要なとき、
    自分の腕の先に、その手があることを思い出して……

    年をとると、人は自分に二つの手があることに気づきます。
    一つの手は、自分自身を助けるため、
    もう一つの手は、他の人を助けるために……。

photo libraryより「クローバーと雫」 クリックすると元のサイズで表示します

注※この詩について、
アメリカの詩人、サム・レヴェンソンの「時の試練を経た人生の知恵」に収録されていた孫娘に宛てた手紙の中の言葉を、ヘップバーンが詩に直して子供達に読み聞かせたという説もある。

★因みに同番組内での30位から1位までは、以下の通り…(太字は筆者の好きなヒロイン)

30位 「カサブランカ」…イルザ・ラント役のイングリット・バーグマン
29位 「シカゴ」…ヴァルマ・ケリー役のキャサリン・ゼタジョーンズ
28位 「氷の微笑」…キャサリン・トラメル役のシャロン・ストーン
27位 「メリー・ポピンズ」…メリー・ポピンズ役のジュリー・アンドリュース
26位 「二キータ 」…ニキータ役のアンヌ・パリロー
25位 「スピード」…アニー・ポーター役のサンドラ・ブロック
24位 「エマニエル夫人」…エマニエル役のシルビア・クリステル
23位 「ウエスト・サイド物語」…マリア役のナタリー・ウッド
22位 「ムーラン・ルージュ」…サティーン役のニコール・キッドマン
21位 「エイリアン」…エレン・リプリー役のシガニー・ウィーバー

20位 「プラダを着た悪魔」…ミランダ役のメリル・ストリープ
19位 「Mr.&Mrs.スミス」…スミス役のアンジェリーナ・ジョリー
18位 「ひまわり」…ジョバンナ役のソフィア・ローレン
17位 「初恋のきた道」…チャオ役のチャン・ツィー
16位 「羊たちの沈黙」…クラリス役のジョディー・フォスター
15位 「キル・ビル」…ザブライド役のユマ・サーマン
14位 「タイタニック」…ローズ役のケイト・ウィンスレット
13位 「素直な悪女」… ジュリエット役のブリジット・バルドー
12位 「ブリジット・ジョーンズの日記 」…ブリジット・ジョーンズ役のレニー・ゼルヴィガー
11位 「七年目の浮気」…ブロンド美女役のマリリン・モンロー

10位 「アメリ」…アメリ役のアデレ・イトトゥ
9位 「天使にラブ・ソングを…」…デロリス役のウーピー・ゴールドバーグ
8位 「クレオパトラ」…クレオパトラ役のエリザベス・テイラー
7位 「めぐり逢えたら」」…アニー・リード役のメグ・ライアン
6位 「チャーリーズ・エンジェル」…ナタリー役のキャメロン・ディアズ
5位 「喝采」…ジョージー・エルジン役のグレース・ケリー
4位 「ゴースト ニューヨークの幻 」…モリー役のデミ・ムーア
3位「プリティ・ウーマン」… ヴィヴィアン・ウォード役のジュリア・ロバーツ
2位 「風と共に去りぬ」…スカーレット・オハラ役のヴィヴィアン・リー
1位 「ローマの休日」…アン王女役のオードリー・ヘップバーン
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2007/11/5

フィギュアGPシリーズ第2戦(カナダ大会)…浅田真央優勝  フィギュアスケートと浅田真央選手

浅田真央は、グランプリシリーズ・カナダ大会のフリー演技を前にして、今までこだわり続けて来た「トレードマーク」の「トリプル・アクセル」をあえて封印すると決めた。前日に行われたショートプログラムでは、シーズン序盤で新しいプログラムを滑り込めていない為か、それとも極度の緊張感からか、冒頭の3回転の連続ジャンプに失敗した。その失敗が尾を引き、今季、ロシアに渡って磨きをかけてきたステップにも精鋭を欠き、更に今季より厳しくチェックされる「ジャンプ時の踏み切るエッジをより厳格に判定する」…という採点法にも抵触して、シニア参戦後過去ワーストの58.08点に留まっていた。挽回するには、トリプル・アクセルで転倒するミスを出すより、例え基礎点が4点低くとも、余裕を持ってダブル・アクセルを跳んでプラスの査定を貰い、他の要素をこなす作戦に出たと思われる。グランプリシリーズは、得点より順位が重視される。昨年3位スタートで背水の陣だった浅田真央は、ファイナルに残る為にまず優勝し、ゆとりを持って、次の大会に臨みたいと思ったに違いない。
クリックすると元のサイズで表示しますGPカナダ大会メダリスト
…中野友加里(銀)浅田真央(金)ジョアニー・ロシェット(銅)


グランプリシリーズは、その歴史が浅く、1995年にISU(世界フィギュアスケート連盟)公認の大会として、日本、カナダ、アメリカ、フランス、ドイツの各国を巡り、各大会の上位でファイナルを行うという現在の形がとられた。1996年からロシア杯が加わり、2003年からドイツのボフロスト杯に代わって中国杯が行われている。尚、フランス杯は、2004年以前は「ラリック・トロフィー」と呼ばれていたが、2005年からスポンサーの交代により、「トロフィー・エリック・ボンパール」になった。現在では、アメリカ、カナダ、中国、フランス、ロシア、日本(NHK杯)の6ヶ国で開催され、各選手2大会まで出場できる。出場は、昨季世界選手権の上位6名がまず各大会にシードされ、後の選手は抽選で振り分けられる。そして、1位…15ポイント、2位…13ポイント、3位…11ポイント、4位…9ポイントと、加点され、その合計が多い選手から上位6名がグランプリファイナル選出となる。

2大会に出場出来る為、当然1位を2度とれば、30ポイント獲得でファイナル確定となるが、6大会では、確率的に、1位を2度とる選手が現れたとしても最高3人まで。残り3人を2位以下をとった選手で競う事となる。しかし例えば1位をとっても、次の大会で4位になった場合、15+9の合計24ポイントとなり、出場出来ない可能性も出てくる。昨年のカナダ代表、ジョアニー・ロシェットがその典型的な例だった。毎年この24点辺りがデットラインとなっているが、同じポイントの選手が複数の場合、1.出場試合の最高順位 、2.出場試合の合計得点、3.試合数が多い選手、4.出場試合のフリー演技の合計得点…の順で決められる。よって1つの大会で1位を取っても、次の試合で下位に沈むとファイナルには出場できず、波のないコンディション作りが課題となる。また得点より順位を重視するので、どの大会に出場するか?による運、不運も、かなりあるように思う。
トリプル・アクセルを封印して優勝 クリックすると元のサイズで表示します

今回の浅田真央のフリー演技は、あくまでも順位に焦点を絞って滑り、勝ちに行くという無難な?演技構成だった為、何となく物足りなさを感じたようにも思ったが、それも彼女がジャンプだけというイメージから進化している所以だろう。シニアに参戦してから例のない「トリプル・アクセル」の回避は、浅田真央が精神的にプライドを捨てて成長した証…との見方もあると感じた。昨年、観戦に行った友人が、素人ながら「真央ちゃんは、氷を削るがしない程綺麗な滑りだ」と言っていた。一つ一つの要素に無理がない…それは天才的スケーターの素質ともいえよう。彼女の次の大会は、アメリカ大会で金メダルをとり、既に15点を獲得している、キミー・マイズナーも参戦するフランス大会…。浅田真央にとって、一昨年15才にして優勝した縁起の良い大会でもある。更なる滑り込みに磨きをかけて、今度こそ、ショートプログラムで完璧な演技をし、フリーは守る演技ではなく、挑む演技をしてくれたらいいな…とファンの1人として思っている。
クリックすると元のサイズで表示しますトリプル・アクセルを跳んで2位の中野。
(写真は全てYahoo photoより引用)


また浅田真央が今季フリーで初披露したショパンの「幻想即興曲(Fantaisie-Impromptu)は、作品番号『66』がつけられた即興曲で、1834年に作られていたが、出版されたのは、ショパンの死後。1855年に友人のユリアン・フォンタナが改稿し発表した。題名の『幻想』は、死後の発表ゆえに、フォンタナがつけたと言われている。ショパンが作曲した即興曲は4作品あるそうだが、ショパン24才にして作曲されたというこの曲の譜面を、本人が表に出さなかった理由は(ベートーベンの『月光』に似ていたからという説もあるが)定かではないという。今季、グランプリファイナルの開催地は、2006年冬季オリンピックが開催されたトリノ、パラベーラ競技場…荒川静香のショートプログラムで流れた「幻想即興曲」が、再びパラベーラのリンクに響き渡る時、浅田真央は軽快なステップからのトリプルアクセルを見事に跳んでくれる事だろう。そして国際大会で夢の200点越えを果たしてくれると信じている。因みに「幻想即興曲」は、カナダ大会フリーで、2年ぶりにトリプル・アクセルを決め、自己ペストを更新して2位に入った中野友加里も、ショートプログラムの曲として選んでおり、「幻想即興曲」が、フィギュア界で最高の演技を引き出す曲の「代名詞」となってくれるよう願いたい。

※以下 ISU公式ページから、大会エントリーの選手名とポイント(得点表)
http://www.isufs.org/events/gp2007/gpsladies.pdf
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2007/11/1

レッドソックス優勝パレード…「Rolling Rally」  Boston Red Sox・MLB

レッドソックスの優勝パレードは、試合の興奮覚めやらぬ、現地時間の30日に開催された。2004年のパレードが優勝決定から3日後だった…のだから、かなり早い日程である。このパレードに、もし日本から駆けつけよう…と思い立ったファンがいても、自家用ジェット機を持っている人か、チャーター機を飛ばせる人か、或いは『どこでもドア』を持っているドラエモンと知り合いでない限り、不可能な日程だった。ボストンに住んでいる私の知人でさえ、会議等の予定が入っていて出向く事は無理だと聞き、ボストンに居ても観られないのだから…と私は自らを慰めた。そんな急な日程で平日だったというにも関わらず、沿道には延べ100万人のファンが詰め掛けた。ニュースでその映像を観たが、いかにも学生というファンも多くいた。ボストンでは、市内の公立小学校に『レッドソックスデー』という日を設け、好きな選手のユニフォームを着ていく日…がある程に、地域に根付くフランチャイス体制を取っている。よってこの日は学校を欠席しても「おとがめなし?」…だったのかもしれない。
     
クリックすると元のサイズで表示しますパークストリート教会前のパレード

選手達が乗った「ダック・ボート」は、第二次世界大戦中に使用した海からの上陸用艇(映画『プライベート・ライアン』のノルマンデイ上陸シーンに登場する)を改造した水陸両用車で「ダックツアー」という、ボストンで1番人気の観光ツアーに使用されている。私も乗った事があるが、ボストンの史跡をめぐった後、チャールズリバーの川原に下り、水に入った途端ボートに変身して川下りをする。運転手さんが解説係りで、私が乗った時は、名所旧跡の説明をしながらマジックなども披露してくれ、とっても楽しいツアーだった。この「ダック・ボート」は、観光シーズン(6〜7月)ともなると、市内の至る所で走っている姿を目にする事が多く、ボストンの夏の風物詩の1つとも言えよう。
ダックツアーで川に入ったボートクリックすると元のサイズで表示します
(2006年9月撮影)

幸か不幸か、岡島は唯一台、パペルボンダンス用に?用意されたトレーラーに、レッドソックス、公認バンド『ドロップ・キック・マァフィーズ』と、ブルペンのリーダー、マイク・ティムリンらと共に同乗した為「ダック・ボート」に乗る事は出来なかった。そればかりか、パペルボンのアドリブで、3人が一緒にダンスを踊るというサプライズまで飛び出し、ファンを熱狂させた。(岡島が一番驚いていたように思えた)。

クリックすると元のサイズで表示しますドロップキックマァフィーズとパペルボン
…岡島は密かに黄色い耳栓を…


※「You Tubu」のパペルボンダンス。(後半に注目!ティムリン、岡島も踊らされて?いる)
http://jp.youtube.com/watch?v=SxIBml2byoo

2004年の優勝時は選手達を乗せたまま「ダック・ボート」ならではの、チャールズリバーにも入り込み、ファンが川岸からも見られるようなコースを組むという演出もあったが、川に飛び込むファンが続出したため、今回は安全性を最優先として、道路のみ使用のパレードとなった。そのコースは、フェンウェイパークを出発して、レンガ造りの古い街並み…バックベイを抜け、プルデンシャルセンター(フェンウェイパークから見えるビル)やコプリープラザのある街の中心街…ボイルストン通りを抜け、ボストンコモン(アメリカ最古の公園)のあるダウンタウンに入って、奴隷制度廃止演説が初めて行われた…パークストリート教会を左折、ボストン市役所等があるガバメントセンター前を通って、地下鉄のブルーライン終点(ボウドイン)辺りが終点だった(以下の地図参照)。パレードは、そのコースを約2時間かけての行程だったという。

コースの地図…(クリックで拡大)クリックすると元のサイズで表示します

※以下に、Yahoo photoより引用した写真と、知人が撮った写真を掲載する。

クリックすると元のサイズで表示します選手を乗せた「ダック・ボート」とファン

MVP受賞のローウェルクリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します手を振るレスターと松坂。

バリテックとミラベリの捕手コンビクリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します投げる為のサインボールを受け取る
ラミレスとタバレス

ボストンコモン前の沿道…クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますトロフィを抱えるオルティーズ

キルティ、エルズベリー、ドリュー。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します手を振る岡島(この時は余裕の表情)

パペルボンの餌食?に…。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します 箒をギター代わりにノリノリ…
パペルボンとティムリン。

窓にはベケットのポスター。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますフェンウェイ近くのランドマークタワー

国旗の下にレッドソックスの旗。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します岡島達の乗ったトレーラー(奥)

トロフィの看板にズーム。クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますボストン名物?騎馬警官。

……夢のあと…。
  クリックすると元のサイズで表示します
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