2005/10/26

ちょうちんブルマのその後 番外編  学生時代の思い出とちょうちんブルマ

私のことを、指差して「ちょうちんブルマ」からの脱皮を妨げた「こっちゃん」は、やはり名門中学の陸上部だっだだけあって、通信陸上のその後も、着々とタイムを上げ走るのも早くなっていた。そして何より170cm近い長身だった。私達の学年は、こっちゃんの他にも足の速い者が後2人居て、校内の学年対抗リレーでも、3年生に勝てる早さだった。私達は東海3県にあるカトリック5校の大会のリレーにも、新記録をかけて出場する事になった。私達の高校には、体育専門の先生がいなかった為、体育の先生(講師さん)は某体育大学から来られていて、そこの大学の陸上部へもバトンの練習を中心に、指導して貰いに行く事にもなった。

こっちゃんは、私達4人の中で1番早かったが、バトンの受け渡しがネックになっていて、当然のようにアンカーに指名された。私はスタート時に瞬発力はあっても雷管の音でひるむ癖がありスタートには適さず第3走者になった。それに、不器用なこっちゃんに、バトンを渡すのは、私の役目とされた。リレーの指導をしてくれた大学陸上部の人達は国体にまで出たグループだったので、バトンの受け渡し練習も、並の練習ではなかった。バトンサークルに入ったら、走者は「Go」と声をかけ、同時に次の走者はスタートする。そしてお互い走りながら後は、「はいっ」と声をかけ、振り向かずバトンを受け取る。私達は手に肉刺が出来、破れても、破れても、新記録の為と厳しい練習を重ねた。

試合当日は、秋晴れの良い天気だった。私達は万全をつくして望んだつもりだった。愛知県の某高校女子部で、その大会は開催された。他にもアーチェリー、テニス等、強い部活も参加していた。その中でも、リレーはやはり花形で、全試合の最後に開催された。私達のチームは最強だった。私は1位でバトンを受け取り、2位とは既に10メートル以上の差がついていた。私も更に引き離して行ったそうだ。ところが、200メートルトラックの第3コーナーを周ろうとした時、バトンのウェイティングサークルに、こっちゃんの姿が無い。私は一瞬、何が起こったか察知できなかった。するとこっちゃんは、走り終えた第1走者と共に、コースの中で、悠然と体操座りをしているではないか!「こっちゃーん」(実際は呼び捨て)私は彼女の名前を喚きながら走っていった。こっちゃんは「はっ」と気付いて立ち上がりバトンサークルに来たが、私から「はい、どうぞ」みたいな、バトンの手渡ししか出来なかった。のちに言う「宅急便受け渡しリレー」であった。こっちゃんは泣きながら爆走した。受け渡す時には3位のチームと同時になっていたが、こっちゃんは牛蒡抜きし、1位になった。しかし、新記録は藻屑と消えた。

応援していた同じ女子校の仲間は、私の喚きながらの走行、こっちゃんの泣きながらの爆走と、「はい、どうぞ」のバトン受け渡しが、余りにも対照的で面白かったと後で他人事のように言っていたが、本人達は、「あんなにバトンの練習したのに。。。」と悔しかった。それでも、こっちゃんの泣いている姿に、誰も怒る者はいなかった。指導してくれた大学生の人が、「ふぅー」とついた、ため息だけが、やたら大きく聞こえていた。因みに、こっちゃんは、体育前の着替えの時、ストッキングとパンツも一緒に脱いでしまう癖があった。それも、面倒だからと、先にスカートを脱いでしまっているから、大変だ。当時更衣室が無かったので、教室で着替えていたのだが、一度、体育の先生が伝言の為に入って来た瞬間に、脱いでしまった事があり、先生にお尻を披露してしまった強者である。しかし、あの時「ぎゃーっ」と言って逃げ出したのは、先生の方だった。そのこっちゃん、3年前優しそうな彼と結婚した。「宅急便を受け取る度に、あのリレーを思い出します。すまん」と年賀状に書かれていた。こっちゃんにとっては、今でもあのリレーの事がトラウマ?らしい。
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