2006/7/25

タイガー・ウッズ…天国の父に捧げる全英オープン連覇  全英オープン・ゴルフ他

全英オープン、4日間のツアーの終焉、18ホール目のカップにボールが沈んだ瞬間、タイガー・ウッズは、雄叫びを上げ、両手を天に向って突き上げた。その後だった、ウッズと共にツアーを周ってきたキャディのスティーブと抱き合った時、スティーブが耳元で「5月に亡くなったお父さんへ捧げる勝利だ」と囁いた。タイガーは、スティーブにしがみつくと、肩を震わせて号泣した。タイガーの目から、大粒の涙が溢れていた。そして、グリーン脇で見守っていた夫人のエリンさんの傍に行くと、その肩に顔をうずめて泣きじゃくった。タイガーが大会最終日には、必ず着用するという赤いシャツも涙で濡れていた。
クリックすると元のサイズで表示します 大粒の涙を流したタイガー・ウッズ。

今大会、タイガーは、初日は、ボギーからスタートしたものの、2日目はタイガー自身が目を見開く程の快進撃だった。イギリスのリバプールと言えば、ビートルズの出身地…。タイガーのその姿は、正に「Get Back」の曲そのものだった。パー72のコースをイーグル2つを含んだ、65のスコアで周り、トーナメント・リーダーに躍り出た。3日目は、スコアを若干落としたが、1位をキープ。そして最終日の4日目は1つのイーグル、4つのバーディを取り、スコア67。合計18アンダーで優勝した。メジャー新記録となる20アンダーこそ逃したが、その内容は解説の青木功氏も唸らせる程の圧勝だった。タイガー・ウッズ本来のショットが帰って来た。それは父の死の悲しみを乗越え、更に強くなったタイガーの姿だった。

タイガーウッズは、1975年12月、アメリカのカリフォルニア州で生まれた。父・アール氏は、黒人で、グリーンベレー(米軍特殊部隊)の元軍人。母、クルティダさんはタイ人で、その運動神経の良さは、父親譲りと言われ、黒人のバネと黄色人種の柔軟性を兼ね備えたプレーヤーとも言われている。天性の素質+努力…。タイガーがゴルフというスポーツに関ったのは、何と9ヶ月からだったそうだ。父・アール氏が短いパターとボールを与え、タイガーはいつもそのパターを担いでいたという。父の指導の下、二人三脚で1991年、16才で全米ジュニア・アマチュア選手権優勝を果たすと、以降3連覇を達成した。更にジュニアからランクを上げて、1994年から1996年にかけ、全米アマチュア選手権に3連覇を達成した。この三連覇は“タイガーズ・トリプル”と語り継がれている。

1994年 スタンフォード大学に入学するも、1996年、2年で中退して、プロに転向。プロ転向後僅か2ヶ月で、いきなり2勝を挙げ、世界ランキング33位に躍進した。そして、1997年4月13日、史上最年少の21歳3ヶ月でマスターズ・トーナメント初優勝。6月には、初の世界ランキング1位に輝いた。この時、黒人ゴルファーとして、初めてマスターズに出場した、チャリー・エルダー氏が、タイガーの初優勝の最終ラウンドに立ち会った逸話は有名である。当時、特に老舗のゴルフ場では、黒人が入場すら出来ないという人種差別意識がまだ残って居り、タイガーの活躍と躍進は、そんな差別意識を実力で持って一蹴した。数々の最年少記録を塗り替え、大躍進して来たタイガーだったが、その傍には常に父・アール氏の存在があった。
アール氏著「トレーニング・ア・タイガー」クリックすると元のサイズで表示します

しかし、アール氏は、前立腺癌に侵されていた。末期症状と告げられたタイガーは、恐らく父に見せる事が出来る最後のメジャーツアー、4月に開催されたマスターズで、1位を逃し3位となってしまった。悔いを残したまま、その後は父の看病の為にツアーから離れ、初めてクラブを握らない日を続けたが、その甲斐もなく、5月3日、父・アール氏は他界した。深い悲しみの中、復帰戦となった6月の全米オープンの予選では、ミスショットが目立ち、88位とプロデビューして初めて、予選落ちしてしまった。タイガーは立ち直れるのか?各メディアはこぞってタイガーの復活には、時間がかかるのでは?と報道した。だが、タイガーは強くなって帰って来た。

海に面したロイヤル・リバプールのコースは、芝の手入れを怠らないイギリスにして、連日の好天と高温で乾燥し固くなっていた。特に4日目はリンクス特有の風も強く、条件が厳しくなり、上位陣はスコアを崩した。そんな中、タイガーは冷静だった。硬いフェアウェイを計算して、2日目以降はドライバーを封印、タイガーのトレードマーク・寅の頭のキャップは、ドライバーに被せられたまま、アイアンとスプーンを使い分け、バンカーを避け手堅くグリーンをとらえる作戦にした。父・アール氏が生きていたら、そう勧めてくれると、タイガーは思ったそうだ。そして最終日の最終の18番ホール。セカンドショットを打ち終えた地点から、勝利を確信して歩いているタイガーの表情には、感極まったものを感じた。テレビ越しに観ているだけで、私も涙が溢れた。後にタイガーは、この時の事をこう語った。「父は、最後のパットを決める、このウィニングパットをもう観てくれる事はないんだと、実感していた。今日は自分の為にベストを尽くそうと思ったが、やはりこの勝利は父に捧げたいと思った」と…。

優勝を決めたタイガーの脳裏には、天国へと旅立った父・アールさんとの思い出が走馬灯のように浮かんでいたに違いない。タイガーの涙は、異例の暑さの為、枯れた芝が多かったロイヤル・リバプールゴルフ場をも、潤すような感動的な涙だった。ゴルフの指針だった父を失ったという逆境を乗越えたタイガー・ウッズ、天国の父親に見守られながら、次に目指すのは、帝王、ジャック・ニコラウスの持つ、プロメジャー通算18勝だ。後7勝…今年30才を迎えたばかりのタイガーにとって、充分な射程距離の範囲である。
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2006/1/20

ゴルフの球聖・ボビージーョンズとセントアンドリュース No1  全英オープン・ゴルフ他

今年も、全米プロゴルフツアー=PGA(Professional Golfer's Association of America )ツアーが、ハワイからスタートした。私はゴルフに関しては、打ちっ放し、しかした事がない。打ちっ放しに行くと、気分は爽快だが、最後はあんなに小さな穴に入れるなんて、性に合わないと思っている…というよりショットの時の軸足になる左足の膝を痛めてしまったから、以来ゴルフは練習すらしていない。でも、そんな私が欠かさずTVで観るゴルフ大会がある。それは、全英オープンゴルフ…あの荘厳さを感じるテーマソングが流れると、立毛筋が刺激されわくわくするのだ。特に、ゴルフ誕生の聖地、セントアンドリュースで行われる時は、尚更である。

クリックすると元のサイズで表示します セントアンドリュースのオールドコース

私がお店を出して間もない頃、溶剤メーカーさんの社長さんから一冊の本を頂いた。それは「ボビー・ジョーンズゴルフの神髄」という本だった。その本の著者、ボビー・ジョーンズは、生涯アマチュアを通し「球聖」と呼ばれていた人だ。しかし、彼はアマチュアでありながら、前人未到の年間グランドスラム(世界4大タイトル・全米アマチュア選手権・全英アマチュア選手権・全米オープン・全英オープン)を達成するが、それまでには、世間には知られていない精神的な苦労があったという。ボビー・ジョーンズは、自身はアマチュアで一切の賞金は受け取らなかったが、彼にお金を賭ける人々や、生まれた街、ジョージア州の期待を背負い、そのプレッシャーと戦っていたのだ。
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子供の頃、病弱だったボビーは、大好きだった野球は出来ず、ゴルフ好きだった弁護士の父と一緒に、運動の為にゴルフ場を周った。人真似が得意だった事から、父が接待するゴルフ相手のスウィングの癖を真似ては、大人を笑わせていた。ある日そんなボビーに「打ってみなさい」と父の顧客(コカコーラ会社の役員)が言う。そこで素晴らしいショットを放ち、大人達を呆然とさせた。以降ボビーは、ゴルフに夢中となり、ドラム缶に入れる練習などを積みながら、その腕を上げていった。そして9才の時、全米ジュニア選手権で16才の相手を破って優勝、21才で、全米アマチュア選手権を制した。しかしそのボビーがプロの洗礼を受けたのが、全英オープンに参加した時だった。開催されたのは、15000年以上前に氷河が作ったコースと言われている、セントアンドリュースだった。
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そのオールド・コースは、400年前からゴルフが行われていたとも言われ、“あるがまま”を理念としており、“神が造りたもうたコース”と畏敬の念をもって呼ばれている。波のようにうねるフェアウェイ、アウトとインでシェアする巨大なグリーン、其処かしこに口をあけている深いバンカー、打ち込んでしまうと厄介なゴースの密生するラフな芝生、そして海から吹く強風。正に自然との戦いのコースだった。アメリカ国内の整地されたゴルフ場でしかプレイ経験のなかったボビーは、「何という荒れたコースだ」と怪訝な顔をする。ボビーの幼少時からの憧れであり、後にライバルとなったウォルター・へーガンは、何気に「素晴らしいコースだ、今に解る」とボビーに向って答えた。

クリックすると元のサイズで表示します ボビージョーンズのドライバーショット

試合が始まった。コース中、11番パー3の深いバンカーに、ボールを沈めたボビーは、4打でも脱出できず、スコアカードを破り捨てリタイアしてしまった。アメリカに帰国後も、試合に参加するが、ミスショットをし、苛立って投げたクラブがギャラリーの人に当たり、出場停止を受けてしまった。更に足は静脈瘤に侵され、入院という人生で最大の挫折を味わう事になる。その時、ボビーを支えたのが、ボビーの夫人であり、ゴルフをする事には反対だった祖父からの励ましの言葉だった。この挫折を機にボビーは生まれ変わったように紳士的になった。1925年の全米オープンに参戦した際、誰も気がつかないラフの中でアドレスをしたとき、自分のボールが僅かに動いたと自己申告、自ら1罰打を課して、その1打の為に、ウイリー・マクファーレンに優勝をさらわれた。ボビーは「当り前の事をしただけ」と、言い放ったが、その行為は、優勝することよりも立派な行為だと賞賛され、今も語り継がれている伝説となった。
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2006/1/20

ゴルフの球聖・ボビージョーンズとセントアンドリュース No2  全英オープン・ゴルフ他

25才になったボビーは、あのセントアンドリュースに帰って来た。もうスコアカードを破り捨てた、かつてのボビーの姿はなく、ゴルフとは、誰かに勝つためのスポーツではなく、各ホールのパーとの戦い、言い換えれば自分自身との闘いである。と表現した。彼が残した名言「『OLD MAN PAR/パーおじさん』を相手にプレイする」の精神であった。そして、ボビーは、セントアンドリュースに於いて、己に負けて逃げ出し、やり残した事を、全英オープン優勝という形で遂に果たしたのであった。しかし、ボビーは、追われる者の苦しみを常に味わい続けていた。その苦しみは妻のみ知り得るものだった。そして28才の時、1年間にグランドスラムという偉業を達成すると、惜しまれつつも、現役を引退してしまった。その後は、弁護士として弱い人達を救う傍ら、マスターズゴルフトーナメントの創設や、そのマスターズが開催されるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブのコース設計にも携わった。

クリックすると元のサイズで表示します ボビー・ジョーンズとグランドスラムのトロフィー達(1930年)

ボビー・ジョーンズは、その一生を通じて学生時代は勉強に、結婚すれば家族の為に、社会人としては弁護士の仕事、あるいは 一市民としての義務にその時とエネルギーを費やした。それは、「母の為に勉強し、祖父の為に弁護士になり、妻の為にゴルフを辞めた」と言われている。ボビーの残した言葉は多々あるが、セントアンドリュースでの敗退の後、彼が自らに課した厳しさの信念は、今も尚「ゴルフの聖人」としてゴルフを楽しむ人々の心に生き続けている所以だろう。私は全英オープンの曲かせ流れる度に、ボビー・ジョーンズの「オールドマン・パー」…即ち「自分との戦い」の言葉を思い出す。その言葉は、ゴルフというスポーツの枠組みを超えて、私達日常のすべての事に言える言葉だと思うからである。
引退後のボビー・ジョーンズの写真・弁護士として活躍した。 クリックすると元のサイズで表示します

『人間は、自分が敗れた時こそ、種々な教訓を得るものだ。私は、勝った試合からは、かつて何物をも学び得たことはなかった。』 ボビー・ジョーンズ

また、ボビー・ジョーンズは、第二次大戦時、野球界の球聖と呼ばれた、テッド・ウィリアムズと同じく空軍に従軍し、アメリカ市民としての義務も果たしている。1958年、セント・アンドリュース市の名誉市民の称号を受賞。1971年、脊髄空洞症にて没、69才であった。

○参考「ボビー・ジョーンズゴルフの神髄」 ボビー・ジョーンズ著
○オールドマン・パーについての説明HP
http://www.character.co.jp/oldman_par/Oldman_Par01.html
○我が煌きのボビー・ジョーンズ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~bogey-js/no2.htm
◎DVD映画「ボビー・ジョーンズ」〜球聖とよばれた男〜
製作国:アメリカ 製作年:2004年 監督:ローディ・ヘリントン 脚本:キム・ドーソン
出演者:マルコム・マクダウェル(オーロラの彼方へ シン・レッド・ライン  パッション )
:ジェレミー・ノーサム:クレア・フォラーニ

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因みに、セントアンドリュースには大小含めて112個のバンカーがある。その中でも「ロード」と呼ばれる17番ホール(パー4)のグリーンサイドにあるポットバンカーは、「トミーズバンカー」としてあまりにも有名だ。1978年の大会3日目。中島常幸選手がこのバンカーにつかまって大叩き(4打)し、日本人初のメジャー優勝のチャンスを逃したことから、中島の愛称“トミー”をとって「トミーズ・バンカー」と呼ばれたのだ。更にこのバンカーには、2000年にも、デビッド・デュバルがにつかまり、同じく4打を叩いている。ゆえに、タイガー・ウッズは「セントアンドリュースの攻略法は?」と訊かれ、「バンカーに入れないこと。それが全てさ」と答えている。
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