2007/12/30

全日本フィギュア、フリーとエキシビションの録画を観て  フィギュアスケートと浅田真央選手

2007年も残すところ後3日となり、仕事の方も慌しくなった中、夜になって心静かに全日本フィギュアのフリーとエキシビションの録画を観た。その中で、印象深かった選手とその演技について、書いてみようと思う。フリーの中では、本人と曲とのイメージがぴったりで、演技もほぼノーミスだった安藤美姫の「カルメン」が光っていた。浅田真央は、本人も恐くて?測定していないという、伸び続けている身長も災いしたのか?今季、「伝家の宝刀」…トリプルアクセルの成功率が低く、この全日本の舞台でもシングルアクセルに抜けてしまった。だが、これまでの浅田真央は、その動揺を後の演技に引きずってしまっていたが、この日は、上手く立て直して他のエレメンツを演じ終え、精神的成長を覗わせた。
クリックすると元のサイズで表示します冒頭のトリプルアクセルを失敗するも、
立て直し首位を守った浅田真央。(写真は2枚とも、yahoo photoより)


安藤美姫と浅田真央、日本女子フィギュアには、世界の舞台で頂点を狙えるこの2人がいる、と、改めて心強く思った。しかしながら、3月の世界選手権では、ミスをした選手が脱落するのではなく、全ての選手達がミスの少ない演技で競い合う…レベルの高い試合になって「「ショートプログラム(SP)とフリー、双方ミス無く揃えなくては世界一にはなれない!」…。そんな気がした。

今回のエキシビションでは、西野友毬(ゆうき)、佐々木彰生と若い2人の選手が溌剌とした演技を見せてくれ、楽しんで観る事が出来た。更に水津瑠美の「ナディア」もオリエンタルムードたっぷりで彼女自身の個性とよく似合っていて素晴らしいと思った。そして、男女とも上位4人はオーケストラの生演奏での滑走となり、ショートプログラムを滑る選手が多かったが、男子の覇者、高橋大輔は、オーケストラ演奏の「ロミオとジュリエット」では、ストレートラインステップだけを披露し、「白鳥の湖 HIPHOPバージョン」を滑走した。これは何度観ても感動する。番組では、試合時の映像も流していたが、その時から不安を微塵も感じさせない王者の風格があった。この時、もしかして浅田真央も、グランプリファイナルのエキシビションで初めた観た時から、気に入っているレスリー・ギャレットが歌っている「ソー・デープ・イン・ザ・ナイト(so deep in the night)」で滑ってくれるかな?と、少し期待したが、SPの「バイオリンと管弦楽のためのファンタジア」だった。やはり、企画側も、バイオリンの生演奏の繊細な調べで、浅田真央が滑るという…贅沢な設定では、選択せざるを得なかったのだろうと思った。
浅田真央二世?西野友毬 クリックすると元のサイズで表示します

結局、この日は、アンコールで少し滑っただけだったが、浅田真央の今季のエキシビションNo…「ソー・デープ・イン・ザ・ナイト」は、フルヴァージョンで観ると、指先から足先まで、とにかく美しく可憐である。更に柔らかい滑りで優雅さもあり、ロシアでのバレエレッスンの成果が顕著に表れていると思われ、私は荒川静香の「ユー・ライズミー・アップ」と同じような感動を覚えた。このナンバーには、浅田真央が、可愛い少女から美しい淑女へと、変身しつつある姿がよく表れていると思えたのだ。『You Tubu』で、グランプリシリーズの他のエキシビションも観た所、グランプリファイナルで滑った際のみのパフォーマンスだったが、ダブルアクセルの三連続ジャンプには驚かされた。今季より、2月の開催される四大陸選手権に、全日本選手権の上位2人と4位の選手も参加する事になったようなので、再び2月に観られる事を、楽しみにしていたいと思っている。(文中敬称略)

※以下『You Tubu』から、
浅田真央、GPF時の「so deep in the night」 (三連続のダブルアクセルに注目!)
http://www.youtube.com/watch?v=tfjvawRe1zk

「so deep in the night」full version (THE ICEより)
http://www.youtube.com/watch?v=Nftn0NnzCXg

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2007/12/28

フィギュア全日本選手権女子SPと、山本淳一のデフォルメ人形  フィギュアスケートと浅田真央選手

フィギュアスケートの2007年を締める全日本選手権で、浅田真央は、今季「鬼門」とまで報じられる程に課題となっているショートプログラム(曲は「バイオリンと管弦楽のためのファンタジア」)に、本来は姉、浅田舞の為に用意されていた淡い薄紫のグラデーションがかかったコスチュームを着て出場した。滑走後のインタビューで、本人も話していたが、「マイナス思考にならずに何かを変えなくてはいけない、コスチュームを変えてみよう」と母親と相談したのだという。
クリックすると元のサイズで表示します薄紫の衣装でSP首位の浅田真央。

そのコスチュームを譲った姉、浅田舞自身は、SP17位スタートと奮わなかったが、妹に譲ったその優しさも後押しされて、浅田真央のショートプログラム(SP)のジャンプは、トリプルルッツの踏み切りで、逆エッジ踏み切りの減点を取られたものの、ほぼノーミスの優雅に決め、72,92の高得点をマークした。ジャッジでも音楽の表現力で、8点という高得点が示されていたが、前回滑走のグランプリファイナルとは、流れる音楽まで違う曲のように感じた。

2位につけたのは、GPファイナル出場を逃し、その分、全日本選手権に照準を合わせて調整して来た安藤美姫、3位には、村主晃枝がつけている。トリノでのGPファイナルの疲れが懸念された中野友加里は、4位となり、トリプルアクセルを取り込んだ、フリーでの逆転を目指す。フィギュアの演技を観ていて、やはり自分の気持ちをコントロールし、大舞台でミスの無い自分の演技が出来る事…それが最も大切だと思った。

この全日本選手権、残念ながらTV放映は、生では無く、かなり割愛されてはいたが、滑走順通りに放映された事、拒食症(摂食障害)から立ち直り、昨季ユニバーシアードで優勝した鈴木明子や、骨折を乗り越えた大田由希奈の演技も観る事が出来て嬉しかった。更に2006年ノービス選手権の覇者で14才の西野友毬 は、スピードの有るジャンプを見せ、オレンジの衣装も手伝ってか、一昨年の浅田真央を髣髴させた。アメリカのジュニア選手達の層が厚く、脅威を感じていたが、日本の未来も期待出来る…と嬉しかった。(文中敬称略)

※以下の写真は、
JR高島屋タワーズプラザギャラリーに展示中の、人形作家、山本淳一氏のデフォルメ人形。
クリックすると元のサイズで表示します展示ギャラリーのポスター。

SP1位、浅田真央人形→クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します←真央人形の後姿(周っていた)
SP2位、安藤美姫人形→クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します←SP3位、村主晃枝人形
解説の荒川静香さんの人形→クリックすると元のサイズで表示します


★山本淳一 (人形作家、イラストレーター)
1950年北海道生まれ、東京デザイナー学院卒業
広告会社勤務1年後、友人とデザイン会社設立。1984年工房「画楽亭」主宰。
1993年、テレビ朝日のニュースステーションで使用された政治家人形制作を契機に、知名度を上げ、以降、立体作品が主体となった。主な作品として、JR西日本・さわやかマナーキャンペーンシリーズポスター、伊藤園の「香り香る麦茶」CMの鶴瓶人形、日本テレビ2002年プロ野球開幕告知監督人形、週刊ゴルフダイジェスト立体・平面イラスト、2003年朝日新聞元日号「あの顔この顔テレビ50年」等がある。年に数回、彼方此方で作品展を開催。
※以下公式HP。
http://www.garakutei.com/

※浅田真央のSPの曲は、「幻想即興曲」と書き間違えていましたが、
正しくは「バイオリンと管弦楽のためのファンタジア」です。訂正させて頂きました。by...hotaru.
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2007/12/26

帰国後の慌しい半月が過ぎ…Happy Holiday!  日記(今日思うこと)

12月12日、ボストンから帰国して以降、仕事が忙しいのは、大変有難たい事だったが、立て続けにスタッフ2人の親族とお客様の訃報が入り、更にクリスマスイヴには私の従姉の義父も旅だった。そんな慌しい半月間の中、唯一外出したのは、24日の午後、前から約束していた恒例の着物会(和服を着て出かける会)で…だった。車でセントレア空港へ向かい、空港から快速特急「ミュースカイ」 に乗って一路名古屋へ…。駅前のJR高島屋タワーズ内「加賀屋レストラン」で懐石料理を頂いた。その後北風吹く寒い中(人ごみで熱気あふれていたが)駅前のイルミネーションを観た後、またセントレアへと戻り、セントレアのスカイデッキのイルミネーションを観た。ここに腕前はお粗末であるが、それらの写真を載せたいと思う。(写真はクリックで拡大)
クリックすると元のサイズで表示します12日、中部国際空港に帰国した。

入り口のクリスマスツリークリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します快速特急「ミュースカイ」
に乗り26分、一気に中部国際空港から名古屋駅へ。

ミュースカイの車内 クリックすると元のサイズで表示します
飛行機を思わせる内装で、広くて乗り心地も良い(後姿は友達のMさん)

※以下、クリスマスイヴのJR名古屋駅前
クリックすると元のサイズで表示します ツリーと見学する人々

立ち並ぶツリーを反対からクリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します ツリーを下から見上げて…

蝶々のモニュメントクリックすると元のサイズで表示します 

クリックすると元のサイズで表示します駅壁にはイルミネーション
(からくり時計のように15分間隔で動くアニメーション式)

噴水が出てサンタが登場クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します正面から撮影…名古屋駅の看板も…

※再び中部国際空港(セントレア)に戻って
クリックすると元のサイズで表示しますスカイデッキのイルミネーション。

スカイデッキのツリークリックすると元のサイズで表示します

※私の和服コーディネイト?
クリックすると元のサイズで表示します母の形見…紅型小紋と書き絵羽の道行

※去る人が多く淋しかった12月だったが、念願の「プリウス」が私の元にやって来た。
クリックすると元のサイズで表示しますライトパープルメタリックのプリウス


◎ブログの更新が出来ず、ご心配をおかけしましたが、私は何とか元気でやっています。
ご心配や励ましのメール等を頂いた方々に、厚くお礼を申し上げます。「ありがとうございました」
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2007/12/10

ボストン市内のイルミネーションとハッサム(ボストンコモン)の絵  ボストンの思い出

12月に入ってからのボストンは、連日氷点下の寒い日が続いていて、量こそ多くはないが降った雪も溶けないままとなっている。特に9日は1日中曇っていて空は灰色だった。それでも街中は、ホリディシーズンとなって彼方此方にリースやツリー等が飾られ、イルミネーションが光っている。晩秋のボストンに訪れて約1ヶ月も、あっという間に過ぎ、間もなく帰国の途に着こうとしている。今日は、滞在中にボストン市内で撮影した、ツリーやイルミネーションの写真を掲載しようと思う。
(写真は、全てクリックで拡大します)
クリックすると元のサイズで表示しますボストン美術館、ロトンダの階段

階段のサイドと降りる人達クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますロトンダ吹き抜けの飾り付け

ツリーのオーナメント→↓クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

リッチミアのギャラリア内クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します同、マックショップのウィンドウ
(サンタの人形が大人気のアイフォンを持っている)

※以下は、ボストンコモンとボストンコモン付近

ボストンコモンは、街の中心街、ダウンタウンの中央にある。1634年、牛の放牧場や練兵場として設置されたが、その後、市民の集会や演説(マーティン・ルーサー・キング、ヨハネ・パウロ2世ら)に…使用された事から「COMMON(共有地)」と呼ばれるようになった。全米で最古の公園として知られ、総面積は20.2万m²で、ボストン・パブリック・ガーデンと隣接しており、現在では市民の憩いの場となっている(冬期は、ボストンコモン内のフロッグ池がアイススケート場となる)。
クリックすると元のサイズで表示します高さ15メートル?天然木のツリー

パークストリート教会クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します噴水から州会議事堂を臨んで…
(↑是非、クリックで拡大して下さい。ほたるのお気に入り写真です)。

ダウンタウンへの路地を…クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますトレモント通り沿いの歩道

歩道をズームアップで…。クリックすると元のサイズで表示します

※以下は、ボストン美術館所蔵、フレデリック・チャイルド・ハッサム
「Boston Common At Twilight 」(黄昏のボストン・コモン)1885〜1886年作
クリックすると元のサイズで表示します

拡大写真(部分)
 クリックすると元のサイズで表示します

「Boston Common At Twilight 」は、120年以上前に描かれた作品であるが、ボストンコモンに面した、トレモント通りを走っている乗り物や人々の服装以外は、現在もその光景が、ほぼそのまま残っている。絵の中にスズメと戯れる少女が描かれているが、毛皮が袖についたお洒落なコートを着た可愛いその姿は、育ちが良く、未来の貴婦人を連想させる。雪をまとったボストンコモンの景観は、むしろ今も、こんな少女に居て欲しいような雰囲気を漂わせている。尚、印象派の影響を受け、サージェントを敬愛したというアメリカの画家…ハッサムについては、後日改めて詳しく記載したいと思っている。

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2007/12/4

シンフォニーホールのコンサート…ヘンデルの「メサイア」  ボストンの思い出

12月1日、ボストン・シンフォニーホールで開催された、Handel and Haydn Society(へンデルアンドハイドン・ソサエティ)のコンサート「Messia (メサイア)」へ行った。ヘンデルのメサイアというと、 有名な「ハレルヤコーラス」のフレーズが浮かんで来る。私は高校時代、このコーラスにアルトのメンバーの1人として参加した事があり、懐かしさも手伝って期待に胸を膨らませていた。但しチケットを予約したのが前日で、何とか取れたものの、何処のシートなのかも分らず、とりあえず「25ドル」という価格から、オペラグラスは必須だろうと持って出かけた。シンフォニーホールへ着くと、フロントでチケットを受け取り、中に入った。1階とは聞いていたが、係りの人に案内されるまま進んでいくと、どんどん前に連れて行ってくれる。気がつくと最前列に案内されていて、オペラグラスが不必要な事態となった。
クリックすると元のサイズで表示します開演前…3F席から写したステージ。
最前列のシートに座る筆者
クリックすると元のサイズで表示します

ここで、もしこれがジャニーズ系のコンサートなら、アリーナ席だと大興奮する反面、間違いでは?と疑うのだろうが、シンフォニーホールに於いてこの最前列のシートは、7ランクあるうち、4番目の価格帯となっている。確かに立ち見でない限り、舞台の高さに遮られて奏者全員を観る事が出来ない。それでも、過去にコンサート等を最前列で聴いた経験が無かった私は、わくわくした。開演まで時間があった為、シンフォニーホールの散策?に出かけた。ホール1Fの壁にはホールの歴史についてや、ボストンシンフォニー交響楽団の人達の写真が掲げられており、その中に、1973年から2002年まで音楽監督 に就任していた小澤征爾氏の写真を見つけた。小澤氏は、歴代の名立たる指揮者中でも、クーセヴィツキー氏と並んで最も任期の長い指揮者となったが、その長い就任期間もさる事ながら、情緒的な表現様式でボストン市民を魅了した。ボストンで「有名な日本人は?」…と問えば、まず小澤征爾氏の名が上がる。
クリックすると元のサイズで表示します 9年間指揮者を勤めた小澤征爾氏

さて、演奏曲…ヘンデルの「メサイア」について少し書こうと思う。メサイアは、オラトリオ形式となっており、バロック音楽を代表する楽曲で、キリストの生涯を描いている。オラトリオとは、声楽(独唱・合唱)、オーケストラ、によって演奏される。歌詞にストーリー性がある点でオペラと雰囲気は似ているが、演技はなく、大道具、小道具、衣装なども用いない。 また「メサイア」には決まった配役も無く、第1部・降誕、第 2部・受難、第3部・復活と永世…から構成され、歌唱部分はソリストのソプラノ、アルト、テノール、バリトンの4人と、コーラスで構成されている。そして第2部の最後に流れるのが有名なハレルヤコーラス…神を讃えるこのコーラス部分は、観客が総立ちとなって聴く事が慣例となっている。この慣例は、1743年、ロンドンで初演奏の際、国王ジョージ2世が、コーラスの途中で感動のあまり起立し、観客も総立ちになったという逸話に由来するという。
クリックすると元のサイズで表示します お辞儀をする4人のソリストと、
指揮者のハーリー・クリストファー氏(中央)


休憩を入れて3時間のコンサートは、あっという間だった。バロック音楽を代表するかのようなチェンバロの調べが美しく響き渡り、ソリストの方達の熱唱を引き立てていた。更に、33名のコーラスの人達が歌うハレルヤコーラスは、予想以上に圧巻だった。私も思わず記憶が甦り、歌詞を口ずさんでいた。そしてラストの「アーメン」の大合唱も見事で、観客は再び総立ちとなり、彼方此方から「ブラボー!」の声が飛びかっていた。私は、身も心も洗われたような清清しい気持ちになって、耳に残った余韻を楽しみながら、キンと冷え込んだボストンの街中へと、シンフォニーホールを後にした。

★以下は「メサイア」に使用されたバロック音楽独自の楽器と、
コンサートマスターで、演奏も笑顔も素敵だったダニエル・ステップナー氏の写真。
クリックすると元のサイズで表示しますチェンバロ(ハープシコード)

バロックトランペット(2F席で演奏)クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します開演前…笑顔のステップナー氏

音合わせするステップナー氏クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますコンサートマスターとして指揮をとる。

演奏者全員に一礼クリックすると元のサイズで表示します


※ダニエル・ステップナー(Daniel Stepner) ウィスコンシン州ミルウォーキー出身
幼少時から両親より音楽を学び、シカゴのヴァイオリニスト…サム・ストライクと、フランスの指揮者…ナディア・ブーランジェに師事した。イエール大学で、音楽論の学位を取得し、以降数々のクラッシック音楽演奏に参加したのち、現在はマサチューセッツ州内のハーバード大学やブランダイス大学で教鞭をとる傍ら、2004年より、ヘンデルアンドハイドン・ソサェティのコンサートマスターを務めている。
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2007/12/2

ボストン美術館No5…ゴッホ「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」他  ボストンの思い出

フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は、オランダ生まれの画家で、ゴーギャンやセザンヌと同じくポスト印象派(後期印象派)に属する。27才で絵を描き始めるまでは、伯父の経営する美術商での仕事、父親と同じ牧師をするなど、職も定まらなかった。その原因の1つとして、ゴッホは人との交流が苦手だったと言われているが、画商で成功した弟…テオドールとの文通は亡くなる直前まで続き、妹に送った手紙も含む、約700通にも及ぶその書簡は、ゴッホの作品や当時の絵画美術の理解に役立つだけでなく、書簡文学の傑作とされている。そんな手紙好きのゴッホが、1886年ごろからフランスに移り住み、アルル地方のカフェで偶然、郵便配達人のルーランと出会う事となった。
クリックすると元のサイズで表示します 郵便配達人ジョゼフ・ルーラン。
(1888年作、写真は全てクリックで拡大)


ルーランは、その後友人として、また絵のモデルとしてゴッホの心の支えとなって行った。ゴッホはルーランの制服姿の肖像画を6枚描き、更に夫人や子供達も描いた。実際この絵を観ていると、椅子から溢れた大きな手と体は、働き者である事を表し、ゴッホの描く父親のイメージだと推察できる。顎に湛えた立派な鬚には「白」「茶」「赤」「緑」「黄」「黒」等の多彩な色を使われ、絵の中でも大きな存在感を示していて、ゴッホが描こうとしたルーランの心の優しさが伝わって来る気がする。ルーラン夫妻は、ゴッホが精神を病んで入院後もしばしば見舞い、そして退院にも付き添ったという。ゴッホは、画商のテオの計らいで、ドガやピサロらと出会い、印象派の手法を吸収してきたが、生活を共にしたゴーギャンとは、作風…自画像の耳の大小を巡って口論となり、自分の耳を切り落としてしまったという有名な逸話まで残している。そんなゴッホの親族以外の数少ない、良き理解者だったと言えよう。
「オーヴェルの家々」 クリックすると元のサイズで表示します

次の絵は、ゴッホ終焉の地となったオーヴェル・シュル・オワーズで描かれた…ゴッホ最後の作品とも呼ばれている「オーヴェルの家々」である。多彩な筆さばき、混じり気のない絵の具の生気に跳んだ厚塗りは、実際の情景からは少し逸脱し、孤独な人物を取り囲む静物だけに的を絞って描かれている。「郵便配達人ルーラン」にも言えるが、黒色を使って輪郭を描くなど、浮世絵の影響を受けている事がうかがい知れる。ゴッホは、10年間の画家人生の中で、油彩900点、素描1100点を残しているが、晩年の2年間に残した350点の油彩と数百点の素描の中から、傑作と呼ばれる作品が生まれたそうだ。
クリックすると元のサイズで表示します 「ペイルレ渓谷」(Ravine)

もう一枚は、1889年に描かれた「ペイルレ渓谷」で、ゴッホがサン=レミ近郊のペイルレ渓谷に出かけ石灰岩の岩場を縫う急流や、両側にそびえ立つ荒涼とした石灰岩の山を描いた作品である。(「ペイルレ」とは、転がった石を意味する「ピエール・ルレ」に由来する)。この絵は、浮世絵に描かれていた山水画の影響を受けていると思われるが、力強い筆致の中にも何処か不安定さが見て取れる。また最近になって、この絵は、アムステルダムにあるゴッホ美術館によってX線撮影され、絵の下にも別の絵…「Wild Vegetation」が描かれている事が判った。「Wild Vegetation」は1889年6月の作品だが、数ヵ月後「Ravine」を書こうとした際、テオドールから届くはずのキャンバスが遅れ届かなかった為、「Wild Vegetation」のキャンバスをリサイクルとして使用したそうだ。後に炎の画家と呼ばれ、力強い線と燃え上がるような色彩で、情熱的な作品を描き続けたゴッホだったが、画家としては不遇であり、37年間という短い生涯に自らの手で終止符をうった。ゴッホの絵の価値が上がったのは、皮肉な事にゴッホの劇的な生き様であり、何作かの映画も作られた。結局生前、売れた絵は1888年作の「赤い葡萄畑」(プーシキン美術館蔵)のたった一枚だったという。
横から…絵の具の厚さが分る?クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示しますゴッホ美術館撮影のX線写真。
(「Ravine」の下に描かれている「Wild Vegetation」)


伝説の画家・ゴッホが、弟のテオドールに遺した作品の内、約200点の油彩、500点余りのデッサン、スケッチブック、約700通もの書簡、そしてゴッホのコレクションであった多数の浮世絵は、1962年以来フィンセント・ファン・ゴッホ財団の所有となり、以降ゴッホ美術館に永久貸与されている。尚1999年完成したゴッホ美術館の新館は、名古屋市美術館を始め、著名な建造物を数多く設計した黒川紀章氏が携わったという。

◎参考
「ボストン美術館の巨匠たち」名古屋ボストン美術館発行
 2007年8月5日付(電子版)AFP ニュースより
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