2008/3/17

名古屋市美術館「北斎展」よりNo1…「韓信の股くぐり」  日記(今日思うこと)

70余年の長い創作活動の中で残した数々の作品の中に、その奔放な天才ぶりを発揮して来た葛飾北斎…。北斎と言えば「富嶽三十六系」の中でも富士山を中心に求心的に描かれた、伊豆方面から江戸に鮮魚を運ぶ押送船に襲いかかった大波の絵…「神奈川沖波裏」が、あまりにも有名であるが、その評価は、ヨーロッパに於いて、2007年、パリで開催されたオートクチュールで、クリスチャンディオールのデザイナー、ジョン・ガリアーノ氏が「葛飾北斎」と名づけたドレスを発表するなど、浮世絵というジャンルを超えて更に高まって来ている。
クリックすると元のサイズで表示しますオートクチュールドレス「葛飾北斎」
写真ご提供…スピンさん

そんな中、今回、東京都江戸東京博物館を皮切りに、現在、名古屋市美術館で開催されている…その名もすばりの「北斎展」では、北斎が活躍した江戸時代に当時、唯一海外との公式な窓口となった、長崎の出島から、オランダを通じて、ヨーロッパに輸出されていった北斎の肉筆画らを里帰りさせ、検証を試みている。北斎の絵が、オランダ製の紙に描かれている事から、当時来日していたシーボルトを始め、カピタン=商館長だったデ・シュチュレールらが、注文して描かせていたとも推察されている。今回の「北斎展」では、北斎とヨーロッパとの関わりをキーワードに展示がなされているが、訪れた際、私がまず一番に感動した一枚の絵について書いてみたい。
「韓信の股くぐり」(一部を撮影) クリックすると元のサイズで表示します

その絵は、参考として出品されている個人蔵の「韓信の股くぐり」(1809〜1918)で、北斎にしては、珍しい中国の故事格言を題材にした作品であった。「韓信の股くぐり」とは、漢の三傑の1人である韓信という、中国の宋の時代から漢の時代に活躍した武将が残した故事である。若く貧しかった頃の韓信が、魚売りをしていた時代に、ならず者達から「お前は刀をさして、偉そうにしているが、俺を刺せるか」と言いがかりをつけられた事があった。そこで韓信は「罪を犯してもいない人を殺す事は出来ない」と断ったが、ならず者の中の1人から「臆病者、ならば俺の股をくぐれ」と更に挑発された。しかし韓信は、彼らの股をくぐってその挑発には乗らなかったのである。後に、韓信は、漢と趙の戦い時に「背水の陣」の奇策等によって勝利し、漢を治めた劉邦(せつな)の名参謀・蕭何(しょうか)に「国士無双」…国の中で並ぶ者がいない最も優れた人物…と評価されるまでに出世した。その時、韓信は、股をくぐらせたならず者達を呼び寄せ「あの時、お前を斬っていれば罪人となり、私の人生は終わってしまっていただろう、お蔭で我慢する事を覚えた」と感謝し、警備役として取り立てたという。

この史実に基いて中国、そして日本でも「趙韓信の股くぐり」は『大志を抱く者は小事に取り乱すべきではない』という教訓として伝えられて来た。北斎は、この和漢折衷の格言となっている「韓信の股くぐり」の逸話を、一枚の絵の中で説明的に描いているが、北斎自身、座右の銘としていたように思われた。尚「背水の陣」とは、韓信のとった奇策で、川を背にして撤退する道がない陣を敷く事。当時、漢の武将は寄せ集めの俄か兵であった為、「自分達には後が無い」と絶体絶命のピンチに追い込み、死力を尽くして戦わせ勝利した事に由来する。
クリックすると元のサイズで表示します 「端午の節句」…母子3人の顔や着物の柄等精密に描かれている。また窓の外には魔除けの「鐘軌」の幟も描かれている。

名古屋市美術館の「北斎展」では、2月9日から3月23日まで、北斎の鮮やかで尚且つ、陰影のある肉筆画から、富嶽三十六景等の刷り物、北斎漫画等の版本、そして北斎83才の自画像に至るまでの238点(一部前期と後期に分けて展示)が展示されている。その迫力は、古今東西、多くの人々…芸術家達を魅了し続けている事を頷かせるに余りあった。また「北斎展」は、4月5日から山口県に移動して、5月18日まで、県立萩美術館・浦上記念館で開催される。

◎写真は図録「北斎」より転写。
◎参考・電子版「故事百選」・図録「北斎」
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