2007/2/24

もうすぐ雛祭り…雛祭りの思い出と姪の為の手作り雛  日記(今日思うこと)

私がこの時期、毎年訪れる場所がある、それは名古屋市の徳川園の中に造られている「徳川美術館…。2月初旬より4月の第一日曜日まで、企画展として展示されている『尾張徳川家代々に伝わる雛飾り』の展示を観る為である。徳川美術館は、昭和6年、当時侯爵であった徳川義親の寄附によって創立され、尾張徳川家の歴代相伝の「大名道具」が収められている。今年は、この企画展が20周年を迎え、会津・松平恒雄氏の長女で、秩父宮雍仁親王のお妃となられた勢津子様のお雛様も展示されているという。来月になったら是非、足を運びたいと思っている。
クリックすると元のサイズで表示します 名古屋市東区にある徳川美術館。

さて、雛祭りといえば、私の育った家は新暦(グレゴリオ暦)の3月3日ではなく、旧暦の3月3日(現在の4月)まで飾られていた。元々「桃の節句」とは、旧暦の雛祭りの日の前後に桃の花が咲く事から呼ばれていた…というのが、祖母の言い分で、床の間には桃の花も必ず生けてあった。雛飾りの私にとっての思い出は、出してお人形に冠などを飾り付けて行くのは楽しいが、片付ける事が大変で、いつも私と祖母の仕事?とされており、4月に入ると少し憂鬱になった記憶がある。そもそも我が家では、生みの母が違う為、妹も雛飾りを持っていて、私の雛飾りが「屏風形式」であったからと、妹の品は「御殿形式」であった。「御殿式」は、組み立てるのも容易ではなかったが、解体して、小さな部品を一つ残らず書き記された箱へ、間違いなく入れていくのは、実に大変だった。しかし毎年、組み立てと解体を繰り返していた私は段々慣れて行き、将来「宮大工さん」になろうか?と思った程だった。
生後8ヶ月の私とお雛様。クリックすると元のサイズで表示します
(変色していたカラー写真を、スピンさんのお友達が、色を再現して下さいました。
結果、実物とほぼ同じ色になって感激しました。スピンさん、ありがとう♪)


雛祭りは、その歴史を辿ると起源は、平安時代中期(約1000年前)だという。当時は3月初旬の巳の日に、上巳(じょうし、じょうみ)の節句と読んで、無病息災を願う祓いの行事をしていたらしい。陰陽師を呼び、神に祈りを捧げ、季節の食物を供えて、また人形に自分の災厄を託して海や川に流したのだそうだ。また、当時の上流の女の子達の間では「ひいな遊び」が行われており、「ひいな」とは「お人形」のことで、紙などで作った人形と、御殿や、身の回りの道具をまねた玩具で遊んでいたという。この人形を使った「ひいな遊び」は、紫式部の『源氏物語』や、清少納言の『枕草子』の中にも書かれており、やがて江戸時代にその「ひいな遊び」と、前記した「節句の儀式」が一緒になって、現在のような雛祭りの形となったそうだ。そして徳川家に嫁いだお姫様のように、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的な意味で、嫁入り道具の重要な家財の一つとされたという。
クリックすると元のサイズで表示します 縮緬で作られた兎のお雛様。

昨年、姪が初節句を迎え、お祝いを何にしようか?と考えていた頃に、スタッフの子が、お店の中に手作りのお雛様を飾ってくれていたので、私は「同じような物を作って欲しい」とお願いした。しかし昨年のこの時期彼女は、独立の準備で公私共に忙しく、作る事が出来なかった為、今年になって忙しい中、その約束を果たしてくれ、今夜、私の手元に届けてくれた。心を込めて、一針ずつ縫われて作られた兎のお雛様は、とても可愛く味わいがある。そして世界にたった一つしかない、姪の為に作られたお雛様である。私は並べ写真を写して、弟夫婦にメールを送った所、早速明日、取りに来ると返事が届いた。姪の持っているお雛様の横に、愛嬌たっぷりのこの兎のお内裏様とお姫様が並べられると思うと、何だか今からわくわくしてしまう。

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一人?ずつ撮影。 クリックすると元のサイズで表示します

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後ろ姿。尻尾もあって愛らしい…。 クリックすると元のサイズで表示します
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