2007/9/12

9月11日…米国同時多発テロが起きた日に思う事  日記(今日思うこと)

6年前のこの時間…私は電話をかけていた。まずボストンの知人の無事を確認後、従姉に依頼されて仕事でニューヨークへ出張していた従姉のご主人に…。従姉から、そのご主人は、ワールドトレードセンター近くにあるビル内の弁護士事務所へ行く予定が入っていたらしいと聞き、回線がビジー状態の中、東京より名古屋からの方が電話も通じやすいかもしれない?と、手分けして連絡を取っていたのだ。朝方になって、ようやく無事の確認は取れたが、2キロ以上離れたホテルのエントランスにも大量の粉塵が積もっていたという。テレビ画面では、各局ともに、その衝撃的映像を何度も何度も映し出し、世界中が震撼した。あれから6年…。今もテロの恐怖は抜け切らず、世界の何処かで戦火も耐えない現実がある。
クリックすると元のサイズで表示しますNY…ツインタワーの無いマンハッタン
リバティ島(自由の女神像)に向かう船より撮影。


昨年の記事にも書いたのだが、同時多発テロの丁度1年前…即ち7年前のこの日、東海地方では、停滞した秋雨前線と太平洋上の台風14号の影響で、2日間の総雨量が567ミリと年間の3分の1を上回る(名古屋市調べ)後に東海豪雨と呼ばれる大水害が起き、私の家も浸水被害に遭った。雨は舗装された道路を川にして、比較的海抜の高い地域に建っている家をも浸水して行った。大気が不安定になり竜巻も起きて、知人の家は半壊、台風の直撃を受けなかったにも関わらず、自然の猛威の前に自分の無力を痛感させられた。
美しい自然を大切に… クリックすると元のサイズで表示します

奇しくもこの1年を経て、同じ日に起きた天災と人災…。私には大きな衝撃だった。今冷静に振り返ると、テロ行為は、けっして武力で抑える事が出来ない事を、その6年の経過から私達は学ばされた。協調性という言葉を使うには、少し安易な気もするが、自分とは違う相手を理解する事が大切ではないか?!と思った。そして進む地球温暖化による天災被害が年を追う毎に増大しつつある事も、痛感させられている。最早、対岸の火事ではない。私達一人一人が、自然から恩恵を受けて暮らしているという…最も原始的な考えに立ち戻るべきでは…と思っている。
クリックすると元のサイズで表示します NY…サウスステーションの星条旗。

※以下、9月11日付け、中日新聞掲載の「中日春秋」が、大変印象深かったので転載する。

▼摩天楼を白い煙のようなものが這い登っていく。高層ビル街の谷底は騒然となっていた。2ブロックほど先の現場へ急いだ。7月半ばに訪れたニューヨーク・マンハッタンでの事…。大規模ではあっても、結局はただ地中の蒸気管が爆発した事故。だが周囲のニューヨーカーたちの顔はこわばったまま。やがて現場にも携帯電話などを通じて「テロの兆候なし」の情報が伝わる。それでやっと空気が緩んだ。

ミネソタ州ミネアポリスで8月、高速道路の橋が突然崩壊した時も当局は素早く「テロとのつながりなし」と発表している。米国が中枢同時テロに見舞われてから、今日で6年。今でも何か尋常ならざる事態が起きる度に、人々はまず「テロか」と身を硬くする。その名の通り、テロが狙う果実は恐怖である。だから、おびえたら負けとばかり、かの国はそれを「愛国」や「強いアメリカ」への熱狂と読み変えて、武力を振りかざす道を選んだけれど、この6年を見れば、市民の心に巣くった恐怖を減ずる十分な効果があったとは思えない。

パレスチナ人を父に持つ米国の作家ナオミ・シーハブ・ナイは、同時テロ後に著したエッセーに書く。米国を一言で言い表さなければならないとしたら、それは「受け入れる事、になるだろう」と(『私たちはなぜアメリカ人なのか』)9・11の後、中東でも何処でも目立つのは米国流の価値観の押しつけだ。米国が、多様性を「受け入れる」という最大の美点を自ら損ない続ければ、更に世界の支持を失う。それこそ、テロの果実である▲


※テロリズム(英terrorism…小学館 大国語辞典より一部引用)
語源はフランス語の“Terreur(恐怖)”。 一定の政治目的の為に、暗殺や暴行、粛清(しゅくせい)等の直接的な恐怖手段に訴える主義。暴力主義。またその行為の事。

※同時多発テロ、東海豪雨等の災害でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り致します。
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2007/9/12  2:07

 

5年前のその日、休日だった私は外出先から帰宅し、その1年前を振り返っていた。2000年の同じ日、私の住む町は低気圧の急激な発達に伴う東海大豪雨に襲われ、知人の家は竜巻で倒壊、1時間に500〓近い降水量によっ 



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