2007/12/2

ボストン美術館No5…ゴッホ「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」他  ボストンの思い出

フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は、オランダ生まれの画家で、ゴーギャンやセザンヌと同じくポスト印象派(後期印象派)に属する。27才で絵を描き始めるまでは、伯父の経営する美術商での仕事、父親と同じ牧師をするなど、職も定まらなかった。その原因の1つとして、ゴッホは人との交流が苦手だったと言われているが、画商で成功した弟…テオドールとの文通は亡くなる直前まで続き、妹に送った手紙も含む、約700通にも及ぶその書簡は、ゴッホの作品や当時の絵画美術の理解に役立つだけでなく、書簡文学の傑作とされている。そんな手紙好きのゴッホが、1886年ごろからフランスに移り住み、アルル地方のカフェで偶然、郵便配達人のルーランと出会う事となった。
クリックすると元のサイズで表示します 郵便配達人ジョゼフ・ルーラン。
(1888年作、写真は全てクリックで拡大)


ルーランは、その後友人として、また絵のモデルとしてゴッホの心の支えとなって行った。ゴッホはルーランの制服姿の肖像画を6枚描き、更に夫人や子供達も描いた。実際この絵を観ていると、椅子から溢れた大きな手と体は、働き者である事を表し、ゴッホの描く父親のイメージだと推察できる。顎に湛えた立派な鬚には「白」「茶」「赤」「緑」「黄」「黒」等の多彩な色を使われ、絵の中でも大きな存在感を示していて、ゴッホが描こうとしたルーランの心の優しさが伝わって来る気がする。ルーラン夫妻は、ゴッホが精神を病んで入院後もしばしば見舞い、そして退院にも付き添ったという。ゴッホは、画商のテオの計らいで、ドガやピサロらと出会い、印象派の手法を吸収してきたが、生活を共にしたゴーギャンとは、作風…自画像の耳の大小を巡って口論となり、自分の耳を切り落としてしまったという有名な逸話まで残している。そんなゴッホの親族以外の数少ない、良き理解者だったと言えよう。
「オーヴェルの家々」 クリックすると元のサイズで表示します

次の絵は、ゴッホ終焉の地となったオーヴェル・シュル・オワーズで描かれた…ゴッホ最後の作品とも呼ばれている「オーヴェルの家々」である。多彩な筆さばき、混じり気のない絵の具の生気に跳んだ厚塗りは、実際の情景からは少し逸脱し、孤独な人物を取り囲む静物だけに的を絞って描かれている。「郵便配達人ルーラン」にも言えるが、黒色を使って輪郭を描くなど、浮世絵の影響を受けている事がうかがい知れる。ゴッホは、10年間の画家人生の中で、油彩900点、素描1100点を残しているが、晩年の2年間に残した350点の油彩と数百点の素描の中から、傑作と呼ばれる作品が生まれたそうだ。
クリックすると元のサイズで表示します 「ペイルレ渓谷」(Ravine)

もう一枚は、1889年に描かれた「ペイルレ渓谷」で、ゴッホがサン=レミ近郊のペイルレ渓谷に出かけ石灰岩の岩場を縫う急流や、両側にそびえ立つ荒涼とした石灰岩の山を描いた作品である。(「ペイルレ」とは、転がった石を意味する「ピエール・ルレ」に由来する)。この絵は、浮世絵に描かれていた山水画の影響を受けていると思われるが、力強い筆致の中にも何処か不安定さが見て取れる。また最近になって、この絵は、アムステルダムにあるゴッホ美術館によってX線撮影され、絵の下にも別の絵…「Wild Vegetation」が描かれている事が判った。「Wild Vegetation」は1889年6月の作品だが、数ヵ月後「Ravine」を書こうとした際、テオドールから届くはずのキャンバスが遅れ届かなかった為、「Wild Vegetation」のキャンバスをリサイクルとして使用したそうだ。後に炎の画家と呼ばれ、力強い線と燃え上がるような色彩で、情熱的な作品を描き続けたゴッホだったが、画家としては不遇であり、37年間という短い生涯に自らの手で終止符をうった。ゴッホの絵の価値が上がったのは、皮肉な事にゴッホの劇的な生き様であり、何作かの映画も作られた。結局生前、売れた絵は1888年作の「赤い葡萄畑」(プーシキン美術館蔵)のたった一枚だったという。
横から…絵の具の厚さが分る?クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示しますゴッホ美術館撮影のX線写真。
(「Ravine」の下に描かれている「Wild Vegetation」)


伝説の画家・ゴッホが、弟のテオドールに遺した作品の内、約200点の油彩、500点余りのデッサン、スケッチブック、約700通もの書簡、そしてゴッホのコレクションであった多数の浮世絵は、1962年以来フィンセント・ファン・ゴッホ財団の所有となり、以降ゴッホ美術館に永久貸与されている。尚1999年完成したゴッホ美術館の新館は、名古屋市美術館を始め、著名な建造物を数多く設計した黒川紀章氏が携わったという。

◎参考
「ボストン美術館の巨匠たち」名古屋ボストン美術館発行
 2007年8月5日付(電子版)AFP ニュースより
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