2006/12/28

天馬…ディープインパクトと大恐慌に夢を与えたシービスケット  乗馬と馬について

天馬が駆け抜けた…私は仕事の為、生中継では観られなかったが、VTRに録画して置いて深夜に観入った。12月24日第51回有馬記念、ディープインパクトのラストランだった。乗馬経験がある私は、この馬の走る姿を初めて観た時、美しいと思った。だが、皐月賞の時のディープインパクトは、スタート寸前で躓き、転倒寸前になるという、そそっかしさを持った馬だった。それでも先頭でゴールを駆け抜けた。ダービーでも、三冠がかかった菊花賞でも、鞍上の武豊騎手が、前に行きたがるディープインパクトの手綱を引き、ディープが口を開けているシーンが見て取れた。1年前の有馬記念は、そのディープインパクトの弱点が出てしまった。国内重賞レース13戦12勝…たった1度だけ2位に甘んじたレースがその有馬記念だった。
クリックすると元のサイズで表示します 引退式でのディープインパクト。

今年4才になったディープインパクトは落ち着いた馬に成長していた。鞍上の武騎手が鞭を入れるまで後方で走れる馬に成長、ゲート入りする姿も凛々しくなっていた。天馬…太平記に登場する天馬は、一回鞭を打つと10丈(30メートル)の掘を飛び越えられたという。この日のディープインパクトの第4コーナーからの姿は、正に飛ぶが如し…天馬そのものだった。しかし、もうその姿をターフで観る事は出来ない…引退式には5万人のファンが残り、名残を惜しんだという。ディーフインパクトが三冠馬となるまでの強さについては、昨年11月に以下の記事で書いている。↓

http://diary.jp.aol.com/applet/hotarudesu/20051101/archive

さて、ディープインパクトのように馬体が小さく、競馬ファンに夢と勇気を与えた馬として…遥か太平洋を超え、時を遡り、時空を超えて、私の脳裏に思い浮かんだ馬がある。その名は、シービスケット…。アメリカで実在したこの馬の物語は、2001年、ローラ・ヒレンブランドによって執筆され、2003年に、映画化された。しかし、もしディープインパクトが一気に天へと駆け上がった事と比べたら、シービスケットは、馬自身も、そして周りを取り巻く人の人生も波乱万丈、それまでは不運続きだった。その活躍した時代も、アメリカが大恐慌から、必死で這い上がろうともがいていた1930年代後半。だからこそ、不動の人気を得られたのかもしれない。1938年、全米国内のマスコミが最も取上げたのは、当時の大統領、ルーズベルトでも、ルー・ゲーリックでも、クラーク・ゲーブルでもなく、この1頭の脚が曲がった小柄な馬だったという。
シービスケットとジョージ騎手。 クリックすると元のサイズで表示します
(ポラード騎手は骨折入院中)

この馬は、血統はアメリカ競馬史上最強と言われたマンノウォーの直系ではあったものの、手に負えない荒馬で、アメリカ有数の調教師も放り出していた。結局アメリカ西部のカーディーラー、仕事は成功していたものの家族を失くしていたハワードが、調教師スミスの薦めで2000ドル(約24万円)で購入する事となる。ローラ・ヒレンブランド著の物語は、彼らの人生もドラマチックに描かれている。というより事実があまりにもドラマチックなのだ。そして、決して一流騎手ではないレッド・ポラードとシービスケットが出会い…人馬一体となって勝ち進んで行く事になる。不遇から這い上がって行く一頭の馬とホースマン達…このサラブレッドヒーローが生まれた時代的背景として、アメリカ大恐慌の暗い世相に明るい話題が求められていた事…そして、1933年に賭博が合法化されて4世紀ぶりに競馬が復活した事が挙げられる。更にこの時代、ラジオの普及により、国民が心臓を躍らせながら聞き入った事が追記される。

シービスケットは、所詮西部の荒馬と、虐げられながらも、アメリカ競馬界のクラッシック三冠馬(ウォーアドミラル)との対決にこぎつけた。このマッチレースには、78000人の観客が押し寄せ、全米に中継されたラジオ放送を聞くために、ルーズベルト大統領は、顧問団を執務室の外に待たせたという逸話も残っている。シービスケットの活躍は、大恐慌に陥り、消えかけていたアメリカンドリームの復活の象徴でもあった。しかし、シービスケットの物語は、このマッチレースて完結しない。その後、騎手とシービスケットともに挫折を味わいまた復活する。

"We fixed each other." 

シービスケットと「お互いに補い合った」という3人のホースマン達、誰一人欠けても有り得ない偉業だっただろう。大恐慌のアメリカを駆け上がり、転げ落ちても再び復活したシービスケット…この天馬には逆境にも負けない力強さが漲っていた。この馬の速さは映画では描ききれて居らず、よって当時の実写フィルムも発売されている。因みに第二次大戦時、日本へと694回出撃して尚、生き延びた戦闘機に「シービスケット」の名前が付けられ、その機体には火を吐く馬の絵が描かれたという。シービスケットは、天馬というより、ギリシャ神話に登場するペガサスだったのかもしれない。

クリックすると元のサイズで表示します シービスケットの絵画。

※シービスケットの生涯成績は、89戦中(1着33回.2着15回.3着13回.着外28回)。
比較データを挙げると、シービスケットと一騎打ちした、
三冠馬、ウォーアドミラルの生涯成績は、26戦中(1着21回.2着3回.3着1回.着外1回)。
着外28回、という数字が、順境でなかった事を物語る。初優勝するまでに18戦を要している。
また、シービスケットが、その競馬人生で移動した距離は9万キロに及んだという。
「シービスケット」の映画の紹介としては、また別の日記で記す事とする。
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2005/12/25

スタントウーマン大河ドラマ出演の巻 その4  乗馬と馬について

ボスからの依頼でスタントを引き受けたものの、一体どう乗るのか心配だった。私はボスに電話をかけた。ボスは「あー、台本を送るよ」と軽くあしらった。数日後に送られて来た台本には、私の役どころ…なんて何処にも書いてなかった。隅から隅へと探していると、当り前だが、台詞ではなく、ト書きの所に赤鉛筆で印が書いてあった。『密書を持ち、早馬に乗り走るが途中で矢に打たれてしまう』→『少年兵士役』。
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『しょ、少年兵士?』せめて、矢に打たれたお姫様役にして欲しかった。いや、『くの一』でもいい。そう思って、ボスに電話して抗議するも、取りあってももらえず、台本が変えられる事はなかった。「準備するものは、度胸だけ」とも、ボスには言われた。何だか嫌な予感がして来た。そんな不安を他所に家族は、知人に「ほたるが、大河ドラマに出るよ」と自慢して話し歩いていた。私は、とうとう引くに引けなくなってしまった。不安に包まれながらも、当日を迎えた。ロケにはぴったりの雲一つ無い晴天だった。
クリックすると元のサイズで表示します「信長」のDVD…この映像から私を探すのは至難の業だ

ロケは長良川河川敷で行われた。しかしその前に、市内から30分程の『信長』の舞台セットの場所へ連れていかれた。見学の人だかりが出来ていた。ボスと一緒に「スタッフ」のIDを下げて入っていった。すると『信長』役の緒方直人の姿が見えた。的場浩司やマイケル富岡もいた。ボスは、すたこらと歩いて行き、鎧を着たある武将に話しかけている。いたく親しげだった。私もボスに呼ばれて近づいて行くと、秀吉役の仲村トオルだった。驚いた。仲村トオルもボスに乗馬を習った1人だったのだ。私は、すっかりミーハー気分で、今から自分が何をするのか?忘れてしまった程だった。
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暫くすると、長良川方面へ移動する事になった。その時、衣装係りの人が鎧と兜を持って来た。どうするんだろう?よく見ると『矢』が刺さったように接着されてあった。私はその鎧のガチャガチャという音が、やたら気になっていた。車は河川敷に到着した。既にカメラはセットされていた。車を降りると衣装係りの女性が寄って来て、「(鎧)着けられないよねー。自分では」と言った。当り前である。当時から着付も習っていたが、鎧なんて着た事がない。衣装係りの人は私服の上から着せてくれた。「えっ?これでいいのですか?」と聞いた私に「遠いから見えないよ。メイクも無しね」と彼女はさり気なく答えた。
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助監督らしき人が、私の傍に来て説明をし始めた。話が進む度に、恐らく私は後ずさりをしたと思う。矢に打たれるシーンは、役者さんで撮影済みだから、打たれて走るシーンから撮影する、そして馬は落ちそうになった少年を乗せたまま走り去る…『なんですって?落ちそうになったままですと?』私は、また声にならなかった。そして用意された馬にまたがった。ガチャガチャというプラスチックの触れ合う音に、馬は既に興奮して鼻を鳴らしている。私は武者震いか、はたまた、本当に震えて来たのか分からないが、震えてきた。ボスが「大丈夫、保険はちゃんとかけてるから」と言いに来た。冗談じゃなかった。
有名な役者さんが乗った大人しい馬達 クリックすると元のサイズで表示します

私が馬にまたがったら、馬の首に掴まり、左に寄り気味になるよう指示された。手を回し、半身落ちそうな体位になった途端。ボスが馬を鞭で強く叩いた。馬は、いなないて、走り始めた。全力疾走である。地面が物凄い速さで過ぎて行った。無茶無茶恐かった。それに私がいつも乗るのは、駆け足までで、全力疾走する馬のモンキー乗りは、競馬の騎手でもあるまいに、した事がなかった。きっと500メートルはあっという間だったのだろうが、とても長く感じた。1回でOKが出て終わったものの、『もう2度とするものか!』と心に誓った。(↓こらっアニメの馬達、踊ってる場合じゃないよ)
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そして、待ちに待った放映日がやって来た。TVの前で家族一同、固唾を飲んで見入っていた。親戚や知人も観ているとの電話もあった。中には「サインして」という者もいた。ところが、ところがである。実際に写ってみると「あれ、あれが私!」と指刺さないと誰も判らない状態だった。スタント(代役)なのだから当り前なのだが、淋しいものがあった。ボスに電話した。「あんな危ない目に遭って、あれだけですか?」と。。ボスは「危なくて役者さんにさせられないから、ほたるちゃんに頼んだんだ。あんなもんだよ」と笑いながら答えられてしまった。確かに!、ごもっともである。私は返す言葉がなかった。その後、ギャラの3万円は藻屑と消えたが、NHKがエキストラの人用に配布した『手ぬぐい』は今も残っている。良い思い出ではないので、そろそろ布巾にでも使おうかと思っている。
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以上が、私の聞くも涙、語るも涙のスタント体験の話である。実は私…もう1度だけ、TVに出た事がある。それは民放の天気予報のバックで、馬に乗って障害を越えているシーンだった。私の名誉挽回の為に書くが、これは格好良かった。どこかにVTRも残っているはずだ。そのテープは、彼方此方回覧したので、何処にあるか?ちゃんと探して置かなければと言い聞かせた。この天気予報の撮影については、また後日、別の日記で……。
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2005/12/24

スタントウーマン大河ドラマ出演の巻 その3  乗馬と馬について

私は地元に帰って、せっかくだから…と近くの乗馬クラブ(OMファーム)へ入会した。このクラブは、入会金も1回の料金も安い代わりに、馬の手入れもするという条件だった。入会して初めて乗った馬はベンツという1馬力の葦毛の馬だった。賢く、最初は私を馬鹿にしていたものの、慣れ親しんで行くうちに、よく懐いてくれた。蹄の掃除は、ベンツが右前足を痛めていた過去があった為、左足を上げさせるのには苦労した。それに伸びた髭をカットしたり、たてがみの縺れを取るのにも苦労した。髭を切る時は、最初、鋏のチョキチョキという音にびびり、顔を避けてしまっていたし、安心して休む為か、顔を馬糞だらけにしていたので、拭いてあげるのにも、暴れていた。しかし、何とかなついてくれたのであった。
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私は、馬場の中で駆け足までマスターしていた。乗馬クラブのオーナーさんが、「馬場ドレッサージという馬術競技の初心者コースに参加しなさい」と言って下さったが、日曜日開催でどうしても、仕事が休めず、お断りしていた。ベンツと私は、毎週のようにお休みの度に顔を合わせ、息もぴったりだった。そんなある日の事だった。「ほたるちゃん、障害越えてみる?」インストラクターの人に促された。「えっ?無理ですよ」と抵抗したが「大丈夫、馬が越えるのだから」と一蹴された。あっという間に、キャバレッティ(障害のバー)が設置され、私は鞭を持たされた。だいたい馬は、蛙をみつけても、避けて行く程臆病である。バーを越えさすには、鞭で叩く必要があるそうなのだ。しかし、私は可愛いベンツは叩けない。ペチッと叩くのが精一杯だった。するとオーナーの声が飛んで来た。「そんなの蚊に刺されたとも感じないぞ」と。私は心を鬼にしてバシッと叩いた。(プロフィール写真、ベンツに乗っています)
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クリックすると元のサイズで表示します 障害の練習風景(桜花という馬と筆者)

ベンツは障害を飛び越えるようになってくれた。しかし、馬というものは、一旦跳ばなくては…と思い込むと、跨げば良いような高さでも、思い切り大きく飛び上がる。私の体も馬と一体にならないと、落馬する危険も大きかった。上手く飛び越えてくれた時は、頬をポンポンと撫でて誉めてあげる。ベンツも嬉しそうだった。段々バーの高さが高くなって行った。そんなある雨上がりの日、バーの高さはドラム缶の高さになっていた。私はいつものようにベンツをバーのペケ印状の真ん中へ入れようとした。手綱の引き具合が悪かったのだと振り返る。結果、ベンツを斜めに入れてしまったのだ。高い所を跳ばせてしまう…と、私はひるんで止めようとした。しかし、ベンツは行く気満々で、跳んでしまった。私とベンツのタイミングがずれて、私は落馬してしまったのである。
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「最後まで手綱を離さないように」これが、落馬の時の基本である。私は運良く、指導通りに手綱を持っていた為、お尻から落下し、手などを傷めずにすんだ。しかし、雨上がりであった。お尻はどろどろだった。傍で倒れている私の顔をベンツが申し訳なさそうに覗き込んでいた。『立ち上がらなければ』と痛みを堪えて立った。するとベンツは方向を変えて『もう1回乗って』と言わんばかりに私の前に腰を向けた。オーナーが言った。「失敗して止めると、ベンツが悪い事をしたイメージのままだから、もう1回跳んで、誉めてやってから、お終いにするように」と。。私はドロドロりまま、もう1度ベンツに乗った。まともに落ちるのは、初めてだったので、落馬の恐怖もあったが、ベンツの優しさに心打たれて、もう1度跳ぶ事にしたのだ。今度はバーに向って真っ直ぐ入れ、跳ぶことが出来た。ベンツもとても嬉しそうだった。私はドロだらけになっていたが、冷たさも忘れる程嬉しかった。
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障害競技の模擬練習の様子(正装して行う) クリックすると元のサイズで表示します
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初秋に入り、私の元に1通の手紙が届いた。差出人はあの「ラングラーランチ」のボスだった。手紙には「NHKの大河ドラマ『信長』で、スタント出来る人を岐阜の近くで探しています。NHKは、ギャラが安いので、ジャックのメンバーを連れて行くと赤字です。ほたるさんだったら近いので、如何でしょう?500メートル走るだけで、3万円です。ロケは10月30日ですので、宜しく。」と書かれてあった。あれ?既に決まっている内容だな…と思いながら、家族に相談した。家族は「NHKーっ!大河ドラマーっ!!信長ーっ!!!やりなさい、やりなさい」と大声援。私も『ひとっ走り、3万円か』…と、その気になったのだが。。続きは「スタントウーマン大河ドラマ出演の巻 その4」明日以降で……。

○以下は、ベンツ/桜花との出会いを書いた日記です。ご参考までに。。
尚、日記のメインは、ディープインパクトについてです。悪しからず。。。
http://diary.jp.aol.com/applet/hotarudesu/20051101/archive
http://diary.jp.aol.com/applet/hotarudesu/20051028/archive
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2005/12/21

スタントウーマン大河ドラマ出演の巻 その2 Part 2  乗馬と馬について

「外に行ってみようか」ボスが馬に乗ってやってきた。『そっ、外?外って何処?』疑問に思ったが、「これが本物の乗馬の楽しみだ」「交通ルールは原付と同じ」等とボスが言ったので、外とは乗馬クラブの外へ行く事だと解った。『ほうっ、1馬力の原付か』と私はルールは悟ったが、まだ半分は冗談だと思っていた。空いているコーチと卯木さんを入れて3人が馬に乗り、嬉しそうに笑いながらやって来た。私は彼らの後ろに着いた。ボスに続いて外に出た。ジャックの人達は馬場の中でまだ練習しながら見ていた。外に出て気付いたが、小淵沢の道路には馬に関する交通標識が、彼方此方に立っていた。車の運転手に対して「馬が優先」だとか「馬に注意」だとかの表示である。『ほうっ』と感心していたが、やがて余裕が無くなった。速足までは良かったが、駆け足になった途端、木の枝があると自分に向ってくる感じがした。私は木の枝を避けるのに必死だった。「あーあ、言い忘れとった。馬は自分の分はちゃんと目測をするけど、乗せてる人の事は計算できんから、避けてよ」振り返ってボスが言ってくれたが、何発が枝が当たった後だった。

クリックすると元のサイズで表示します  外乗風景(真ん中が筆者)

それにしても、駆け足は速い。鞍上にいるとスピード感が増す。そして蹄の音に迫力を感じた。恐かったが楽しかった。やがて、ボスが手を揚げて停止させ、その後ゆっくりと歩き出させた。皆さん、鞍上で楽しそうに話をしている。「奴ら、素人さんがいて刺激になりますね」「おう、奴らは負けず嫌いだからなぁ」そんな言葉が耳に入ってきた。『もしかして、私は、出汁?、彼らを奮起させる為の?』そう思った途端、卯木さんが「ありがとね。助かった。それにしても、いい筋してる。ジャックに入らない?」と言った。私はようやくその頃、ジャックが何たるか、解って来ていた。「スタントのですか?」と尋ねたら「馬だけでなく他にも色々あって、ワクワクするよ」と笑いながら言われたが、「嫌です。とんでもないです!」と否定した。ボス達は大声で笑っていた。

映画「将軍家光の乱心!激突」(1989年公開)のDVD   クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します

後になって、卯木さんは、仮面ライダーブラック役もしていたらしく、「将軍家光の乱心・激突」という邦画では、長門裕之の代役で、人馬火達磨シーンをスタントしたとか聞いた。私は偶然だったがその映画を観ていた。観た当時、火を恐がらない馬の存在にもびっくりしていたが、撮影時、ファイヤーコーディネーターとして、「タワーリング・インフェルノ」のジョージ・フィッシャーが来日していた事も知っていた。『えー。あの火達磨になった人が目の前にいるの?』私の驚きは最高点に達していた。「あの時の火達磨は卯木さんでしたか?!」と思わず言ってしまった。卯木さんもボスも笑っていた。このようにして、私は、ジャックの新人さんの出汁になり、乗馬デビューをしたのだが、その時は、スタントなんてとんでもない!、別世界の話だと思っていた。私は、名古屋に帰り、近くの乗馬クラブに入り、馬と楽しくやっていた。その後の話は、「スタントウーマン大河ドラマ出演の巻 その3」(明日以降)に続く。。。因みにジャックの新人の人達は、1泊をして翌日には、外乗もし、障害の練習もしたという。私の出汁は、よく効いた模様だった。
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2005/12/21

スタントウーマン大河ドラマ出演の巻 その2 Part1  乗馬と馬について

食事が終わっても、ボスは話し続けた。映画「敦煌」のロケの話になった。「敦煌」のロケは、モンゴルで行われ、馬も現地で調達したそうだ。馬の取り扱いについて、現地の人と、どちらが仕切るかで問題になった。通訳はボスに向って言ったそうだ。「中国は、騎馬民族4000年の歴史があります」ボスは答えた。「誰も4000年、生きていないはずだ。4000年生きている人がいたら譲る」と。それでボスが仕切ることになったのだそうだ。私は可笑しかった。でも次の瞬間、笑っている場合では無い事に気づく。
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卯木さんという人が、ジャックの新人さん3人と一緒にやって来た。ジャックの新人さんは男性2人、女性1人。女性が居るのでほっとしたのも束の間、時間が無いので、すぐ馬場に行く事になった。それからである。まず簡単に乗り降りから。初心者コースでは、手伝ってもらったが、自分で乗らなければならない。台は使うが、これがまた、なかなか難しかった。しかし何とか4人とも跨った。私はアパッチに跨り、ジャックの人達を横目に見て、『姿勢がいいなぁ』と思った。まだこの時点では多少、余裕があったように思う。ところが、一通り並足から、早足の操作手順を教えられてから、全員を先導するのは私になった。『えっ?』と思いつつも、先頭に連れて行かれてしまった。

馬場の中での練習風景    クリックすると元のサイズで表示します

「はい、並足で1周したら、速足になって1周」コーチの声が飛んだ。『何?いきなり?』そう思ったが、頑張ってアパッチを思い切り蹴った。アパッチは動き出した。私は手綱を握り直し、両方の手綱のバランスを考え、真っ直ぐ歩くように気をつけた。アパッチは軽快に歩いてくれた。でも、後の人達は着いて来ていない。私は「停止」と言って、手綱を引きアパッチを止めた。「後ろは無視して、言われた通りにしなさい。」と私に向ってコーチの声が飛んできた。私はもう1度蹴り、アパッチを歩かせ、馬場を一周した。そして他の人を追い抜き、「速足」と声をかけもう一蹴りした。アパッチは速足になった。すると後の馬も着いて来てしまった。速足は馬体の揺れが大きく、それに合わせて人も立って座ってを繰り返し、その反動を吸収しなければならない。そうしないと、馬の背で反動を浴びて跳ね上がってしまう。ジャックの1人のAさんが、跳ね上げられて落ちてしまった。
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私はびっくりして停止した。「馬は空身では動かないように調教してある。かまわず、行きなさい。落馬も経験の1つっ!」またコーチの声が飛んで来た。私は並足から、速足にして馬場を1周した。それにしても速足は大変だ。タイミングがずれると、馬の背で躍らされてしまい、お尻が痛い。自分の足を車で言う、アブソーバー代わりにして衝撃を逃がすのだ。私は馬のリズムに合わせるので精一杯だった。「もう1周」。コーチに言われて、もう一周し、元の位置に停止した。その頃ジャックの人達もやっと並足で動かせていた。『落ちた人、偉いなぁ。私なら辞めちゃうな』と思いつつ、指示を仰ぐとボスが隣の馬場へ行くように手を合図していた。コーチの1人が来て、私とアパッチを隣の馬場へと移動させた。

クリックすると元のサイズで表示します ボスの姿は、西部劇から飛び出したカウボーイのようだった。

次は「駆け足です。上体の揺れは大きいですが、姿勢を保っていれば重心が変らず、安定します。速足まで行ったら、思い切り強く蹴って下さい。」とコーチ。「か、駆け足?いきなりですか?」私は、口にしてしまった。「いきなりでは無いです。順番に来ましたよ。」と、簡単に言われてしまった。私の言葉も一蹴されてしまった。…等とジョークを言っている場合ではなかった。駆け足は、かなり揺れるように感じた。そしてスピード感もあり、あっと言う間に馬場を2週してしまった。私は何とか落ちないで乗っていた。ボスが来た。「ああ、暫く、並足から速足、駆け足のペースで、後は自分で行こうとする方向を見つけて練習していなさい」ボスはそう言って、そのまま放って置かれた。私は隣の馬場を見て『大変だなぁ』と思いながら、乗っていた。この頃、少しではあったが、馬に乗るのが楽しくなっていた。
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2005/12/20

スタントウーマン大河ドラマ出演の巻 その1  乗馬と馬について

私が乗馬を始めよう…とした切っ掛けになったのは、勤めていたお店の師匠の知り合いの方が、清里でペンションを始められ、そこへ遊びに行った事だった。山梨県の甲斐大泉という所にペンション「ほいっぽ(歩一歩)」は建てられていて、そこから観光乗馬をさせてくれる「ラングラーランチ」という乗馬クラブのある小淵沢は車で20分位の所であった。「ほいっぽ」のママさんになられたTさんの薦めで、乗ってみようという事になった。私達は初体験に不安と期待を抱きながら、「ラングラーランチ」へと向った。途中の道路で馬に乗っている人達とすれ違った。『格好いいなぁ』と思いつつ、『私達には、こんな事は無理だろう』と思ったものだった。
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ラングラーランチに着くと、係りの人が、観光乗馬の申し込み用紙を渡してくれた。私達は初心者コースを選んだ。コーチらしき若い男性がやって来て、足のサイズを確認し、長靴(チョウカと読む、けっしてナガグツではない)を履くように支持してくれた。そしていよいよ馬場へ。私は「アパッチ」といういかにも腕白な名前の馬に乗ることになった。ビールケースのような箱を土台に馬に跨る。鞍は、ブリティッシュスタイルになったそうだ。乗った瞬間『高〜い』それが最初の印象だった。手綱を持たされ、止まる合図を習うも「引きすぎないように」と注意を受けた。そして、並足からスタートした。スタートの合図は足でお腹を蹴るのだが、コーチが「なみあーし」と言うだけで馬は勝手に歩き出す。「停止」の合図も手綱を引く前に、声を聞いて勝手に止まる。『なんだ、手なづけてあるじゃん』と、私は気付き、いい気になって何もせずに、ただ乗っていた。

ラングラーランチのレッスン風景 クリックすると元のサイズで表示します

馬場の外に、西部劇の映画からそのまま出てきたようなオジサンが立っていた。「ちょっと、アパッチに乗ってる人を、こっちへ連れて来て」オジサンはコーチに向って呼びかけた。「はいボス」とコーチは答えた。『ボ、ボス?』私が疑問に思ったも束の間、別のコーチが私を乗せたままのアパッチを引いて、別の馬場へ連れて行った。それが私とボスこと、田中さんとの出会いだった。ボスは、「乗馬は、馬に乗せてもらっとっちゃ いかん」と言い、アパッチ1頭だけで私に乗らせようとした。マンツーマンのレッスン?が始まった。「並足」私が言い、習った通りにお腹を蹴っても、びくっとも動かない。「もっと強く蹴って」ボスの声が飛んできた。私はもう1度蹴った。アパッチは知らん顔だ。「並あーし」と今度はボスが言った。アパッチは動き出した。ところが、真っ直ぐ歩かない。どうやら私が緊張して右の手綱を引き気味にしていたようだ。斜め右に歩いて行ってしまう。そこへ「はい停めて」とボスの支持が出た。
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「停止」と言いながら手綱を引いてもアパッチは止まってもくれない。ボスは高笑いしだした。私は半泣きだった。隣の馬場では、一緒に来た人達が軽快に早足なんかしてたりした。立って座ってという掛け声に合わせて乗っている。少なくとも、私よりは楽しそうに見えた。私は早く辞めたかった。1時間が経ち、隣の馬場の人達は馬を降りた。私は馬に乗ったままだった。その頃、アパッチは少し真っ直ぐ歩いてくれるようになっていた。ボスが私の師匠の方に行き、何か話している。暫くすると「ほたるちゃん、後でね」と手を振って行ってしまった。『えーっ?』どうやら私を置いて次の目的地「清泉寮」へ向ったらしい『あー、夢にまで見た、清泉寮のソフトクリームが…』私の声は届かなかった。

クリックすると元のサイズで表示します 本来グループレッスンは、このように隊列をなしてレッスンを受ける。

お昼になった。ラングラーランチはレストランにもなっていて、私は長靴を履いたまま、カレーライスをご馳走になった。カレーは美味しいのだが、何故自分が残されたか、解っていなかった。「もしこのまま置いて帰られたら、どうするんですか?」と、ボスに向ってやっとの思いで尋ねたところ、「まあ、車が無くなったら、馬がありますから」笑顔で答えられてしまった。『なんだと、馬だとっ、馬に乗れたら、ここには来ないわい』(心の中の声)と思いながら、顔が引き攣っていた。ボスは私を残した理由を説明し始めた。「午後から、ジャックの新人が来るので、一緒に練習しよう。彼らは馬に乗れるか乗れないかで、役が来るか来ないかの瀬戸際だから、一生懸命だ。楽しみだねぇ」とボス。『なに?何が楽しみ?ジャックの新人って誰よ?』『私のソフトクリームーー』私の心は叫んでいたが、言葉にはならなかった。「今まで一番上手いって思ったのは、真田広之だなぁ。あなたと同じように、朝初めて来て、午後からは障害を飛んでいた。大した奴だったよ」とボス。『真田広之だと?。私と同じようにだと?』『私は障害なんて飛ぶ気もないし、第一まだ、まともに言う事も聞いてくれてないよ』心の声は悲鳴になっていた。
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ボスは話し続ける。「前になぁ、立つだったか、座るだったかという名前の役者が来て、生意気だったけど、馬に乗るのは下手だったなぁ」「たいらっとかいう奴は、偉い役者らしいが、謙虚な人いいだった」私が『舘ひろし』『平幹二郎』と、気付くのは、ラングラーランチのアルバムを見てからだった。そのアルバムには、「敦煌」「豪姫」等の映画のロケ写真が載せられていた。そしてジャックとは、今のジャパンアクションエンタープライズ(JAE)、当時はジャパンアクションクラブ(JAC)だという事に、その1時間後、私は気付くのであった。
☆「スタントウーマン大河ドラマ出演の巻 その2」(明日以降)へ続く
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2005/11/1

三冠馬が誕生するまで  乗馬と馬について

一昨日だったかNHKで、シンボリルドルフ以来、21年ぶりの無敗の三冠馬ディープインパクトが、三歳馬のマラソンレースと言われる菊花賞(3000メートル)に挑戦し、勝つまでを特集していた。父親は、何頭もの名馬を生み出している、「サンデーサイレンス」という血統でありながら、馬体が小さかった為、期待はされていなかったそうだ。しかし、放牧されている牧場でも、勝気で、馬の群れの中でも、先頭に行きたがる性格だったという。更に他の馬が休んでいても、走り続けていたようだ。

ディープインパクトは、生まれつき、後ろ足の蹄が薄いという弱さを持ちながらも、後ろ足を高く振り上げ、推進力を増すフォーム。足の関節の柔らかさ。そして、疾走後すぐに心拍数が戻る、素晴らしい心肺機能を持ち供えていた。上下動が少なく、まるで、チーターのような走り方になるのは、天性の備わりだったようだ。しかし、そのスピードゆえに、サラブレッドの弱い脚はついていけなくなる。ディープインパクト父や、兄姉達も足を骨折したりして、余儀なく引退をしていたのであった。
クリックすると元のサイズで表示します後方馬と後ろ足の位置を比べると推進力の秘密が解る。

新馬としてデビューした当時の、ディープインパクトは、パドックにいる時から、足を蹴り上げ「走りたい」意思を表していた。走る事が好き。我慢できずに抜き去り、1番でないと気がすまない。私は何となく、他人?の気がしなかった。三歳馬だけが挑戦できる。クラッシックレースは、皐月賞2000メートル、ダービー2400メートル、と段々距離を長くしていく。先週の菊花賞は3000メートルと一気に長くなる。足を痛めず、スタミナを消費せず、最後に勝つ為には、夏の調教で、我慢して走る事を教え、馬の意思でなく、騎手によってスピードをコントロールする事を徹底して叩き込んでいた。

9月になってからのレースは、すっかり落ち着きを取り戻し、もう負ける要素は全くないと、思われていた。菊花賞当日も、パドックでは落ち着き、後ろ足を蹴り上げる仕草は見せなかった。スタートも今までのレースは、ゲートが開いた瞬間、焦って飛び跳ねていたスタートとは違い、綺麗なスタートだった。調教の効果が顕著に出ていると思われた。しかし、コースを2週した経験を持たないディープインパクトは、いつもスパートをかける第3コーナーで、間違えてスパートしてしまったのだ。TVの画像でも、武豊騎手が、手綱を引き、ディープインパクトが口を開けている姿が見て取れた。このそそっかしい性格も他人?とは思えない気がした。

その様子を車に例えればディープインパクト自身がアクセルを踏み、武豊騎手はブレーキをかけ続ける。それはガソリンが無駄に消費されるという事になる、人馬のバランスは崩れ、ディープインパクトは、スタミナを浪費したはずたった。距離の長いレースでは一番やってはいけないレース運びになってしまったのだ。 しかしセオリーを破った馬の背には名騎手がいた。技術を駆使して、馬を馬群の中に入れ「まだ一周あるよ」と話しかけ、ディープインパクトの気持ちをなだめた。観客から離れた「向こう正面で落ち着いた」と、武豊騎手は語っていた。それでもレースは半分以上過ぎていた。 最後の4コーナー、先頭を行くアドマイヤジャパンの勢いは落ちない。その差は約5馬身。前半にエネルギーをロスしたディープインパクトの、逆転の望みはないかと思われる様子だった。

ところが、このスーパーホースは規格外だった。ゴールから逆算した600メートルを推定33秒3(平均時速64・9キロ)というスピードで駆け抜けた。2着でゴールしたアドマイヤジャパンのそれは35秒5。ライバルより2秒以上も速い「瞬発力」で逆転を果たした。 武豊騎手は「また飛びましたね」と笑わせた。空飛ぶサラブレッドは驚くべきスタミナという新たな一面を見せ、偉業を完結させたのである。私は特集を観ていて、先に書いたディープインパクトの天性からの素質と、やはり武豊騎手の馬とのコミュニュケーションを取り、操縦する技術が揃って、この偉業を成し遂げ得たのだと痛感した。
クリックすると元のサイズで表示します 菊花賞、表彰後観客に答える武豊騎手とディープインパクト

ピンキリのキリもキリ、末端ではあるが、乗馬を嗜んだ者として、武豊騎手の騎乗ぶりに感動した。馬は知能も高いが、敏感な心を持っていると思う。私が乗っていたベンツ君は、私が乗馬クラブに着き「こんにちは」と挨拶するだけで、自分の出番だと、待ち構え、馬房の中で、はしゃぎ始めた。だが、私が初めて乗った日には、舐めに舐めきり、私が初心者で自分でまともに降りられないのを良い事に、私を背中に乗せたまま、馬場からさっさと、自分の馬房に戻り、飼葉を食べていた。馬場からベンツと私が消えた事に驚き、慌てたインストラクターの人達が、私の名前を呼んでいても、ベンツ君は無視して飼葉を食べていた。その内にその中の1人が「ベンツー」と自分の名前を叫ばれた途端、さっさと馬房から出て元の馬場に戻ったのであった。「あらま、ほたるさんも、一緒に馬房の中だったの」と他の皆は大笑いだったが、私の存在など無視したベンツ君には、やられた!以外の何物でもなかった。それからの私は、馬に乗るというより馬の手入れ(じゃれあい?)の日々、農場のお手伝いさん状態が始まった。そのベンツ君との触れ合いの話、更にスタント体験の話はまた、別の日記で…
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2005/10/28

馬の走る姿は、美しい。  乗馬と馬について

野球シーズンは、あっけなく終わってしまったが、ここ毎週、競馬会では、秋の重賞レースが、開催されている。私は馬券(正しくは勝ち馬投票券)は、買わないが、乗馬をするようになってから、競馬をTVで観るのも好きになった。昔は2度の骨折を乗り越えて93年の有馬記念で復活をした、トウカイテイオーのファンだった。92年のジャパンカップは岡部騎手との絶妙のコンビで、鞭を一度も打つ事無く、優勝している。その後、再び骨折し、復活して、引退試合とも言われた有馬記念は、岡部騎手がその前の他のレースで、進路妨害をしたとして、出場停止になっていた為、田原旗手が乗る事になった。田原騎手は当時、京都へ修行に行っていた友人の板前さんの店へ、お客様として来ていて「トウカイテイオーは、無理だ。走れない」と言ったらしいが、「そんな事は、ないっ」と言い切り、私は炬燵の板を叩いて応援した。そして勝ってくれたのだ。鹿毛の馬で顔の流星(白い部分)が綺麗だった。
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先の日曜日に、開催された菊花賞を制した、ディープインパクトは、そのトウカイテイオーの父、シンボリルドルフが達成して以来、3歳馬での「無敗の3冠馬」(皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞)となった。騎乗した武豊は「走るというより飛ぶ感じだ」と言っていたそうだ。菊花賞は、3000メートル。ディープインパクトにとって2000メートルから先のレースは経験がなく、未知の距離だった。案の定、行きたがるディープインパクトに武豊は「まだ1周あるよ」と話しかけ宥めたそうだ。人馬一体、にして3冠が達成し、単勝100円の圧倒的人気に答えた。競馬を愛した詩人「寺山修司」の本の中に、「競馬ファンは、馬券を買っているのではない、財布の底をはたいて『自分』を買っているのである」という言葉があった。駆け抜ける馬に、自分の夢を馳せているのだろう。負けても負けても、懸命に走って負ける馬にも、気持ちは動くが、圧倒的な王者の出現は、ファンの心を虜にする。ディープインパクトが、「全てのレース、無敗の8冠達成」を目指す、次のレースは、ジャパンカップ(11月27日)なのか?有馬記念(12月25日)なのか?楽しみである。鹿毛の馬、ディープインパクトは、疲れも見せず、菊花賞レース後も、飼葉をぺロリと平らげ、すぐにでも走りたがっていたという。
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もう、5年以上前になるが、友人達に誘われて、直接競馬場へ、馬を観に行った事があった。私が行けたのは平日だったので、レースが開催されているのは、地方の無名な競馬場だ。だから、けっして有名なレースに出るような優秀な馬はいない。パドックに行くと、汗を掻いていたり、落ち着きがなかったり、「こりゃ、走らないな」という馬だけは、判る気がした。どうせなら、と薦められて初めて100円ずつ買う事にした。走らなさそうな馬を避け、後は「かずのたんぽぽ」とか、可愛い?名前だけで選んで買っていた。ところが、ビギナーズラックと、駄目な馬を外した事で、13レース、1300円を使っただけで5万円以上勝ってしまった。友人と友人の会社の後輩達は、競馬新聞を買い、赤鉛筆を耳に挟んで、必死の予想をしていたのだが、負けに負けて気の毒だった。そこで私は「よしっ。泡銭は身につかない」とばかりに、全員でしゃぶしゃぶ屋さんに繰り出した。皆、奢りと分かると遠慮せず食べたものだ。帰りになって気がつくと、勝ったはずの私の財布は、出かける前より、減っていたのである。やはり、馬には乗っても、お金を賭けるものではないと、自分に言い聞かせた、苦い?経験であった。
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大抵の乗馬クラブは、種付け権が日本に無い、大人しいクォーターフォースになど、高くて手が出ない為、殆どが競馬上がりの馬を安く買って調教する。今まで「走れー」とばかりに鞭打たれていたのに対し、突然、走らないように訓練するのである。いくら競争馬としては、遅いと言っても、植えつけられた習性から、走らないように調教するのは、並大抵ではない。乗馬クラブの調教師の人は苦労していた。ある日の事、「桜花」という新しい馬が、私が通う乗馬クラブにやって来た。「牝馬(女の子)で、大人しいから、ほたるちゃん乗ってみる?」と言われて、いつも乗っているベンツ君(プロフィール写真に登場しています)に乗るつもりで跨った。するとその瞬間、桜花は全力で走り出してしまった。私が鞭を持っていた為「走らねば」と思ったらしい。跨り損なった私は、桜花の首にぶら下がるような格好になったままだった。
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乗馬クラブのインストラクターの人達は、大事故になると、今にも救急車を呼ぼうとしていたらしい。しかし、埒という柵の前で桜花は止まった。(やはり、憎まれっ子か、ここでも、大惨事にならずに済んでいる)桜花が障害馬でなくて、柵の前で止まってくれて良かった…と胸を撫で下ろしたものだった。ところが、我に返ると、首にぶら下がり続けた私の手の中には、むしり取ってしまった桜花のたてがみが、びっしりだった。痛かっただろうに。。その後、最初に可哀想な事をした、とその分、可愛がった。すると、ベンツ君のヤキモチが始まった。馬は、人間の4〜5才児の知能を持っているから、嫉妬もするのである。その話や、天にも地にも一度きりのスタントをした話は、また、別の日記で……
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閑話休題    競走馬の名前
全文字で、一応、9字以内とされているそうだ。確かに落語に登場する「じゅげむ、じゅげむ…君」のように長すぎると、実況の人が名前を言っている内に、レースが終わってしまい?、困ってしまう。。聞いた時、妙に納得したものだった。

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