2006/8/31

伊藤翔選手…高校生からいきなり英・アーセナル!入団テスト合格  サッカー&ワールドカップ・ドイツ大会

サッカーU-19(19才以下)日本代表の伊藤翔選手(中京大中京高校・18才)が、去る8月20日、イングランドのプレミアリーグ・アーセナルの入団テストを受ける為に、渡欧したニュースを新聞で読んだのは記憶に新しい。既に伊藤選手は、フランスの2部リーグ、グルノーブルからは正式オファーを受けており、先にフランスのグルノーブルの練習に2日間加わった後、ロンドン入りしていた。このテストは、春休み(4月)に練習参加した際に、ドイツのキーパーレーマンからゴールを奪う等、その身体能力を認めたアーセン・ベンゲル監督(1995年〜1996年、名古屋グランパスエイト監督)の要請で実現した。伊藤選手は「オファーが来れば一番いいけど、まずは精一杯やりたい」と出発の新聞記者のインタビューに答えていた。
クリックすると元のサイズで表示します アーセナル入団テストに合格した伊藤翔選手(中京高3年)。

伊藤選手は、現地時間の28日、入団トライアルテストの2日目、トップチームで行われたミニゲームで、トーゴ代表FW、アデバヨルと2トップを組み、イングランド代表DFのA・コールを巧みにかわして得点する等、計5得点を挙げた。アデバヨルや17歳でW杯のイングランド代表に選ばれたFWウォルコットが、1点ずつしか決められない中での大量得点の結果に、ベンゲル監督から「気に入った。獲得したい。エクセプショナル・タレント(稀な才能を持つ選手)として、特例的に労働許可証を発給してもらうように手続きする」と伝えられたという。

欧州連合(EU)籍外の日本人選手がイギリス国内のクラブと契約し、選手登録するには、労働許可証の発給を受けなければならない。これは、EU諸国に籍のある選手の労働の機会を保護する為の決まりで、その資格を得るには、秀でた能力を持っている事が条件となる。その目安としては、自国のA代表として過去2年間の公式戦に75%以上出場している事が条件とされている。伊藤選手は、U-19代表などの経験はあるが、フル代表の経験歴はなく通常に申請しても労働許可証は発給されない。しかし、近年10代の優秀なプロ選手の台頭により、エクセプショナル・タレントとしてフル代表の経験がなくても発給されたケースがあった。昨季アーセナルは、期限付き移籍で獲得、今季より完全移籍で獲得した、カメルーンのMF、アレキサンドラ・ソングがいる。
伊藤選手を召集、テスト合格を伝えたベンゲル監督。 クリックすると元のサイズで表示します

伊藤選手は、ニックネームで和製アンリと呼ばれている。50メートル走は6秒1というスピードを生かしたプレースタイルが似ている一方、183cmの長身でありながら本人曰く「ヘディングが苦手なのもアンリ選手と同じ」と語り、中京大中京高校でもゼッケンは「14」とアンリ選手と同じ番号をつけている。伊藤選手は、憧れのアンリ選手と同じチームでプレーしたいと願っているだけでなく、「アーセナルのパスが綺麗に繋がって行くサッカーが好き」と答え、アーセナルのテスト合格に喜びの表情を見せたという。伊藤選手の移籍は、早くて来年1月の全国高校選手権の後と予想されている。それまでに充分な時間がある為、アーセナル側は、プレミアリーグとプロ選手協会からの推薦状を添え、労働許可証の申請をする見込みで、順当に行けば来春、日本人として初めて、Jリーグを経由する事なく、高校から直接欧州の主要クラブへ移籍するプロ選手の誕生という事になりそうだ。恐らく伊藤選手は、渡英後、リザーブリーグからのスタートとなるだろうが、シーズン終盤には、名将、ベンゲル監督の元、W杯でドイツのゴールを死守したレーマン選手をGKに、憧れのアンリ選手と2トップを組んでプレーする姿が観られる日も、遠くない気がして楽しみである。

◎追記
結局、ビザの関係でアナーセルとの正式契約には至らず、フランス・グルノーブルフット38に入団が決まった。...by hotaru


★伊藤翔
1988年、7月24日、愛知県春日井市生まれ、18才。クラブチームの名古屋FC、フエルボール(元名古屋グランパスMF、安原成泰氏の指導)を経て、中京大中高高校に進みサッカー部所属。U−15から世代別代表にも選出され、2004年9月には、U-17としてアジア選手権に参加。しなやかな動きと、決定力が売りで、50メートル走は、6秒1と俊足。今年1月から開催されたカタール国際ユース新親善試合では、U-19代表として2得点を挙げた。中京高校では、年子の弟、伊藤了選手と2トップを形成。尚、弟の了選手も、ナショナルトレセンに選ばれる等、未来の大器である。


★アーセン・ベンゲル
1949年、10月22日生まれ、ドイツ(アルザス)系フランス人。1996年よりイングランド・FAプレミアリーグ、アーセナルの監督。日本では、1995年当時、低迷していた名古屋グランパスエイトを、ドラガン・ストイコビッチ、小倉隆史、浅野哲也らを率いて「常に長所だけを生かすようにする」という勝者の精神を植えつけ、1年で天皇杯優勝に導いた事で知られる。欧州とは全く違った環境で積んだ日本での指導者経験は、その後、多国籍軍団として名を馳せるアーセナルでの指揮に寄与したと著書『勝者のエスプリ』で書いている。日本に10年留まる事を覚悟していたが、ヨーロッパチームからのオファーは、ヨーロッパでの実績のみを基にしていた事から、日本でのキャリアに限界を感じヨーロッパに戻った。名古屋時代からボロ・プリモラツをヘッドコーチに置き、共に指導にあたっている。
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